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ウェッブ・スタイリストの生活と意見[12]
OISR-Watch2000年1月12日号

野村一夫


■「ねじ釘」の画家・柳瀬正夢生誕百年

 西暦2000年になりました。みなさま、ミレニアムにおきましても "OISR.ORG" + "OISR-WATCH" ともども、よろしくお願いいたします。

 その後「OISR.ORG20世紀ポスター展」の作業は少しずつ進行しております。16枚程度の「イントロダクション」も書きましたので、ご参照ください。

http://oisr.org/poster/intro.html

 現在、画像がほぼできあがりつつありまして、これからオーサリングにかかるところです。ご案内ページにはすでに「労働組合」「労働争議」「農民組合」という3つの大項目を追加してあります。

http://oisr.org/poster/

 さて、これまで労働史・労働運動史という世界にまったくかかわったことがなかった私は、このポスター展を公開するまで、これらのポスターの作者がまったく無名な人たちとばかり思っていました。タッチが似ているのも、様式として「プロレタリア系」であるがゆえの統一性だと思っていたのです。でも、その独特の力強さには何か「今さらながらの新鮮さ」(レトロモダンと呼んでもいいのですが)を感じて、歴史的資料価値もさることながら美術的に鑑賞してもいいのではないかと思ったのです。

 ところが、そのうちの何枚かは著名な画家によるものだということを制作過程で内外のみなさんから教えていただきまして、いささかビックリしているところです。その画家の名前を柳瀬正夢(やなせ・まさむ)といいます。1900年1月12日生まれといいますから、今日(OISR-WATCH発行日−編集者注)でちょうど生誕百年になります。1945年5月25日の東京空襲で死亡した戦前の画家です。

 年末にあるオフ会兼忘年会で指摘されまして、とりあえずインターネット上で資料を探してみましたら、けっこうたくさんありまして「私だけが知らんかったのか・・・」と無知を悟りました。そのおもなページです。

http://www.kt.rim.or.jp/~katsuma/jiten.f/yanasemasamu.html
http://www.ritsumei.ac.jp/kic/a06/3/t1/t1_11.html
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/6/0017920.html
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/kodawari/sepia/sepia_index.html
http://www.parkcity.ne.jp/~marcl/gallery/masamu/index.htm
http://www.ritsumei.ac.jp/kic/a06/kodomo/hantai.html

 では、今回の「OISR.ORG20世紀ポスター展」には何点作品があるかというと、はっきりしているのは50点です。ためしに "OISR.ORG" 自慢の「マルチメディアDB基本ファイル」で調べてみましょう。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/dglb/yanasem.html

 これで「ポスター・データベース」をチェックしたまま検索すると50件でてきます。そのほかにも挿画・装丁などで「《日本社会運動史料》筆者名検索」で65件、「書簡データベース」で1件(2枚)でてきます。これらはいずれも研究所所蔵の資料です。

 ついでに「和書データベース」で検索すると11件の所蔵図書がありました。そのうち9冊を研究所の書庫から借りて冬休みにつらつら読んでおりました。伝記としては、井出孫六『ねじ釘の如く――画家・柳瀬正夢の軌跡』(岩波書店、1996年)が圧巻です。とくに治安維持法違反容疑で獄中生活を強いられるあたり、感慨を覚えずにはおれません。古いものでは、志を同じくした同業者による、まつやまふみお『柳瀬正夢』(五味書店、1956年)という小さな本があります。1940年代末に書かれたもので、戦前のプロレタリア系美術運動の様子が詳しく語られています。研究書としては、武蔵野美術大学柳瀬正夢共同研究による『柳瀬正夢研究』の1と2が書庫にありました。どうやらこのチームが中心になって90年代の柳瀬研究が一気に進んだようです。

 画集としては、次のものが当研究所にあります。新しいものから並べてみましょう。

(1)柳瀬正夢研究会編『柳瀬正夢――反骨の精神と時代を見つめる眼』(柳瀬正夢研究会、1999年)。
(2)柳瀬正夢作品整理委員会編『ねじ釘の画家 没後四十五年柳瀬正夢展――武蔵野美術大学美術資料図書館寄託記念』(武蔵野美術大学美術資料図書館、1990年)。
(3)柳瀬正夢画『柳瀬正夢遺作展』(愛媛新聞社、1978年)。
(4)柳瀬正夢画、まつやまふみお解説『柳瀬正夢デッサン集――風刺の世界』(岩崎美術社、1977年)。
(5)柳瀬正夢『柳瀬正夢画集』(叢文閣、1930年)。

 このうち(1)は昨年1999年春におこなわれた展覧会を記念して作成された図録で、(2)とともに決定版的なものです。(2)に収められた「柳瀬正夢を語る」(柳瀬信明)は柳瀬論の基礎資料になります。(2)は副題にあるとおりで、遺族が保存していた柳瀬の原画などは武蔵野美術大学にあり、柳瀬正夢研究会が組織されています。(5)は柳瀬が大活躍していた最中に出した風刺漫画集で、なんと巻末には本物の「ねじ釘」のハンコが著者検印として押してあります。

 ところで、なんで「ねじ釘」なの?と思われた方もいらっしゃるでしょうね。かれは1929年にでた大山郁夫の著書の装丁から意識的に自分の作品に「ねじ釘」の頭、つまり●に白い斜め線の入った印をサインとして書き込んでおりまして、のちの岩波書店社長・小林勇が「ねじ釘の画家」と評したことで、1960年代以降、柳瀬のキャッチフレーズになりました。当研究所のコレクションにもマイナスネジの頭のような「ねじ釘」サインを見ることができます(ただし「ねじ釘」以前のポスターの方が数は多いようです)。

 今から見るといかにもプロレタリア芸術家らしい発想ともいえますが、柳瀬の後見人的存在だった長谷川如是閑はそれを見て、自らの関わった「白虹、日を貫く」大阪朝日事件を連想したといいます。検印の場合は特に赤い日の丸に亀裂が入っているように見えるのです。当研究所ではコーヒービーン説もありましたが、時代が時代だっただけに、そんな連想が込められていたのかもしれませんね。1933年以降は活動を厳しく制約され、戦時中は別のペンネームで子供向けの挿し絵を描いていたそうですが、「ねじ釘」のサインはしっかり書き込まれていたといいます。晩年の一句にこういうのがあります。

「ねじ釘の正しき位置や秋の風」

 かんたんにかれのプロフィールをまとめておきましょう。柳瀬は松山生まれ、15歳時に院展に入選するなど才気を発揮し、東京で生活するようになった19歳に長谷川如是閑や大山郁夫と出会い、『我等』や『読売新聞』の仕事を始めます。未来派の美術運動に携わったのちにプロレタリア美術運動に深く関わり、ゲオルゲ・グロッスの影響とともに時事的な批判的風刺漫画をたくさん手がけます。ポスターを集中的に書いたのもこの時期です。1932年11月に治安維持法違反容疑で特高に逮捕され、ひどい拷問を受けます。ほぼ同時期に小林多喜二が拷問で死んでいますから、相当にひどいものだったようです。翌1933年9月に保釈されますが、拘留中に妻を失い、人生のどん底を味わいます。その後、正力松太郎のはからいで読売新聞に復帰し、その仕事をしながら油彩にも復帰します。晩年は写真と俳句に熱中したそうですが、1945年5月25日深夜、3月から続いていた一連の東京大空襲の最後の空襲のさいに新宿駅で死亡します。

 ちなみに、この日の空襲はそれまで焼け残っていた山の手がねらわれたのですが、このさい柏木(今の新宿区北新宿)にあった大原社研も焼失し、土蔵だけが焼け残ります。今回公開した戦前のポスターはその土蔵の中に保管されていたものなのです。

 たった45年の生涯でしたが、1926年から1932年あたりの左翼系のポスター・著書・雑誌のかなりの部分が柳瀬によるもので、この種のポスターに見られる独特の飾り文字もおもにかれがその典型をつくったということです。当研究所で復刻した長谷川如是閑らの『我等』の装丁も柳瀬がおもに担当していました。おそらくはみなさんのお手元にあるであろう岩波文庫『長谷川如是閑評論集』の11ページには柳瀬が書いた「如是閑おどり」のマンガが掲載されていますので、これもご確認ください。

 私はメディア論を関心領域のひとつとして勉強してきましたが、長らく歴史に無頓着だったせいもあって、柳瀬のような人の多彩な活動にはまったく気がつきませんでした。あらためてこの分野の再認識をさせられたしだいです。というわけで、インターネットでのこのような公開活動は関係者にとっても学習過程・再学習過程になっているということですね。ありがたいことです。

OISR.ORG20世紀ポスター展(http://oisr.org/poster/)

(のむらかずお・兼任研究員・社会学 nom@socius.org)

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