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ウェッブ・スタイリストの生活と意見[6]
OISR-Watch1999年7月31日号

野村一夫


■知のバザールとしてのインターネット

 ここのところ、当サイトのデータを大量に流用した経済学データベースに対する抗議が続いていました。相手サイトはそれを認め、その実質上の運営者であった教授が責任を取って学部長職を辞任するまでにいたりました。お気の毒なことだと思います。

 当研究所の抗議に対して、一部にはその狭量さを指摘する向きもあったようです。せっかくここまで育ってきたのに、新しい可能性の芽をつぶしてはならないというわけです。

 インターネットは知のバザールです。基本的には何でもありです。たしかにそこには従来ありえなかった類いの自発的かつネットワーク的な活動の可能性があります。私たちもそこに賭けています。しかし、そこで自分たちの作品が別の名前で陳列されているとなると話は別です。なんでそれをみすみす見逃すのでしょうか。放置すれば、こちらが流用したのではないかと逆に疑われる可能性もあったのです。

 知のバザールとしての可能性を追求するのなら、それで徹底すべきです。研究者各自が自分の論文データを自発的に書きこむことで、結果としてのデータベースができるというのであれば、それはそれでけっこう。しかし、先行するデータベースのデータをそっくりいただいて数を稼ぐというのは一線を超えています。

 そこにはふたつの陥穽があったと思います。

 ひとつは「安直な情報主義」です。学生や一般の人たちだけでなく専門家も情報主義にどっぷり浸かっているのです。便利であればそれでいい、それが時代感覚というものなのかもしれません。しかし「結果オーライ」で「安直な情報主義」を認めていくと、インターネットはますますアノミー(無規制状態)に陥ってしまうのではないでしょうか。私たち研究者がインターネットに節度ある知的文化を構築しないで、いったいだれがしてくれるというのでしょう。

 もうひとつの陥穽は「囲い込み式集中管理主義」です。インターネットの薔薇色ムードの中では、自己を大きく見せようとする誘惑に対する内的制御が作動しない場合があります。今回のケースも、大原社研にきちんとしたデータベースがあることを知っているのなら、大原のデータベースにありそうなデータ以外にしぼって、せっせと入力すればよかったのです。そして「うちにないデータは大原にありますので、そちらをご覧ください」と大原へのリンクをひとつ添えておけば済むのです。それがインターネットらしい分散的文化構築の作法というものです。

 それを、全部自分たちのところに囲い込んで一元化して集中管理しようとするから、こんなことになるのです。その発想は、中央集権の極致を描いたオーウェルのSF「1984年」の発想と根が同じであることに、なぜ冷戦以後を見ている研究者が気がつかないのか。

 一元的集中管理方式の最大の弱点は、システムが巨大になると管理者自身が管理できなくなることです。データベースもまったく同じなのです。今回は、もともと個人用に蓄積していたデータをチェックなしに公的サーバ上に公開したことから生じています。志はすばらしいのですが、最初からきちっとしたデータ管理ができていなかったということです。それにもかかわらず、囲い込みの魅力を捨てきれなかったのが災いの原因だったと思います。自分たちに管理可能な大きさにシステムを限定して、自らを広大なハイパーテキストの一部に位置づける発想をもつべきだったのです。

 しかし、今回の事件がデータベースに関するものであったのは偶然とは思えません。データベースにはもともと「1984年」的側面があります。インターネットとして一概に論じてはいけないのかもしれません。

 たとえば、日本では文部省学術情報センターのような国家的管理主義の典型のような組織があります。最近は劇的に改善されてきましたが、ここには、個人にデータを自由に使ってもらうという前提がまったくありませんでした。私は一ユーザーとして、このような重要な役割を担う組織をなぜ文部省直轄にしてしまったのか、まったく理解できませんでした。せっかくNHKを「公共」放送にし、文部省付属ではなく「国会」図書館にした日本なのに、そして、放送大学でさえ「事実上の国営放送の設立になる」と反対運動が起こったくらいなのに。本来なら批判する側に回るべき人たちが、情報通信やデータベースのもつ文化的意義を当時は理解していなかったのでしょうね。未だにこういう人が多いのには情けなくなります。

 知のバザールとしてのインターネットは、このような権力主義的な「知の囲い込み」に抵抗するところにこそ可能性があるのであって、自らがそれに同化してしまっては何にもなりません。きびしく自己を管理・点検する「世俗内禁欲」が要請されるということです。自由なインターネットだからこそ、このパラドックスに耐えることが必要になるのです。

 以上はあくまでも野村の私見です。研究所の公式見解ではありません。また、今回の事件を私はまったく他人事とは思っていません。一生懸命それに学ぶことをしようとしているところであることを付け加えておきます。

(のむらかずお・兼任研究員・社会学)

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