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アメリカ便り番外編(その4)−「旅」の総括(前編:鉄道)
OISR-Watch2001年2月6日号

五十嵐 仁


「ニューイングランド一人旅」への出発

 前回にも紹介しましたが、私は年末・年始の休みを利用しまして、昨年の12月23日から今年の1月6日までの15日間、「ニューイングランド一人旅」を試みました。この旅は、ボストンから、デトロイト→クリーブランド→ピッツバーグ→ワシントン→フィラデルフィア→ニューヨーク→ボストンと一回りするものでした。

 この旅は、正確に言えば「ニューイングランド」以外の場所も含まれていますから、「ニューイングランド一人旅」というのは「看板に偽りあり」ということになりますが、「湖岸地方」や「北東部」というよりは、実際に近いということで、お許し願いたいと思います。

 この旅の一部始終については、すでにHPの本編の方で報告させていただきました。ただ、叙述が細切れになっているという嫌いがありますので、この番外編で、改めて二つのテーマについて「総括」的に振り返ってみたいと思います。

 二つのテーマというのは、交通手段であった鉄道(アムトラック)と宿泊施設であったホテルについてです。今回は、その「前編」ということで、アムトラックの実状について、総括的に報告させていただきます。

アムトラックの旅

 私がアムトラックの旅を選択したのは、何よりも、自動車の運転免許を持たないという絶対的な制約のためです。「車中心社会」アメリカにあって、この制約は決定的に不利な条件となります。私の旅が、ある程度の不便や問題を抱えるであろうことは、すでにこの最初の点からして明らかであったといえるでしょう。  自動車であれば快適になるはずの旅も、その他の交通手段では必ずしもそうはなりません。アメリカは、この自動車の旅に対応することを中心として、各交通システムが組み立てられています。したがって、免許を持たないものが選択すべき次善の策は、グレイハウンドという長距離バス会社による「バスの旅」だということになります。

 しかし、このバスの旅は、居住性と快適さという点で、鉄道の旅に劣ります。まだ、アメリカに不慣れな私にとっては、事前にチケットを購入しておけるアムトラックの方が安心だということもありました。それに、急ぐ旅でもありませんから、缶ビールでも飲みながらのんびりと窓外に流れ行く景色を眺めたいという気持ちもありました。

 こうして、旅行会社に依頼して、訪問を予定していた6都市の間の全ての切符をアムトッラクから購入しました。全て「列車の旅」になる、はずでした。この時は……。  ところが、結果的にはそうなりませんでした。当初の計画に反して、全体の4分の1くらいは、鉄道以外の旅になってしまったのです。

「鉄道の旅」から「バスの旅」へ

 旅に出る前に、ライシャワー研究所のゴードン所長から電話をもらい、休み中の予定を聞かれました。その時、旅行の計画を話しましたら、「どうして今頃そんなところに行くの?」と尋ねられました。デトロイトやクリーブランドは、春から夏にかけていくところで、この時期にノコノコ出かけていくような所ではないというわけです。

 この時、不吉な予感がしました。新聞やテレビの天気図を見ますと、シカゴやデトロイト近辺の気温は低く、いつも雲があって雪が降っているようです。日本の日本海側に似た感じがします。知りませんでした。  不吉な予感は、早くも列車に乗る前から的中しました。シカゴから来るはずの夜行寝台列車が到着しません。午後1時40分発のはずが2時間遅れで出発です。真夜中に、とある駅に停車してしまい、ケンタッキーフライドチキンの差し入れを受けました。結局、乗り継ぎ予定の駅であるトレドに着いたのは、翌日のお昼過ぎでした。

 当初の予定では、乗り継ぎ時間は16分待ちですから、ボストンを出る前から間に合わないことは分かっていました。「どうしたらいいのかなあ」と思いながら、トレドの駅の待合室に行き、係員に聞きました。  すると、「バスが待っている」と言います。外に出ると、バスが止まっています。多分アムトラックが調達したのでしょう。「列車の旅」変じて「バスの旅」になってしまいました。

 

今度は「タクシーの旅」

 この鉄道からバスへの振り替え輸送には驚きましたが、しかし、このような変更は、まだ序の口でした。デトロイトからトレドに戻るときは、今度はグレイハウンドのバスです。アムトラックの乗客8人が駅から乗り込み、グレイハウンドの営業所に行って乗客を乗せ、これをトレドの営業所に降ろし、私たち8人をアムトラックの駅まで送ってくれました。

 結局、トレドからデトロイト間は、行きも帰りもバスでした。このあと乗り込んだ列車も2時間遅れです。こうして、クリーブランドに着きましたが、ここからピッツバーグに向けては、もっと驚くことがありました。

 列車の到着予定時間近くに駅に行きますと、駅員が私の名前を聞きます。乗客名簿のようなものがあって、名前をチェックしています。しばらく待つようにと言うので、待合室で待っていましたら、大声で乗客を集めます。「列車はここには来ない」と言っているようです。

 10人ほどの乗客はゾロゾロと外に出ていきます。良く分からない私はその後に続きながら、前の方にいた駅員に、「ピッツバーグに行けるんですか」と、大きな声で聞きました。すると、横の方にいた客の一人が、「大丈夫ですよ」と答えてくれました。

 この人に付いていけば安心だということで、一緒に行きますと、駅の外に停まっていたワゴン型のタクシーに荷物を入れて乗り込みます。「タクシー?どうして?」面食らいながらも、私もタクシーに乗り込みました。こうして今度は、「列車の旅」から「タクシーの旅」に変更です。

 横に座った先ほどの乗客に話を聞きましたら、シカゴからの列車が遅れているので、クリーブランドの駅まで来ないで、その一つ手前の駅でバイパスの路線に入ると言います。そして、この駅で列車に乗り込むために、今、我々はタクシーでそこに向かっているのだ、というのがその人の説明でした。

 すごいですね。途中から線路を変えちゃうんですから。臨機応変といいますか、いい加減といいますか、やることが大胆です。後から考えますと、この線路は普段は貨物線として使われているもののようです。こうして我々乗客は、列車に乗るために田舎の小さな駅に、タクシーで向かったわけです。

変更に次ぐ変更

 まだまだ変更は続きます。ピッツバーグから乗り込む予定の列車の発車時間は7時11分でしたが、始発がシカゴですから、最初から時間通りに来るわけはないと諦めていました。しかし、それでも時間通りに駅に行かないわけにはいきません。

 朝早く飛び起きて、駅についたのは6時40分です。掲示を見ましたら、案の定「All Trains Delayed」とあります。この頃になりますと、私も慣れてきました。「そうでしょうね」と思いながら、ホテルから持ってきたバナナなどをパク付いていました。「さて、今度はどうするのかな?」 アムトラックのお手並み拝見という気分です。

 しばらくしましたら、案内がありました。8時にバスが出ると言います。またまた「バスの旅」です。時間になったら、乗客はホームの方に向かい、途中で逸れて構外に出て、バスに乗ります。3台ほどのバスがあり、行き先毎に分乗しました。

 私が乗ったバスは、ワシントンのユニオン駅行きです。途中、サービスエリアのような所に30分休憩し、到着したのは午後1時半です。列車での到着予定時間より、1時間ほど早く着いてしまいました。列車よりもバスが速いわけです。「車中心社会」の面目躍如というところでしょうか。

 さて、ワシントンから先は鉄道が発達し、今も利用客の多い東海岸路線です。それに、シカゴ発はもう来ません。雪の多い地方ともお別れです。変更はもうない、と思いました。

 実際、列車がバスに変わるような大きな変更はありませんでした。それでも、やはり遅れました。ワシントン発は20分遅れ、フィラデルフィア発は10分遅れ、最後のニューヨーク発も7分遅れです。

 フィラデルフィアでは、出発直前にホームに出るゲートが変更になり、ニューヨークでは列車の発車時間近くになったら掲示が消え、出発予定時間が過ぎてもホームに出るゲートが分からないという有様です。まったく、最後までヒヤヒヤさせられ通しでした。

鉄道産業の衰退と悪循環

 このように、アムトラックの旅はさんざんでした。変更に次ぐ変更で、気の休まるときがありません。駅に行ってみるまで、時間通りに来るのか、列車に乗れるのか、いつ出発できるのか分からないわけですから、嫌になってしまいます。

 列車に乗り込んでも、必ずしも順調には走りません。わざわざタクシーを使って乗り込んだピッツバーグ行きの列車は、途中も遅れに遅れて、3時間半かかるところが5時間半もかかりました。午後4時43分到着予定が、7時半です。

 日本でも雪のために遅延するということがありますから、アムトラックだけが問題だというわけではないでしょう。しかし、シカゴ近辺でどれだけ降ったのか分かりませんが、私が乗った区間は天気が良くほとんど雪は降っていませんでした。積もってはいますが、10センチもなかったでしょう。これでどうして遅れるのか、私には理解できません。

 列車の遅れによるダイヤの調整に手間取るということも考えられます。ボストンから出た列車がノロノロ運転していたとき、他の列車との調節のためであるという放送がありました。しかし、日本に比べれば遙かに列車の本数が少ないですから、ダイヤの調整によってそれほど遅れるとは考えられません。

 結局は、鉄道産業としての体力全体が低下していると考えざるを得ません。そのため、多少の雪であっても、それに適切に対応することができなくなっているのではないでしょうか。

 確かに、バスによる振り替え輸送や線路の変更、そこへのタクシーでの乗客輸送などの危機対応策はなされました。しかし、それは列車という輸送手段以外の力を借りての対応であり、それ自体が鉄道の輸送能力低下を示しています。

 しかも、このような対応は、いずれも乗客の数が少ないからこそ可能なものです。それに、冬になって雪が降るたびにこのようなことを繰り返していては、ますます乗客は減っていくでしょう。結局、悪循環に陥っていくことは明らかで、今のままではそこから抜け出すことは難しいように思われます。

日本への教訓

 アムトラックは、今でもそれなりの乗客を集めている東海岸線などのような路線と、ほとんど乗客の乗り降りがない内陸線とに分かれています。今回の私の旅でいえば、フィラデルフィアまでの前半が後者であり、ワシントンからの後半が前者であるということになります。

 日本でも、多くの乗客が乗り降りする大都市近郊線と、利用者のあまりいない地方の路線とに2分されつつあります。そして後者は、まさにアムトラックと同様の道を辿ろうとしています。

 それでよいのでしょうか。アメリカと日本とでは、国土の広さや地形が大きく異なっています。交通体系の役割やあり方も、当然異ならなければならないはずです。

 ところが、このような基本的な条件や必要性の違いを無視した形で、同じように「車中心社会」に向けてモータリーゼーションが進み、鉄道などの公共的な大量輸送手段が衰退しています。

 今回、アムトラックの旅によって多くの不便を味あわされたということもあって、「これではいけない」という思いを強くしました。日本がこの後を追ってはいけません。今の正確で安全な日本の鉄道輸送システムを維持しさらに拡大していくことこそが、日本の将来の交通システムの根幹でなければなりません。

 今はまだ、間に合うと思います。でも、このままの趨勢を放置しておけば、いつかはアメリカと同様に鉄道産業の体力が衰退していくことは避けられないでしょう。

 まだ間に合ううちに、この趨勢を逆転させることが必要なのではないか。これが、今回の旅で私の得た教訓の一つですが、皆さんはどう思われますでしょうか。

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