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アメリカ便り番外編(その2)−ハーバード大学とワイドナー図書館
OISR-Watch2000年11月20日号

五十嵐 仁


ハーバード大学とハーバード・ヤード

 今、私が在外研修でお世話になっているハーバード大学は、1636年に設立されました。宗教的な迫害を逃れて、清教徒の一団Pilgrim FathersがメイフラワーU世号で、新天地アメリカに向かったのが1620年です。その年の冬、彼らはボストンの南にあるプリマス(Plymouth)に第1歩を印します。

 ちなみに、このプリマスという地名は、1614年にジョン・スミスが探検したときの地図に書き込まれていたものだと言います。この探検家ジョン・スミスは、ディズニーのアニメ映画『ポカフォンタス』に、ヒロイン・ポカフォンタスの相手役として出てきました。

 このピルグリム・ファーザーズの到着から、わずか16年後に、ハーバード大学の前身が設立されたことになります。その創立はマサチューセッツ・ベイコロニーの役員会の決定によるもので、アメリカ最古の歴史を持っています。

 とは言いましても、創立時の規模は教師1人に生徒9人という「寺子屋」のようなもので、大学はカレッジとして出発しました。新しい植民地にふさわしい宗教的な指導者の養成を目的とし、初期の頃はイギリス本国と変わらない授業を行っていたそうです。

 1700年代になって初めて聖職者でない学長が誕生し、学生の数も増え、学科の範囲も拡大していきます。1869年からチャールズ・E・エリオットが学長を務めますが、この頃に大学はCollegeからUnivesityになって法律や医学などもが教えられ、ビジネス、美術、科学などの大学院も設置されました。学生の数も3000人ほどになったそうです。その後、大学は拡大し続け、現在は、学生を含む学位取得候補者数は1万8000人以上、社会人なども対象にしているエクステーション・スクールの在籍者数は1万3000人、教職員などは1万4000人以上になるそうです。

 大学の名称であるハーバードは、初期の有力な後援者であったジョン・ハーバードの名前からきています。彼は遺産で巨万の富を得、現在のケンブリッジ一帯を所有していたこと、彼の出身地がイギリスのケンブリッジであったことから、その一帯をケンブリッジと名付けたことは、すでに「本編」の方で書きました。

 また、このハーバードの像がハーバード・ヤードの中程にありますが、この像には有名な「3つの嘘」があること、それは、創立年が「1638年」ではなく1636年であること、ハーバードは「創立者」ではないこと、像のモデルはハーバードではなく学生の一人であることについても、すでに「本編」で紹介したことがあります。今は、像の背後の建物が工事中で、白い箱で囲まれています。

 ハーバード大学の規模は、広さ400エーカー、校舎数460以上に及び、特定のキャンパスがあるわけではありません。しかし、塀で囲まれた日本の大学のキャンパスに近いものもあります。それが、ハーバード大学の中心とも言えるハーバード・ヤードです。ここには、ハーバード大学最古の建物であるマサチューセッツ・ホールや第9代学長のワッズワースが住んでいた2番目に古い建物で、独立戦争時にワシントンが司令部を置いていたという建物など、由緒ある建物が並んでいます。

 ここには、大学本部や教室などと共に、1年生の寮が並んでいます。1年生は全員が寮にはいることが義務づけられていて、この寮のほとんどはハーバード・ヤードにありますが、外にある一部の建物も直ぐ近くです。メモリアル・ホールの1階が1年生の食堂になっています。1年生が教室や図書館のある最も便利なところにいて、教員などとも日常的に接触できるようになっているわけです。

 2年生以上は入寮が義務づけられていませんが、住宅事情の悪さや家賃の高さなどの問題もあって出ていく人は少数で、学年が上がるにつれてチャールズ川沿いなどにある遠くの寮に移っていきます。そこからはスクール・バスで通っているといいます。

 毎年1年生が入る寮の部屋には、これまでの卒業生が全て住んだことがあることになります。ハーバード大学からは、セオドア・ルーズベルト、フランクリン・ルーズベルト、ジョン・F・ケネディなど6人のアメリカ大統領や30人以上のノーベル賞受賞者などが卒業していますが、これらの有名人も、皆この寮から巣立っていったわけです。これらの部屋に住む学生には、かつてそこには誰が住んでいたかが知らされ、「よし俺もがんばるぞ」という気にさせるのだそうです。

 そういえば、今回の大統領選挙に立候補したゴア副大統領が住んだ部屋というのもあります。もし、大統領に当選すれば、ハーバード大学出身の7人目の大統領になったところでしたが、果たしてどうなるでしょうか。今の時点では、まだ結果が分かっておりません。

 なお、ハーバード大学についてのより詳しい情報はホームページから得ることができます。また、ハーバード・ヤードなどの見所についても、「バーチャル・ツアー」がありますので、そちらをご覧下さい。

タイタニック号の沈没とワイドナー図書館

 ハーバード大学には、多くの美術館、博物館、研究所、そして図書館があります。美術館や博物館などにはまだ行っておりませんので、この目で確かめてから、紹介したいと思います。今回は、このうち図書館、特にその中心とも言えるワイドナー図書館について紹介させていただきます。

 ハーバード大学の図書館・美術館についても、ウェッブサイトがありますので、詳しくはそちらをご覧下さい。この中でも図書館は全部で99館あり、書籍のほか、原稿や地図、写真などを合わせた収蔵数約1500万点だそうです。すごい規模です。私が良く行くYencheng Library(燕京図書館)には多くの日本語図書がありますが、その数は約22万冊で全米で第3位の規模になります。ここには、『朝日新聞』『日本経済新聞』『産経新聞』が入っており、日本語の雑誌もありますので重宝しています。

 この世界最大の大学図書館システムの中心に位置しているのが、ワイドナー図書館です。重厚な大理石づくりのこの図書館は、個別の図書館としても全米で第3位の大きさで、蔵書数320万冊以上、その書架の長さは8キロ以上になります。

 入り口の石段を登り、ギリシア神殿風の石柱の脇を通って中に入りますと、係員がいます。この人にIDカードを見せて、中に入ります。階段を上った正面に天井がドームになっている小さな部屋がありますが、これがワイドナー記念室です。さらにもう一階上に行きますと、そこが大閲覧室です。天井が高く、どこかの宮殿のような感じです。

 この図書館は、その名称からも、また、記念室の存在からも分かるように、ワイドナーという人物と深い関わりがあります。この人は、Hary Elkins Widenerといって、1907年にハーバード大学を卒業しました。しかし、そのわずか5年後、1912年のタイタニック号の沈没に巻き込まれて亡くなってしまいました。

 ワイドナー家はフィラデルフィアに拠点を置く大金持ちで、ハリーは稀覯本の収集家でもありました。この時も、ヨーロッパに本の買い付けに行った帰りだったといいます。彼は大金持ちでしたから、沈没に際してボートで脱出することは十分可能だったでしょう。しかし、彼はボートに乗ることができませんでした。

 この時の様子は、最近話題になった映画『タイタニック』でも描かれています。この船の下の方の船室にはヨーロッパからの貧しい移民が沢山乗っていましたが、上の方では上流階級が優雅な船旅を楽しんでいました。恋仲となる映画のヒーローはこの下層階級に属し、ヒロインは上流階級に属しています。

 徐々に船が沈み始めると、混乱を避けて上流船客の脱出を優先するために、この下層の人たちの脱出路が柵で閉鎖されてしまいます。この時、ヒロインはヒーローを助けるために下の船室に降りていって路を開けます。こうして、何とか脱出はできたものの、冷たい海に投げ出され、デカプリオ演ずるところのヒーローはヒロインを助けて死んでいきます。

 ハリーも、上流船客ですから脱出する余裕はありました。ボートに乗ることもできたでしょう。しかし、彼は、途中で引き返したのです。それは、船室に残してきた稀覯書を取りに行くためでした。結局、そのためにボートに乗ることができず、しかも泳げなかったために、ハリー・ワイドナーは大西洋の底深く沈んでいったわけです。

 この息子の死を悲しんだワイドナー夫人は、息子の名を彼の愛した書籍と共に残したいと考え、ハリーが卒業したハーバード大学に多額の寄付を行いました。この時、彼女は、ハリーの集めた約3000冊の稀覯本も一緒に寄贈したそうです。こうしてできたのが、ワイドナー図書館です。「タイタニック号」の沈没事故がなければ、ワイドナー図書館も誕生していなかったということになります。

 図書館設立のために多額の寄付を行った時、ワイドナー夫人は一つの条件を付けました。それは、ハーバード大学に入学する条件として水泳の試験を行うことでした。このような条件を付けたのは、ハリーが泳げなかったためです。そのために、彼は死んでしまったのだと、ワイドナー夫人は考えたのでしょう。

 この水泳の試験は、その後長く、入学試験の一環として実施されてきました。しかし、障害者などに対する事実上の差別になってしまうということで、最近になって廃止されたそうです。愛する息子をなくした母親の悲しみの深さと、巨大な図書館を寄贈できる大金持ちの身勝手さを、共に示すようなエピソードだと申せましょう。
(続く)

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