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アメリカ便り番外編(その1)−ケンブリッジとボストン
OISR-Watch2000年10月19日号

五十嵐 仁


はじめに

 このたび、本メールマガジンの鈴木編集長より、「アメリカ便り番外編」として、何か書くようにとの要請をいただきました。鈴木編集長には、私の不在中、何かとご迷惑をおかけしておりますので、お断りするわけにはいきません。それでは「浮き世の義理」を欠くことになります。ということで、「アメリカ便り番外編」を、このメールマガジンで何回か連載させていただくことにしました。

 ところで「アメリカ便り番外編」というのは、私のホームページで、「アメリカ便り」の本編を連載しているからです。こちらはその番外編ということになりますので、本編で書いたことと部分的に重なるところも出てくるかもしれませんが、ご容赦願いたいと思います。また、「番外編」とともに「本編」の方にも目を通していただければ幸いです。

住宅事情と研究環境

 私がVisiting Scholar としてお世話になっているのは、Harvard大学のライシャワー日本研究所です。このハーバード大学は、一般には「ボストンにある」と考えられていますが、実はその隣のCambridge市にあります。研究員の多くも、ボストンではなく大学周辺のケンブリッジや、その郊外のBelmont市、Arlington市などから通っておられるようです。

 かく言う私も、住んでいるのはBrooklineという、ケンブリッジ市の南、ボストン市の西に接している市です。ここは、ジョン・F・ケネディの生誕地として知られており、供時代を過ごした家がそのまま保存されているそうですが、残念ながらまだ訪ねておりません。

 研究員の多くがボストンの郊外に住んでいるのは、大学そのものが郊外にあることに加えて、ボストン市内の地価が高いこと、空き物件が少ないこともあります。アメリカは好景気を反映してどこも労働力不足です。少しはやっているお店などに行きますと、入り口のドアに「Hiring」の看板が掛かっています。「店員募集中」というわけです。

 したがって、仕事を求めて郊外から人々が移り住み、都心部分の物件が少なくなり、地価が上がります。しかも、ハーバードやその近くにあるマサチューセッツ工科大学(MIT)の周辺には、IT関連のベンチャー企業の事務所などもアパートの一室を借りるなどの形で進出してきています。  このような事情のため、ボストンやケンブリッジ近郊の住宅事情は大変逼迫しています。そのあおりを受けて、アパート代やホテル代も高くなってしまいました。ただし、日本のバブル期にあった、投資型の不動産売買はあるとは言えまだそれほど一般的ではないようです。

 ちなみに、こちらに来て実感したことですが、ハーバード大学とMITは大変近くにあります。地下鉄の同じ線(レッドライン)で2駅という近さです。ボストン大学やタフト大学、ボストン・カレッジ、ノースイースタン大学など他の大学もそれほど遠くありません。ボストン周辺には、なんと60近くもの大学(Colleges,Universities)があるそうです。

 この大学の密集度の高さは、学問の相互交流や共同研究などを進める上で大きなプラス要因になっているように思われます。たとえば、日本研究では、ライシャワー研究所などが主催するセミナーや研究会に、他の大学の研究者や大学院生もちょくちょく顔を出しています。研究所のあるクーリッジホールでは、日本関係だけでも、毎週、1〜2回のセミナーが開かれていますが、このように頻繁に研究会が組織できるのも、またそこへの出席者がそれなりにいるというのも、関心を共有する研究者の層が、各大学を横断してそれなりに存在しているという事情があるように思われます。

 セミナーだけでなく、授業や資料など他の面でも、このような密集度の高さは有利な条件を提供しています。私の知っている研究員の一人は、MITのジョン・ダワー先生の授業を聴講していますし、ハーバードにない資料でも他の大学にある場合があります。また、夫がMIT、妻がハーバード大学と、それぞれ異なった大学に同時に留学し、お子さん連れで当地にやってきているという例もあります。これなども、近くに沢山の大学があるという点から生じた思わざる効果ではないでしょうか。

アメリカにおけるボストンの位置

 このように、ハーバード大学がボストンにないにもかかわらずボストンにあるかのように思われているのは、ボストンという市が意外に小さい、ケンブリッジという市の名前がイギリスの方が良く知られていて、アメリカの方の知名度が低いなどの理由が考えられます。しかし、それ以上に、アメリカにおけるボストンという町の存在感の圧倒的な大きさ、知名度の高さという点に注目せざるを得ません。

 というのは、アメリカ独立の歴史はこの町から始まったといっても言いすぎではないからです。独立革命の発火点となった「ボストン虐殺事件」や「ボストン茶会事件」は、まさにこの町で勃発しました。ベンジャミン・フランクリンなど「独立革命の志士」たちの多くも、この町から出ています。日本で言えば、萩、鹿児島、高知を一緒にしたような所と言ったらよいでしょうか。

 すでに「本編」でも書きましたように、ボストンの中心には「フリーダム・トレイル」という独立革命の旧跡を結ぶ赤い線が引かれています。これは「ボストン・コモン」という公園から始まり、線をたどって歩くことができます。ということは、このような独立革命の主な事件の発生や個人の住居などは、歩ける距離の範囲内にあったということになります。小さな範囲の少数によって始まった運動が、やがては独立革命という偉業に結びついていったという点でも、「松下村塾」から始まった小さな動きがやがては明治維新という偉業に結びついていった日本との共通性があると言えるのではないでしょうか。

 また、ボストンは、その歴史の古さという点で、アメリカにおける古都、日本で言えば京都のような町だということができるでしょう。したがって、観光客が多く、町並みも古き良き時代を彷彿とさせるような、イギリス・ビクトリア朝時代のような趣が残っています。ピューリタンの町であったという伝統もあるのでしょうか、町中の所々に古い教会も多く残っており、これが町の景観に独特の雰囲気を作り出しています。町のそこかしこに古いお寺が残っている京都と、この点でも似ていると言えるでしょう。

 しかし、このような景観や環境を保護し維持しようという強い意志の点で、ボストンは京都に大きく勝っているように思われます。町中の新しい建物も周囲との調和が図られ、それほどけばけばしいものはありません。近くに寄って看板を見なければ、何のお店だか分からないようなお店もたくさんあります。最近の京都の観光スポットに見られるような顔をしかめたくなるような不釣り合いな建物も、雑然とした印象も、ここにはありません。

 京都と同様に、ボストンも交通問題が悩みの種になっていますが、その解決の仕方も京都とは異なっています。同じ高速道路を通すといっても、京都の場合には町中に通す計画のようですが、ボストンではそれを全て地下に埋め込む計画です。

 今、ボストンの町を歩きますと、至る所で青に黄色の線が入った塀で囲まれた工事現場にぶつかります。これは高速道路を地下に埋めるための工事現場で、2004年まで続きます(2007年までかかるという説もあります)。10車線ほどの高速道路を、14キロにわたって全て地下に埋めてしまおうというその構想の壮大さに感心してしまいます。

 完成の暁には、この地下高速道路の地上は全て緑地帯にして公園を作る計画だそうです。この辺にも、都市の景観を守るだけでなく、さらにそれをより良いものにしていこうというボストン市民の強い意志が感じられると思いますが、皆さんはいかがでしょうか。 (続く)

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