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高野房太郎と労働組合の誕生

8 生活協同組合の生みの親 


共営社看板  共営社は、京橋区本八丁堀2丁目4番地で高野が経営した生活協同組合。組合員は主として石川島造船所、沖電機の労働者であり、店の2階には石川島造船所の労働者クラブが設けられた。

 高野房太郎は、近代的な労働組合運動を日本に伝えると同時に、生活協同組合運動の重要性を説き、横浜鉄工共営合資会社を設立し、みずからその経営に当たりました。
 また1899年には、東京は京橋区八丁堀に、石川島造船所、沖電気の労働者などを組合員とする「共営社」を設立しています。左の写真はその看板で、現物は大原社会問題研究所に保存されています。「共営社」の2階には石川島造船所の労働者クラブが設けられていました。
 これらの〈共働店〉の多くは、赤字を出し存続できませんでした。当時の日本では、日用品はツケで買うのが普通でしたから、ロッチデール原則の重要性は知りながら「現金主義」を守れなかったことが原因でした。

〈 横浜鉄工共営合資会社規約 〉

横浜鉄工共営合資会社規約
規約 1頁

 高野房太郎は労働組合の組織的な安定を図るには、労働者に実利をもたらす生活協同組合が効果的であると考え、1898(明治31)年12月、鉄工組合第3支部の組合員を集め、横浜翁町に共働店を設立し、自らその経営に当たりました。彼は、経営を安定させるため合資会社の形をとり、自ら規約を起草しています。

横浜鉄工共営合資会社規約(続き)
規約(続き)4〜5頁

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