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高野房太郎と労働組合の誕生

6 労働組合期成会の創立


 帰国した房太郎は、サンフランシスコ時代からの親友、城常太郎、沢田半之助らの協力を得て、職工義友会を再建し、運動を開始ししました。1897(明治30)年4月には「職工諸君に寄す」と題するパンフレットをつくって労働者に配布し、労働組合の設立を呼びかけたのです。このパンフレットの現物は残っていませんが、その内容は、片山潜・西川光二郎『日本の労働運動』に収められ、今日に伝えられました。


片山潜・西川光二郎『日本の労働運動』
片山潜・西川光二郎
『日本の労働運動』
労働問題演説会・宣伝ビラ
労働問題演説会・宣伝ビラ
労働組合期成会会員証
房太郎の労働組合期成会会員証

『労働世界』の発行所である労働新聞社から1901(明治34)年に刊行された本。この本のおかげで、「職工諸君に寄す」をはじめ、初期の労働運動に関する種々の貴重な記録が残ったのです。

1897(明治30)年8月15日に期成会が開催した演説会の宣伝ビラ。会場のユニテリアン会堂は、15年後に友愛会が誕生した場所でもあります。

地球と握手のマークは、アメリカ労働総同盟のものを模したもの。裏面は会費の納入記録になっています。

 高野らは、その後も演説会を開き、文書を配布して労働組合の意義を伝え、ついに1897年7月5日、労働組合期成会を結成しました。労働者が中心でしたが、秀英舎(今の大日本印刷)の社長・佐久間貞一、東京工業学校(今の東京工業大学)講師の鈴木純一郎、それに弟の岩三郎らの知識人もこれを助け、資金を援助し演説会に出演するなどして、これを助けました。
 『労働組合期成会寄付等控』には、そうした活動の一端が記録されています。
 房太郎は運動と生活を支えるため、日本の労働事情に関する英文の通信をアメリカの労働組合の機関誌に寄稿し、原稿料を得ていました。

『労働組合期成会寄付等控』
労働期成会寄付・演説会費・出版物控
『期成会寄付・演説会費・出版物控』
労働組合期成会寄付金控
期成会寄付金控
労働組合期成会寄付金控(続き)
期成会寄付金等控

 期成会が主催した演説会などの経費は、主として会員の寄付によってまかなわれた。この帳簿は、寄付者氏名、金額、演説会の経費内訳、出版したパンフレットの配付先などが記されている。

 期成会発起会の費用は、鈴木純一郎、高野房太郎、沢田半之助の3人が負担した。なお、期成会の創立月日は史料によって異なり、7月3日、4日、5日などの諸説がある。しかし、創立時点で書かれた本記録綴第1頁の記載や『高野房太郎日記』の記述から、7月5日が正しいと見てよい。

 労働組合期成会が最初に主催した1897(明治30)年7月18日の演説会経費をまかなうために寄付した人びとの一覧。佐久間貞一が経営する秀英舎(大日本印刷の前身)の社員がもっとも多い5円75銭を寄付し、職工義友会の3人が各1円を寄付している。

 期成会に参加した労働者の多くは、東京砲兵工廠や石川島造船所、日本鉄道大宮工場などで働く鉄工、つまり金属・機械工でした。彼らが、12月1日に、日本最初の労働組合、鉄工組合を組織したのです。
 つぎは鉄工組合創立委員記念写真です。鉄工組合はまた、古家を買い、これを本部としました。

 


鉄工組合創立委員

← 鉄工組合創立委員記念写真

1897(明治30)年11月14日の鉄工組合創立相談会で選出された創立委員および労働組合期成会幹事の高野房太郎と片山潜。
最前列右端であぐらをかいているのが高野、その左が片山。

鉄工組合本部 →
 

 東京市日本橋区本石町1丁目12番地所在 間口2間2尺、奥行5間の二階建て。1899(明治32)年5月に古家を426円で購入し、450円をかけて改修したものです。高野房太郎も、同年6月から10月にかけ、妻キク、娘みよとここに住んでいました。


鉄工組合本部

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