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高野房太郎と労働組合の誕生

4 職工義友会の創立


 1891(明治24)年夏、高野房太郎は、同じサンフランシスコで働いていた友人の靴工・城常太郎、洋服職人・沢田半之助らと、日本の労働組合運動の源流となる〈職工義友会〉を組織しました。職工義友会は、労働組合運動についての研究会であると同時に、白人の靴工に迫害されていた日本人靴工による〈加州日本人靴工同盟会〉の母体ともなりました。

サンフランシスコ商業学校卒業証書

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 高野房太郎は、8年間のアメリカ滞在中、正規の学校教育はほとんど受けませんでした。その唯一の例外が1891(明治24)年1月から1年間通ったサンフランシスコ市立商業学校の別科(Limited Course)でした。職工義友会を創立したのは、この学校に在学中の91年夏のことです。

〈 職工義友会 〉
職工義友会の3人組
 職工義友会の3人組
職工義友会
職工義友会の旧友と

 1891(明治24)年夏、房太郎(中央)は、城常太郎(左)、沢田半之助(右)らと職工義友会を結成しました。上は、その職工義友会創立時にサンフランシスコで撮影された記念写真です。この3人が、1897(明治30)年春に東京で職工義友会を再建し、労働組合期成会を結成する原動力となったのです。

 1900(明治33)年11月1日、神戸で撮影 左は城常太郎(靴工)、中央は高野房太郎。右は靴工の平野永太郎?。


サミュエル・ゴンパーズ

サミュエル・ゴンパーズ(1850-1924)
 葉巻工出身の労働運動家。1886年のアメリカ労働総同盟の創立とともにその会長に就任し、死去するまで1期を除き37期・37年間、その地位にあった人物です。

 ゴンパーズは、房太郎をAFLのジェネラル・オーガナイザーに任命しただけでなく、自分が編集する『アメリカン・フェデレイショニスト』誌にその通信多数を掲載し、さらに傘下の組合機関誌にも高野の通信を掲載するよう尽力し、原稿料をとりまとめて日本に送金するなど、物心両面で高野を援助しました。

 房太郎はまた、アメリカ労働総同盟(AFL)会長のサミュエル・ゴンパーズをニューヨークに訪ね、労働運動について教えを乞いました。 ゴンパーズは、房太郎の熱意と彼の労働運動に関する知識に感銘を受け、彼をAFLのオルグに任命しました。次は房太郎が、労働運動の際に使った名刺ですが、肩書きにはAFLのオルグであることを示す、北米職工同盟団代表員と記されています。
 彼はまた、ニューヨーク滞在中、アメリカの労働運動に関するさまざまな資料を集め、帰国後に備えました。

高野房太郎が使用した名刺の表裏
高野房太郎が使用した名刺
◆高野房太郎が集めたアメリカの労働運動関係
パンフレット類の一部

アメリカ・ 労働運動関係パンフレット類

房太郎が使った名刺の表裏 ↑
 北米職工同盟団とはアメリカ労働総同盟(AFL)のこと。名刺の裏には「労働は神聖なり。結合は勢力なり。神聖の労働に従う人にして結合の勢力をつくらんか、天下亦何者か之に衝〔あたる〕る者あらんや。吾日本の職工諸君の為すべきこと、唯夫れ結合を為すにあるのみ。組合を設くるにあるのみ」と記されています。


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