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高野房太郎と労働組合の誕生

3 労働組合の発見


 房太郎は、8年もの間、サンフランシスコ、シアトル、タコマなど、主としてアメリカ西海岸の各地で外国人出稼ぎ労働者として働きました。家事の手伝い、製材所の労働者、レストランのウエイターやホテルの客引き、移民局の通訳など、さまざまな職業につきながら毎月10ドル(日本円で20円余)を送り、弟・岩三郎を東京大学で学ばせました。彼自身も、きびしい労働の合間に独学で英語や経済学を学んでいます。

 房太郎がアメリカでもっとも強い印象を受けたのは、人びとの豊かさでした。そして、労働組合運動の存在がその豊かさを支えていることを知ったのです。それを最初に教えてくれたのが労働運動の百科事典ともいうべき、ジョージ・マクニール編『労働運動:今日の問題』でした。

 さらに、ジョージ・ガントンの『富と進歩』を読み、房太郎は強い感銘を受けました。この2冊の本との出会いが、高野房太郎を日本労働組合運動の創設者にしたのです。

ジョージ・マクニール編『労働運動:今日の問題』(房太郎旧蔵本)

ジョージ・マクニール編 『労働運動:今日の問題』
 1989(明治22)年、サンフランシスコの北にあるポイント・アリーナという小さな町の製材所で働いていた房太郎は、「この本と出会って労働運動に対する関心が目覚め」とゴンパーズ宛の手紙で述べています。
 マクニール(1837−1906)はボストンの印刷工出身の労働運動家です。労働騎士団やアメリカ労働総同盟の役員のほか、マサチューセッツ州の労働統計局の設立を運動し、その初代の次長に就任しています。

〈 房太郎旧蔵本 〉
富と進歩 ジョージ・ガントン『富と進歩』(房太郎旧蔵本)

ジョージ・ガントン著 『富と進歩』
 これこそ、高野房太郎に大きな影響を及ぼした「1冊の本」です。
ガントン理論は、一国の経済を発展させるには、実質賃金の引き上げが不可欠であり、それには労働時間短縮が必要だと主張するものでした。メーデーの起源ともなった「8時間労働日要求運動」を基礎づけた経済理論でした。ただし、高野はその重点を変え、日本経済の発展のためには実質賃金の引き上げが不可欠であり、それには労働組合による労働者教育が重要な意義をもつと主張したのです。
 房太郎はこの本を、1891年11月29日にサンフランシスコで購入し、翌年3月1日に読了しています。その後、その翻訳も計画していましたが、未完成に終わりました。1894年4月末頃から11月20日までニューヨークに滞在していたた彼は、ガントンに会い、直接その教えを受けてもいます。


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