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高野房太郎と労働組合の誕生

1 はじめに


高野房太郎
1897(明治30)年4月20日
東京本郷 中黒写真館
労働組合の結成を呼びかけるパンフレット「職工諸君に寄す」を刊行した直後の撮影。

 今年〔1997年〕は、日本に近代的な労働組合が生まれてから、ちょうど100年の記念すべき年です。1897(明治30)年7月5日、労働組合運動の促進をめざす〈労働組合期成会〉が結成され、その働きかけで同年12月1日に鉄工組合が創立されたのです。期成会の母体となったのは、1891年に、アメリカはサンフランシスコにおいて日本人労働者によって組織された職工義友会でした。
 この職工義友会から鉄工組合にいたる一連の運動の中心人物として活躍したのが高野房太郎です。法政大学大原社会問題研究所は、これを記念し、ここにオンライン展示会を開催します。
  展示する資料は、いずれも当研究所所蔵のものです。なぜ当研究所がこうした資料を所蔵しているかといえば、研究所の初代所長であった高野岩三郎博士は、ほかならぬ房太郎の実弟だったからです。房太郎が、「外国人労働者」としてアメリカで働き、その仕送りのお陰で東京帝国大学まで進学できた岩三郎は、35歳の若さで死んだ兄の事業を後世に伝えたいと考え、房太郎の日記をはじめアメリカの労働運動の指導者からの手紙など、さまざまな記録を保存していたのです。

 

 

高野房太郎日記
1897(明治30)年12月1日
高野房太郎日記1897(明治30)年12月1日
鉄工組合創立の日
「此夜鉄工組合発会式ヲ神田青年会館ニ開キ 三好退蔵、島田三郎、佐久間貞一君、鈴木純一郎君、片山潜君及ビブラザー〔高野岩三郎〕出演ス 来賓中ニハ志村工務局長、織田一君等アリ 市中音楽院ノ奏楽等アリテ非常ニ盛会ナリキ」

高野岩三郎 1946年4月NHK会長室にて

高野岩三郎
(1871〜1949)1871年9月16日(明治4年8月2日)、長崎銀屋町に生まれ、7歳のとき東京に移る。 千代田小学校、慶應義塾幼稚舎、共立学校、第一高等学校を経て、1895(明治28)年7月東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1896年、桑田熊蔵らと社会政策の勉強会(翌1897年社会政策学会となる)を設立。
 1897年12月1日の鉄工組合発会式で祝辞を述べた他、演説会にも参加するなど、兄の活動を助けた。  ドイツ留学後、東京帝国大学法科大学教授に就任。1919(大正8)年大原社会問題研究所の創立に参加し、初代所長として研究所の基礎を築いた。戦後は、初代のNHK会長となる。


〈 アメリカ労働運動の指導者等から房太郎に宛てた手紙 〉

ゴンパースからの手紙
ゴンバーズからの手紙
葉巻工からの手紙
葉巻工組合からの手紙
アメリカ労働省からの手紙
アメリカ労働省からの手紙
労働騎士団からの手紙
労働騎士団からの手紙

 左の手紙は年次の部分が欠けているが、1891(明治24)年8月6日付で、発信人は労働騎士団の指導者 John Hayes である。内容は、機関紙の講読料がすでに切れているが、国際的な意義を考え、購読者名簿からは除かないでいるので、購読を継続すると同時に友人にも紹介するようにとの趣旨。

火夫雑誌からの手紙
火夫雑誌からの手紙

 房太郎が編集部宛に送った写真と原稿受領の知らせ。下の手書きの文章は、この手紙に対する房太郎の返信の下書き。


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