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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



法政大学大原社会問題研究所編
   『現代の韓国労使関係』

評者:尹 辰浩
  (訳者:横田安司)




1 はじめに

 今日韓国の労使関係は急激な変動を繰り返している。世界史的に見ても類例のないほどのダイナミズムを示している韓国の労使関係と労働運動を把握するために,法政大学大原社会問題研究所と仁荷大学校産業経済研究所は,過去数年間,共同研究を行ってきた。その共同研究の成果として,97年3月,韓国側研究者たちが執筆した『韓国労使関係の展開と現状』が刊行されたのに続いて,今回また日本側メンバーを主軸とした執筆者によって本書が刊行された。本書は序章と結論を除いて全部で10章から成っているが,その内容は次の通りである。

 

2 内 容

 まず序章で,萩原進氏は60〜70年代の韓国経済の開発時代における朴正煕政権の経済政策と労働政策の性格を検討しながら,従来の通説に対する問題提起をおこなっている。すなわち,従来韓国モデルに対する評価は,輸出志向的工業化政策を担保するための低賃金,低穀価政策および労働運動の弾圧など,「開発独裁体制」だったという見解が多かった。これに対して萩原氏は,韓国では農業部門においてルイス的な過剰労働力が存在しなかったということ,朴政権は経済成長とともに韓国の賃金水準を先進工業国の水準に引き上げようと一貫して努力したということ,72年以後,維新体制期の労働組合およびストライキ規制も賃金抑制よりむしろ賃金上昇に寄与したということなどをあげて,朴政権の経済政策,労働政策を「権威主義的労働統制」とよぶのは正しくないと主張している。この論文はその他にも労働組合の財政自立問題,ホワイトカラーの組織化問題,労使関係の安定を阻害する要素など,現代韓国労使関係の様々の問題を取り扱っている。
 第1章で,祖父江利衛氏は60〜70年代の韓国の農村−都市間労働力移動の経験を分析している。彼はまず,ルイスの二部門モデルとは異なり,韓国では70年代半ば以後,非農業部門への労働力供給が農業就業者ではなく,おもに新規学卒者から供給されたという点,第二に,70年代半ば以後,農家世帯の所得が都市勤労者世帯の所得にくらべて相対的に高かったために,農村−都市間期待所得格差によって農村人口が都市に移動するというハリス−トダロのモデルが韓国では当てはまらないという点,第三に,学歴間賃金格差が大きいという現実において,農村世帯が現金収入の確保を目的に,高い教育投資をおこなって子弟を大学に進学させたことが農村人口の流出をもたらす要因となったという点などを明らかにしている。
 第2章で,横田伸子氏は祖父江氏の問題意識を受けついで,70年代から80年代前半までに農村から流出した労働力が都市労働市場に吸収される様態を取り扱っている。この論文では,この時期の都市の低賃金,低所得の雑業層と重化学工業に従事する男子生産労働者が未分離の状態で,全体として単一労働市場を形成しているという仮説を立て,これを「都市下層」という概念で把握する。横田氏はこれを立証するために,ソウル市の都市無許可定着地の実態調査資料を利用して,これら都市下層の存在形態と変化の様相を細密に追跡している。一方横田氏は,労働庁統計の原資料を利用して80年代初めの工場労働者の存在形態を分析し,これから従来の二重労働市場論を批判しながら,80年代半ばまで韓国の都市労働市場が単一労働市場を形成していたことを立証している。
 第3章で,鄭在勳氏は最近の韓国大企業における新人事制度の導入の実態とその問題点を取り扱っている。氏によれば,韓国大企業が新人事制度を導入しようと努力している背景には,最近の韓国経済の不況が「高費用,低効率」に起因しているという認識があって,これを改善するための努力の一環だという。いわゆる「新人事制度」とは人材の採用方法,資格制度,昇進・昇格制度,賃金制度,人事考課制など多様な分野を含んでいるが,その主たる内容は従来の年功序列型人事制度から能力主義的人事制度への変化をめざすもので,おもに日本式人事制度を模倣したものである。しかし氏によれば,このような新人事制度の導入は韓国においては順調に進んでおらず,その主要な理由は対決的労使関係と労働組合の反対のためである。したがって,氏は労働組合も受け入れられるよう効率性と透明性を高める方向で人事制度を改革すべきであると提案している。
 第4章で,公文溥氏は,韓国の自動車産業における日本型生産システム導入の実態とその問題点を取り扱っている。公文氏は韓国三大自動車会社の一つである大宇自動車に対する実態調査を通じて,外国人研究者としてはめずらしく韓国の作業場の現実を大変生き生きと描写しながら,問題点を析出している。彼によれば,NAC挑戦運動と呼ばれる大宇自動車の新経営方式は基本的に日本式生産方式を導入するための努力であり,日本式の生産方式(アンドン,ラインストップなど),品質管理,作業組織,QCサークル,標準作業などをその内容としている。氏によると,このような大宇自動車における日本式生産方式の導入は,会社の業績向上,品質向上,多能工化などをもたらし,相当な成果をあげているが,他方,現場における労働強度と労働密度の強化,現場作業者と監督者の間の対立,労使関係の不安定などの問題点を残している。
 第5章で,金鎔基氏は,87年の大闘争以後の韓国大企業において現れている人事制度改革の現況を重工業大企業についての事例調査を通じて分析している。87年労働者大闘争以前の韓国大企業においては,ブルーカラーとホワイトカラーの間,または学歴による身分格差が大きく,厳格な職群間分離,昇級・昇進体系の分離,賃金体系の分離などが形成されていた。87年以後,このような学歴間格差に対する労働者の不満が高まるにつれ,賃金格差だけでなく,ブルーカラーとホワイトカラー間の社会的地位の格差を縮小するために,新人事制度を導入する企業が増えている。しかしその導入の様相は,当該企業における労使関係の違いによってそれぞれ異なった様相を呈している。すなわち,労働組合がないかその力の弱い企業では,経営側主導の人事制度の改革がおこなわれるなかで,労資協調路線,職能資格制などの日本型人事制度が導入され,その結果,学歴間賃金格差の縮小と能力主義の強化などが現れている。だが反対に,労働組合の力の強い企業では,労働組合がブルーカラーとホワイトカラーを通じての単一号俸制,単一職群制など,平等主義的要素の強い人事制度の改革を要求している。しかし経営側は,これに対して消極的に対応していて,人事制度の改革は十分に達成されていない。
 第6章で,相田利雄氏は,87年以後,民主労働運動の中核となってきた金属労働者たちの運動を分析しながら,とくに企業別労働組合体制の克服のために現れてきている共同闘争,共同交渉の現況と展望に注目している。87年以後,民主労働運動系列の金属労働者たちの組織は,財閥グループ系列(現総連),中小企業系列(全労協→民主金属),小産別連盟(自動車連盟)など複雑な形態をとって展開されてきた。これらは民主労総結成以後,一方では大統合によって大産別労組をめざしながら,他方,組織内での企業別労組の共同闘争,共同交渉によって交渉力を高めるための努力をおこなってきた。前者の努力は,98年2月,三組織間の大統合で一応実を結んだ。しかし共同闘争と共同交渉については,経営側の頑強な拒否と労組側の内部的要因などが原因で,容易に実現できないでいる状態である。相田氏は,今後も企業別組合から産業別組織への移行は容易ではないと見ている。
 第7章で,三満照敏氏は,96〜97年にかけて労資関係改革委員会で審議され,その後紆余曲折を経て成立した韓国の新労働法の改正過程とその主要内容および論点などを紹介している。一方では集団的労使関係の改革(複数労組の禁止の撤廃,労働組合の政治活動禁止の撤廃,第三者介入禁止の撤廃:「三禁の撤廃」),そして他方,労働市場の柔軟化のための制度の導入(変形労働時間制,整理解雇制,労働者派遣制:「三制の導入」)をめざした労使関係改革委員会(労改委)は,数カ月の論議の末に,結局,労使間の意見が対立して合意にいたらないまま終わり,その後,政府案の提出→与党単独で国会通過→ゼネスト→通過した法律の撤廃→国会で与野党の合意によって再改訂されるという波乱を経ることになる。しかし経営者団体,労働組合全国組織,そして公益委員などからなる労改委の活動は,韓国では初めておこなわれる社会的合意の試みだったのであり,現在活動中の労・使・政委員会も労改委の精神をそのまま継承しているという点で重大な意義をもっているものといえよう。
 第8章で,小林謙一氏と川口智彦氏は,97年3月に改正された新労働法と関連して,現場において労使の当事者がこれをいかに評価し,いかに対応しているかを明らかにすることによって,三満論文を補完している。よく知られているように,労改委で経営側はいわゆる三制導入賛成,三禁の撤廃反対という立場をとったのに対して,労組側は反対に三制の導入反対,三禁の撤廃賛成という立場をとった。執筆者らのインタビュー調査によると,労改委などで見られる労使団体の対立的態度とは異なり,個別企業の労使がより柔軟な立場を見せる場合があることもあるが,全体として労使関係の重要事項については,労使団体の一般的立場と個別企業における労使の立場は整合的であるという。執筆者らは,今後韓国が,一方では新技術の開発と競争力ある産業への構造転換によって,生産性を上回る賃金上昇の圧力を吸収しながら,他方労働法の改正によって,これまでよりも自主的選択の幅の広がった労使が,経済環境の変化に対応してより柔軟な選択をしうるかどうかが問題となるだろうとの見通しを示している。
 第9章と第10章では,嶺学氏と二村一夫氏が韓国と日本の労使関係について興味深い比較分析をおこなっている。嶺学氏はおもに個別的労使関係,とくに終身雇用と年功制を中心に両国の労使関係を比較している。彼によると,日本の場合,バブル経済崩壊後の長期経済停滞のもとで,終身雇用制と年功制が揺らいでいるのは確かだが,それにもかかわらず日本の大企業では,一定の修正を施すとしても,依然として長期安定雇用の慣行は存続しており,年功制も能力主義的要素を次第に強く混入させながらも,なお持続しているという。一方,韓国の場合には経済成長と企業の歴史が浅く,最近になって新人事制度の導入が試みられるなどの変化が進行中で,判断が難しいこともあるが,大体のところ,日本とくらべると,その安定度は低いという見方である。長期雇用制の場合,日本のように長期の理念,期待として制度化されたものでなく,ただ労働市場における熟練労働力確保の必要性という経済的事情のために,自然発生的に成立したものである。しかし長期安定雇用を支える理念などがあって,その制度化がおこなわれたのかどうかが明確でなく,そのうえ,80年代末から経済環境の変化によって新人事制度の導入が試みられるなかで,長期安定雇用制もまた揺らいでいる。年功賃金制の場合,大企業男性労働者については,年功的賃金が成立しており,中小企業の場合,生計費保障という面で,年齢別賃金カーブが見られる。ここでもやはり,日本的な職能資格制や年俸制,人事考課制の導入が試みられているが,労働組合などの反対でそれほど広範に普及してはいない。
 第10章で,二村一夫氏は韓国と日本の労使関係を比較史的に検討することによって,両国の労使関係の特質を明らかにしているが,とくに経済的要因に限定せず,歴史的,文化的,政治的,理念的要因まで幅広く分析している。彼はまず,韓国と日本の労使関係が企業別労働組合,労働者の社会的地位に対する敏感性などの面で類似した性格をもっていることを指摘している。その反面,両国の労使関係の違いとしては企業の支配構造(corporate governance)の違い,政治的・法的環境の違い,意思決定方式の違いなどをあげている。日本の大企業では所有と経営の分離がおこなわれていて,専門経営者が実質的経営責任を引き受けるようになるにつれ,株主よりも従業員の利益を重視するようになった。反対に韓国では,創業者であるオーナーやその家族などの所有経営者が企業を支配しており,その結果,専門経営者の内部育成が困難で,優秀な人材を集めるのに苦労することになる。こうして企業の発展が妨げられる。その一方,労働組合法制に関しては,日本では戦後改革によって労働三権が憲法上の権利として確定され,先進的な内容の労働組合法,公務員の団結権の保障,労働組合活動家の身分保障,労働行政の三者構成原則など労働組合に有利な枠組みが形成されている。反対に韓国では,53年に制定された労働関係法は先進的な内容が盛り込まれてはいたが,労使関係の実態面では,専制的政治体制下で,労働運動が厳しく制約されるなど,法律と乖離した状態だったし,さらにその後,労働組合運動の自由を制約する方向で,数次にわたって労働法の改悪がおこなわれた。87年以後,労働法の改正により,労働組合運動の自由が大幅に拡大されたが,まだ専制的残滓が残っており,そのうえ,行政官庁の法の解釈運用が法律の規定以上に重要な意味をもっている。二村論文は今後の韓国の労使関係について,若干の展望もおこなっているが,これによると,企業別組合から産業別組合への脱皮や所有と経営の分離などは相当に困難であろうと予想している。
 巻末には,嶺学氏による分析の内容の要約と評価がのっていて,読者には大変便利である。

3 コメント

 これまでに日本でも韓国の労使関係を扱った研究書がいくつか刊行されたことがあるが,本書のように日本の代表的な労働問題の専門研究者が集団的に多様な分野にわたって深層的な分析を試みたものは初めてでないかと考えられ,韓国の労働問題を研究するものの一人として,執筆者のみなさんにまず敬意を表したい。本書は内容の豊富なことや,論点の斬新さという面でも,注目に値する成果を示していて,韓国内の研究にも多大の刺激を与えてくれるものと期待される。しかし一方では,取り扱っている分野が広く,一部の執筆者は通説に挑戦する大胆な主張を展開していることもあって,それだけに議論の余地が多いのも事実である。ここでは紙面の制限があり,それぞれの論文について個別的なコメントをする余裕はないので,次のいくつかの点を提示するにとどめたいと思う。
 第一は「韓国モデル」を見る基本的視角についてである(おもに萩原論文)。最近韓国内でも,金泳三政権の失政と経済の沈滞を背景にして,朴正煕の強力なリーダーシップを懐かしむ人たちが増えており,一部の大衆言論がはやし立てているせいもあって,いわゆる「朴正煕シンドローム」現象さえ現れている。学界でもやはり朴正煕の時代に対する再評価の作業が活発におこなわれているが,最近も,学術団体協議会,韓国経済発展学会,韓国政治学会などから集中的な研究作業の成果が発表された。このような研究の意義は,これまでの朴政権の独裁に対する否定的,感情的評価が主流をなしてきたことに対する反省に基づいて,朴政権の政策に対する,より均衡のとれた客観的な視角を提供してくれるというところにある。だが一方では,これまでの否定的評価に対する反発が朴正煕礼賛論というこれまた別の極端に流れることによって,朴政権の民主主義抹殺,人権抑圧,政経癒着,財閥育成,所得分配の悪化などの暗い部分を忘却させる結果を生んでいるというおそれも大きい。さらに朴政権に対する郷愁は最近の改革政策に対する保守派の反発と緊密に結びつきながら,韓国社会の改革を阻害する要素として現れてきている。朴正煕の時代を評価するに当たっては,肯定的要素と否定的要素が複雑に絡み合いながら,全体として今日の韓国社会が抱えているすべての矛盾と対立をはぐくむ根源として作用したという総体的視点が重要であり,このような複雑な矛盾,対立の構造をいかに正しく把握し,これを通じて現在の韓国社会の改革にいかなる示唆を得ることができるかという未来志向的視点から接近するのが重要だと思う。
 第二は統計データと接近方法についてである(萩原,祖父江,横田論文)。韓国の60〜70年代の統計データ,とくに賃金,生産性,農家所得などの統計には多くの問題点があるといわれている。このような統計データの不完全さに対する十分な認識なしに,統計だけに依存して結論を引き出す場合,現実と著しく異なる結論を引き出す可能性が大きい。とくに萩原論文で実質賃金と生産性を比較した部分,祖父江論文で農家世帯所得を都市勤労者世帯所得と比較した部分(農家所得が政治的目的から大変誇張されていたという点については,大部分の研究者の意見は一致している。一般に60〜70年代の農家所得は都市勤労者世帯所得の70%程度にすぎなかったといわれている),横田論文で限定された地域(蘭谷地域)の少数の標本や限定された年度(1981)の賃金統計だけに依存して大胆にすぎる一般論を展開したことなどは,その例である。これらの論文においてデータが再解釈される場合には,論文の立論の根拠が崩れる可能性も大きいといえよう。
 第三は日本式生産方式と人事制度の韓国への導入についての評価である(鄭,公文,金論文)。これら三つの論文に見られる問題点は,大体二つある。第一は,日本式生産方式,人事制度そのものの長所と短所に対する評価が欠けていることである。周知のように,日本式システムは「陽」の側面(効率性,労使協調)とともに「陰」の側面(過度な労働強度と労働密度,労働組合の弱体化,労働者の社会的・政治的地位が相対的に劣悪なこと)をもっている。この点に対する明確な認識がないまま,ただ,韓国の制度が変化して日本式システムにどれだけ近くなったかということだけに焦点を合わせるとすれば,論文の意義は半減せざるを得ない。嶺学論文や二村論文まで含めて,本書の著者たちが日本式システムをひとつの「完成されたシステム」として把握し,その陽の部分と陰の部分に対する評価と反省が十分におこなわれていないのは残念なことだと思う。第二は,三人の執筆者が韓国で日本式生産方式や人事制度が十分に普及していないのは,おもに対決的労使関係と労働組合の反対のせいだと見ていることである。これは原因の半分を見ているにすぎない。韓国で生産方式と人事制度の「日本化」が十分におこなわれていない根本的原因は,「規模の経済」をめざして,数量的膨張を主たる企業発展の戦略として採用してきた韓国企業の戦略と,族閥経営のために合理的人事制度への改革が困難なことなど,おもに韓国企業の所有支配構造によるところが大きい。まさにこの点で,企業の所有支配構造の違いが韓日労使関係の違いをもたらした基本的要因だと見た二村氏の見解は,正鵠を射たものだといえよう。しかし二村氏もやはり,企業の所有支配構造の違いが具体的に労使関係にどんな影響を及ぼしているかを明らかにしていない(意思決定方式の違い以外には)。この問題については,本書でもっと突っ込んで扱って欲しかったと思う。
 第四は韓国労働運動の評価と展望についてである(相田,二村論文)。相田氏と二村氏は二人とも,近い将来韓国の労働運動が企業別の体制から産業別の体制に脱皮する可能性を低いと見ている。これは1950年代に産業別労組への転換の試みが失敗に終わった日本労働運動の経験によるところが大きいものと思われる。しかしこのような評価は,韓国労働運動のもつ潜在的力量とダイナミズムをあまりにも過小評価した結果ではないかと思われる。最近の韓国労働運動は二人の予想をはるかに越えるダイナミズムを示している。ゼネストによって労働法の再改訂を闘い取ったこと,両労総傘下のほとんど大部分の産別連盟が産業別労働組合への転換の動きを見せていること(すでに1連盟は転換完了,2〜3の連盟は近年中に転換の予定,残りは2000年までに転換完了の予定),労・使・政委員会を通じての労働組合の国家政策への参与(コーポラティズム)などは,日本ではなかなか見られない労働運動のダイナミックな動きである。このような韓国労働運動のダイナミズムを「労使関係の不安定」などと否定的にだけ解釈してはならず,主体形成論の視角からその肯定的意味(「労働の人間化」と「社会の民主化」へ向けての動き)を再評価し,ここから日本の労働運動に対して示唆するものを引き出すという視角が必要なのではないだろうか。
 第五は韓日間の比較労使関係についてである(嶺学,二村論文)。前にも論じたように,この二人の執筆者はおもに「日本の制度,経験に基づいて韓国を見る」という立場を堅持している。その結果,おもに長期雇用,年功賃金,企業別労組,所有と経営の分離,労働法制など,日本の労使関係を形成する主要要素が,韓国でどれほど完成された形態で存在するかが,比較の焦点となっている。これに対して,評者は二つの点を指摘したい。第一に,「韓国は日本からは学ぶことができるのか」という問いとともに,「韓国という鏡を通して逆に日本は何を学ぶことができるか」という問いが提起されなければならないのではなかろうか。前に指摘した労働運動のダイナミズム,そして最近では政治改革,財閥改革の動きと関連して,韓国において現れている対立と矛盾,そのなかにおける労働,資本,政府の力動的な動きをいかに評価し,ここから日本はいかなる示唆を受け取れるかということに対する真摯な省察が必要だと考える。第二に,ただ韓日間の比較にとどまらず,世界史的観点から問題に接近することが必要だと思われる。最近のアジア経済危機以後,米国を中心に提起されている「アジア的資本主義必敗論」=「英米式市場資本主義必勝論」と関連して,韓国と日本が引き続き堅持すべき点は果たして何であり,改革すべき点は何か。とくに労使関係の面で,韓国と日本が伝統的にもっている制度と価値は今後生き残ることができるのか。改革が必要だとすれば,何をどのように改革すべきなのか。二つの国における改革の道はどこが同じで,どこが違うのか(とくに最後の点と関連するのだが,韓国の企業と政府が日本よりもずっと「英米寄り」の改革をやろうとしているのに対して,労働側は「コーポラティズム」的改革をめざしている)。このような問いは両国の労働者,企業,政府にとっては,生死を分かつほどの重大事であり,至急の回答を迫られていることでもある。韓国と日本の学者たちはこのような問いに答える責任と義務があると考える。





御茶の水書房,1998年3月刊,xiii+346頁,定価6,200円+税

評者:ゆん・じんほ 仁荷大学校経済通商学部教授)

訳者:よこた・やすじ 津田塾大学国際関係学科非常勤講師

『大原社会問題研究所雑誌』第482号(1999年1月)




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