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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




川口 武彦 編
 『山川均全集』第16巻



評者:吉田 健二


 1966(昭和41)年6月,没後8年目から始まった『山川均全集』の刊行は,89年11月の第11回配本(第11巻)をもって中断していた。編者の山川振作氏が病床に臥したのち,1990年7月に死去したからであるという。このため『山川均全集』は,全20巻のうち9巻が未刊となっていた。本年2月,その全集の刊行が5年ぶりに再開され,第12回配本として,川口武彦氏の編集による第16巻がこのたび出版された。付録の「月報」によれば,残り9巻の編集は、1945年8月15日の終戦以前の巻を松尾尊よし氏が,戦後期の巻を川口氏がそれぞれ分担して行うという。

 『山川均全集』第16巻は,1947(昭和22)年8月から49年11月までに執筆した論文,時評,随筆など85点と,この期間に出版した単行書9点・小冊子2点の解題,および書翰をおさめている。筆者がまず驚くのは,山川のその旺盛な執筆活動である。山川は1946年4月に癌と診断され,神奈川県・下曽我の仮寓で治療を受けていた。 48年3月に病状が好転して藤沢市の自宅に戻ったものの,なお床に臥す日が多かったという。山川は病中にあっても,ペンを置くことはなかったのである。
 本巻が扱う占領期は,社会情勢の激変期という事情もあって,文献・資料の散逸が著しい。げんに山川が意識的に寄稿した,民主主義青年会議の『青年新聞』(本巻にだけでも15タイトルの論文を収め,『前進』誌の29タイトルに次いで多い)や社会主義政治経済研究所の『政経通信』などは,“幻の新聞”とよばれ,現在ではほとんど目にすることができない。また,1948年11月のいわゆる“山川新党”に関する資料のうち,肉筆原稿や謄写刷りの原稿は,その存在すら知られていなかった。本巻の第一の意義は,これら社会運動団体の機関紙をはじめ,謄写刷りなどで発表した山川の原稿を漏れなく集め,これを収録したことにあるだろう。
 旧“労農派”は戦後,日本社会党の左派と民主人民連盟とに分かれて再出発した。山川は後者にあり,委員長として民主人民戦線運動の指導をになう。しかし民主人民連盟が1947年5月に解散して以降,山川は同年8月,向坂逸郎らと雑誌『前進』(板垣書店)を創刊し,同誌を拠点に“戦後労農派”の結集をはかる一方,労農派革命論としての「民主革命」を展開し,さらに,社会主義政党論や労働組合の組織・運動論などのテーマで論陣をはった。“戦後労農派”は50年8月,講和・再軍備の問題をめぐり内部に対立が生じ,グループは分解し,『前進』も廃刊となった。
 本巻の刊行により,この間における山川の理論と実践を子細かつ包括的に検討することが可能となった。本巻の第二の意義は,この点にあるだろう。
 とくに筆者にとって収穫であったのは,“山川新党”の結成に関して,彼自身,明確にこれを決断し結成を促していた事実が資料的に裏付けられたことである。“山川新党”に関しては,従来,荒畑寒村や小堀甚二が主導したものであり,山川は何ら関与していない,と指摘する例があった。しかし,「社会主義政党結成促進運動の発足にあたり」(この謄写刷りの論文は,編者の解説では〔1949年11月稿〕となっているが,1948年11月の間違いだと思う)など,本巻に収録の一連の論文を読めば,従来の見解は否定されよう。山川は1948年11月の時点で,新党結成に踏み切ったことは疑いない。編者も,「当時著者の社会主義政党の構想の選択肢にあたったことはたしかであろう」(482頁)と評しているのである。
 山川はのちに,日本社会党の理論的な指導者と評され,左派社会党ないしは日本社会党の左派を通じて,同党の政策や活動に大きな影響を与えた。しかし,本巻が扱う時期では山川は当初,社会党が参加する連立内閣に対しても社会党自体に対しても,その評価は一貫して否定的であり,批判は峻烈をきわめている。山川は,社会党に対してその理論と原則の無さ,階級性の欠如を指摘し,“山川新党”とも関連するが,社会党に対して即時解党すら要求していた (1948年11月稿「日本社会党は再組織せよ」ほか)のである。
 しかし,日本社会党が1949年4月の第4回大会において党の性格や運動路線をめぐっで森戸・稲村論争”が展開され,左右の対立が明確になると,山川はこんどは一転して,日本社会党の左派の支援・育成に乗り出す。本巻の49年7月以降の論文は,山川自身,“山川新党”の結成を放棄し,日本社会党の左派にその存在の基盤を求めたことを明らかにしているのであった。

 『山川均全集』第16巻は,占領期では最初の巻として出された。このあと,第13回配本として第13巻(1949年12月〜52年12月)を,次いで第14回配本として第15巻(1945年8月〜47年7月)の刊行を準備しているとのことである。占領期における山川均の思想と行動に関心をもつ筆者にとっても,まずは占領期における3巻の完結を鶴首して待ちたい。
 山川均に関する研究は,とくに占領期においては資料収集の困難さもあり,なお未開拓の領域を残していた。占領期における日本社会党の研究を進展させるためにも,『山川均全集』は不可欠の文献となっている。ただ本巻において残念なことは,山川と向坂逸郎との対談「平和革命を論じて戦略論に及ぶ」(『新経済』1947年11月〜l2月),山川と末弘厳太郎らとの座談会「労組当面の諸問題を語る」(『前進』1948年3月)などを収録していないことである。また山川均・向坂逸郎・高橋正雄のてい談『日本の革命を語る』(板垣書店,1948年)も収めていない。山川にはこれらの対談類が多い。本全集の刊行が「著者の業績の正確な資料の提供にある」(凡例)なら,これらの文献も収録するべきであろう。あるいは本全集の別巻として,刊行を企画しているのかも知れない。





勁草書房,1994年2月刊,484頁,定価14,420円

よしだ・けんじ 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第432号(1994年11月)



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