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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



日本労働ペンクラブ編
『回想の労農記者会−−労働ジャーナリズムの成立


吉田 健二




 戦前日本のジャーナリズムにおいて,〈労働記者〉という独立した専門の記者は存在しなかった。非合法の日本共産党だけでなく,合法の無産政党や労働・農民団体までも治安維持法の対象とされ,これらの団体や運動についての取材や報道は内務省の記者クラブ,すなわち内政クラブに所属する政治部の記者か,警視庁クラブに所属する社会部の記者が受けもっていた。当然ながら〈労働記者クラブ〉という,専門を同じくするジャーナリストの取材・親睦組織も存在しなかった。
 労働記者が,日本において政治記者や経済記者と並び,独立した専門記者として広く認められるようになったのは戦後のことである。筆者は,日本における労働記者の誕生が,終戦の年の1945年12月下旬,当時,日本労農通信社の社長であった浅川謙次の提案で設立された労農記者会に由来すると理解している。本書は,この労農記者会の創立の経緯や活動について関係者の証言をまとめたもので,編集代表者の水野秋氏によれば,「労働記者とか労働記者クラブのルーツ」(4頁)を明らかにするため,企画したものであるという。
 なお,労働関係の記者クラブとしては現在,日本新聞協会の加盟社を対象とする労働省記者クラブや,非加盟社を含む第二記者クラブ(労政クラブ),おもに労働専門紙誌を対象とする三田クラブなどがあげられる。日本労働ペンクラブは1981年に,これらの記者クラブに加入する労働記者の研究・親睦団体として設立された。

 まず,本書の目次を紹介する。本書は,1) 日本労働ペンクラブ代表の矢加部勝美氏による「『回想の労農記者会』の刊行にさいして」と題する巻頭言,2) 労農記者会を位置付けた水野秋氏の「伝説の時代を想う」と題する編集言,3) 村上寛治(朝日),矢加部勝美(毎日),樋口弘其(読売)三氏による労農記者会の創立経緯と活動に関する証言,4) 山田宏二(もと『日刊労働通信」編集長)氏の三田クラブの創立 (1952年)の経緯に関する証言,5) 労農記者会や芝クラブ(中央労働委員会の記者クラブ)の取材活動に協力された中労委職員(新井敏夫,川上衛,高橋隆,米沢信二の各氏)らの座談会,で構成されている。
 さて,本書のメインは第3章に収録の村上寛治,矢加部勝美,樋口弘其の三氏の証言にあるだろう。三氏は労農記者会の草創期のメンバーであった。三氏の証言により,創立直後における労農記者会の活動の特徴や,労働省記者クラブの創立の経緯について大体は明らかになったといってよい。本書刊行の第一の意義はこの点にあるだろう。
 筆者はとりわけ,労農記者会の組織運営に関する証言に注目したい。現在,内閣記者クラブをはじめ政府官庁,日銀,経済団体の記者クラブは,加入資格を日本新聞協会の加盟社に限るなどきわめて排他的,閉鎖的な性格を帯び,情報公開や知る権利との関係においてその問題性がしばしば指摘されている。ところが,労農記者会は労働記者がみずから設立し運営した自主的な記者クラブであった。
 村上,矢加部両氏によれば,労農記者会は加入に際しては一切の制限を設けず,また加入が各社単位でなく,個人の資格で参加していたという。運営経費なども,大部分は記者が身銭を切って賄っていたとのことである。通信,資料の複写,備品の調達,さらに事務補助員など一切を取材対象に依存している現在の記者クラブからは想像すらできない。
 さらに,本書は文献では通常,言及しない事柄についても紹介しており,占領期の労働運動の歴史を深める結果となっている。占領期の日本の労働運動はナショナルセンターで見た場合,左派の産別会議と右派の総同盟に二分されていたが,組織規模・運動いずれの面でも産別会議が優位にあった。この産別会議の結成をリードしたのが新聞単一(日本新聞通信労働組合)であり,とくに矢加部氏の証言は,産別会議の結成に果した新聞単一の役割を,結成時に委員長と副委員長であった聴濤克巳や鈴木東民に対する人物評を交えて紹介していて,興味深い。
 これらの証言のうち,筆者は,産別会議の結成に新聞単一がリーダーシップをとった理由について述べた矢加部証言に注目したい。日本共産党は当初,ナショナルセンターの結成にあたっては工場代表者会議の展開や,関東労協・全国労協とつづく労協運動を通じての方針を採っていた。ところがこの方針は1945年12月に突如,産業別単一組合の結成路線へと転換した。なぜ転換したのか。矢加部氏はこの転換においては,読売争議(第1次)が勝利したことが決定的で,このことがまた産別会議の結成において新聞単一がリーダーシップをとることになった,という見解を示しておられる。方針転換の背景に,世界労連の組織方針の伝達やGHQ労働課の指導などもあり,一概には断定できないが,十分に考慮しなければならない指摘であろう。

 本書は,日本労働ペンクラブ創立15周年の記念出版であるという。しかし,このように銘打って出版したわりには安直で,俄かづくりの感が否めない。歴史資料として残すヒアリングを行う場合,入念な準備作業が伴うはずだ。メインのタイトルを決め,章節を立てての個別の質問事項をあげ,関連する文献・資料を収集し,それらの文献・資料を事前に証言者に送付しておく必要があろう。ヒアリングの真価は正確さにあり,記憶を正確かつ鮮明に呼び起こしてもらうためである。そして,これらの準備作業は聞き手の最低限の務めであろう。本書には,こうした準備作業を試みていれば生じなかったであろう記憶違いや事実把握に対する混乱が,じつに多い。
 一例として,労農記者会の創立の時期について指摘しておこう。矢加部氏によれば,労農記者会の成立は「(1945年)10月10日と日本労農通信が発刊された11月7日,この間であるとまず考えていい。私はやはり10月下旬ぐらいだと思う」(39頁)とされ,また創立の提唱者が時事通信社政治部記者の山崎早市氏であった,と述べておられる(38頁)。
 しかし山崎氏によれば,労農記者会の結成は1945年の12月のことで,提唱者は山崎氏自身でなく,日本労農通信社社長の浅川謙次であったという(山崎早市・村上寛治・清水一・清水俊夫「座談会・労農記者クラブに集った人々」,浅川謙次追悼遺稿集刊行委員会『披黒雲 曙青天』1977年所収,112頁)。浅川は中国研究者で,もと産業労働調査所のメンバーの経歴をもち,東亜研究所研究員をへて,戦時中は読売新聞社の記者であった。
 山崎氏が,労農記者会の成立を1945年12月とする指摘は,他の資料,すなわち浅川氏が編集発行人であった『日本労農通信』第13号(1946年1月9日)によっても裏付けられる。
 『日本労農通信』は,週2回刊の速報誌であった。同誌の13号は〈労農記者会生る〉という見出しで,労農記者会が,労働農民運動の領域を扱う専門の記者クラブとして結成されたこと,事務所を日本労農通信社内に共同でもったこと,設立の発起人が村上寛治(朝日),国松藤一(読売),澤開進(毎日),小澤要(民衆新聞のち人民新聞),山崎信義(産業経済),脇川敬三(東京),奥村邦教(道新),杉本恒彦(共同通信),竹田恒男(赤旗=セッキ),姉歯仁郎 (社会運動通信),藤井冠次(放送協会報道部),それに浅川と山崎の計10人であることを報じている。
 本書においては聞き手も証言者も,右に紹介した二つの文献を事前に入手し,ヒアリングの参考資料として利用したという痕跡はない。もし参考にしているならば,労農記者会の成立が1945年の10月下旬であるとか,山崎早市氏が創立の提唱者であるとか,会の事務所が日本労農通信社とは別個に置かれたとか,『日本労農通信』の創刊が1945年の11月7日(実際は11月15日)だとか,山崎氏が労農記者会の命名者だとか,等々の発言や記述は無かったであろう。
 なお,『日本労農通信」は1985年1月,刊行会によって復刻がなされている。この復刻版の解説者は,労農記者会の結成に言及し,前述の〈座談会〉における山崎早市氏の発言,すなわち「当時の労農通信のバックナンバーの揃ったやつをこの間,中研で見たらね,1月7日(の号)かなんかに労農記者会誕生すというのが書いてあってね,各社の責任者が皆,並んでいたよ」(113頁)という箇所を根拠に,「『労農記者クラブ』は,浅川謙次の努力で1946年1月7日に設立され(た)」 (〈復刻にあたって〉3頁)と記したのであった。当該の号は1946年1月9日号で山崎氏の読み違いなのだが,解説筆者はその間違った発行号の日付を,労農記者会の結成の日と〈確定〉してしまっている。

 近年,左翼メディア史の研究に傾いている筆者にとって,本書は待望の書であった。だが一読の結果は,まことに落胆を禁じ得ない。筆者は,労農記者会のジャーナリストたちが,1) 1945年10月10日の政治犯の釈放と日本共産党の合法舞台への登場をどう見たのか,2) 挫折したといわれる1947年の2・1ゼネストをジヤーナリストとしてどうたたかったのか,3) 産別会議の解体のきっかけとなった1947年3月28日における新聞単一毎日支部の本部からの脱退や,同年5月における新聞単一が提案した産別会議に対する〈自己批判〉の要求をどう受けとめ,かつ報道したのか,4) 片山哲社会党首班内閣の誕生と崩壊をどう評価し報道したのか,1949年以降の新聞・通信・放送界におけるレッド・パージの経過はどうだったのか,等々の問題について,現時点における見解や回想を期待していたが,本書はこれらの問題にほとんど言及していない。
 労農記者会は1947年9月に,他のメンバーを加えて労農記者懇談会の編で『労働運動見たまま』(時事通信社刊行)を出版している。これは,現在でも占領期の日本労働運動の基本文献の一つとなっている。また1946年7月,村上,矢田部両氏や澤開進,若松宗一郎氏らも加わり,日本労働協会編で,月刊の労働問題専門誌『労働評論』(毎日新聞社刊)を発行した。労農記者会はじじつ,華々しく活動していたのである。
 筆者は,この『労働運動見たまま』や『労働評論』の発刊の経緯,編集事情についても関心をもち,実情を知りたかったが,これらについてもほとんど言及していない。
 本書においては,冒頭で指摘した歴史的な意義があるものの,本の体裁や製作,分量,証言内容いずれをとっても,編集者や証言者の熱意や誠実さは感じられない。固有名詞の誤りや誤字誤植,新字と旧字の混在も目立ち,俄かづくりであることは歴然である。前述した通り,本書は日本労働ペンクラブ創立15周年の記念出版である。 2001年における日本労働ペンクラブ創立20周年までにはまだ時間があり,十分な編集準備を試み,本格的な日本における労働記者クラブの歴史をまとめられるよう期待したい。





日本労働ペンクラブ編『回想の労農記者会』非売品,1996年12月,101頁,製作実費・郵送費込み800円

よしだ・けんじ 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第465号(1997年8月)




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