OISR.ORG へようこそ 法政大学大原社会問題研究所
 

『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



増田 弘 著
『公職追放──三大政治パージの研究』


評者:横関 至




 本書は,戦後日本の歴史的分析に際して逸することの出来ない公職追放を対象とした久方振りの研究書である。評者は公職追放研究の門外漢であるが,戦後日本政治史に関心を持つ者の一人として,書評することとした。
 著者は,1947年に生まれ,慶応大学・同大学院で政治学を専攻された。琉球大学助教授を経て,1990年より東洋英和女学院大学教授の職にある。この間,1983年夏から1年半,米国に留学して公職追放研究の第一人者であるハンス・ベアフルド氏に師事し,GHQ関係者の聴取りと資料収集を行った。帰国後,米国で集めた資料を活用して,1946年から1947年の時期の鳩山一郎,石橋湛山,平野力三のパージについての三本の論文を公表された。それが,本書の中核となっている。


 本書の構成と原論文発表年は,以下の如くである。
  序 章 公職追放の概要
  第1章 鳩山一郎の公職追放(1990年)
  第2章 石橋湛山の公職追放(1986年)
  第3章 平野力三の公職追放(1994年)
  第4章 吉田茂と公職追放(書き下ろし)
  終 章 公職追放の歴史的意義
 本書の内容を簡単にみていこう。
 「まえがき」は,本書の課題を簡略に示している。公職追放についての基本的把握として,「21万に及ぶパージの大半はきわめて機械的に,また公平に実施された」ということが示されている。その上で,本書の課題について,次のように表現されている。「そこで本研究は,以上のような実状を踏まえ,公職追放の幅広い領域の中でもっとも複雑かつ不透明な追放の実施過程に焦点を当てる。とりわけアメリカ側の豊富な資料,また日米両国における多くの関係者の証言を研究の基軸に据え,従来,ともすれば単なるうわさの域を出なかったパージ問題を,多角的視点から考察ないし分析し,真相の究明を試みる」と。
 序章は,「公職追放令の形成過程」,「公職追放令の実施過程」,「公職追放令の終結過程」,「公職追放研究の現状」の4項目から成っている。このうち,「公職追放研究の現状」は,本書全体の研究史整理を担当している唯一の箇所である。なお,この研究史整理は,著者による他の文献に付した「解説」(竹前栄治・中村隆英監修,増田弘・山本礼子解説,翻訳『GHQ日本占領史 第6巻 公職追放』,日本図書センター,1996年2月所収)とほぼ同じ内容である。
 第1章の鳩山追放についての結論は,次の如きものである。「総じてGHQによる鳩山追放は,日本がいまだ敗戦後の政治的,経済的,社会的混乱から脱していない時期,占領軍という勝者がその威信にかけて敗者に下した個別的弾劾事件であった。もし日本側が占領の意思に反逆するなら,GHQはその者の追放をも辞さないという,多分に『見せしめ的恐喝』という政治性を伴っていたのである」(63頁)と。そして,この追放について,「『楢橋の陰謀あるいは吉田の策謀によるもの』といった世評にないことは明らかである」として,「あくまで追放の決定権と実施権とはGHQの掌中にあり,彼らの役割は限られていた」(64頁)と規定した。
 第2章は,「明らかに捏造された,つまり本来の追放令に照らして不当なパージ」(「まえがき」)である1947年5月の石橋湛山の追放を対象としている。分析の結果,「石橋湛山の公職追放は,本来の公職追放の法的規範外に位置したきわめて不正常な形態として,生じたばかりでなく,追放の経緯,結果および影響いずれの面でも無数の追放事例の中で特筆すべきもの」 (157頁)であり,「湛山の追放は,概して公平に実施されたと思われる公職追放に悪しき足跡を印し,ひいては占領史上に汚点を残すこととなった」(157−158頁)との結論が示された。
 第3章では,平野力三の公職追放を検討し,「結局平野の追放は,基準に則ってかなり公平かつ機械的に実施されたGHQの追放政策の中できわめて例外的に終始政治性が濃厚であり,そのため,日本の非軍事化・民主化の礎石と位置づけられた公職追放の歴史に汚点を印すこととなった」(231頁)との結論を示した。
 第4章では,吉田茂と公職追放との関わりについて,「極論すれば,対外的にはGHQ,とりわけGSのパージ遂行政策に対して終始抵抗すると同時に,対内的には敵対する政治勢力ないし政治家個人を淘汰する手段としてパージを巧みに利用するとの両面性を示したところに最大の特色がある」と結論づけた(293頁)。吉田が追放に「介入できる余地」が生じた理由について,著者は次の如く指摘される。すなわち,「パージを決定ないし実行する権限はGHQ側,とくにGSが留保していた。とはいえ,間接統治という形式上,また日本側が自主的に公職追放を実施するとの建前上,あるいは諸外国の多数のジャーナリストが占領行政を報道し監視している手前上,GSがすべて思いのままパージを統制できたわけではなかった。ここに吉田の介入できる余地を生じたわけである」(295頁)。
 「公職追放の歴史的意義」と題された終章において,著者は「総じて公職追放は,公職追放令の基準に従って,機械的かつ公平に実施された」(300頁)とみなし,公職追放の歴史的意義を次の如く規定した。「公職追放は戦後日本の変革に大きく貢献したことは疑問の余地はない。日本社会から軍国主義を一掃し,政界,官界,経済界,言論界等の浄化と世代交替を促進し,また地方の都市および農村を民主化した」(305頁)と。その上で,追放が高度成長の原動力となったと指摘される。著者日く,「とくに官界や経済界では上層部が追放されたため,40歳代の中堅クラスがその後数十年もの長期にわたりトップの座を占める例も少なくなかった。彼らこそ,奇跡といわれた1960年代の日本の高度経済成長をもたらし,また支えた原動力でもあったのである」(305頁)と。さらには,世代交替を促進させたという点から,著者は追放と明治維新との類似を主張される。「ある意味で占領期のパージは,古い指導層を葬り去った幕末・明治維新期に相似している。旧来の世代に代えて,新しく若い世代を各界の第一線ヘと押し上げた。それとともに,古い価値を淘汰して,新しい価値をもたらした」(305頁)と。


 幾つかの疑問点を記しておこう。
 まず,研究史整理のあり方についてである。公職追放研究について,著者は「昨今進展著しいわが国の占領史研究の中でほぼ唯一と取り残された未開拓の分野」(「まえがき」)と把握しておられる。しかし,果たして「未開拓の分野」と判断することは妥当であろうか。公職追放についての先行研究としては,今枝信雄編『戦後自治史 6 公職追放』(自治大学校,1964年)やハンス・ベアワルド『指導者追放』(勁草書房,1970年,袖井林二郎訳,原本は1959年刊行)が存在する。しかし,本書では,これらについての著者の評価が下されていない。そのため,何を学び,何を批判しているのか,どの点が著者の提起した新たな事柄なのかが判然としない。とくに,ハンス・ベアワルド 『指導者追放』は著者自身が「公職追放の全体像を明らかにした先駆的研究書は,日米両国通じて」一書しかないと位置づけられている文献 (20頁)であり,内容においても本書と直接に関わっているものである。すなわち,『指導者追放』では,鳩山の追放(33―42頁),平野の追放(91―94頁)にふれており,第7章では「追放が与えた衝撃」と題して追放の実態を明らかにしている(133―162頁)。しかも,ハンス・ベアワルド氏は次の様な注目すべき見解を提示しておられる。まず,追放の「基準は強調のおき方がきわめて不公平」(39頁)であり,「日本の陸海軍の将校はすべて追放の対象となったのに対し,官界や財界ではごく上層の指導者だけが該当したにすぎない」(39頁)ことが主張された。次に,日本の指導者を「軍国主義者及び超国家主義者」と「軍国主義者「超国家主義者以外のグループに属する指導者」の2つのグループに区分し,公職追放においては前者に責任追及が限定され後者はほぼ安泰であったと規定した。すなわち,「日本が他国の領土に及ぼした破壊及びその仕返しとして外国人が日本の国民と国土に及ぼした破壊に対する責任の追及を,軍国主義者及び超国家主義者に限ると外国からきた征服者たちが定めた以上,それら以外の指導者たちは占領統治期を比較的無傷で生きのびることを期待できたのである。従って軍国主義者,超国家主義者以外のグループに属する指導者は,占領軍の見解を支持する限り自己の利益をどこまでも守り得たのであった」(165−166頁)と。他の箇所では,次のように表現されている。追放が「軍部に対してこのように力点をおかれたこと」について,「日本国民をあざむき誤り導いた責任を軍部に負わせようとしていた日本の指導者にとって,総司令部のこのような力点のおき方は極めて都合よく働いたのである」と(39頁)。さらに,「軍国主義者及び超国家主義者」に重点の置かれた公職追放に対して 「日本政府の積極的同意」があったと指摘した。「日本政府の積極的同意は,連合軍の政策立案者の先入観に基づく見解とうまくかみ合った」(166頁)と。以上の3点だけを見ても,ハンス・ベアフルド氏の『指導者追放』が本書の根幹に関わる点で著者とは異なる結論を出している書物であることは明白である。この著作を批判することなしには新たな境地を示すことはできないはずである。しかし,本書では,この重要な先行研究の検討がなされていない。
 その他にも,幾つかの研究文献が,研究史整理において無視されている。まず,ハンス・ベアワルド氏と鶴見俊輔,松浦総三両氏による鼎談「追放は日本の政治をどう変えたか」(『思想の科学』53号,1966年8月)では,本書の対象である鳩山,石橋,平野の追放や「Y項パージ」及び追放の戦後日本政治への影響等について議論されている。次の諸点は,本書の主題に直接に関わるものである。まず,鳩山,石橋,平野の追放が戦後政治に与えた影響について,ハンス・ベアワルド氏が「こり3人が追放されなかったら,日本の政治は大きく変っていたでしょうね。そういう政党政治家が追放されてしまったので,吉田が官僚界からいろんな人をひっぱってきたということがありますからね」と述べ,鶴見俊輔氏が「こういう人たちが敗戦直後にもっと活躍すれば日本の政治の非官僚主義化が非常に進んだと思います」と続けている。こうした認識の可否を,本書は問うべきではなかったろうか。次に,官僚,言論人が追放全体のなかで各々0.9%,0.5%と極めて少なかったことを確認した上で,松浦総三氏が「経済人と大蔵官僚に対する追放ってのはとくに甘かったと思いますね。内務官僚なんかに較べると」と述べておられる。これは,追放は概ね「公平」であったとする著者にとっては,看過出来ない議論であるはずである。この官僚,言論人の追放の実態解明,官僚の省庁別の分析も,本書の課題と深く関わっている。第3に,極東軍事裁判と追放との関わりについての鶴見俊輔氏の提言も,検討に値するものである。鶴見氏日く,「東京裁判の方は首をしめちゃったんだから,これは既成事実として動かない,けれども追放の方は4,5年でゆるめちゃって,同じアメリカがあとおしをして,被追放者を総理大臣なんかにしちゃったから,その効果を全部消してしまったわけでしょう。だから,我々日本人Q心のなかでは,東京裁判は残り,追放は消えたんです。道徳的意味としてはね」と。第4に,鶴見俊輔氏が,追放ブローカーの存在を指摘されている。本書149頁注49で「仲介業者」のことがふれられているが,この『思想の科学』誌上の鼎談には言及されていない。しかし,この鼎談が本書にとって看過出来ないものであったことは明らかである。
 また,松浦総三「戦犯追放からレッド・パージまで」(『思想の科学』53号,1966年8月)は,追放を「きわめて不平等なものであった」とみなし,本書の対象である鳩山,石橋,平野の追放を検討するとともに,本書では検討されていない1949年の松本治一郎の追放に言及している。松浦氏は,ケーデイス追い出しに平野力三夫人が一役かったとの岩淵辰雄説の紹介,鳩山追放を決定したのはGHQ内の将校と共産党員山辺健太郎の密告であるとのワイルド説を紹介されている。この真偽も検討すべきであったろう。次に,袖井林二郎「公職追放」(秦郁彦・袖井林二郎『日本占領秘史(下)』朝日新聞社,1977年)は,拡大解釈を許す公職追放令G項の判断が「主として日本側に任された」ことから,「公職追放というものはかなり政治的な色合いを帯びてくる。少なくとも民衆の中からは,公職追放というものは手加減のきくものらしいという印象が生まれてきたわけです」 (227頁)とされている。これは,本書の主題である「政治パージ」を考える際には,検討を加えざるを得ない見解である。何故,筆者はこの見解に対する態度を明確にされないのであろうか。また,官僚の追放が少なかったことと戦後日本のあり方との関連について,袖井氏は次の如く述べている。「戦争中に大臣をやったというような,特に上層部の人は追放されましたけれども,それ以外の官僚はほとんど生き残った。それが戦後日本をになったのか,引きずったのか知りませんけれども,戦後日本が官僚国家になっていく,その原因がそこにあるわけです」(228頁)と。この見解も,終章での「日本の高度成長経済をもたらし,また支えた原動力」は官僚であるとの著者の見解との関連で見過ごせない見解であるはずである。以上の簡略な紹介だけからみても,公職追放の研究を決して「未開拓の分野」と評価することはできない。それとも,著者はここで紹介したものを研究文献とは認定されていないのであろうか。
 次に,新資料の提示という点においても,疑問を呈さざるを得ない。まず,前掲『戦後自治史 6』や竹前栄治『日本占領―GHQ高官の証言』(中央公論社,1988年)に掲載されている資料やGHQ関係者へのインタビューを使用していても,そのことが明示されていない箇所がある。例えば,195頁注2のケーディスが「筆者に証言した」とされているのと同様の証言が,既に竹前栄治『日本占領』45頁に所収されている。また,『戦後自治史 6』所収の資料と同一のものが,その旨の説明無しに使用されている。例えば,本書の274頁の注18は『戦後自治史 6』193―198頁に掲載されている資料と同一のものである。『戦後自治史 6』は,英文も掲載している。本書274頁注20の吉田書簡も,『戦後自治史 6』202―206頁に書簡全文が訳出されている。著者の使用した資料と,先行研究で使用されているものとの関連が不明確であるといわざるを得ない。著者の米国での調査によって初めて見つかったという扱いがされている。このため,我々読者は著者の示されている資料やインタビューを初見のものと受け取ってしまうこととなる。これは,問題ではなかろうか。「まえがき」で述べられているように,「アメリカ側の豊富な資料,また日米両国における多くの関係者の証言を研究の基軸に据え」ておられる本書であればこそ,どれが初見の資料であり,どれが従来の資料を再利用したものかを明示すべきであったろう。
 第3に,インタビューの利用法にも,疑問を表明せざるを得ない。本書65頁注2で,竹前栄治『日本の占領』に所収されているケーディスの発言について,「前後の事情から真意を述べているとはいい難い」とされるが,その根拠が何等示されていない。他方では,著者に対する 「証言」のみを根拠とした断定がなされている。たとえば,石橋湛山追放の重要な鍵となるGHQの湛山認識について,著者は「当然ながらGSやESSでは,吉田政権の財政方針を握る湛山を危険視する空気が広がった。もちろん彼等が戦前における湛山の自由主義的言論や軍部批判など知る由もなかった」(76頁)と断言される。その根拠として掲示されたのは,「ケーディス,リゾー,ネピア各氏の筆者に対する証言」(78頁注20)であった。しかし,その証言の内容は示されていない。ケーディス,ネピア両氏の証言は,既に竹前栄治『日本占領』に掲載されているが,そこにはこうした内容の証言は含まれていない。その他の箇所でも,筆者のみ知っており他の何人も検討し得ない「証言」を自分の説の根拠としている。例えば,215頁注7の「ベアワルド氏の筆者に対する証言」,216頁注14の「ベアワルド氏の筆者に対する証言」,同じく216頁注14の「ケーディス氏もこの事実を否定しなかった」,216頁注16の「ベアワルド氏の筆者に対する証言」,217頁注32の 「ケーディス氏の筆者に対する証言」等々。このように,筆者は活字になっており誰でも利用可能なインタビューを根拠無しに否定し,自分の行ったインタビューは内容を明示することなしに自分の説の根拠としている。これは,いささか問題がありはしないか。本書の巻末にでも,インタビュー内容を活字化しておく必要があったであろう。さもないと,筆者の説が正しいか否かを,我々読者は判定することができないのである。米国での資料は,多くの研究者が知ることの出来ないものである。その資料に依拠して議論を進める場合には,資料を公開することが研究の大前提とならねばなるまい。
 第4に,吉田茂の評価に関連して,議論の整合性に疑問のある箇所や,議論の根拠が提示されないまま自説を展開されている部分がある。まず,鳩山追放について,「『楢橋の陰謀あるいは吉田の策謀によるもの』といった世評にないことは明らかである」として,「あくまで追放の決定権と実施権とはGHQの掌中にあり,彼らの役割は限られていた」{64頁)と規定されている。しかし,他方では,「GSがすべて思いのままパージを統制できたわけではなかった。ここに吉田が介入できる余地」が生じていたとの把握(295頁)も示されている。 GHQと吉田との関係は如何なるものであったかという点での整合性ある統一見解を資料に基づいて提起することが必要であろう。次に,石橋追放と吉田との関わりについて,「吉田の行為を積極的策謀とみなすか,あるいは消極的策謀とみなすか」という両説の存在を指摘される(141頁)。この両説については,68頁,108頁,124頁注1でも,言及されている。著者は,「もはや真実を知る者は故人以外にないが,前後の事情や吉田とGSの気まずい関係から推して,後者の可能性が前者よりも大きいであろう」(141頁)と 「消極的策謀」説の立場を支持されている。しかし,「前後の事情」は何を指すか不明である。しかも,他の箇所で著者は「マツカーサー元帥と容易に単独会見できる唯一の日本人であった」(236頁)という吉田とマツカーサーとの親密な関係を強調されている。このことを考慮することなしに,「吉田とGSの気まずい関係」という点だけから吉田の行為を判断することは妥当ではなかろう。さらに,追放に「吉田が介入できる余地」が生じていたとの把握(295頁)は,「積極的策謀」説の正しさの有力な根拠となるものであると考えられるが,その点の説明はなされていない。3つめとして,1947年の2・1ゼネストを前にしての吉田茂の社会党との連立工作の意図について,「『労働攻勢逃げ切りのためであった』と主張している」西尾末広と,「『憲法制定のための社会党への協力要請であった』としている」平野力三のどちらが正しいかと問題を設定し,著者は「当時の客観情勢から見て,吉田が平野説のように憲法問題だけに固執して自・社両党の連立を画策したとするのは論拠が薄弱であり,やはり西尾説の方が真実に近いであろう」(184頁)とされる。しかし,「当時の客観情勢」とは何かが明示されていないし,何故「当時の客観情勢」からのみ 「西尾説の方が真実に近いであろう」と判断出来るのか判然としない。
 こうした疑問点に加えて,内容についての疑問が幾つかある。
 第1に,著者は公職追放が「きわめて機械的に,また公平に実施された」と判断されているが,先行研究はそうした判断を下してはいない。この「公平」説は,先述のベアワルド氏や袖井氏,松浦氏の評価とは明らかに異なっている。何故そのように判断出来るのかを明示すべきであろう。また,本書274頁注13に収録されている内務官僚の行動についての証言,すなわち内務省地方局職員課長の小林輿三次が「パージになりそうな内務省のキャリア達を事前に辞職させてパージ指定とならないよう工面した」との柴田護(後の自治省事務次官)の証言は,「公平」説を否定しているものではなかろうか。
 第2に,世代交替を促進させたという点から,著者は追放と明治維新との類似を提起され,追放が高度成長の原動力となったと主張されているが,その世代交替の全体像が本書では示されていない。三大パージについては詳述されているが,その他の追放についての言及は十分とはいえない。追放の全体像に言及するはずの序章において検討されているのは,公職追放令の「形成過程」,「実施過程」,「終結過程」のみであり,どのような内容の追放であったのかの実態分析は十分に展開されてはいない。さらには,先述した如く,官僚や経済人,言論人の追放の少なさを指摘している先行研究が検討されていない。本書の主対象としての「三大政治パージ」が「あくまで特殊なパージ」(「まえがき」)だとするならば,公職追放の全体像を描くためには他の大半のパージの実態分析が必要であろう。こうした基本作業を積み重ねることなしに,世代交替論を核とした公職追放像が提起されている。異議を唱えざるを得ない所以である。そもそも,世代交替の促進という基準で,一国内部の政治変動であり資本主義への転換をもたらした明治維新と,戦勝国による占頷下での公職追放という性格の異なるものを,比較出来るものであろうか。著者も「占領というきわめて特殊な時代状況」(2%頁)という把握をしておられるように,他民族による占領という事態は日本の歴史上において異例のものであった。著者の様な基準によって明治維新と公職追放とを対比することは,占領の特殊性を軽視することになってしまうのではなかろうか。
 第3に,公職追放の性格が転換して以降の時期の分析がなされていないまま,「終章」において「公職追放の歴史的意義」が論じられている。この時期については19頁,297頁,304―305頁で言及されているものの,具体的分析はこれからの課題となっている。本書のために書き下ろされた「第4章 吉田茂と公職追放」は,1948年3月の芦田内閣誕生で終止符をりたれている。しかし,「公職追放の歴史的意義」を確定するためには,公職追放の性格が転換して以降の時期の分析が必要不可欠ではなかろうか。吉田茂の長期政権となった1948年以降の時期の検討が是非とも欠かせなかったはずである。また,公職追放の全体像を描く上でも,公職追放とレッド・パージとの関わりについて検討する必要があったであろう。 22頁に示されている今後の研究課題の設定でも,公職追放とレッド・パージとの関わりという問題は,著者の視野に入っていない。なお,吉田茂の長期政権下での追放問題の検討に際しても,また公職追放とレッド・パージとの係わりを検討する上でも,1949年1月の松本治一郎の追放は是非とも対象とすべきであったろう。ここにこそ,追放の政治性,社会運動活動家の追放と吉田との関わりが如実に示されているのである。前出の松浦総三「戦犯追放からレッド・パージまで」は,「松本治一郎の場合は,完全なレッド・パージである」とみなしている。また,部落解放同盟中央本部編『松本治一郎伝』(解放出版社,1987年)は,「公職追放の陰謀」という項目 (284−295頁)で,4回にわたる追放の試みや不当追放反対闘争に言及し,吉田内閣の政治的陰謀と位置づけた。本書の議論と密接に関わる問題であることは,間違いない。是非とも論及しておくべきであったろう。
 第4に,著者が次のような認識を有しているが故に,吉田茂を対象として分析することの意義が鮮明ではなくなっている。著者は「ただし占領というきわめて特殊な時代状況にあっては,権力者はほとんどパージを自己陣営保全のために用いることに腐心したわけであり,その点に関しては吉田のみが一人責めを負わねぼならない筋合いではなかったろう」(296頁)と主張される。このように「権力者」一般の特徴として議論を展開することによって,吉田茂という政治家の個人としての役割の究明が疎かになる。なお,この「権力者」のなかに「希有な哲人政治家」(161頁)と評価されている石橋湛山が含まれているのか否かは,定かでない。

 幾つかの論点,研究課題を提起し,研究の進展に資したいと願う。
 1つは,公職追放の全体像を構築するためには,公職追放の対象の転換と「逆コース」との関わり,公職追放とレッド・パージとの関わり,公職追放と戦犯裁判との関連を検討していくことが必要ではないかということである。公職追放とレッド・パージと戦犯裁判−各々の分野の研究は進展しつつあるが,その相互関連と区別を明らかにしていく作業は今後の検討課題であるといって大過なかろう。これは,社会運動や社会党,共産党にとっての追放の意義を検出する上でも,いわゆる「逆コース」の内実を検討するにも,不可欠のものである。なお,追放とレッド・パージの関係については,既にハンス・ベアワルド氏が『指導者追放』の157頁の注7において詳しく論じられておられ,袖井林二郎氏も「公職追放」(『日本占領秘史 (下)』237−240頁)において言及されている。また,近年のレッド・パージ研究においても,論及されている。
 2つめは,吉田茂や日本政府のGHQへの「抵抗」という側面(「まえがき」,262―264頁,293―294頁)が強調されていることに関する問題である。この問題は,日本占領における間接統治とは何であったのか,間接統治における日本政府の役割は何かという,最も基本的な問題を解明する上で避けて通ることの出来ない事柄である。著者は吉田茂の役割として「対外的にはGHQ,とりわけGSのパージ遂行政策に対して終始抵抗」(293頁)したと規定されている。
 「抵抗」と呼ぶに値するものであったのか否かが,論点となろう。その際に念頭に置かれるべきは,吉田茂とマッカーサーの関係如何である。これを明らかにする上で,袖井林二郎氏の訳出された「マツカーサー=吉田往復書簡(1)」(『法学志林』77巻4号,1980年)は貴重な資料を提供されている。
 3つめは,公職追放が戦後日本に与えた影響をどのように評価するかという問題である。既に,高度成長を支えたものとみなすのか,「官僚国家」になっていく要因と見るのかということが,論点として提起されている。袖井林二郎氏は「公職追放」(『日本占領秘史(下)』)において,官僚の追放が少なかったことと戦後日本のあり方との関連について,前掲の如く「戦後日本の官僚国家になっていく,その原因がそこにあるわけです」(228頁)との見解を示された。これに対し,1988年に刊行された竹前栄治『日本占領』46頁で紹介されている経団連会長の植村甲午郎氏の発言は次の如きものであった。「『当時はたいへんひどいことをされたと思いましたが,今から考えれば,人事の刷新と高度経済成長に大いに資するものがあったと思います』」と。著者は,追放の後に台頭してきた人々が高度成長の原動力になったと主張されており,植村氏の見解と軌を一にしている。この2つの傾向の見解の検討は,今後の研究課題の一つであろう。
 4つめは,嘗ての社会運動家や無産政党指導者と追放との関わりを検討することである。各種の人名辞典や伝記,回想記では,追放に言及することは稀である。誰が追放になり,いつ追放解除になったのか,追放を受けた者が自分の過去をどう評価しているのか。これらの基本的な事柄さえ,不明な点が多い。そのため,追放が社会,共産両党や社会運動に与えた影響を明らかにする上で難点があった。
 本格的な研究書故に様々な注文をつけることとなった。諒とされたい。



増田弘著『公職追放−三大政治パージの研究』東京大学出版会,1996年6月,本文309頁,定価4,944円

よこぜき・いたる 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第456号(1996年11月)



先頭へ
書評一覧へ
電子図書館へ
ホームページへ