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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



室田保夫著
『キリスト教社会福祉思想史の研究
   −− 「一国の良心」に生きた人々』


評者:横関 至





 著者は,1948年に京都府で生まれ,同志社大学,同大学院修士課程で社会福祉学を学び,現在は高野山大学文学部の助教授である。「後記」によれば,著者は学部で嶋田啓一郎,大学院で小倉襄二,住谷磐,杉井六郎の各氏から学び,大学院生の時から同志社大学人文科学研究所の研究プロジェクトに参加して,留岡幸助・山室軍平・石井十次の研究に携わってこられた。本書は,こうした学問環境の下で蓄積されてきた研究を集大成されたものである。

(1)

 本書は,全8章から構成されている本文532頁の大著である。上梓の目的は,「歴史の中で無名に近いキリスト教社会事業家は近代日本において如何なる拘り方をしたのか。それを実証的にもう一度蘇らせたい」という点にある(5頁)。分析対象は同志社関係者の実践に限定されている(4頁,534頁)。
 各章は,次の問題別に分けられて,対象とする人物の研究に当てられている。
 序章「一国の良心」 新島襄,ラーネッド,ベリー,石井十次
 1章「監獄改良事業」 留岡幸助,大塚素
 2章「日本救世軍と社会事業」 山室軍平,松田三弥
 3章「職業紹介事業と下層社会」 八浜徳三郎,緒方庸雄
 4章「少年感化事業」 小塩高恒,品川義介
 5章「地域の福祉」 尾崎信太郎,岡崎喜一郎
 6章「高橋元一郎の生涯と思想」
 結章「平和と福祉」 柏木義円
 本書は,民間のキリスト者の活動の諸相を,同志社系の人々を対象として具体的に析出した。従来の研究では十分に検討されてこなかった人々に焦点をあてて,その活動実態を探究し,詳しく事例分析をされている。その意味で,本書はキリスト教社会福祉実践家列伝とも言うべき内実を備えている。本書が今後の研究の礎を築いた貴重な労作であることは,疑い得ない。

(2)

 本書は,実証研究のみでなく,「パラダイムの変換」(533頁)も企図されていた。この点を勘案すると,以下のような3つの疑問が生じざるを得ない。
 第1点は構成上の疑問である。まず,本書全体に関わる研究史整理の章が無いために,従来の研究成果と本書との関連が判りづらい。次に,各章毎のまとめはあるが本書全体を総括する章が存在しないために,個々の人物の「キリスト教社会福祉思想史」上の位置づけが明示されないままになっている。
 第2は,従来の研究成果との関連である。本書の主題に直接関わる研究に言及していないのは,何故なのであろう。まず,著者の恩師の一人である小倉襄二氏の「キリスト者の社会事業実践と戦時厚生事業」(同志社大学人文科学研究所『キリスト教社会問題研究』10号,1966年)は,本書の根幹に関わる先行研究である。小倉氏は,公的救済に比較しての私的救済の比重の重さ,私的救済におけるキリスト者の役割の大きさ,同志社系のキリスト者の活動等を析出されている。小倉氏の何を継承し,何を批判しているのかを明確にすべきであった。次に,本書の主題からすると,吉田久一・阿部志郎・一番ケ瀬康子三氏によるシンポジウム「社会福祉思想の日本的特質」での「三,キリスト教と社会福祉思想」(吉田久一編『社会福祉の日本的特質』川島書店,1986年所収)は看過できないものであると考えるが,本書では言及されていない。その他,吉田久一氏の先駆的な研究− 『社会事業の研究』(勁草書房,1960年),『現代社会事業史研究』(勁草書房,1979年)一や,守屋茂氏の『日本社会福祉思想史の研究』(同朋社,1985年)や柴田善守氏の『社会福祉の史的発展』(光生館,1985年)にも,論及すべきではなかったろうか。さらに,「パラダイムの変換」を説く本書にとっては,栗林輝夫氏の『荊冠の神学―被差別部落解放とキリスト教−』(新教出版社,1991年)は見すごすことのできないものであったはずである。また,永岡正己「戦前の社会事業論争」(真田是編『戦後日本社会福祉論争』法律文化社,1979年)や松井二郎『社会福祉理論の再検討』(ミネルヴァ書房,1992年)等の詳細な研究整理をどのように踏まえているのかも,提示すべきであったろう。他方,政治学の松下圭一氏による「市民福祉」概念の提起(「市民福祉の政策構想」『中央公論』1976年6月,『昭和後期の争点と政治』木鐸社,1988年所収)にどう答えるのかも,述べるべきであった。松下氏は,「国家統治としての〈社会福祉〉から市民自治による〈市民福祉〉へのイメージ転換」(前掲書,278頁)を提案された。これについての見解を明示することは,著者にとって避けて通れない事柄であったと考えるが如何。これら先行諸研究の整理・批判は,「パラダイムの変換」を提唱される著者にとって,必須の作業であったはずである。
 第3は,内容上の諸問題である。まず,使用されている用語についての説明が極めて判りにくい。その端的な事例が,頻繁に使用されている「社会福祉の『原点』」という表現である。これについて,本書は異なった5つの意味で使用している。すなわち,「民衆の生活」の「確立」 (188頁),「平和」(514頁,530頁),「内なる良心」(530頁),「仏教での『生老病死』」(533頁),「地域の中にまたそこに暮らす人々の中に社会福祉の原点があるという当たり前のこと」 (534頁)と。「内なる良心」と他の4つとは異質のものであるし,5つの相互関連が不明である。これでは,一体どの規定が正しいのか,読者には判らない。少なくとも,評者には理解不能であった。また,「社会事業の両義的性格」 (159頁)はその意味が説明されておらず,「真の福祉社会」(159頁)は何をもって「真」と判定するかの基準が示されていない。次に,社会問題への対応に差異のあることが析出されているが,この持つ意味が検討されていない。なかでも,社会的基督教に関心を持っていた緒方 (256頁)や社会主義に共鳴しており賀川豊彦の強い影響下に平和運動にも携わった高橋(464頁,472頁,498頁,501頁),高橋と共に平和運動に関与した柏木(524一530頁)の3人と,徳富蘇峰に引き立てられ頭山満を「敬愛」していた品川(349−360頁)との差異は際立っていた。何故こうした相違が生じたのかについて,論じるべきではなかったろうか。さらに,本書は一方で「キリスト教社会事業家に欠落していた平和や国家の問題」と指摘し他方で高橋や柏木の場合はそうではなかったとされる(527頁)が,何故こうした差異が生じたのかは説明されていない。これらの問題の検討は,キリスト教社会福祉思想史研究にとって不可欠の課題である。

(3)

 幾つかの論点を提起しておきたい。まず,キリスト者の社会活動の位置づけに際しては,1920年代以降の時期に顕在化してきたキリスト教における2つの傾向との関連に留意すべきであると考えるが,如何であろう。その傾向とは,社会性を否定し個人の魂の救済のみに埋没する高倉徳太郎の潮流と,「愛の実践」を説き社会活動の必要性を強調する賀川豊彦の潮流である(拙稿「賀川豊彦と日本基督教連盟の『社会信条』」上下,『大原社会問題研究所雑誌』433号,1994年12月及び434号,1995年1月,参照)。本書でも,八浜(207頁,232頁)や高橋(423頁,464頁)の場合には,隣人愛を強調し社会活動の必要性を説く点で,賀川と同一性を有して相互に影響しあっていたことが析出されている。宗教の社会的役割についての緒方の見解(246頁)と賀川豊彦の見解との類似性にも留意すべきであろう。
 次に,仏教とキリスト教との差異と同一性を,社会福祉との関わりで,再検討すべきではなかろうか。著者も仏教の役割の再検討を今後の課題とされているが,差異と同一性についての見解は提示されていない(3頁,534頁)。しかし,本書の事例は良き素材を提供している。
なかでも,仏教認識や宗教の社会的役割についての八浜と緒方との相違は,第1の論点と重なり合う問題でもあり,興味深い。ハ浜は本書235頁で紹介されている論文,「仏耶両教と慈善事業」(『救済研究』2巻2号,1913年)の中で両教の差異を強調した。これに対し,緒方は 「社会救済と教会」(『人道』165号,166号,1919年)において両教が「排他的闘争」を絶滅して「社会救済の使命」を遂行すべきであると主張した(本書,246頁)。評者は,キリスト教を「生命宗教」とみなしていた賀川豊彦が生命を大切にするという点で両教は同一であると判断していたことに着目して,この問題に迫っていきたいと考えている(前掲拙稿,参照)。
 3つめの論点は,社会福祉と社会主義との関わりである。著者は,資本主義との関係でのみ社会福祉を位置づけている(3頁,514頁)。しかし,社会主義と社会福祉との関連を不問に付すことはできない。この点で,社会主義の下でも社会事業は不可欠であるとの賀川豊彦の見解は,注目すべきである(「社会事業の永遠性」 「社会事業研究』15巻11号,1927年。前掲拙稿,参照)。さらに,松下圭一氏が前掲「市民福祉の政策構想」において「福祉は資本主義・社会主義を問わず確立されるべき市民のシビル・ミニマムなのである」と主張されていることも,想起すべきであろう(前掲書,285頁)。なお,この問題と関連して,日本の社会主義者の福祉論や,永岡正己氏の前掲「戦前の社会事業論争」で紹介されている「資本主義の欺瞞策としての福祉」という1928−30年の時期の磯村英一の認識が,再吟味されねばなるまい。



不二出版,1994年,550頁,定価13,000円

よこぜき・いたる 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第449号(1996年4月)



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