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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



小宮昌平・斎藤美留編著
『回想・斎藤初太郎――生いたち・労働運動・農民運動』


評者:横関 至





(1)

 斎藤初太郎(1908〜1986年)は,戦後農民組合の中央組織統一に寄与した人物である。戦前の活動歴をみると,大正大学の仏教科を1931年に卒業した後,非合法下の共産党員として『無産者新聞』城南支局の責任者をつとめたり,沢田という変名で東京府下南部地域の労働運動の指導をおこなっていた(本書7頁)。戦後には農民運動に参加し,共産党に復党した。 1952年より日本農民組合統一派の幹部となり,1955年からは同派の書記長をつとめた。農民組合の分裂に終止符を打ち統一を実現する動きの中心となり,統一組織たる全日本農民組合連合会が1958年に結成される上で決定的な役割を果した。
 本書は,そうした重責を担ったにも拘わらず従来世に知られることの余りに少なかった斎藤初太郎の事跡を明らかにした貴重な書物である。本書を足掛りとして,我々は複雑な歩みを印した戦後日本の農民運動の実情を検出していくことができよう。

(2)

 発行人のうち,小宮昌平氏は1953年から日農統一派の本部書記として働き,1958年の合同までの間「斎藤さんに直接,あらゆることを教わった」(本書215頁)後輩であり,当該時期の運動の状況を熟知している人物である。小宮氏の戦前・戦後の農民運動についての見解は「日本民主主義運動の原動力の1つとしての農民運動」(『歴史評論』261号,1972年4月)にまとめられている。もう一人の発行人の斎藤美留氏は,斎藤初太郎の次女である。
 本書の構成は以下の通りである。
 第1章「斎藤初太郎をしのぶ」
 第2章 遺稿・詩(「最近の農民運動」,「農民運動の2,3の問題」他)
 第3章「斎藤さんと農民組合の統一」(小宮昌平)
 年譜
 第1章では,斎藤の足跡が証言によって明らかにされている。なかでも,「『無産者新聞』支局でいっしょに活動 井口晃」や「斎藤さんとの出会い――農地委員全国協議会 山田武」及び1957年の農民運動物故者合同大法要と斎藤との関わりに触れた「薄くて長い縁か 服部知治」の証言は,興味深いものである。また,家族や親類縁者の回想は人物像を知る上で不可欠であるが,本書はこの部分が充実している。とくに,次女の斎藤美留氏の16頁に及ぶ回想―「満天の星のもとに」―は運動に挺身した父への愛憎を描いた小伝となっている。この回想は,「父を支えた3人の女性」という項目を設けて,通常の回想記録では避けられることの多い問題―異性への態度―にも踏みこんでいる。
 第2章に収録された遺稿は,1955−56年の時点で発表されたものである。このうち,「農民運動の2,3の問題」は日農統一派書記長の時期に同派の月刊機関誌『農民運動資料』に連載された58頁に及ぶ長い論文であり,当該時期の運動実態を知る上でも,斎藤の運動に取り組む姿勢を検討する上でも看過できないものである。「政治スローガンで組織できるものではない。1つひとつの生活に密着した要求をとりあげていかなくては……」というのが,斎藤の口ぐせであった(本書,60頁)。それを文章の上で明確にしたものが,ここに収録されている。
 詩はいずれも発表年代不明であるが,『新日本少年』や『児童文学研究』,『読売新聞・ラジオ版』等に掲載されたものである。
 第3章は,小宮昌平氏の手になる評伝である。小宮氏の斎藤評価は,次の3点に鮮明に示されている。まず,前掲の「農民運動の2,3の問題」にふれ,「この論文は『運動家』としての斎藤さんが,実践に密着しつつそれを理論的に整理し理論化する能力と明晰な頭脳をそなえた人物であったことを示すものでもある。そしてこの論文に書かれた考えを実践に移し,農民組合の統一を達成するという事業の先頭に立ち,それを成し遂げたという点できわめて有能な正統的な組織者であったといえる。」(本書235頁)と。次に,1954年の『前衛』11月号に発表された共産党の「当面の農民闘争」に対する共産党員斎藤の態度に言及して,「斎藤さんはこれを,農民の要求にもとづく大衆的な組織と闘争という困難な活動を放棄する方針であり農民の大衆組織をつくることを無視する方針だと,鋭く指摘している。」(本書248頁)と評し,農民組合の運動の現場で活動していた斎藤が共産党中央指導部の方針への批判を提示していたことを明らかにした。そして,第3点として,組織統一に際しての貢献について以下の如く記す。「斎藤さんは戦後日農の事務局で大西さんに次ぐ中心的な役割を果していたことから,各派の指導者とも親しく,それが統一への活動のために大いに役立ったであろうことは想像に難くないが,しかし決していわゆる『ボス交』におちいることはなかった。日農統一派の書記長として統一派の組織と運動を責任をもって果しながら,まさに組織的にも,事務的にも先頭に立ち,その能力を遺憾なく発揮したのである」(本書266頁)と。

(3)

 ここで,第3章を中心に,要望や疑問点を幾つか指摘しておこう。
 まず第1に,遺稿部分の充実である。語ることの少ない組織者がいかなる考えをもっていたのかを明らかにすることは,運動史の充実にとって欠くことのできない課題である。その意味から,斎藤初太郎という組織者の遺稿を細大漏らさず収録するという編集方針をとっていただきたかった。本書219頁で言及されている「本人の書いた履歴書」や農山漁村文化協会『農村文化』1949年9月号に発表した「今後の農地問題」(本書40頁,224頁参照)は,是非とも収録すべきであったろう。さらに,晩年の心境をつづったものとして,1960年代に共産党中央委員会の農民・漁民部長をつとめた深谷進との交流にふれた「長く続いた二人の散歩」(深谷進追悼文集刊行会編集・発行『回想の深谷進』1985年,143−145頁,本書59頁参照)も逸することができないものであったろう。
 第2に,斎藤が共産党に再入党した時期と入党に際しての推薦人が誰であったかを確定していただきたかったということである。共産党のなかでの斎藤の位置を測定する上でも,日農統一派のなかで斎藤が事務局の中心としての役割を果しえた理由を解明する上でも,この事柄は必要不可欠である。斎藤は1945年の11月に「日本社会党結成に参加」(年譜,本書270頁)している。何故社会党に加わったのか,何故その後再建された共産党に入党しなかったのか,これは,検討を要する問題であろう。共産党入党の時期について,小宮氏は1948−1949年の「社共合同」運動にふれ,「斎藤さんもこのころに正式に共産党に入ったのかもしれない。」として「戦前の経歴を見ても斎藤さんはもともと共産党の人なのだから,共産党員になるのに何の不思議もない。」(本書226頁)とされる。しかし,再建共産党に何故最初から関係しなかったのかという疑問は残る。斎藤の経歴をみると,1939年に農地制度改革同盟理事をつとめ,1940年からは「満州」に渡り生活していた(年譜,本書269頁)。こうした経歴が転向,非転向の問題と関連して戦後の共産党への復帰の障害にならなかったかどうか,検討すべきであったろう。
 第3に,1958年の統一達成後に斎藤は運動の第一線から身を引いているが,この理由が明らかでないのである。これについては,3つの説が本書の回想部分で示されている。1つは,放逐説である。日農統一派書記長であった浜野清氏は「間もなく全日農本部を社会党系の幹部が独占すると共に,斎藤さんをはじめ統一派から入った書記はすべて本部から放逐された。」(本書,44頁)とする。もう1つは,自分から身を引いたとする説である。日農統一派書記であった山口誠氏の「斎藤さんの高齢による運動からの引退」という見解(本書,62頁)である。しかし,斎藤は1958年当時は49歳であって「高齢」とはいえない。3つめは,日農統一派中央常任委員であった鈴木清氏の「彼は日農全国連の時も,全日農の時もなにも役職につかなかった。私達ともふっつりと連絡がとだえてしまった。」とする見解である(本書,49頁)。この浜野,鈴木両氏の説を検討すべきであったろう。

(4)

 最後に,戦後農民運動史を再構築する上で今後の課題を,本書から検出しておこう。
 第1に,戦後農民運動史の分析に際しては,戦前の農民運動との連続という問題や戦時下の農民組織との関わりを,個別の人物に即して明らかにする作業が必要である。その点で,1920〜1930年代の日農,全農の本部書記をつとめ戦後は日農の書記長となった大西俊夫についての研究は不可欠である。
 第2に,社会党,共産党と農民運動との関係を考察する際に,地域での実践の経験を集約して方針を練りあげていた農民組合の全国指導部の分析は不可欠である。ところが,従来の研究においては,政党の方針の分析のみに偏る傾向や,地域での運動実態分析のみに止まる傾向が主であった。政党と農民運動指導部と地域での実践―それらの相互関係に留意した分析が必要となろう。 1960年代に脚光を浴び我々に戦後農民運動像を提供してきた山口武秀の一連の著作も,この視点から洗い直す必要がある。
 第3に,共産党と農民運動統一との関わりを把握するためには統一派の再検討が必要である。まず,統一派の形成過程を明らかにする必要がある。とくに,社共合同運動との関連を明確にすることが肝要である。さらには,統一推進の中心となった斎藤初太郎の共産党のなかでの位置,斎藤に対する共産党の指導体制,統一派の指導部における共産党員の割合等を検出し,統一派と共産党中央の方針との関連を検討すべきであろう。
 なお,本書は入手困難な自家版である故に,以下に連絡先を記しておくこととする。
連絡先 〒198 東京都青梅市長渕2−800 斎藤俊彦氏 電話 0428‐22‐5472



自家版,新制作社,1993年,本文275頁,5,000円

よこぜき・いたる 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第424号(1994年3月)



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