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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



庄司俊作著

『近代日本農村社会の展開――国家と農村


評者:横関 至



 本書は,「協調体制」論を掲げて学界に登場した著者が10年来の研究論文に加筆,訂正した本文614頁の大著である。著者は,東京教育大学,一橋大学大学院で学んだ1952年生まれの研究者であり,現在は同志社大学人文科学研究所助教授である。
 本書は,全12章より成っている。本書の構成は,以下の通りである。序章 課題と方法(本書初出)/第1章 日本資本主義の確立と地主小作関係/第2章 1920年代の小作争議と協調体制への移行/第3章 協調体制下の地主的土地所有・地主小作関係/第4章 協調組合の成立と機能/第5章 昭和恐慌期の小作争議状況と地域類型/第6章 昭和恐慌期の小作争議と協調体制/第7章 協調組合奨励政策の展開過程/第8章 小作調停制度の運用過程と戦前土地政策/第9章 自力更生運動の社会構造/第10章 自力更生運動の農業構造/終章 戦前の農村社会と農地改革−総括にかえて−。
 ところで,本書は各章毎に研究史整理と結論をつけており,本書全体に関わる研究史整理を一括して扱う章がなく,全体の総括を明示する章も存在しない。このため,著者の主張を把握することは,極めて困難である。
  

〈著者の主張の概要と評者の疑問点〉

 本書評は,本書の眼目である「協調体制」論と「眠り込み」論に限定して検討する。

 A 研究史整理について

 著者は「戦前農業・農村史のパラダイムの転換」(9頁)を目指しており,その分析方法として「『社会構造史を媒介とする社会運動史と政策史の総合』」(14頁)を唱えられる。その提起は,「従来,運動史研究と政策史研究は相互に関連をもたず,自己閉鎖的に行なわれてきた」(同上)との研究史整理に基づいている。
 幾つかの疑問点がある。まず,「協調体制」論に対する林宥一氏の根底的批判(「両大戦間期における農村『協調体制』論について」,京都民科歴史部会『新しい歴史学のために」180号,1985年8月)に対して,仮説提起者の学問的責任として反論を提起すべきである。次には,1960年代後半以降の「小作争議研究」を「研究史の整理から落とした」理由が納得しがたい。「それらと筆者の観点がかなり異なるからである」し,「争議の経済的説明においては,少なくとも筆者の観点からするかぎり,ほとんどみるべきものがないように思えるからである」(130頁の註12)とされている。しかし,どう観点が違うのか,何故みるべきものがないと評するのかを示すべきである。「パラダイムの転換」は,先学の研究を無視して提唱するものであってはならず,その全面的批判をふまえて提起されるべきものである。第三に,運動史研究と政策史研究が「自己閉鎖的」であったとの評価は,従来の研究の蓄積をふまえていない。この点,拙稿「1920年代後半における地方政治と農民運動」(『大原社会問題研究所雑誌』367号,1989年6月)での研究史整理を参照されたい。

 B 「協調体制」論について

  「『協調体制』は本書のキー概念」(90頁)である。著者は,「日本資本主義確立期から,第一次大戦・米騒動期をはさんで1920年代へといたる時期の,地主の小作人支配と国家の農村支配の歴史的変化を,『温情』から『協調』への転換,という図式」(68頁)で把握される。「協調体制」とは,「地主の小作人支配にかかわる諸々の決定を,部落という地域集団を場に行ない」「地主小作関係が集団的に編成される」ものであり,「地主小作関係の部落への包摂」 (90頁)であったと,部落との関わりで「協調体制」が位置づけられる。他方では,「小作法的秩序つまり協調体制」(447頁)と規定する。「小作法的秩序」をめぐる事態は,「1928年頃」を画期として変化する(270頁)。 1930年代に「小作争議の性格と社会的意味」が変化し,「小作調停の困難化」が鮮明になった(450頁)。これは,「国家の統治機能の困難化・麻痺」(同上)であり,「国家の争議に対する調整機能も重大な障害にぶつかり,大きく減退した」(451頁)。「こうして,いうなれば,日本資本主義は,その後発性ゆえに背負わされた重荷を,戦争・ファシズムによってあがなわなければならなくなるのである」(同上)。
 「協調体制」の「本質」は,「小作料減額の常態化,制度化」であった(92頁)。「本質的な特徴」は,「委員会機構を備えていること」(91頁)であった。「協調体制」には,2つの類型があった。「争議の帰結=到達点」(90頁)としての「協調体制」と,「協調組合による協調体制」(207頁)である。前者は「小作農民が『下から』勝ちとっていった成果であった」(125頁)。後者は,1930年代の「国家の政策」が「農民組合や争議を抑止し,封殺したうえで『上から』権力的に創出しようとする方向」(224頁)に転換した結果,形成された。両者の違いは「小作農民の主体的成熟度の強弱に帰着する」(220頁)。「協調体制」の実態は,東北に比較して多かった近畿においても「協調体制に移行していない地域は少なからず存在する」(190頁)というものであった。
 ここで,前述の林氏の批判以外にも,幾つかの疑問が出てくる。まず,時期区分の問題がある。「1928年頃」を画期とした理由やl920年代以降の時期を「協調体制」として一括して把握し得る根拠が示されていない。さらに,「協調体制」の終期が提示されていないため,「ファシズム」と「協調体制」との関わりが不明確である。「協調体制」の解体の後に「ファシズム」が出てくるのか,それとも両者は並存しているのかが判然としない。
 

C 小作争議「眠り込み」論について

 「協調体制」論を提起した1979年,1980年の論文(本書第2章,第3章の原型論文)では,争議の帰結としての「協調体制」という規定のみであり,小作争議の「眠り込み」が「協調体制」の前提とみなされていた。「眠り込み」とは,「一応は農民組合に結集し,そして選挙などにおいては組合の指導者に対して高い支持を与えていくこと,つまり農民組合に対する信頼,アイデンティティをそれなりにもちながらも,地主的土地所有との闘いには著しく消極化し,地主との平和共存の体制に入っていく小作農民の行動様式」(82頁)のことである。「地主との平和共存の体制」は,「協調体制」と同義である(82頁,125頁)。
 著者は兵庫県淡路島(三原郡賀集村)を対象とした研究から,「大正末期の争議の終結は農民組合の眠り込みの形態がかなり一般的であった」(83頁。 350頁も同様)との判断を導き出す。著者によれば,小作争議とは,「農業の不利化意識」にもとづいた行動(124頁,127頁,137頁,245頁,288頁,346頁等)であり,「『小農経営発展』のための地主的土地所有に対する抵抗運動」(137頁)と規定される。
 ここでも,幾つかの疑問点がある。まず,「眠り込み」という規定の原型は,栗原百寿氏の見解にある。「香川農民運動は,その急激な発展過程において,わずかに数年で一応の小作問題を解決して,いち早く眠り込んでしまった」
 (『香川農民運動史の構造的研究』農民運動史研究会,1955年,327頁)。何故か,著者はこの点に触れない。次に,淡路島での争議の事例を一般化しうる根拠は示されていない。さらに,運動という主体的な営みを経済的条件のみから説明し,政治的,思想的問題は視野の外に置かれている。
  

〈評者の批判点〉

  「協調体制」論の母体である「眠り込み」論(本書第2章)の評価如何が,本書の価値を定める。再検討のために,幾つかの批判点を提起する。
 第1に,議論の基礎である「農民の『眠り込み』に関連する諸指標」(81頁)が,的確さを欠いている。三原郡の「大正末〜昭和期の小作農民の動向」を知る指標の1つとして設定した 「得票率」では,長尾有の1937年と1942年の総選挙の数値が使用されている(同上)。普選による1927年の県会議員選挙と1928年の総選挙の数値は,提示されていない。県議選には賀集村を拠点とする日農県連の指導者である長尾有が定員2名の三原郡で労農党から立候補し,1位当選した(内務省社会局労働部『昭和2年労働運動年報」明治文献,1971年復刻版,433頁)。既成政党の得票動向は,全く看過されている。こうした検討なしに,当該時期の「小作農民の動向」を分析することはできない。また,「争議件数」の数値でも「1924年から1933年までの合計」(同上)の数値であり,画期の1928年で区分した数値は提出されていない。
 第2に,小作争議のみを「地主的土地所有との闘い」を構成する要素として位置づける著者の見地への批判である。著者は,選挙における組合指導者への支持が継続されていても,争議がおこらなければ「地主的土地所有との闘いには著しく消極化し,地主との平和共存の体制に入っていく」(82頁)とみなす。そこでは,1927年の県議選での長尾有の労農党からの立候補,当選が「地主的土地所有との闘い」に有した意義は,等閑視される。ましてや,当選した長尾有に対する失格強要問題については一顧だにされない。かくして,労農党候補の当選がどのような政治的変化を招いたのか,その変化は「地主的土地所有との闘い」にいかなる影響を与えたのかは解明されない。この点,拙稿「1920年代後半の日農・労農党」(『歴史学研究』479号,1980年4月)を参照されたい。
 第3に,評者は弾圧第一義論的立場に立つものでないが,弾圧の影響を軽視または無視する研究には批判的である。第2章では,弾圧については,「弾圧や地主の反撃といった外在的要因のために組織が分裂したなどという見方は,できない」(81頁)とだけ述べられている。また,小作争議の1928年画期説(270頁)と三・一五事件との関連は検討されていない。淡路島は日農県連の本拠地であり,三・一五事件によって,県連の前委員長であり日農の中央指導部にいた長尾有や日農県連の書記長佐野史郎(梅川文男)や県連顧問弁護士で普選第一回総選挙での候補者近内金光が検挙された(拙稿「地方農民運動史研究の現状(3)」『大原社会問題研究所雑誌』369号,1989年8月,27頁参照)。この弾圧が賀集村での争議の帰結に与えた影響,例えば1928年10月の争議解決(92頁)や同月の耕地組合設立(97頁)と弾圧後の状況との関わりを,本書は検討すべきであった。
 第4に,兵庫県農民運動の二大潮流との関わりで,賀集村争議が位置づけられていないため,その政治的,思想的背景が明確になっていない。長尾有を指導者とする淡路連合会と河合義一を指導者とする東播連合会の2つが,兵庫県農民運動の二大潮流であった(前掲「地方農民運動史研究の現状(3)」。
 第5に,弾圧の活用や議会主義による包摂という問題や既成政党の民衆掌握が看過されているため,政党政治下での「国家の統治機能」の在り方が鮮明となっていない。
 やや,注文が多くなったが,率直な相互批判こそ学問進展の源との見地に基づくものである。御諒承を乞う。




ミネルヴァ書房,1991年,本文614頁,定価7,000円

よこぜき・いたる 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第400/401号(1992年3/4月)



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