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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



長原豊著
『天皇制国家と農民――合意形成の組織論


評者:横関 至





        

(1) はじめに

 極めて魅力的な表題をもつ本書は,欧米の研究に学んだ視角と方法によって様々な論争点に関わる主題に取り組み,日本の従来の研究を批判しようとした意欲的な大著である。
 著者は東大農学部,同大学院で学んだ1952年生まれの研究者で,現在は農学博士にして千葉大学の教員である。本書の原型は,著者が東大農学部に提出した学位請求論文である。
 ところで,本書は膨大な文献の紹介と多岐にわたる論点から成っている。しかも,著者独自の概念設定と難解な文章のため,著者の主張を読みとるのは難事業である。このため,評者の力量では限定された問題しか論評しえないことを,予めお断りしておきたい。

        

(2) 本書の概要

 本書の主題は,「30年代日本資本主義そして天皇制ファシズム期の農業問題に,現状分析として,組織論的視点より検討を加えること」(1頁)である。
 対象時期である1930年代の位置づけは,「1955年以降の高度経済成長期に開花し,今日きわめて重要な再編をせまられている,団体統合主義的Corporatistな危機管理国家としての原型を形成していく時代であった」(同上)とされている。
 しかし,1930年代を対象する理由についての説明は十分とはいえない。まず,合意形成という視点から検討した場合の時期区分が示されていないため,合意形成における1930年代の位置がはっきりしない。評者は,当該時期の合意形成を論ずるには,1920年代以降の農民運動の展開状況が1930年代の合意獲得に如何なる影響を与えたのか,農民運動の経験を有した地域とそうでない地域での合意形成における差異はあったのか等の検討が必要であると考える。本書では,この点は視野の外に置かれている。次に,現状分析に関わる「危機管理国家」という概念を歴史的条件の違う1930年代分析に何故適用しうるのかについて,きちんと説明されてない。「原型」の探求というのみでは,1930年代分析の必然性は説明しえない。 1920年代にこそ原型があるとも言いうる。また,「原型」というならば,戦前と戦後の継続と断絶という周知の問題と関連させた1930年代論を展開すべきであろう。
 分析対象は,「社会集団の一員である農民」(15頁)に設定された。著者は,「少なくとも30年代日本資本主義社会においては,個別農民はもとよりのこと農民一般さらには農民階級(階層)なる存在も,即時的には,検討対象としては,存在しえない」(同上)として,「社会のシステム的統合にかかわるかぎりで,〈下から〉の自己組織化としての社会集団の一員である農民または〈上から〉の政策的組織化の対象としての社会集団の一員である農民が存在しているのみである」(同上)と規定する。こうした視点から,地主と小作農との関係は,「従属的要因」とみなされた。すなわち,農民は「農村における〈組織―被組織〉とその状況的場conjunctua1 sphereとしての社会集団としてのみ捉えられるのであり,そこでは,従来の地主・小作の差別性は従属的要因としてのみ捉えられるのである」(同上)と。
 だが,「社会集団の一員としての農民」という把握は,生産の場,生活の場における地主と小作人の間の差別の存在を軽視し,現実の農村における地主の政治的・経済的・社会的支配の実態を隠蔽することとなる。この把握の根拠とされる「社会集団としての統一性を村落共同体的に保持し」(14―15頁)たとの指摘には,疑問を呈さざるをえない。評者は,1920年代以降の農村では水利負担費をめぐる地主と小作人の対立・農民組合による水利権の掌握・村会,農会への農民組合員の進出等によって村落内部の対抗が強まっており,この動揺を再編成することが1930年代の農村対策の基本的課題であったとみなしている。
 本書の分析視点は,「農業部門における〈上から〉の農民組織化=システム出力と〈下から〉の運動論的な自己組織化=システム入力との対抗・親和の緊張関係(政治的支配の正統性の交換過程における需給構造)として解明すること」 (417頁)に置かれた。
 ここでは,地主についての検討が等閑視されたまま,〈上から〉と〈下から〉との「緊張関係」が解明される。しかし,「〈上から〉の政策的組織化」を語る場合には,既成政党・官僚の政策と地主との関わりの検討,地主の地方政治への関与,地主の農民対策の実態等の解明が不可欠である。こうした検討が必要でないと考えているのであれば,その理由を明確にすべきであるし,この点に関する従来の研究への批判を明記すべきであろう。
 第1編では「昭和農業恐慌と〈下から〉の農民組織化運動の諸形態」が,第2編では「1930年代における〈上から〉の農民組織化政策の展開過程」が検討された。
 結論は,次の如くである。「翼賛的自己組織化運動はもとより変革的な自己組織化運動をも含めてあらゆる〈下から〉の組織化運動が,結果において常に,〈上から〉の組織化へ合意形成のエネルギーを(大衆)運動的に入力することになったといってよい。苛烈で抑圧的な暴力装置が安価に機能するのはかかる点からであり,ファシズムとしての天皇制における抑圧暴力装置の野放図さはこうした社会的合意にもとづいていると言い換えてもよい」(420―421頁)と。
 結果論的思考から1930年代以降を扱えば,前半部分のような説明となろう。ただし,その際には,国民統合における「自発性の喚起」についての石田雄氏の把握や,かっての社会ファシズム論的発想と各々どの点で違うのか説明する必要がある。後半部分には,1―7章で検討されなかった議論が持ち出されている。「安価に機能する」とか「抑圧的暴力装置の野放図さ」の内容を,本書は検出していない。さらに,「天皇制ファシズム期」の時期区分が示されていないため,「社会的合意」が形成された時期や形成以前の段階でのファシズムと社会的合意の関係をどう把握するかについても,不明である。

        

(3) 内容について

 第1に,本書は論争の的となる問題を取り扱いながら,「論争を仕掛けるべき人々に多くを学んでいるから」(429頁),「本格的な意味での「論争的文体』を,第1編第4章の注において暗示した部分を除いて,重大な決意をもって禁欲した」(同上)として,論争を避けている。この処置は,学問的責任という視点からみて,極めて遺憾なものである。
 第2に,外国の研究については盛んに紹介するが,日本人研究者の業績については十分な整理がなされていないため,どの点を誰から学び何を批判しているかが鮮明でない。著者の議論の要である「大衆民主主義」下の合意形成を問題にする際(6頁,21頁)に,その根幹に関わる論点を既に1950―1960年代に提起していた松下圭一氏の研究(『現代政治の条件』)や松尾尊よし氏の「普選・治維法体制」についての研究等が無視されている。石田雄氏の研究(『近代日本政治構造の研究』)については,「自治村落」に関する先行研究としてのみ位置づけられており(386―387頁,409頁),議会主義による「反体制的エネルギー」の体制側への吸収という石田氏の視点が無視されている。著者は「議会―政党を媒介とする大衆闘争の体制内在化」(146頁)という視点の必要を説くが,これら先達の見解との関わりを明らかにする必要があろう。
 第3に,著者にとってのキー概念であると思われる「村落を超出する連帯の原理」(420頁)や「国家・支配的資本との緊張関係のなかで不断に姿勢転換を続けている村落の組織原理」(同上)および「村落共同体構制としての天皇制国家」(421頁)について十分な説明がなされていない。
 第4に,「行政システム」の検討を提起し 「〈上から〉の政策的組織化」を検討するはずの本書において,官僚の政策に関する分析が十分でない。著者自身も「積み残されたブラック・ボックスすなわち政策(立案)決定過程の分析」 (422頁)と書かれている。しかし,本書の主題設定からして,石黒農政研究の批判的検討や府県段階の農民対策の一翼を担っていた内務省官僚の検討は不可欠であったはずである。さらには,政党政治の時期の官僚とファシズム下の官僚の政策上の対比も,論じられて然るべきであったろう。

      

(4) いくつかの論点

 第1に,合意形成における政党の役割如何を分析するという視点の欠落は,合意形成論を構築する上で,大きな難点ではなかろうか。普選の実施によって国民の政治参加が新たな段階を迎え,かつ社会運動,無産政党の活動が本格化しはじめた1920年代後半以降の国民意識の状況,合意形成の動向を分析するには,官僚のみでなく政党の分析が不可欠である。その際,国民の政治的選択の幅を狭めた弾圧政策と合意形成との関わりの検討や,選挙結果の分析を通して国民の意識状況を検討する作業が必要不可欠である。
 第2に,合意の形成において,1920年代後半の政党政治の展開や1930年代初頭の政党政治の崩壊がいかなる役割を果たしたのかが検討されなければならない。ファシズムと合意との関連を論じるときにも,政党政治の自壊の結果としてファシズムが生じたのか,政党政治の暴力的な破壊こそがファシズム成立の契機であったのかが問われなければならない。
 第3に,〈下から〉の運動の実態分析では,1920年代との違いを踏まえた上で論議すべきであろう。また,第3章,第4章の日農・全農なり全農全会派の分析では,中央組織の方針の変遷を検討しているだけで,運動実態が検出されていないため,運動と合意形成との関わりが鮮明に浮び上ってこない嫌いがある。
 狭い視野からの書評としては,いささか注文が多くなった。これも本書が刺激的な大著であるがためである。御寛恕を乞う。



日本経済評論社,1989年7月,430頁,5,356円

よこぜき・いたる 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第379/380号(1990年6/7月)



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