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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



【紹介】


浜野 清著
『栃木県農民運動史』


横関 至



 本書は,戦前の農民運動に従事した浜野氏の手になる運動史であり,1920年代から敗戦までの時期を対象としている。本書では,「中間派」の指導下にあった栃木県農民運動の実態・指導者群像が,資料と聞取り及び著者自身の体験に基づいて活写されている。とりわけ,日本農民運動のなかで特異な位置を占める阿久津事件についての分析は,細緻を極めている。
 いくつかの注目点についてみていこう。
 第1に,幕末期の百姓一揆との関わりで農民運動がとらえられている。郡奉行によって処刑された一揆指導者の子である菊池順造は農民運動に参加していた。そして,一揆鎮圧にあたった郡奉行の孫である大屋政夫も,いまや菊池順造と肩を並べて,農民運動に邁進していた(27頁)。
 第2に,農民運動自体の「司令部」を持たず政党(日本大衆党―全国大衆党)が代替していたため,政党と組合の区別が明らかではなかった(35頁,49頁)。 1929年に結成された栃木県農民組合は農民運動の統一指導部と目されたが,これとても大衆党と直結していた(62頁)。
 この政党と組合との関係について,「筆者にも一応の見解はあるが,ここでは事実を忠実に記録するにとどめる。」(49頁)とされているのは残念である。かかる事柄についての運動体験者の見解こそ,現在明らかにしておくべきものであろう。
 第3に,「中間派」の指導する栃木県農民運動は,同じく麻生久や石山寅吉ら「中間派」の指導下にあった足尾鉱山や大谷石材の労働運動と深く関わっていた(36頁,40−41頁,133頁)。阿久津事件に際しては,大谷石材の労働者も参加した(133頁,150頁)。

 第4に,大日本生産党との流血事件で全国の耳目を集めた阿久津事件について,筆者は指導部不在のための衝突という側面を重視している(143頁,145頁,147頁)。県指導部は,選挙対策を重点とし,現場で指導することなく成行にまかせた(129−130頁,140−143頁,145頁)。この結果,猟銃,日本刀,真槍,竹槍等で武装した200名の農民と50名の大日本生産党との衝突により,大日本生産党側に4名の死者と10数名の重傷者が出た(134−137頁,146−148頁)。農民側には,検挙300名,起訴者108名,最高刑15年2名という大きな犠牲が待っていた(148−154頁)。この事件に際し,全農県連は全会派よりの共闘申し込みを拒絶した(100頁,137−140頁)。その拒絶に至る事情について,本書は様々な説を検討している(137−140頁)。
 ところで,活動家の戦中・戦後の履歴とくに戦時下の動静について,もっと言及しておくべきであったろう。それを知りうる人物がほとんどいない状況下では,事情を知悉されている筆者が明示されることは後世への任務であるはずである。



農山漁村文化協会,1986年,3,000円
よこぜき・いたる 大原社会問題研究所兼任研究員
『大原社会問題研究所雑誌』第370号(1989年9月)



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