OISR.ORG へようこそ 法政大学大原社会問題研究所
 

『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



星乃 治彦著
『社会主義国における民衆の歴史──1953年3月17日東ドイツの情景



評者:山田 徹



  予めお断りしておくが,評者は最近旧東ドイツの体制崩壊の過程について拙著を著したが,同国の初期の歴史に関してはそれほど詳しいわけではなく,以下の書評も,いわば隣接の分野の研究者からの手短かな論評あるいは感想として受けとめていただきたい。
 さて,89年東欧革命の核心をなす東ドイツの革命とそれに続く同国の体制の急速な解体は,他の社会主義国の崩壊とともに,現代史の最大の政治ドラマの一つを構成するものとして,こんにちにまで及ぶ(そして今後も長きにわたる)政治上,社会上,さらには思想上の衝撃を与えてきたが,それらの事件はまた,われわれ現代史を専門とする研究者に対しても,多大な反省と研究上の姿勢の見直しを迫ることになった。その最大の要点の一つは,いうまでもなく,東ドイツという国の総体としての瓦解から,これまで同国の研究の(というよりも一般に社会主義体制研究の)最大の隘路とされてきた,当地の政治や経済,社会等に関する資料状況が一変し,膨大な原資料が目前に現れたことで全く新しい研究条件が生まれたという点である。東ドイツに即していえば,かつてのSEDや周辺のブロック政党,大衆団体についての様々な文書や例のシュタージ文書などが利用しえ,また本書でもその一部が活用されているように,旧県や地方の文書館も,研究のために何らの支障もなく用いることができるようになった。
 本書は,そのような新しい資料状況の上にたって,1953年6月のいわゆる「6月17日蜂起」(以下「6月蜂起」とする)を,ほとんど専ら第一次資料に基づいて再構成しようとする,わが国では初の意欲的な試みである。本国のドイツでも,この事件に関する研究は最も進んでいる分野の一つとされ,統一前にもバリングやシュピットマン/フリッケの代表的な著作があったが,統一後には上記の新状況に依拠して,ディートリヒ,カイザー,ハーゲン,ミッター/ヴォレ,チェルニーらの著作が相次いで公刊され,さらには多くの雑誌論文が発表されて,あらためて活況を呈するようになった。本書もそのような研究状況の新たな流れの一端に属しているわけである。
 最初に,本書の構成をごく簡単に紹介しておこう。本書は全体として6章から成り,著者のいう大状況,中状況,小状況という場面設定に即して,「6月蜂起」の「重層的構造」(12頁)が独自の方法で開示されている。先ず事件の前提である当時の社会主義圏内の国際的,国内的な政治動向が,ソ連共産党指導部と東独のSED指導部の相互に齟齬する複雑な路線転換の問題として跡づけられ(大状況),次いで,従来からの体制への不満を根拠とし,直接にはこの路線転換を契機として勃発した「6月蜂起」の推移が,最初の事件発生現場であり運動の中心であったベルリンと,また行動への参加者が際立って多かったイエナを事例研究の対象として詳細に叙述されている(中状況)。そしてさらにこの時点でのミクロ・レベルの民衆の動向を把握するために,彼らの職域の世界とそこでの運動の展開を,イエナ市の大企業カール・ツァイス社の例に即して検討する(小状況)。以上は6月17日の蜂起と,さらにはこの狭い日付だけにとどまらない諸事件の経緯である。
 これに続いて,著者は事件が東ドイツの政治社会に与えた様々な影響を,事件後の当局側の弾圧措置と幾つかの経営体を例とした労使間対立の推移,および党,国家指導部の政策変更の順に語り,最後にこの事件がもたらしたSEDの最高指導部内の権力闘争の帰結を,ソ連指導部の内部の抗争とも関連させて説明する。こうして場所的,時間的に大状況から小状況に「下向」し,また小状況から大状況に「上向」して,全体の叙述を終えるのである。以下,より内容に立ち入りながら,幾つかの論評を行ってみよう。
 「モスクワからベルリンヘ」と題された第1章では,スターリン死後の政治状況の中から生まれたソ連党指導部のドイツ政策の変更(急激な社会主義建設路線の修正と緊張緩和の政策)と,それに従ったSED指導部の混乱を伴う国内政策の転換が叙述され,またこの転換の公表直後にベルリンの労働者の間で生まれた,政府に対する批判的雰囲気の醸成が描かれる。このうち前半部のいわゆる「スターリン書簡」からスターリンの死後のドイツ政策の転進と,さらには新しいドイツ政策推進の中心人物だったベリヤの逮捕にいたるまでの過程は,冷戦に関わるソ連の戦後史の中でも最も謎の多い,それ故最も論争を呼んでいる部分の一つである。ただ,本書ではこの論争史の上にたった議論はなされてはいず,また一言しておくと,「スターリン書簡」を(その文面の通り)ドイツの中立化を意図するものだとしているのは(18頁),やや性急な歴史解釈上の断定であろう。
 後半部の「6月蜂起」に先立つベルリンの労働者の政治的雰囲気を描写した部分は,原資料のもつ強みが発揮されていて興味深い。特に,ストの先頭を切った建築労働者の現場状況の分析では,非公式集会での行動の決定,現場作業長がもつ指導的な役割,他の職場労働者の「連帯」的行動,電話と自転車による連絡網などの存在が指摘されているが,それらはヴァイマル期の労働運動のあり方とも共通する面をもっている。彼らは,強大であったかつての時代の運動をも想起しながら,行動に参加したのであろうか。
 第2章は,6月17日当日のベルリンの蜂起を扱ったもので,ここでは先ず,ストライキを伴ったベルリン中心街でのデモ行進の態様が,時間的な経過を追って詳細に叙述され,「事実をして語らせる」スタイルで当時の状況が再現されている。本章の後半部の「西側の反応」を扱った箇所では,デモ隊にとっても西側占領軍当局にとっても(89年の場合とは異なって)「東西の境」を撤去することが主要な関心になったわけではなかった,という指摘がなされ,これは資料を用いた独自の着眼点だが,ただし,この点から民衆の運動が「第三の道」を提示した,という結論を導くことは,後でも述べるようにやや疑問が残る。次いで分析の対象は,中状況としてのイエナ市の運動に移る(第3章)。同市の運動は,その規模と尖鋭さにおいて地方における運動の中心地の一つであって,この地域の闘争を対象とした記述は,本書の寄与の一つをなすものである。ここでの分析の特徴は,ツァイスの工場などを中心とした初期の労働者の集会やデモでの行動と,その後の暴動にまで発展した街頭行動との性格を区別していることで,概して筆者は(西側の研究者とは異なって)運動の後半の暴動的行動には批判的だが,その点は,この時点で労働者がどのような「統―への意思」をもっていたのか,という問題と絡めて議論を呼ぶことになろう。しかし写真分析まで行って,街頭行動での中心がホワイト・カラー層であったということを示そうとした点の意図は,必ずしも明らかではない。
 「6月蜂起」の記述は,小状況としてのカール・ツァイス・イエナ社での運動の分析によって終わるが(第4章),ここでは同社の本工場を主な対象とした17日後の労働者の行動が考察の中心になっている。これは,著者がその時期にも潜在した抵抗のエネルギーに着目するからだが,この点は最近の著作では言及されるようになっており,本書の場合はツァイス社を対象とする事例研究だということになるだろう。
 以降の第5,6章では,民衆蜂起に対する国(党)側の対応が扱われる。このうち第5章では,当局の側の民衆に対する「ムチとアメ」(弾圧と慰撫)の政策とそれに対する労働者の反応が描かれているが,ここで重要なのは,7月中旬までの逮捕者に対する当局の比較的穏やかな措置と判決が,その後の党指導部内の抗争の影響を受けて様相を一変させる,という部分で,この抗争からもたらされた体制の硬直化が司法のレベルで明示されていて,原資料を用いた考証の面白さが如実に示されている。
 次いで最後の第6章は,SED指導部の蜂起直前の方針転換と「6月蜂起」の全体をめぐる責任問題で,一旦は窮地に陥ったSEDのウルブリヒト指導部が,その後のベリア失脚事件を契機として,反対派のヘルンシュタット派を駆逐する過程を分析した箇所で,同事件については,ヘルンシュタットの娘が秘匿していて統一後に出版された「ヘルンシュタット文書」が有名だが,著者もこの文書に多くを依拠して叙述を進めている。
 これによると,既出の路線転換で既に批判にさらされていたウルブリヒトは,蜂起後はヘルンシュタットやツァイサーらから旧来の独善的な党指導への批判と中央指導部の改組の要求を受けて危機的な状態に陥った。これを救ったのが,当時ドイツの統一・中立化構想を進めていたベリアの失脚で,本書によれば,7月8日のウルブリヒトらのモスクワ行後に状況が決定的に変わった。この抗争は短時日のうちに決着がつき,これが公的に確認されたのが,7月24−26日に開かれた第15回党中央委員会においてであった。
 上述の経過の叙述を読むと,幾つかの疑問点が浮かんでくる。一つは,ヘルンシュタットらの動きがソ連指導部内の動向と接点がなかったのか(特に内相ベリアと国家保安相ツァイサーとの関係)という点で,本書にある中央委でのツァイサーらの発言は鵜呑みにはできない。二つ目の問題は,スターリン粛清をくぐり抜けてきた「強者」ウルブリヒトが,この時点での復権の過程でソ連指導部に対してどのような働きかけを行ったのかという点である。無論それらの問題の解明は資料的には難しい点を含んでいるだろうが,旧来の研究もふまえて,いわば仮説としての著者の考察が必要ではなかったかと考えられるのである。
 以上,内容の紹介の一端を通して幾つかの感想を述べてきたが,最後に本書の全体を通した論評を簡単に行ってみよう。
 本書の最大のメリットは,再三ふれてきたように,「6月蜂起」をめぐる諸事件の経緯を直接当地の原資料にあたって再構成した点にある。その意味で,この書はわが国の旧東独研究に一つの地平を切り開いたもので,著者の労苦には頭が下がる思いである。ただ,叙述のほとんどを原資料の引用で満たす姿勢は貴重だが,全国的な運動の様相,ウルブリヒトのリーダーシップの問題などでは,他の研究書も用いて説明を加える方が,われわれ読者に親切だったのではないだろうか。
 さて本書の狙いは,「6月蜂起」を,著者の言葉をかりれば「民衆史としての社会主義史」として考察することだが,これにはやや問題が残る。ここでいう民衆とは,体制癒着派でも意識的な反対派でもない「普通の民衆」である(2頁)。だがそのような広い意味での民衆は,「6月蜂起」という運動に参加した民衆とはやはり異なる。確かに本書では,蜂起前後の運動のあり方や参加者(あるいは非参加者)の運動への関わりの様々な度合いが検証されている。だが,そこにはまたこの運動に関心をもたなかった者,無関心を装った者あるいは体制側の報復を恐れた者その他これまた種々の色合いをもった様々な民衆が存在していたはずである。これは自明の事柄であり,著者も熟知していることであろうが,とすると,民衆史とはそれらの民衆をも射程に捉えた,より包括的な歴史でなければならないのではないだろうか。これはさらにいえば,より平常な時代におけるより通常の生活に即した「日常史」を理論化し,それを抽出するという困難な課題に連なるものであり,また権威(全体)主義体制下における大衆の生活史という周知のテーマとも関連していく問題である。ただし,これらの問題は無論評者にも向けられた課題である。
 上述の点とも関連して,いま一つだけ疑問点を述べておくと,この「6月蜂起」で上げられた様々な民衆の要求は「第三の道」を提示するものだったのだろうか。例えば,東西双方の外交レベルでの統一構想と,民衆の素朴な要求から生まれた「統一構想の萌芽」(249頁)とが異なるのは当然である。これを「第三の道」とするには,その構想の思想上,あるいは何らかの意味での現実政治上のより強固な裏付け,その意味での構想の強靭さを証明しなければならないだろう。まだ漠然としていた「自由選挙」実施の要求がその中にどのような含意をもっていたのかは,簡単には解明しえない問題である。いずれにせよ,著者は「6月蜂起」を89年革命の「前史といえる面」(250頁)をもつものとして把えようとしているが,89年革命の際に,「第三の道」を目指した当初の民衆運動を,全ドイツ人的なアイデンティティ意識で乗り越えたのもまた膨大な数の民衆であった。
 以上,あるいは「ないものねだり」になるかもしれない点を含めて門外漢からの幾つかの「注文」をつけてきたが,本書が旧東独史研究の新しい地平を切り開いた研究だという評者の評価はいささかも変わるものではなく,この労作が多くの読者に広く読まれることを期待する次第である。 





法律文化社,1994年刊,270頁,定価6,901円

やまだ・とおる 神奈川大学法学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第437号(1995年4月)



先頭へ
書評一覧へ
電子図書館へ
研究所ホームページへ