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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



戸塚秀夫/中村圭介/梅澤隆 著
『日本のソフトウェア産業――経営と技術者



評者:八幡 成美



 著者たちの研究成果は,事例調査の結果については既に「社会科学研究」(第39巻6号,第40巻1,2,3,5号)に報告されており,郵送調査の結果についても「情報サービス産業の経営と労働」(東京大学社会科学研究所調査報告第22集,1989年)として既に報告されている。
本書はこれらの調査報告をベースとして執筆されたものである。
 事業所統計によればソフトウェア業と情報処理サービス業とで全国に5,529社あるが(同書p. 9),うち4,347社を対象に調査を行い,1,067票の有効票の回収を得ており,主たる業務がソフトウェア開発である785社が分析対象企業となっている。ソフトウェア企業に限定してこれだけ大規模のサンプルを分析している報告は少なく,その点だけでも本書は資料的な価値がある。
 さて,本書ではソフトウェア産業の経営と労働の問題を大きく3つの分野に分けて論じている。第1番目が開発フェーズによる工程間の分業関係と,下請け・外注取引関係を軸にした垂直的な分業関係である。これら企業間分業構造での価格メカニズムを通したソフトウェア技術者の賃率決定にアプローチしようというのである。「売上高は業種,そして分業構造上の位置によって大きく異なっている」(p.37)が,「規模の経済は受託計算では大きいけれど,それ以外の業種ではそれほど働かないか,またはまったく働かないといってもよいだろう」との指摘は面白い。
 しかし,本当にそうであろうか。これを論証するために本書では一人当りの情報関連売上高を利用している。ところが売上高には受注しながらさらに外注に流した仕事も含まれてしまうとの問題がある。つまり,付加価値ベースでコントロールしないと,規模による付加価値生産性の格差を測定した事にならない。また,労働力構成の質の問題もある。さらに,ソフトウェア産業は自前のコンピュータはリースで利用することが多く,それも特別のケースを除いて大型の機械を導入する例は少ない。顧客の機械に合わせた開発であるのでユーザーの機械を利用するのも一般化しており,従って重厚長大型の産業にくらべ労働装備率は極端に低い。規模の経済性を享受できる重要な要件である付加価値額対固定費の割合はこの産業では低く,このような産業では人件費コストが直接的に原価に響いて来る。従って,労働力構成の特徴(例えば学歴,経験など)との対応で一人当りの付加価値額に注目する必要があるし,個人レベルでの賃率の規模問題間格差を問題にするなら年齢・学歴・経験をコントロールした賃金(年収)で比較する方がより説得的である。本来,垂直的な分業関係が深まる要素,つまり2次下請け,3次下請け的な企業が生成してくるのは見かけ上の工数が同しでも受注単価に規模間の格差があるからで,それを人件費格差が支える構造にあると考えられる。従って,加工組立形産業にみられるような階層的な下請け構造がソフトウェア産業でも成立しているのかどうかを検証した上でこの点の確認が必要となろう。著者達の強調するように,この産業では規模の経済性が成立しないとするなら,垂直的な分業構造を視野においてこれらの点についてもう少し厳密に検証する必要があるだろう。
 第2番目には,ソフトウェア企業の経営管理問題を一つは生産管理的な視点からプロジェクト管理の問題を取り上げ,もう一つは労務管理の側面から技術者の技能と意欲の問題,具体的には処遇,人材育成,労働時間の問題として取り上げている。労働の問題を考える時に生産管理にまで視点を広げている点は本書の特徴点の一つとなっている。
 しかし,著者達は科学的管理や標準化に対して特定の思い込みがあるのではないかと思われる。例えば,ソフトウェア開発の標準化はプログラム開発の工場生産化だけに力点があるわけではない。開発手順を明確化して工数見積りやユーザーニーズの把握を正確にしたり,ドキュメントの標準化によってメンテナンス工数の削減や信頼性の向上を図ったり,リピートで仕事をする場合に組織効率を高めたりなど,直接的な工数低減だけではなく,品質の問題と密接に関連しており,これが非価格競争力を高める事は改めて述べるまでもないだろう。また,小集団活動についても直接的な改善効果よりも活動を通しての教育効果やモラール維持・向上の効果の方が大きい。従って,外注費を込みにした一人当りの売上高と標準化の度合が100人未満の中小規模で相関を持たなくても(p.74)何等おかしくない。むしろ,このような粗い代理変数でも100人以上の企業や受託計算分野を主力とする企業で標準化との相関が高いことの方が注目される。中堅規模以上で標準化の効果が顕著に表れるとも読めるからである。
 労務管理の面についても,いくつかの興味ある事実を指摘している。中でも,「プロジェクトチーム編成を固定化ないし制限することで人事効果やOJT,off−JTの効率化,公平化を志向すべき」(p.156)との意見は,原籍の人事労務管理の権限をプロジェクトチームに委譲する事になるが,果して能力主義的な運営が原則であるプロジェクトチームとキャリア開発との融和が可能であろうか。本稿では紙幅の関係でこれ以上これらの論点について論ずる余裕はないので,次の機会にまわしたいと思う。
 さて,第3番目には労使関係機構,特に従業員組織が企業経営にどのような影響を与えており,なかでも労働条件や教育訓練にどのような影響を与えているかが検討されている。ここでも多くの仮説が提示され,主として重回帰分析の結果に基づいて議論が進められているが,重相関係数の2乗,すなわち決定係数(寄与率)が,被説明変数に職場外教育訓練を取ったもので0.32(この多重回帰式でデータのバラツキの32%を説明したことになる),離職率にいたっては0.08と寄与率が1割に満たない回帰式がほとんどである。これは説明変数の妥当性に欠けることを示している。このような統計的な手法に走るよりも丹念なクロス集計をした上で,変数を吟味し,比率検定などによって,説明してくれた方がよほど説得的である。これだけの貴重な大量データがあるのであるから,データに素直な分析を期待したい。
 最後にソフトウェア技術者達の処遇方式に集団請負的なシステムに出来ないかとの興味のある仮説が提示されている。ソフトウェア開発分野でもより独立性を高めればプラント建設で工事を請け負う工務店と似た性格になると思われる(評者は多くの小規模ソフト会社は既にそのような性格を備えていると考えている)。専門職集団の職種別労働市場や職務編成原理の観点からも,この指摘はかなり重要な意味を持っているので,今後の研究での展開に期待したい。 




東京大学出版会,1990年3月,定価3、914円

やはた・なおみ 日本労働研究機構主任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第381号(1990年8月)



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