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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



戸木田 嘉久 著
      『現代資本主義とME化』

評者:鷲谷 徹




 

 戸木田嘉久氏は,1985〜1989年の間に執筆した3本の雑誌論文を基に,ME(マイクロ・エレクトロニクス)技術革新下の労働者階級の構成と状態を総括的に明らかにすべく本書を編まれた。原論文に対応する全3章で構成されているが,とりあえず,その概要を章を追って紹介しておこう。
 第I章「情報化・ME化と労働者階級」では,「『情報化社会論』そのものの批判的検討をとおして」,「視角と方法を確定したうえで,今日の情報化にともなう労働者階級の構成と状態の変化」の端緒的検討がなされる。
 戸木田氏の「情報化社会論」に対する基本的立場は,同論が「技術と生産力の発展段階をもって,多かれ少なかれ短絡的に社会発展の歴史的段階を確定」していることに対する批判にある。そこでは「社会の発展段階を画する基準が,生産手段の所有関係に規定された……生産関係にあることが無視されるか,あるいは隠蔽されている」というわけである。情報化による社会的生産力の向上をもって労働と生活をバラ色の「光」でつつむ楽観論に対する批判,これに対置するところの「機械の資本主義的使用」に関するマルクスの所論の援用による「資本の利潤生産の手段としての」情報化・ME化の検討が主眼となるわけである。
 ところで,本書で批判の主たる対象となっているのは,「情報化社会」論を説く資本あるいはその政府であるよりむしろ,ソ連の「新しい思考」論者である。すなわち,「新思考」論者においては,「生産関係視点をはずし」,「生産力論的な視点から現象の表面だけを『美化』してとらえる傾向」から,「労働運動の主体にかんする歪んだ判断がひきだされ,また運動の方向についても誤った方向が指示される結果と」なるとされる。「『新しい思考』の『核心』は,階級的利益にたいする人類的課題の『優先』論であり,階級闘争を抑制し否定する理論であ」り,「緊急な人類的課題の解決をもとめて,社会主義国と資本主義国,独占資本と労働者・国民,労働運動内における階級的潮流と協調主義的潮流が,それぞれ『対話』と『協調』によって『理性』と『善意』を発揮することを期待する」彼らの議論が先進資本主義の労働運動に与える否定的影響について,第II章「ME化は労働者階級を『変質』させるか」で警鐘が乱打される。
 戸木田氏は「新しい思考」論者の代表としてユーリ・クラシンを取り上げ,その事実上の労働価値説否定論,労働者状態への目くばりを欠いた階級構成変化論,セルジュ・マレ流の「新しい労働者階級」論,貧困化論の視点を欠いた労働者状態の把握方法等を批判し,全体として,現代資本主義の矛盾にみちた現実を把握できないその思想的立場を全面的に批判する。
 第II章では,さらに,以上の「新思考」批判を実証すべく,日本の労働者階級構成の丹念な分析が行われる。この中では,伝統的な工業プロレタリアートの減少,「新しい部類」の労働者の急増を確認しつつも,それがパート,派遣労働者など不安定就業労働者の増加を伴っていること,職場レベルでは技術革新に伴う労働の「二極分化」が進み,ホワイトカラー層の中でも階層分化が進んでいること,大企業のリストラクチュアリングによって正規従業員の削減,配置転換,出向・非正規化が進んでいることが検証される。
 第III章「ME革命と労働者階級の状態」ではME技術革新によって労働者状態はどのように変化したのかが広い範囲にわたって分析される。今日の「合理化」はME機器を技術的手段として促進されており,その意味で「ME合理化」という規定が行われ,その「経済構造調整」政策下での展開が跡づけられる。ここで取り上げられるのは,(1)人員削減「省力化」と賃金節約のための諸方法,(2)労働強度増大の諸方法,(3)労働時間を延長させるための諸方法,(4)労働組合の労資協調主義への「統合」などの「体系的な超過搾取」の方法についてである。大企業のリストラクチュアリング下での雇用調整,省力化,不安定就業の「重層」構造化,春闘解体による賃上げ抑制,年功賃金から職能給への移行等による労働者管理強化と労務費削減,ME「合理化」によるスピードアップと作業範囲の拡大を通じた労働強化・超過密労働の現出,能力主義管理と小集団管理による「資本支出をともなわない合理化」,長時間労働・変則勤務の拡大,そして「過労死」等々が取り上げられ,全体として「現代の労働者階級はいぜんとして資本の『人間的搾取材料』であり,資本の蓄積はプロレタリアートの増殖であり,貧困の蓄積である」という命題が確認され,「今日の社会運動の実際上の土台である労働者階級の苛酷な状態」が確認されるのである。
 以上みたとおり,戸木田氏の論旨はオーソドックスなものであり,その意味できわめて明快なものである。いくつかの留保付きではあるが,基本的視点は評者も共有している。しかし,本書の基本的枠組みについては疑問がある。それは本書の「ME革命は労働者階級を『変質』させるか」というテーマ自体が「新しい思考」批判を直接の目的としていることについてである。「新しい思考」とはソ連共産党書記長が国際勝共連合の指導者とにこやかに記念写真におさまる程度の「思考」方法であることは承知しているつもりだが,現代日本の労働問題分析の主題に「新しい思考」批判を何故据えなければならないのか。「新しい思考」を意識するが故に,戸木田氏は「ME革命によっては,……労働者階級の構成と状態についても,『根本的な変化』・『変質』は認められない」という結論を出さざるを得ない。しかし,例えば,「『ホワイトカラー』の激増にたいしても,労働運動の社会的基盤の変化としてあらためて騒ぐまでもない」とするとき,それは日本の労働問題研究の成果に何かを付け加えたことになるのであろうか。
 第二の疑問は戸木田氏がいくつか提起している新しい命題についてである。例えば生産的労働,価値形成的労働論に関し,「ソフトウェア労働は生産的労働である」との見解が示されている。その論拠はともかく,評者も結論的には賛成である。しかし,別の箇所では情報処理産業におけるソフトウェア労働は価値形成に参加し,また,製造業の企業内における生産工程にかかわるソフトウェア労働は価値を形成するが,金融,商業の企業内におけるソフトウェア労働は価値形成に参加しないとする。これはわかりにくい。戸木田氏の論旨は,金融,商業の場合は産業自体が非物質的部門であるから,そこでのソフトウェア労働は製造業の場合とは対照的に不生産的であり,一方,情報処理産業におけるソフトウェア労働は価値と使用価値の統一物としてのソフトウェア商品の価値形成に参加するということであろう。しかし,日本のソフトウェア業の主たる売上げは商品としてのソフトウェア(パッケージソフト)の市場での販売によるのではなく,受注開発,要員派遣によるものが主である。とすると,ソフトウェア業の労働者が金融,商業の受注ソフトを開発する場合には不生産的であり,製造業の受注ソフトを開発する場合には生産的になるということになりはしないか。評者は戸木田氏が強調するように労働者階級の範囲を広くとることには賛成である。それを前提に,議論をやや粗っぽく展開するならば,現代資本主義においては産業諸部門,職業諸部門の有機的連関はより強まり,全ての労働者は事実上その巨大な有機体の一部分として労働するわけであるから,その個々の労働の性質が直接物的生産にかかわるものであろうが,間接的,サービス的なものであろうが,価値形成に参加するのであり,生産的・不生産的と区分すること自体に意味がないと考えている。
 その他,「小集団管理」運動の評価に関連して,これを「科学的管理法」=H・Rの手法に立脚するという記述がなされているが,これは,科学的管理法→H・R→小集団管理という労働者管理手法の変化・展開として区別しておさえる必要があると思われる。話がやや細かくなりすぎたかも知れないが,これは本質論への還元が過ぎて,現実のダイナミズムを看過してはいないかという,評者の危惧の表明でもある。
 最後になって批評が本筋から離れてしまった感があり申し訳なく思うが,いずれにせよ,本書の現代資本主義批判の筆致は厳しく,原則的なもので,学ぶところは多かった。 





新日本出版社,1990年1月刊,218頁,定価1600円

わしたに・てつ 労働科学研究所主任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第386号(1991年1月)




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