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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



『社会政策叢書』編集委員会編
      『変化の中の労働と生活』

評者:鷲谷 徹




 

 本書は1992年10月24,25の両日,関西大学で開催された社会政策学会第85回研究大会の報告と討論に基づく論文集であり,報告者と主討論者のうち10名の論文がおさめられている。当然,この大会の共通論題は「変化の中の労働と生活」であった。論文タイトルと筆者は下記のとおりである。
I 変化のなかの「生活」と社会政策
  ―生活「市場化」の逆説をめぐって―     西村豁通
II 労働過程の変化と労働及び生活の質
  ─自動車産業を事例として―         猿田正機
III 日本型企業社会と日本的労働・生活様式の変化 藤田栄史
IV 二極化した労慟時間構造のもとでの労働と生活 青木圭介
V 生活の中の労働と家事労働         服部良子
VI  「少子社会」化と社会政策の課題
  ─子育て支援策と高齢者生活対策をめぐって― 橋本宏子
VII 消費社会における生活問題の変容と政策課題
  ─借金問題への個別対応を中心に―      平野隆之
VIII 「一国的福祉」に対する国際的視点
  ─社会経済体質の日仏比較から―       筆宝康之
IX 変化する仕事と社会システム
  ─独日比較に向けて―            大塚 忠
X 保険からみた社会政策・社会保障の再検討
  ―社会保障政策と理論の問題所在―      本間照光
 限定された紙幅ではあるが,各論文の概要を紹介しておこう。

 西村氏は社会的結合の深化と個別化の進行という「逆説」的性格をもつ現代「生活」の基本的性格を「市場化」と規定する。市場化の進行にともない,労働過程は細分化され,自己疎外的無内容化に至り,消費過程においては「消費社会」化の中で,個別選択的な消費様式の出現をみる。家計維持のために家族成員が労働過程へ進出し,家事労働は商品化,外部化による代替が進み,家族の分解と「機能単位」化等の過程を通し,全体として市場化に伴う個別化が促進される。
 西村氏によれば,市場とは商品所有者相互の自由で対等な,対抗的ながら対話的な生活上の共同関係であり,「仮設」の機能的「共同体」である。市場化によって労働の「疎外」状況が進んだとしても,主体的反撥と選択を通じて労働本来の「自己実現性」回復の途を探ることも可能であり,これも市場の機能による。
 労働と生活との関係をみると,生計費膨張の圧力が,職場における管理強化と相まって労働時間の延長をもたらす。こうした事態を阻止するために法律による労働時間規制や超過労働時間の割増制が取り上げられるが,余暇や自由時間への欲求が労働時間短縮を要望させ,他方,非労働時間のための出費をまかなうために時間延長を余儀なくさせるという「市場的逆説関係」のもとでは,公的規制の発動のみでは所期の目的を達成し得ない。一般に,社会政策は市場的原理の枠内における市場的「自助」への補完措置であり,市場原理によって補足されることなしにその有効性を保ち得ない。

 猿田氏によれば,トヨタ生産方式の特徴は技術革新の大胆さにあるのではなく,機械と製造技術と労働者の三者の「高度」な結びつきにあり,ME化はME機器の部分的導入として,労働過程の変質は部分的変化の連続として現出した。この過程で労務管理面では,賃金・雇用・労働時間などのフレキシブル化が進み,これは労働者の企業活動へのよりいっそうの従属化と「家庭の空洞化」を意味した。
 ラインにおける「少人化」,ジョブローテーションによる「多能工」化,応受援,出向,配転等による「底なしの流動化」が進められている。 QCサークルや「改善活動」は「暗黙の強制」によって行われており,企業に残って働こうとする限り避けて通れない(なお,QCサークルに参加しない労働者に関する説明の箇所で大きな誤植(脱落)がある(40頁)。これらの労務管理諸策とフォーマルな職制機構を通じた管理・監督の強化および「自働化」が相まって労働者を「長時間・高密度・不規則労働」へ追い込む。低賃金とライン労働,深夜労働からの脱出は組長・工長への昇進・昇格によって可能となり,昇格・昇進・昇給が管理の柱となる。過酷な労働の結果,少なくない労働者が健康を害じ,在職死に至るものもあり,その結果としての家庭生活の破壊は深刻である。インフォーマル教育たる人間関係諸活動はトヨタの労務管理の核をなしており,これを通じて労働者の日常生活を巧妙に組織化し,集団主義的動員に成功している。

 藤田論文も,猿田論文と同じく自動車産業の労働者の労働と生活を対象とする。「企業社会」論や「会社主義」論は労働者の支配構造の側面と支配を受容し同意を与える労働者の「共同的」側面との結合関係を問題とするが,藤田氏も「受容」の側面を重視する点で,「暗黙の強制」の側面をより重視する猿田氏とは異なる。
 A生産方式(A自動車の生産方式)は厳格な標準作業の設定を行う点ではテーラー主義的であり,長時間,高密度,深夜労働など過酷な労働実態を生み出しているが,同時に,工程における変化への対応,異常の発見・対処,改善活動等を通じて「構想」と「実行」の部分的結合を実現し,労働者の生産主体としての側面を組み込んでいる。しかし,近年の現場作業者の採用と定着の困難を前に,ME自動化によって労働力不足と労働時間短縮に対応しようとしているが,これはA生産方式のポイントをなす「製造技術」の重要性を相対的に低下させ,また,「人にやさしいライン」作りは「ムダの排除」と矛盾し,さらに,連続二交代制採用の動きは労働時間短縮の展開に通じる。労働者の価値規範の変化も著しく,「新人類」世代の3K労働の忌避,人間関係諸活動への参加率低下等,私生活と企業内生活との明確な区別の要請は日本型企業社会の修正を迫る。

 青木氏のいう日本の労働時間構造の二極化,すなわち,男性の長時間労働と女性パートタイマーの短時間労働の対立には,家事労働の分担関係がかかわっている。長時間労働に至る労働者側の要因として,内部労働市場における長期的な処遇への期待,生活時間意識の麻痺等が指摘され,また,職場における仕事量と要員数の客観的な基準があいまいで労働時間の底なしの弾力化となっていることが指摘される。二極化の系論として,外部労働市場のパート労働者等への依存に伴う指導・援助,調整業務等の増加による正規労働者の労働の長時間化,女性に対する税制や社会保険の差別的制度による外部労働市場における低賃金・短時間就業の増幅,あるいは,性別役割分業による女性の家事責任と男性の長時間労働の相互規定関係等が指摘されている。
 長時間労働の変革の契機として,1)国際化=公正競争の圧力,2)高齢化に伴い要請される女性の労働力化と増加する介護負担の担い手の問題,3)情報独占による他人支配,とくに,企業における人事管理情報への規制の問題があげられる。

 服部氏によれば,インフォーマルな非市場経済に属する家族セクターの機能は,生活資料購入のための所得の入手と,家族内消費のためのモノやサービスの供給(家事労働)の2点にある。この家事労働はさらに,衣食住関係の全般的で基本的な家事労働,子ども・高齢者・病人などの世話,特別な自己消費のための家事労働(DIY等,市場で購入できる商品・サービスの家庭内供給)に三分される。しかし,サービス商品の家庭による利用,公務労働が担う再生産部分の増加等,フォーマルセクターによる家事労働の分担比率が増えている。その要因は,第一に女性の雇用労働力化による所得の増大と家事労働時間の減少,第二に,家事労働自体のサービス商品化や家事労働軽減・代替商品の増加,第三に,社会保障政策の一環としての家事労働の公的サービスによる代替の拡大等である。
 社会保障による公的サービス給付の際,家族単位の労働力再生産保障システムとするか個人単位のシステムとするかが問題となるが,個人単位の社会保障システムが可能となる条件として,サービスを含む商品生産システムの発達,負担と給付がよく整備された社会保障制度,高い生産力と所得水準の達成があげられる。このような段階において,家族が家族セクターとして機能する根拠として残るのは「特別消費としての家事労働」であり,商品化の進展によってあらゆる側面から社会化されつつある人間にとって最後の私的領域として家族は成立するという。

 橋本氏によれば,少子化の原因は子育ての条件の悪化にあり,子育て費用の増大,保育条件の悪い保育所と出産・育児に関する社会的支援の不十分さ,長時間労働体制等が問題となる。政策的対応として,まず,児童福祉政策をみると,保育制度については公的保障の回避と保護者負担増が志向され,児童手当については支給対象は広げられたものの支給対象年齢が引き下げられ,離別母子世帯等の児童を対象に支給されている児童扶養手当は所得制限が強化された。
 高齢化への政策的対応については,政府の「高齢者保健福祉10ヵ年戦略」を取り上げ,養護老人ホーム等の施設の貧弱さ,ホームヘルパーの少なさ等を指摘する。また,政府の公的老後保障抑制と私的サービス化の方向が,公的年金中心の老後生活では対応が困難で,高齢者の生活不安は高まる一方であることを指摘する。橋本氏によれば,我が国編祉思想と制度は未だ「救貧」的性格を脱しきれず,全国民を対象にした総合性,整合性に貫かれた福祉の体系的展開とはほど遠い。

 平野論文は消費社会の進展における生活問題の変容をとくキイ概念として「マネー・プロブレム」を取り上げ,とくに,イギリスにおける借金問題を中心に問題発生の現状と政策課題について分析を行う。そこで注目すべきは住宅に関する借金問題であり,公的家賃の滞納,持ち家層におけるモーゲージ返済の滞納,「消費の平等化」として進められた公営住宅払い下げにともなうセカンド・モーゲージといわれる担保ローン返済の滞納等が紹介される。こうした借金問題への社会的対応として,民間及び公的組織による各種の借金カウンセリングが広範に行われている。複合的かつ相互連関的な要因を背景とする借金問題に関するカウンセリングは所得拡大の最大限活用,借金返済と消費支出の優先順位の確定,債権者への提案と交渉の3段階からなる。借金カウンセリングの有効性について,事例調査の結果から,いくつかの条件のもとに効果を発揮しうることが示される。

 筆宝論文は「豊かさ」の日欧(仏)比較を福祉を基準として行おうとするものである。市場経済系と社会連帯の方式と環境生態系が地球規模で再編成される世紀末において,社会経済システムのオルタナティブとして,成長再開による雇用拡大,高度工業化の余暇消費社会か,それとも低生産一時間消費の連帯的エコロジー社会の追求かと問題は設定される。
 筆宝氏はGDPや生産性,失業率等の物的福祉の経済指標の「豊かさ」と対照的に,「日本的効率」の裏面にある「日本的働き方」の結果としての過労(死),男女差別,社会的連帯と家庭の欠落,貧困な社会資本と環境等を日本の特性として捉える。社会モデルとして日本が「小和・競争・統合の企業社会」であるとすれば,フランスは「個人・連帯・共和の市民社会」といえる。日本と比較して,経済効率や雇用面で遅れをとるものの,安くて良質豊富な食料品等と短い労働時間,手厚い社会保障のもとで育てやすく住みよい国であり,人権面でも外国人に対して開かれており,鎖国福祉の日本とは大きく異なるとする。

 大塚論文は最近のドイツにおける職場レベルの技術革新と労使関係の動向を熟練資格と賃金設定の二つの面から捉えようとする。ME化の過程分析をふまえ,労働組織の将来をテーラー的合理化からの離脱と新たなプロフェッショナル化と予想する「分業の終焉」説に対し,自動車工業における脱テーラー化と中央集権化の強化の併存を指摘する調査例が示され,逆に機械工業におけるテーラー的なCIMの方向も指摘されている。ME化にともない,事務職員層の仕事もシステミックな合理化により業務の再編が進み,仕事の無内容化が進む職種もあれば,情報処理技術等の技術を要する職種のように高度熟練資格化が進む職種もある。
 主として自動化の進展によって出来高賃金の減少傾向がはっきりしてきた。出来高賃金の場合には,組合の規制の余地が大きく,現場における標準時間計測の際の妥協としての余裕をもった「人間的」労働時間の設定等,労働者にメリットがあったが,ベルトコンベアのタクトによって標準時間が規定されるようになると,個々人の生産性の違いはなくなり,また,自動化やCIM化によって多台持ちや故障修理,保守等,現場で測定しにくい作業が主流になると機能を失う。
 情報処理技術の導入に基づく合理化は,賃金決定における経営評議会の活動幅を狭め,技術や職務の設計,熟練資格,半熟練工への追加訓練等への経営評議会の関与の余地をなくした。経営者側からの経営評議会に対するQC等を含む経営参加要求やJIT導入に対して産業別労働組合の新たな対応が問われている。

 本間氏によれば,「日本型福祉社会」政策は「日本型私的保険化社会」政策として押し進められているが,その論拠は,1)国民が豊かになり多様なニーズと負担能力があり,企業福祉も充実しており,2)ごく一部の困窮者と保障の根幹的部分には公的保障を手当することによって,3)私的保障・保険による「日本型福祉社会」は可能というものである。しかし,現実には,生,老,病,死,いささかの障害があればただちに生活が破綻をきたし,生活保護水準以下に転落し,しかもなお,生活保護からもはじき出されてしまうことは明らかで,「日本的福祉社会」の前提そのものの虚構性は明らかだとする。
 本間氏は,歴史的範疇として保険を捉える視点から,保険を必要としなかった社会(共同体に保険が包摂)→保険を必要とする社会→将来における保険を必要としない社会(社会への再包摂)という把握を提示する。保険を必要とする社会においては生活問題への対応に関し,自己責任とする立場と社会的責任(社会の共同業務)とする立場が対抗してきた。経済学批判における「剰余労働=消費及び蓄積」とする視点から「剰余労働=保険ファンド及び蓄積」とする視点への転換は,社会的責任とする立場に原理的手がかりを与え,また,資本制社会・階級社会を相対化し,乗り越える論理でもある。現代社会においては,A〈セルフ・ヘルプ〉・私的保険を基盤にそれを修正するものとして,B労働者保護・社会保険・社会保障・社会サービスが形成される。Bからの反作用が弱まるとき,「日本型福祉社会」は「日本型私的保険社会」の様相を呈し,深刻な生活問題は社会保険及び保険の問題としてあらわれる。

 さて,評者なりの若干のまとめと感想を簡単に記しておこう。多岐にわたるテーマと論点の故に,端的な要約は危険ではあるが,共通する論点を一つ挙げるとすれば,効率性と利便性の高度な水準を達成しつつあるかにみえる日本的生産システムとそれと一体のものとしてある日本的企業社会の構造と変化の問題であろう。何人かの論者が指摘したように,現代の労働の変化の焦点は長時間・過密労働にあり,それ故の家族生活の困難性,これは一方で,家事負担の偏在=男女役割分担と相互規定関係にあり,さらに,大量消費社会を前提とするが故に,資源浪費と大量廃棄による地球環境破壊にも通ずる。この点は,斎藤茂男氏が企業社会を性別役割分業と長時間労働と環境破壊の「三位一体構造」として描き出した(ダグラス・ラミス,斎藤茂男『ナゼ日本人ハ死ヌホド働クノデスカ?』,岩波書店,1991)とおりである。この場合,企業社会の規制・変革の道筋は,はたして西村氏のいうような「主体的選択への意志の存在を基底とする市場の機能」に基づく「自己実現性回復の途」に見いだすことができるのであろうか。そもそも労働市場が内部化され,極端な場合には地域社会ぐるみで企業社会に包摂されてしまった場合,選択の余地はみえない。それでは,「外圧」に期待できるのであろうか。むしろ,逆に,ポストフォーディズムとしての日本的生産システムの導入,日本化が欧米において問題となっている。藤田氏が示唆した「新人類」の私生活志向も,企業社会への本質的対抗要因たり得ないように思われる。
 極言するならば,企業社会の中で,労働者が社会との接点を有しうる場は,企業内の労働生活ではなく,非労働生活の場にあるのではないだろうか。非労働生活の場において,家族とともに,自己の労働を問い直し,生産を社会または自然との関連の中で見直すことができる。その場合,非労働生活の時間的保障を獲得することが前提となるべきであって,労働時間に関する「公的規制の発動」によって,西村氏のいう,市場における「対話と交渉の関係をより緊密かつ深める」ことが可能となり,そこを通じて新しい地平を拓きうるのではないだろうかというのが力作ばかりの10論文を読んで得た印象的結論である。 





社会政策叢書第17集,啓文社,1993年10月,5,300円

わしたに・てつ 中央大学経済学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第443号(1995年10月)




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