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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



伊藤 晃著
『転向と天皇制──日本共産主義運動の1930年代


評者:梅田 俊英



 本書は,前作『天皇制と社会主義』(勁草書房 1988年)の続編に位置づくものである。前作が20年代の社会主義運動史を扱っているのに対して,本作は30年代の運動が検討の対象となっている。本来,前作を含めて批評すべきであろうが,時間等の関係で最新作のみを取り上げた。
 まず,前2著に共通しているのは「天皇制」が表題として取り上げられていることである。社会運動史の研究書ではこのようなことは従来なかった。この点からしてまず伊藤氏の視角がユニークなものであることが想像できる。社会運動史と天皇制について論ずるとすれば30年代の歴史が決定的に重要となってくる。その点で最新作の論議が明瞭で興味を引くものとなっている。
 1991年のソ連崩壊とその後の過程から誰の目にも明らかになったことのひとつは,ナショナリズムの問題が依然として無視できないものであるということであった。ソ連・東欧の「社会主義」体制が少数民族の犠牲の上に立ったものであったことがはからずも暴露されたのである。このような現代,天皇制ナショナリズムと社会運動との関係について再検討することには大きな意味がある。
 30年代の検討と言うことになれば,当然「転向」が最大のテーマとなる。もちろんこれまでにも『転向』(平凡社 1959〜1961年)などのように転向について検討されてきた。しかし,それらは主として思想の研究が中心であった。本書では「転向者運動」が大きな主題の一つとして取り上げられている。過去において転向は 「裏切り」として見られていたし,社会運動史の通史の叙述においても30年代前半までで筆が止められていたものである。転向後の人びとを本書ほど丁寧に叙述した著作はかつてない。これができたのは,伊藤氏が長年運動史研究会の中心として『運動史研究』を刊行しながら多くの体験者に出会われたからにほかならない。


 本書の内容を紹介しよう。各章は過去に公表された論文もあるが,多くは本書のための書き下ろしである。
 第1章 転向史研究の課題と視点
 第2章 日本共産党労働者派と平田勲──日本共産主義運動と天皇制との思想的通路
 第3章 大量転向の一前提──1930年代初頭の共産主義運動
 第4章 「多数派」分派の発生と挫折──大量転向へのオルタナティブ
 第5章 大量転向の様相─―集団的イデオロギー過程としての転向
 第6章 いくつかの転向者運動―─転向思想の表現形態
 第7章 転向政策における1936‐37年──転向政策転換のなかでの転向者
 第8章「日本建設協会」に見る戦時下転向─―帰結としての戦時天皇制
          

 第1章において,伊藤氏の問題意識が明瞭なかたちで展開されている。本書の大テーマについて若干論じよう。まず近代天皇制を「民族社会形成のヘゲモニー力」(12頁)と規定されている。したがって,歴史の発展のなかで近代天皇制は常に変身し「自己高度化」をはかっていく。伊藤氏はこの天皇制の歴史と転向過程を接続することに視座をおかれている。伊藤氏によれば,「近代天皇制は市民社会の外に自立した権力」(10頁)ではなく「新しい国家目的に民衆を媒介するシンボル,権力的イデオロギー装置」であった。そして,近代日本社会とは「天皇制民族社会」であった。このようにナショナリズムを視野に入れることに賛成したい。明治社会主義以来,1920年代以後の日本社会主義運動のなかでは,ナショナリズムと格闘するのではなく,全くそれが無視されてきたという感がある。それが逆に30年代には「転向政策」が容易に成立する思想状況を形成した一因であろう。
 伊藤氏によれば転向過程とは,「ある時期の社会主義運動そのもの」であったとされる。逆に非転向とは「歴史的に敗北すべき思想の固守」(16頁)とされる。,過去の「転向−非転向」の価値基軸がまったく逆転しているのに興味が引かれる。もちろん転向者運動を伊藤氏が単純に肯定しているのではないことをはっきりと付け加えておきたい。結局,転向者運動が乗った 「国体」とは「聖戦完遂」の体制であり,「他国民の犠牲の無限の拡大」(328頁)にみちびくものであった。


 第2章では,三・一五,四・一六事件の担当検事であった平田勲が「ナショナリズムに沿って共産主義運動を誘導する」政策として転向政策が成立したことが見られている。「日本人たる自覚に立ち帰る」ことを転向とみなした平田は,天皇制と共産主義者とのあいだにさえ「思想的通路」を残していると考えていた。この考えに水野成夫ら労働者派の人たちは乗ったのである。
 第3章では30年代初頭の共産主義運動が「失敗」した様相や原因が探られている。私はこの時期の運動に「失敗」ということがいえるのか,疑問である。もともと成功できるわけがなかったと思う。失敗・成功というより,戦前の運動がどのような役割を果たしたのかをリアルに見たい。伊藤氏も言及されているように,戦前においてマルクス主義の思想的影響は相当強かった。したがって,社会主義運動は知識人が中心となっていく。以前,地域別に社会運動史研究の状況を調査したことがあるが(「地方社会運動史研究の現状」『大原社会問題研究所雑誌』1988〜1990年),そのときの総括的感想では全国的には労働運動などは微々たるもので,地域の中心的運動は農民運動にあるというものであった。知識人中心の思想運動,小作人中心の農民運動,これが戦前の社会運動の主流であった。このような状況では「プロレタリア革命」などは絵に描いた餅である。これが当時の運動組織に自己認識としてなかったことが最大の不幸であったのであろう。
 小作農の願望は戦後農地改革によって達成された。一方,転向した知識人,あるいは幅広い意味での左翼思想の影響を受けた知識人の果たした役割は決定的に大きかったと思う。彼らの一部は企画院などの国家官僚になったものもいる。また,昭和研究会で近衛内閣のブレーンとなったものもいる。満鉄調査部にはプロレタリア文化運動の経験者が多い。これは,最近よく論じられる戦前・戦後の継続の問題にもつながる。ある旧制高校では「マルクス派」の方が多数派だった時期がある。その彼らが戦時から戦後にかけて国家官僚として「統制経済」──戦後改革─―高度経済成長政策をリードしたのである。これは,体制再統合に成功した疑似革命ないし「受動的革命」過程といえるかもしれない。その意味で,戟前に社会科学の洗礼を受けた旧制高校―帝大卒の国家官僚の果たした役割は決定的である。
 第4章は戦後「異端」とされた「多数派」の復権をかけた論稿と言えるであろう。


 第5章以後は転向過程の歴史が扱われている。第5章以後で最も教えられたのは転向の歴史的位置づけであった。かねてから,例えば満鉄調査部事件がなぜ起こったのか疑問を抱いていたが,本書によってその意味を了解できた。社会運動の高揚した20年代の危機に直面して「民族的一体性の更新を担うべき天皇制のヘゲモニー力を高めるために……共産党をナショナリズムの側に獲得」(314頁)する政策が転向誘導政策であった。これは体制統合の危機のなかで取られた政策であった。権力に接近した上層の転向マルクス主義者(昭和研究会ほか)に対する伊藤氏の目は厳しい。たしかに,このあたりの評価はむずかしいところである。私もかつて満鉄調査部事件関係者の方から聞き取りをしたとき,「調査部時報」などの復刻を誘いかけられたことがある。この方にとって,やはり満鉄時代の経験は思想運動であったのであろう。
 伊藤氏によれば,満鉄調査部事件など再転向事件は「近代天皇制がこの時代に自己変革を拒否」(336頁)した事件である。つまりこれらの出来事は,戦時天皇制が過去のマルクス主義転向者を包容する余裕を失って行き詰まったことを示していることになるのである。こうして,伊藤氏の本書での最終的主張は若干不明瞭であるが,戦後民主主義運動での共産党が戦前の転向時代の総括をせず,「古い思想を固守」していたところに敗北の原因があったというものである。結局は日本ナショナリズムをもっと見据えろということであろうか。このように理解できるとすれば,私自身と同意見である。
 いずれにしても,先の見えにくい現代にあって伊藤氏のように理論問題で論陣を張られるのは貴重である。戦後問題などにさらに検討を深めることを願いたい。



伊藤晃著『転向と天皇制−−日本共産主義運動の1930年代』勁草書房,1995年10月,4,994円

うめだ・としひで 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第453号(1996年8月)



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