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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



石見 尚著
『福本和夫――『日本ルネッサンス史論』をめぐる思想と人間


評者:梅田 俊英



 副題から想像できるように,本書は1920年代のいわゆる「福本イズム」についての理論的・思想的な検討に照準を定めたものではない。全8章あるうち,戦前期に充てられているのは第1・2章にすぎない。戦後,福本の「友人」として長くつきあった著者の「人間福本和夫」の叙述が中心となっている。目次を紹介しよう。
 第1章 1920年代の政治思想史におけるいわゆる福本イズム
 第2章 経済学批判の方法論
 第3章 解放後の再建共産党でのスターリン主義との戦い
 第4章 堰を切った反スターリン主義
 第5章 中国観と文化大革命を見る眼
 第6章 ライフワーク――『日本ルネッサンス史論』
 第7章 人間福本和夫
 第8章 マルクス主義のマルクス主義的発展のために
 年譜(1940年以後)・福本和夫著書目録
 福本和夫は,1924年12月,『マルクス主義』に投稿することによって左翼論壇にデビューし,1926年頃には一世を風靡し,1927年テーゼで批判されることによって論壇から消えていった。論敵山川均が明治社会主義の時代から戦後まで一貫して論客であり続けたことからいえば,「福本イズム」の時代の2年余は異常に短い。にもかかわらず,「山川イズム」と「福本イズム」は相互に相対立するものとして並び称されている。やはり,福本のデビューの仕方があまりにも衝撃的だったからでもあろう。その影響力も決定的であった。
 しかし,この二つの思想は理論的枠組みはもちろん,歴史的役割・歴史的影響において根本的に相違している。山川均の理論・思想は,日本の社会運動の歴史と共に歩んできた。そのために,彼の思想には時代の状況が色濃く反映し,日本独特の側面を持つようになった。また,彼は常に,ある一つの政治的社会的勢力を代表する理論家であろうともしてきた。
 一方,福本は根本的に政治的実践家ではなかったし,その人間的資質も学者タイプのものであった。本書によってその点が良くわかった。運命のいたずらによって,左翼雑誌『マルクス主義』に投稿することになるし,政治的実践とかかわり合うことになる。やはり,「福本イズム」(この用語は批判者によって作られたものなので,客観的に検討するには福本主義という中立的用語の使用がよいと思う)は時代の落とし子であった。たとえば,学生社会運動がなくては福本主義もありえなかったであろう。
 「福本イズム」といえば,「分離・結合論」によって社会運動を分裂させた悪名高い理論とされている。従来は,この理論が27年テーゼで克服されて大衆運動の前進が勝ち取られるといった文脈で語られてきた。これは再検討の余地がある。むしろ,評者は,福本主義の2年余こそ,むしろ創造的な時代ではなかったかと考えている。評者が復刻版『政治批判』の解題を執筆したときに,その思いを強くした。コミンテルンによるロシア的理論の押しつけに反抗したのは,戦前においては福本の時代だけである。とはいえ,福本はモスクワに連れて行かれて無理矢理自己批判させられてしまうのではあるが。本書には,27年テーゼの検討にモスクワに行ったとき,「河合悦三が福本のブハーリンの唯物論への異議を,不用意に漏らしたことがブハーリンのプライドを傷つけ」(100頁)たために,福本が不利になったとある。ありそうな話である。
 この時の怨念が,その後,福本が「日本ルネッサンス史論」研究に向かう動力になっているのではないかと本書を通じて読みとった。福本の「日本ルネッサンス」とは乱暴に言ってしまえば,江戸時代全般を通じて文化が興隆したことを言う。この研究は,27年テーゼないし32年テーゼに示されている国家論や社会論の間違いを正すことから入っていったもののようである。また,彼の「経済学批判の方法論」から導き出される経済史の方法は「物質的生産の運動法則が歴史の具体的状況の中で貫徹していく姿について,事実分析を通じて明らかにする」(48頁)ことにあった。この方法は,歴史学的方法とは違っている。やはり「史論」といえるものである。『日本ルネッサンス史論』を完成して福本は「福本イズム」から解放されたという(190頁)。それなりに自分で理論的な始末をつけて,やっとこだわりがなくなったということであろうか。
 一時期,晩年の福本和夫が,マスコミで話題になったことがあった。私など,あの「福本イズム」の福本が元気だということに驚かされ,かつ大変興味を持って見ていた記憶がある。本書によって,戦後の福本の人間性などをよく知ることができた。
 しかし,若干の苦言を呈しておくと,福本がベルリンの壁の崩壊・ソ連の崩壊を予測していたという何ヵ所かにみられる記述(例えば133頁)は,いささか「ひいきのひきたおし」の感がある。批判的視点を持っていたとしても,ほんの2年ほどでソ連・東欧体制が劇的に消滅すると予測できた人は誰もいないと思う。この歴史的激動でこそ,新しい歴史理論・新しい社会運動の理論の創造に向かわなければならないであろう。若き福本和夫なら,どのような解答を出すであろうか。



論創社,1993年11月,263頁,定価2,575円

うめだ・としひで 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第426号(1994年5月)



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