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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



鈴木 裕子編
『女性――反逆と革命と抵抗と


評者:梅田 俊英



 本書は「思想の海へ」と名付けられた近代日本思想史のアンソロジーのなかの一冊である。評者はこのシリーズのうちの大沢正道編『土民の思想』をすでに批評した(『大原社会問題研究所雑誌』第392号)。そこで述べたことでもあるが,本シリーズは史料集の形態をとっているものの,編者の個性が前面に出され,編者の考え方を史料をして語らせるという趣をもった著作である。したがって,本書が史料集にもかかわらず書評の対象とする意味があると考えられる。今回は女性運動・フェミニズム運動に関する作品を取り上げたい。
 批評の前にフェミニズムとは何で,それはどのように発生したか,簡単に整理しておきたい。高度成長期には労働組合運動を中心として,公害反対運動,地域住民運動などさまざまな社会運動が展開されてきたが,1973年のオイルショックをすぎると,中軸をなすべき労働組合運動が退潮していった。こうしていわゆる「新しい社会運動」と概括される新しいタイプの運動と思想が発生し展開をみせるようになった。このなかに,エコロジー運動,反核・反原発,地域コミュニティー運動などとならんでフェミニズムの運動と思想が含まれている。もちろん,それ以前にも女性解放の運動と思想はあり,活発に論争が展開された歴史がある。戦前においては母性保護論争や評議会婦人部論争などがあり,戦後には3次にわたる主婦論争があり,最近では「アグネス論争」が記憶に新しい。また,フェミニズムにおいてもウーマンリブ(=ラデイカルフェミニズム)が「生まない自由」と「生む自由」,つまり母性の評価をめぐって分裂し,マルクス主義フェミニズム・エコロジカルフェミニズム・ポストフェミニズムなどの論者に分かれて論争が展開されてきているのが現状である。
 70年代以前における思想の主流は女権拡張論と社会主義婦人解放論にあったといえよう。これ以前になると社会の激しい変動のなかで女性解放思想にも多様性がめだつようになったのである。したがって,フェミニズムはたんなる流行現象とみることはできないと思う。
 ところで,鈴木氏は本書「まえがき」でフェミニズムは「欧米から直輸入してきた思想,学問」で,「日本の女性解放の歴史と,何故か断絶してしまう」と危惧されている。ある一面ではそうかもしれないが,あまりこのように裁断してしまうこともできないであろう。たとえば,青木やよひと上野千鶴子の論争の枠組みをみると(『フェミニズムはどこへいく』ウイメンズブックストア刊行,参照),性差をマクシマムにとらえるか,ミニマムにとらえるかということがひとつの論点となっており,このテーマは母性保護論争あたりのテーマとそれほどの差異はないように思う。したがって,フェミニズム論を切り捨てるのではなく,取りこんでいくこと,ないしはつなげていくことが重要だと思う。だからこそ,鈴木氏の日本の女性解放の運動と論争の歴史をさらに研究していくことが必要だという見解には賛同したい。
 さて,本書の構成と取り上げられた人々は以下のようである。これに編者の詳しい解説と註がつけられている。完全な現代文に直されているので若い人でも容易に読むことができるであろう。第1部 女権と民権と国権と 岸田俊子・福田英子。第2部 社会主義と「おんな」解放 福田英子・神川松子。第3部 反逆と愛と 菅野スガ・金子文子。第4部 新しい世への渇望 山川菊栄・山内みな・高橋くら子・伊藤野枝。第5部 嵐の中の女子共産党員群像 志賀多恵子・波多野操・大竹一燈子・原菊枝・寺尾としほか。第6部 時局への抵抗 山川菊栄・長谷川テル・宮本百合子・寺村歳枝・九津見房子・山代巴ほか。
 ページ数でいうと,第1部から第4部までがほぼ三分の一,第5部だけで三分の一強,第6部は三分の一弱となっている。つまり,第5部〜6部で本書のほとんどを占め,取り上げられている内容も大正後期から戦前昭和期に活躍した女性の論集が中心となっている。ハウスキーパー問題へのこだわり,当時の革命運動のなかにあった女性蔑視に対する告発などからこのような編集となったであろうことはよくわかる。
 本巻の主題は「日本の女性解放の歴史」であり,その歴史を「市民的女性運動」と「社会主義女性運動」(編者まえがき)にわけた上で,第1部を除いて,後者の流れにおいて岸田俊子が男中心で女性蔑視の民権運動に異議を申し立てたこと,第2部においては幸徳秋水の女性解放論が「社会主義一元化」論となっていること,神川松子と遠藤友四郎の論争において,遠藤がやはり社会主義一元化論となってしまったことなどが指摘されている(解説)。女の解放は社会の解放より「あとまわし」になるという「論理」がすでにこの頃からあったことに驚かされる。これを史料に収録すべきであったと思う。
 19年の母性保護論争の頃の山川菊栄には,真の母性保護は資本主義の変革によるほかないという論理があったように思うが,のち婦人部論争などを経過することによって,女性の解放は男の解放につながるという視点に立つようになったことが本書から読みとることができる。
 前述のように,市民的女性問題は扱わないということであるが,これはこのシリーズにフェミニズム関係がほかに取り上げられているという便宜上のことからであろうが,女性社会主義者の歴史だけから日本の女性解放運動史を見られるであろうか。たとえば,青鞜社の関係者もやはり「反逆」者ではなかったろうか。矯風会の動向や廃娼運動なども重要な女性解放運動を構成していたといえよう。
 第5部には予審調書・聴取書がかなり長く収録されているが,史料としてはおもしろいのであるが,本書にふさわしいものかどうかわからない。その性質上,厳密な史料批判が必要で読み流すのにはふさわしくない。これは主として治安維持法第1条に違反するかどうかを調査する目的で作成されたものである。この部分を少なくして論争史関係のものをいれるとよかったかもしれない。
 とはいえ,本書は編者の意図が生き生きと伝わってくるものとなっていて,日本の女性解放の歴史を最初にひもどくのにふさわしい一書であるといえよう。



社会評論社,l990年,324頁,定価2,600円

うめだ・としひで 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第404号(1992年7月)



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