OISR.ORG へようこそ 法政大学大原社会問題研究所
 

『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



大沢 正道著
『土民の思想――大衆の中のアナキズム


評者:梅田 俊英



 本書は「思想の海へ[解放と変革]」という近世・近代日本思想史料集(全31巻)のシリーズのうちの一編である。戦後何度かにわたって思想史の論文集や史料の講座本が刊行されているが,最近の企画ではその売れゆきは芳しくないという。若者の活字ばなれ・思想ばなれなどにその原因が求められている。この状況のなかにあって、本シリーズはそれを打開するためのいろいろな工夫がなされている。その第一に挙げられることは,ここでとり挙げる著作もそうであるが,これまで刊行されたシリーズにはけっして収録されなかった魅力的なテーマが多いということである。いわく「日本番外地の群像」「愛と性の自由」「海外ヘユートピアを求めて」等々。
 また,原典主義をとらず,漢字・仮名遣いなどを現代風に改め,現代の読者にとってもたいへん読みやすくなっていることもあげることができる。また見出しなども新たに付けられたものである。したがって,従来のイメージの史料集とは大きく異なって,すくなくともここで取り上げる著書についていえば,編者が史料に自己の思想を語らせているという印象がある。かならずしも研究者相手のシリーズではないようであるので,それはそれで良いと思う。
 それではここで編者の意図するものは何かといえば,それは「土民の社会運動史」(まえがき)を描くことである。そのため,本書では次のように5部構成によってつくられている。
 第1部 谷中村事件と田中正造=同事件についての木下尚江・田中正造の論文,講演筆録を収録。
 第2部 明治後期の社会主義者たち=日本社会党の電車賃値上げ反対運動,幸徳秋水「人民のなかに」,赤羽巌穴「農民の福音」。
 第3部 米騒動の勃発=田村昌夫ほか『いま,よみがえる米騒動』からの聞き書きのほか,渡部徹氏らの米騒動実況記録。
 第4部 進んだ大衆,遅れた前衛=水沼辰夫『明治・大正期自立的労働運動の足跡』からの正進会の活動ほか,大杉栄の労働運動論など。
 第5部 農民自治から農村コンミュンヘ=渋谷定輔『農民哀史』からの農民自治会について,石川三四郎の講演記録,宮崎晃「農民に訴う」,信州農村青年社メンバーの論評ほか。
 以上のように,確かに史料としてはこれまでに全集や単行本・復刻本にすでに出されたもので,あまり目新しいものはないといえる。しかし,編者大沢氏の意図は上の構成にかなり明瞭に表れているといえよう。その検討の前に,近代日本のアナキズムとその周辺についての一般社会運動史の通史的概念を述べよう。
 それは,先ず明治社会主義における幸徳とその周辺の思想を見たあと,大正期には大杉栄に代表させる。 1920年の日本社会主義同盟におけるアナボル混在と共同,そのなかから高い意味での政治運動と秘密結社の必要性を自覚したグループによる第一次共産党の結成,それにつづくアナボル分裂というものである。 23年の大杉の暗殺以後アナ派は急速に力を失い,歴史上無視しうる存在となったとして,ほとんど通史のうえではかえりみられていない。
 おそらく大沢氏の意図の一つには,大杉以後のアナ派の復権ということがあるであろう。評者もその意図に一面では賛同する。例えば,これまで社会運動史の文献解説や目録はいくつかあるが,20年代後半から30年代にかけての自由派・アナ系の機関紙誌について取り上げたものはないといえる。その意味で『黒旗』(復刻あり)からの宮崎のものや『信州自由連合』からの論説は一般読者には目新しいものであろう。
 大沢氏も解説で述べられているように,赤羽の「農民の福音」はクロポトキンの引きうつしで生硬なものであるが,渋谷らの農民自治会の主張・宮崎の「農民に訴う」・信州農村青年社の南沢袈裟松らのものにはかなり説得力がある。彼らは一様に農民に反政治と反都会・自給自足と相互扶助を訴えている。しかし,渋谷がのちに全国農民組合に行ったのにたいして,宮崎は農民組合だけでなく消費組合・協同組合をも「改良運動」として否定している。この姿勢から「純正アナキズムの暴動主義まがい」(大沢氏)の路線を突っ走る(31年信州暴動)ことになるのであろう。
 このような問題点はあるものの,30年代の深刻な農業恐慌による極度の貧困のなかで,彼らの主張が農民に一定の影響力を持ちえたのも理解できるし,環境破壊・新たな階級(階層)分化が問題となっている現代日本において,かれらの主張はかえりみられる価値のあるものだと思う。かれらの相互扶助などの主張は,現代の「ネットワーク」の理念にもつながるものであろう。
 ところで,大沢氏は読者にたいして,史料通読のまえにまず「解説土民の社会運動史」をさきに読んでほしいと述べられている。そこで,これについて若干コメントを加えたい。まず「これまで影の部分に押し込められていた人びとを浮かび上がらせ,彼らが果たした役割や彼らが占める位置を明確に」するという意図は賛成したいし,小松隆二『大正自由人物語』(岩波書店)のような労作もあるが,名もなきアナキストや自由・自治派の人々はもっと見られてよいと思う。
 このように,これまでと異なった通史を描こうという氏の試みは賛同するが,「土民」という概念はどうであろうか。これは石川三四郎の主張からもたらされたものである。「土着」つまり「大地にしっかり足の着いた」人々ということである。それはよいが,ほんとうに地域に「土着」している人々は自分らのことを「土民」と言うだろうか。都会の知識人のつけた名称のような気がする。杞憂かもしれないが,大沢氏の批判される「知識人の社会運動史」,つまり知識人によって描かれた社会運動史になってしまうおそれもないとはいえない。本書で取り上げられた田中正造は別格として,信州の人々だけでなく,もっと地域のなかでその地域の課題と苦闘していた人々の歴史をこそもっと見られるべきだと思う。彼らにとってのイデオロギーは,さしあたりはアナでもボルでもよかったし,また「新しき村」の文学的理念は農村青年にも影響を与えている。ほかにも浄土真宗,キリスト教なども彼らの社会運動の理念となった。したがって,地域においてはいわゆる「アナ・ボル分化」はかなり遅いのである。
 そのほか,ロシア革命の日本での影響や,米騒動の歴史的意義のとらえ方などいくつか異論もあるが,ひとまず「六十の手習いで手がけよう」(まえがき)とされている新しい社会運動史の完成を願って,それを待つこととしよう。



社会評論社,1990年2月,2,600円

うめだ・としひで 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第392号(1991年7月)



先頭へ
書評一覧へ
電子図書館へ
ホームページへ