OISR.ORG へようこそ 法政大学大原社会問題研究所
 

『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



渡辺 治著

『現代日本の支配構造分析―基軸と周辺


評者:梅田 俊英



 

(1)

 現代日本の社会科学において,従来の基礎的視角(理論モデル)の有効性の後退がたびたび指摘されている(注1)。その背後には,社会主義をめぐる諸問題や,最近の日本社会の大きな変動があることは言うまでもないことであろう。
 最近では,西欧社会を基軸としてとらえる「近代主義」的視角の裏返しともいえる「儒教文化圏」論も提出されている(注2)。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」論の登場以来,日本経済論の中心は「日本はなぜ成功したか」という視点からのものが圧倒的にみえる。たしかに,日本経済の国際的強さや「ニュー・リッチ」層が国民のなかにうまれているのは事実であろう。しかし,一方では日本人の「中流」意識にかげりが見えていることも指摘されている(注3)。このような複雑な状況のなかで,現代社会を正しくとらえ,新たな視角を構築するためには,当面する日本国家権力と日本社会の総体的分析が不可欠であるといわねばならない。
 また,これは,社会諸科学の各分野での研究課題というだけでなく,我々自身の生き方をも含めた現代における最も重い思想史的テーマであることを確認しておきたい。


(2)

 本書の語り口は軽いが,そのテーマは現代日本の国家と社会分析の基礎視角確立の課題に正面からいどもうとするものである。
 本書の構成は次のようである。
  序 本書の課題と視角
  I 現代日本社会の構造
  II 国家体制の再編成
  III 方法論にかわる討論
 以上のうち,IとIIIは呼応しあって社会分析について論じられ,IIは国家分析にあてられて改憲問題,行政改革,政党法,国家機密法,教育政策について論じられている。
 序によれば,本書の課題は次の4点である。
 第1は,国民の「保守化」現象がなぜ生まれたのか,現存の体制を容認する「受容の構造」=支配の構造が,いつごろいかに形成されたかという問題をみることである。
 第2に,現代日本の支配構造である「戦後型支配構造」成立の過程を追うことである。
 第3に,80年代にはいって,支配層が既存の制度の反動的再編成を必須とする理由は何か,を解明することである。
 最後に,労働者の生活の困難の増大があるにもかかわらず運動が高揚していないなかで,社会の矛盾はどういう形であらわれているかをとらえることである。
 以上のように,本書の著者の課題意識はたいへん明瞭なものがあり,通読すると著者の現代日本に対する考え方の枠組は直ちにとらえることができる。結論的に言ってしまうと,それは高度成長期とその後の展開のなかで帝国主義的社会関係が成熟し(Iにおいて論じられている),それにみあって日本国家権力の帝国主義的再編成がもくろまれている(IIにおいて論じられている)というものであろう。評者自身も現代日本を帝国主義の概念でとらえる必要性を主張したことがあり(注4),本書の趣旨にたいしても基本的な点で賛成する。そのうえで,以下にいくつかの問題点を検討してみたい。


(3)

 著者は,帝国主義の根拠を,主として日本国民の「保守化」現象とかかわらせてとらえられている(p 353〜)。たしかに,「経済大国」化によって「上層」労働者が登場し,それにともなって労働運動において協調主義的潮流が中心となったのは事実であるが,一方で,最近の逗子,三宅島問題,売上げ税反対運動などをみると,単純に日本国民の「保守化」を言うことはできないように思う。問題は,保守・革新の配置が明瞭だった50,60年代頃までの大衆闘争とは質が変わってきていることである。つまり,現代の社会運動が従来型の「保革対決」という軸に流動化現象が生まれつつあるということであって,これはのちにふれる「基軸と周辺」という方法をかかげられる著者も異論がないであろう。とすれば,「保守化」といういいかたは不正確ではないだろうか。
 帝国主義の概念を,著者は20世紀初頭のレーニンの理論活動に依拠されている。それはそれでよいが,帝国主義はまず国際的契機でとらえられるべき概念であろう(注5)。帝国主義的社会関係といえば,まず民族的差別を含む重層的「差別」の構造としてとらえられるべきではないだろうか。「『帝国主義』概念を使うからといって,たんに『労働者上層の買収』というようなことをくり返しているだけではだめで,現代日本の特殊な『帝国主義』の構造の分析が必要」(p 377)と著者が言われるのは,まったくそのとおりである。当面,労働者の階層構造をみることが必要であろう。
 この点は,著者の「基軸と周辺」論につながってくる問題である。著者は,「基軸」を労資関係,「周辺」をそのほかの諸社会関係としてとらえられている。したがって,「基軸と周辺」論は同時に変革主体形成論にもつながる課題である。「周辺」に矛盾が噴出しているというのはまったくそのとおりである。また,「周辺」の運動が雑多で「シングル・イッシュー」の継続性がない運動だからといって軽視するわけにはいかない。それらの諸運動が総体として現実政治に大きな影響を与えているからである。
 しかし,「基軸」を一括して労資関係としてしまうと,「基軸」内の上層と下層の関係が見えなくなるといえないであろうか。上層の地位は自ら主体的に受け入れられている(あるいは,戦後労働運動で「勝ちとられた」)地位であるが,下層にとってはそうではない。たしかに,「企業の場から変革の運動がまず現われるとは限ら」(p 102)ないが,すくなくとも,上層と下層の地位を同列に論ずることはできないであろう。
 なお,この点と関連して著者の考え方が変えられていることがある。本文では,変革主体形成の場を労働過程以外の領域で考えることは「きわめて観念的」(p99)とされていたが,本書刊行のさいにつけくわえられた「付記」では,「もっと別の,むしろ「周辺」の領域にならざるをえない」(p102)とされている。これは理論的には大きな飛躍であるといわねばならない。このあたりをさらに深められることを期待する。
 現代の支配構造成立の歴史過程のとらえかたについて一言すると,戦前と戦後期・高度成長期との対比に若干図式的な所がある。高度成長とその後の展開のなかで戦後型支配構造が確立したということには異論はないが,「戦前の天皇制の下での帝国主義というのは非常に脆弱な構造」で,「労働者内部に日和見主義的潮流を育成するだけの余裕も力量も持ちあわせなかった」(p49)と,旧講座派以来の説を踏襲されているのは意外である。最近の戦前日本資本主義研究は,戦間期において比較的安定した発展があったこと,大経営内に協調主義的施策が行われつつあったことなどを明らかにしている(注6)。やはり,戦前と戦後で切ってしまうのでなく大経営の支配体制が発生した20年代と,その体制が再編成された戦後期を一貫した研究がのぞまれる。


(4)

 ところで,著者は「啓蒙」という姿勢を嫌われている(あとがき)。これは,ひたすら体制側は憲法改悪をもくろんできたとする「改憲着々準備」説(p 136)や,戦後以来いっかんして教育は反動化の道をたどってきたとする「教育反動化」史観(p 309)のような,いわば「左翼的啓蒙主義」を批判される考えにつながっているように思われ,評者としては共感できる所であった。
 本書は,現代社会を科学的にとらえようとするものにとってさけて通ることのできないテーマをあつかっており,この書を通してさかんな論争がまきおこることを期待する。

(注1) 例えば,蓮見音彦ほか編『日本の社会1 変動する日本社会』(87年,東大出版会)参照。本書では,「二つの理論モデルの後退」(p4)として「西欧先進資本主義国と日本との距離を問題にする」視角と,「社会主義モデル」とが上げられている。
(注2) 金日坤『儒教文化圏の秩序と経済』(84年 名古屋大学出版会),中嶋嶺雄『21世紀は日本・台湾・韓国だ』 (88年,三笠書房)参照。
(注3) 粟田房穂「『ゆたかさ』の肖像 カネ余り国の実感なき反映」(『世界臨時増刊 日本ゆたかさデータブック』88年,岩波書店)参照。
(注4) 梅田俊英「現代社会問題研究の課題と方法」(『大原社会問題研究所雑誌』332号。 86年7月)
(注5) この視点は,かつて江口朴郎『帝国主義と民族』(東大出版会,53年)によって出された。最近の動向は『現代歴史学の成果と課題・帝国主義と現代民主主義』(青木書店,82年)参照。
(注6) 山崎隆三編『両大戦間期の日本資本主義』上下(大月書店,78年)ほか参照。



1988年,花伝社,2500円

うめだ・としひで 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第354号(1988年5月)



先頭へ
書評一覧へ
電子図書館へ
ホームページへ