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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




生協労連・生協研運営委員会編
『生協運動に三つの民主制を――生協労働者の視点から




評者:塚本 一郎



 戦後,日本の消費者運動において大きな役割を担ってきた生活協同組合は,現在,大手スーパーとの競合下にあって,日本生活協同組合連合会の加盟649生協の実に3分の1が赤字経営(93年度)という深刻な経営危機に直面している。その打開策として,以前から行われてきた事業連帯等による店舗拡大や合併のみならず,スーパーに対抗して,「低価格商品」の開発が模索されている。その一方で,経営偏重による「生協らしさ」の喪失への危惧から,協同組合における理念の再生の必要が,様々のかたちで理事者,研究者の側から喧伝されている。生協を「外」から眺めている者にとって,生協はいわば,「経営主義」と「理想主義」が交錯する不可思議な運動体・事業体である。
 しかし,スーパーと競合して店舗拡大や価格競争を推進したり,理事者や研究者が理念の必要を言い続けることで,経営危機や「生協らしさ」の喪失が克服できるほど,事は単純ではないように思われる。特に疑問に思うのは,一部を除けば,そのような議論の多くからは,経営危機や「生協らしさ」の喪失によって最も影響を受けるはずの,そして,その解決の主体であるはずの生協職場で働く労働者の実態,要求が殆ど見えてこない点である。生協職場で働く労働者の実態や要求も視野にいれながら,問題解決の鍵を探るという視点も必要ではないだろうか。
 本書は,全国生協労働組合連合会(生協労連)によって,「90年代における生協運動の展望と生協労働者,労働組合の果すべき役割」をテーマに,1989年から1993年にかけて開催された全国生協研究会の報告・討論をまとめたものである。そして,生協労組の活動家と研究者の共同の研究成果でもある。
 内容は,生協労働者の視点から,生協が抱える問題点と,生協運動の発展に果すべき生協労組の役割をとりあげるというものになっている。これまでの生協労働者論が,どちらかといえば理事者,研究者側の視点からなされることが多いなかで,生協労働者の視点から,そして,生協労働者の要求を基礎にするはずの生協労組の視点からの生協労働者論という点で注目に値するといえる。
 まず,本書の構成を紹介すると以下のとおりである。
T 生協運動の民主的発展のために
U 全国生協研究会25年のあゆみ(鈴木彰)
V 生協労働者論の過去・現在・未来(田中秀樹)
W 90年代生協運動の焦点
 一 生協店舗の本格的展開と労働組合の課題(根本隆)
 二 共同購入事業の新たな展開と生協労働組合の課題(住寄繁之)
 三 パ−トタイム労働者の現状と課題(星川トエ子)
X パネルディスカッション――生協運動の実践と今日的課題(パネリスト:野村秀和・日和佐信子・根本隆/司会:小熊竹彦)
 本書によれば,生活協同組合が,流通小売業のなかでの事業体としての側面,消費者運動という運動体としての側面という二面性をもつことを反映して,生協労組には「生協労働者の二つの使命」,すなわち,「一般的使命」と「専門的使命」があるという。
 まず,生協労働者の「一般的使命」とは,「賃金,労働条件を改善し,私たち自身のくらしをよりよいものにしていくということ」(4頁)である。生協労連がこの「一般的使命」を強調する背景には,生協を理想化する余り,生協が資本主義の経済法則下にあることから生じる現実,すなわち,生協のもつ「資本性」から生じる「経営者支配」,組合主権の形骸化,労使関係の諸問題が軽視される傾向にたいする批判がある。
 次に,生協労働者の「専門的使命」については,「一般的使命」ほど明確な説明はなされていない。「生協を生協らしく発展させる専門的な使命」(4頁)ということのようである。「一般的使命」は,階級としての「労働者性」に対応し,「専門的使命」は,生協という運動体の特殊性(=「生協らしさ」)を維持・発展させる労働の「専門性」に対応するようである。
 生協労連は,この「生協らしさ」の源泉を,本書のタイトルにもあるように,「三つの民主制」,すなわち@組合員活動上の民主制,A日常業務上の民主制,B労使関係(=労理関係)上の民主制に求めている。そして,この民主制の基本に労使関係の民主制を据えている。その背景には,「経営の重大な判断によって直接的な影響をうけるのはつねに労働者であるために,こうした歪みをチェックしていく機能としては,組合員組織以上に労働組合が果すべき役割が大きい」(46〜47頁)という考えがある。
 田中秀樹氏は,この三つの民主制の相互関連構造について,「労使関係上の民主制を基礎にしながら,日常業務上の民主制が発展し,その日常業務上の民主制が発展するなかで,生協労働者の発達保障労働としての専門性の発揮ができて,そのことによって組合員は成長できるし,生協の民主的な運営が貢かれる」(130頁)構造と整理している。
 本書全体を通じて,この生協らしさの源泉であると考えられる三つの民主制の視点から,それが歪められている実態が明らかにされ,労働組合の取り組みと課題が提起されている。
 まず,第一章と第二章では,生協研で議論されてきた内容,問題意識と,それに関連した労働組合の実践が紹介され,第三章では,従来の,そして現在の生協労働者による生協労働者論に理論的検討が加えられている。そして,第四章では,生協店舗の展開,共同購入事業の展開,パートタイム労働者問題という個別の主要なテーマにたいする労組の取り組みと課題がとりあげられている。最後に,第五章のパネルディスカッションでは,研究者と生協理事,生協労連委員長という異なる立場から,生協運動の今日的意義と生協における労組の役割が論議されている。
 ここでは,紙幅の都合もあるので,各章の内容を細かく紹介することは避けたい。評者は,日本における労働者協同組合(以下,労協)や労働者自主管理企業と,労働組合運動との関連に関心を寄せているので,特に,その関連で関心をもった点について検討してみたい。
 第二章で,鈴木彰氏は,協同組合労働者の労組を軽視する議論をとりあげ,労組の視点から反駁を行っている。この背景には,協同組合形態で労働者が所有し管理もする労協の論者と生協労連との実践上の対立があると考えられる。
 すなわち,生協労連は,労協側の議論(例えば,「雇われ者根性克服論」)のなかにある「精神主義」,「協同組合至上主義」が,労組軽視につながるとして警戒を強めているのである。
 この対立の背景には,おそらく生協労組と労協との間に,労働組合にたいする大きな認識の違いがあるといえる。労協側の基本的な考え方は,労協は,内部関係においては労使関係(「雇う―雇われる」関係)を克服しているので,内部関係における労組の機能そのものは存在しないという考え方である。確かに,理念上はそうであろうが,労協においても労使関係は存在しているのであり,職場で働く一般組合員が,管理者である理事者にたいし実際に統制力をもっていなければ,それは労使関係と類似した関係を再生産することもありうる。したがって,内部関係において,労組の存在理由そのものがなくなるというのは疑問である(塚本一郎「労働者協同組合における統制の構造と実態」『大原社会問題研究所雑誌』No.432,1994.11参照)。
 また,余りにも,平板な理念・理論で,「普通」の職場で働く労働者を「雇われ者」とみなす考え方では,例えば,現実の大企業の現場で苦闘する少数派の労働運動の人々との連帯の方向は見いだしにくく,現実に存在する労働組合運動の役割の軽視にもつながりかねない。その意味で,労協が,筆者が指摘するような「協同組合至上主義的」傾向に陥る危険は,常に存在すると考えられる。
 しかし,鈴木氏の議論には,かなり,理論的な飛躍がみられる。というのは,両者の企業形態,運動論の差異を捨象して,協同組合一般,労働組合運動一般として論じている点である。労協にはそれが生まれた独自の背景があるのであって,その点を考慮して議論しなければ,「攻撃」としては通用しても,説得力のある批判にはならないだろう。両者の連帯の方向を探るためにも,労働組合運動と労協運動との関係がきちんと整理される必要があると思う。
 また,生協労連が一般理論に走る傾向は,「一般的使命」が強調されるわりに,「専門的使命」の言及が弱い点にも現れている。経営側にたいするチェック機能は重要であるが,「専門的使命」として,労組が「生協らしさ」を発揮するための具体的な政策提言を行っていく方向も検討される必要があるのではなかろうか。その意味で,パネルディスカッションのなかで,野村秀和氏と日和佐信子氏が指摘しているように,もっと労組と生協組合員組織との交流が模索されていいように思われる。この点は,生協労働者に働きがいの喪失が見られる一方で,生協労連「青年アンケート」の「仕事上で『生きがい』を感じる時」という設問にたいして,「生協組合員に感謝されたとき」という回答が最も多かった(117頁)という事実にも関連している。
 賃金・労働条件も重要であるが,生協労働そのものに誇りが見いだせるような政策の提起が,労組にも期待されているのではないだろうか。





大月書店,1994年6月,238頁,定価2,200円)

つかもと・いちろう 一橋大学大学院社会学研究科博士課程

『大原社会問題研究所雑誌』第435号(1995年2月)



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