OISR.ORG へようこそ 法政大学大原社会問題研究所
 

『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



篠田 徹 著『世紀末の労働運動』



評者:手島 繁一



 本書は岩波書店の「シリーズ日本の政治」の中の一巻として企画出版されたものである。
 著者の問題意識は「近代以降の社会がもつに至った労働組合という機構ないしは組織体が,将来にわたっても存在価値をもち続けることができるかという点につきる。それは,これまでの産業社会を成り立たせてきた諸原理に合わせて形成されてきた労働組合の機能や組織の諸原則が,このところの社会変動によって大きく揺らいできているのではないかと思われるからである」(xii頁)と述べられている。周知のように,労働組合の歴史論は第一次産業革命と職能別組合,第二次産業革命と産業別組合をそれぞれ対応させ,その組織形態や機能を資本主義の発展ないしは変容との関係で説明しようとしてきた。本書もこうした大枠の延長上で,第三次産業革命が労働組合の組織や機能にどのような変化をせまっているのか,またわが国の労働組合がこの環境変化にどう対応してきたのか,あるいはしようとしているのかを,〈企業〉〈政治〉〈社会〉の三つのレベルで実証的に明らかにしようと努めている。
 まず,企業と労働組合の関係では企業別組合の変貌が分析の中心に置かれている。すなわち,従来の一枚岩的組織運営原理から組合内部組織の分化・活動内容の多様化へ,役員のプロフェショナル化と役員養成のプログラム化,労使交渉の「ブラック・ボックス」化,サービスと参加を通じた規範による組合員統合,組合を「経営のパートナーとしての機能集団」としてとらえる新世代役員の台頭などの特徴が,代表的な産別,企業連,単組の事例分析を通じて析出される。そして,とくに石油ショック後顕著になるこのような変貌は,企業内の労使関係を「労使協調」から「労使溶融」段階へと変化せしめたとする(204頁)。
 ここで指摘しておかなければならないのは,著者は企業別組合とその変貌の結果さらには労使関係の現段階についての価値判断を保留し,専ら実証分析に徹しているということである。こうした方法態度は,本書で一貫している。
 さて政治と労働組合の関係では,1)産業政策への労働組合のかかわり,2)「連合」結成の過程とその意味,3)労働組合と政党との関係の三点についての分析がなされる。
 いわゆる政策参加については,稲上毅氏がその過程に注目しフォローし続けて以来(例えば「ここまできた労組の政策参加」『中央公論』1979年4月号など),労働組合研究の重要な一分野を占めるまでになっているが,現在では,その中に「連合」結成に至る労戦統一の源流を求め,日本の労働組合主義と社会民主主義の変容を見る高橋彦博氏の議論(『現代政治と社会民主主義』1985年など),こうした流れを民間大企業労組を中核とする労働セクターと保守政権の双方の戦略の交錯・共生として説明する辻中豊氏の議論(「現代日本政治のコーポラテイズム化」『講座政治学III 政治過程』1986年など)のように,政治学の立場から多元主義/コーポラテイズムといった概念を媒介にして政策(政治)過程論への組みこみを図ろうとするアプローチも行われている。
 著者は辻中氏の議論を踏まえながら,産業政策への労組のかかわりを歴史的に跡づけ,石油ショック後の日本が「政・労・使の政策協調を可能にする政治的配置構造の構築にひとまず成功し,その結果として政策パフォーマンスにおいても一定の成果をあげつつある。そしてこの過程で最も注目すべき点は,『労働』がこの政治的配置構造の一角を占めるにいたったということである」(79頁)と結論する。「連合」の結成も,こうした視点からみるならば,労働側の「『戦略的試行錯誤』の一つの帰結」ととらえられる。辻中氏も指摘するように,これは,労働の強さ→社民政権を通じての政策参加→労使協調へと進んだヨーロッパ的コーポラティズムとは逆過程なのであって,労働の弱さを克服するための日本的コーポラティズムの行方はむしろ今後の「連合」の活動如何にかかっているといったほうがよいのではないか。
 その点で,著者が注目するのは,1)政策参加を通じて形成されてきた組織と情報のネットワーク,政・労・使三者間のパースペクテイブの共有,2)重心が下方にある労働組合間ネットワークの特殊性などである。
 後者については,企業別組合を根幹とする日本的労働組合組織の集団構造の理解としてはむしろ通説的であるが,この構造の特殊性がコーポラテイズム的政策決定の形態と親和的であるかどうかが,まさに問題となっているのである。コーポラテイズム論においては,労働,経営,農業などの各主要社会セクターにおいて,そのセクターに属する人々の利益を代表して表出する組織が存在し,その組織がそういうものとして人々に認められるとともに,成員に対して拘束的な約束をなしうるということが,組織的条件のひとつであることは言うまでもない(辻中『利益団体』1988年,村松岐夫・伊藤・光利辻中『現代日本の圧力団体』1986年など)。著者が言う「連合組織のフレキシビリティ」は,この条件と明らかに矛盾するものであろう。さらに,既に多くの論者から指摘されているように膨大な未組織労働者の存在を考えるならば労働セクター利益の独占性,組織性を「連合」が保証するものであるかは,はなはだ疑問であると言わざるを得ない。
 さらに,「より小規模な利益団体を影響力から排除するといった,政策形成における『団体バイアス』を生みだす」(P. ダンリーヴィー)というコーポラティズムがもつ不可避の難問を,どのようにしてクリアーしようとするのか,という問題も存在する。著者が,本書でコーポラテイズムというタームを一切用いないのは,推測するならば,以上の点にかかわって,コーポラテイズム・モデルの有効性への疑問の表示であるのかもしれない。だとするならば,労使協調―政策参加といった流れと状況を,どのような理論モデルでとらえようとしているのであろうか。政・労・使という三者構成にみられるような「労働」をひと括りにする社会的通念/慣行/制度の限界を指摘し,「労」を二者ないし三者に再分割する代表方式を提唱するドーアの議論を,「リアリティーをもつ」と評価するのは,著者のここまでの叙述からするならば,唐突の感をまぬがれない。
 ところで,労働運動と社会運動との関係を再検討し直すことは,実践的にも理論的にも当面の焦点となっている。それは,企業内組合を組織的特質とするわが国の労働運動が一貫してかかえてきた難問のひとつでもある。著者は〈女性〉〈高齢者〉〈障害者〉〈外国人労働者〉〈地域住民〉のそれぞれの領域で,労働組合の連帯のあり方を示唆しているが,この部分は,どちらかというと実証的・経験的分析というよりは規範的提示というトーンが強い。それだけの事例が少ないということの裏返しでもあろうが,そもそも企業別組合の連合体が諸社会運動が掲げる争点を自らの問題として取り組みうる論理性の問題こそ,解かなければならない課題であろう。
 サラリーマンの利益代表として自らを特化しようという「連合」の政策・制度活動の戦略,政党とのブロック関係を組みかえようとする対政党戦略など,その他興味ある論点は残されたが,紙幅の都合上ここでは触れられない。
 最後に,著者の先行研究(「経済・社会変容期における『労働政治』」,「産業社会の変容と労働組合組織のゆらぎ」,「転換期の産業社会における労働組合組織の特徴」,いずれも『北九州大学法政論集』に所収)をも読む機会をもったが,これらの作業で示された著者の精力的なデーター収集活動(『読売新聞』1989年11月17日夕刊に紹介されている)に敬意を表するとともに、著者の今後の活躍を期待したい。




1989年6月,岩波書店,1,700円

てじま・しげかず 法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第376号(1990年3月)



先頭へ
書評一覧へ
電子図書館へ
研究所ホームページへ