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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




原ひろ子・大沢真理 編
『変容する男性社会──労働,ジェンダーの日独比較



評者:田中 洋子



 本書は、1992年3月にお茶の水女子大学でおこなわれた「『女性と労働』日独シンポジウム」(東京ドイツ文化センター・お茶の水女子大学女性文化研究センター共催)の報告・議論をふまえて,10人の執筆者による14編の論文を集めた論文集である。
 「近年,男女が共同して職場を構成し,家庭責任も分かち合うという趨勢が国際的に高まりつつある。いまや女が『男なみ』になるのではなく,『男性社会』こそが変わらなければならない」という認識のもとで,本書は「労働市場がどのようにジェンダー(社会的・文化的に規定された性別)によって分断されているか,企業組織や社会・労働・農業政策がいかに『ジェンダー・バイアス』(男性中心の偏り)を見せているか,これらと現実の女性の働き方や貢献との間でいかに矛盾・軋棟が生じているかを問う」ことをその課題とし,「時短・男女平等先進国ドイツとの比較」を行っている。
 内容はドイツを扱う第一部と日本を扱う第二部,日独比較を行う第三部とに分かれている。中でも本書の一番大きなメリットは,第一部・第三部で,これまで日本であまり取り上げられることのなかったドイツの状況を,様々な観点から紹介していることにあると言えるだろう。そこでは,どのような政策を実際に取るべきかを各執筆者が強く意識しながら,多様に制度化されつつあるドイツの女性政策の到達点や,現在ある問題点が指摘されている。ごく簡単に第一部・第三部の内容を紹介してみよう。
 まず,日本とも共通するドイツの「労働市場のジェンダーによる分断」について,イルゼ・レンツの「コーヒーカップとコンピューターのはざまで」が扱っている。そこでは,女性の家事負担,公立保育園の不足,企業内での専門資格のジェンダーによる無意識の固定化や,女性が昇進可能性のない「袋小路の地位」に配置されやすい状況が説明される。そして労働時間短縮や社会的に保障されたパートタイム労働の確立を通じた,両親による子供と仕事との両立,女性の職業継続教育・昇進の促進が主張されている。
 女性管理職の問題を取り上げているのが,ロスヴィータ・ラッサー「企業のなかの閉鎖社会」である。女性管理職のキャリア例やその中の挫折のあり方を類型別に紹介しつつ,「厳しい職業活動と家庭の要求とを一致させ,女性が子どもかキャリアかの二者択一を余儀なくされる状況におかれないように戦略を練ることが最重要課題」としている。
 職業教育の観点から論じているのが,ブリギッテ・メーワルト「ドイツの職業継続教育と女性」である。そこではまずドイツの職業教育制度全体を概観し,公的な職業継続教育では,無職の女性に対して再就職の準備が行われ,男女間の雇用機会の不平等を是正していること,それに対し,資格と地位の向上をもたらす企業内の職業継続教育では,職場での地位の低い女性は対象とされず,昇進が阻まれていることを指摘し,企業内継続教育の女性への開放を主張している。
 企業内での具体例については,野村正責「ドイッ企業における女性政策と組織改革」が扱っている。フォルクスワーゲン社で1989年に始まった女性活用政策が,人事計画の中で女性比率を高めることを目標にしたこと,リーン生産方式への組織改革の中で,女性マイスターの比率が高まる条件が生まれていることが指摘されている。
 政府・企業の女性政策の展開を東西ドイツについて取り上げるのは,姫岡とし子「東西ドイツの女性労働」である。ここでは,女性政策にいちはやく取り組んだノルトラインーヴェストファーレン州など社会民主党の政権担当州が,女性比率が50%に達するまでは能力が同じなら女性を優先して採用するというクォータ制を導入したこと,民間大企業でも女性向け職業教育や家庭と両立できる就労形態の導入,女性採用比率の拡大や昇進への配慮が制度叱されるようになったこと,反対に旧東ドイツでは,多くの女性が失業に追い込まれ,女性優遇策に対する下からの支持も弱く,激しい生存競争のもとで女性を犠牲にする経済再建が進んでいることが指摘され,労働中心主義から離れて,市場の論理に左右されない環境作りを進めることの必要性が訴えられている。
 ドイツの税制に着目したのが,寺崎あき子 「働く女性と所得税」である。日本のパートタイム労働には年収100万円の非課税限度額で夫の配偶者控除を受けられるようにする壁があるが,ドイツでも週20時間までの短時間労働には賃金税がかかってこないシステムがあること,また税制上,専業主婦に有利な合算分離課税システムがあり,共働きには高い率の課税がなされることが示されている。
 休暇のあり方からドイツを見るのが,柚木理子「休み方・働き方の日独比較の試み」である。そこでは日本人の有給休暇の平均取得日数9日に対しドイツが29日と長いだけでなく,会社の人事部が労働者が完全に休暇を取得できる人員計画を立て,そのコストを経営側が負担すべきであるという考え方があること,しかし,
 「家事は女性」という役割分業のもと,時短から多くの自由時間を得ているのは男性であることが指摘されている。
 農業女性の日独比較をするのが,原ひろ子 「農業と女性のエンパワーメント」である。両国とも,農家の女性が家族従業員としての補佐的地位におかれていることは共通しているが,ドイツ女性は経営主体意識が強く,副業の参入への教育的援助なども受けており,日本の農業女性がそれによって励まされている様子が描かれている。
 はじめにドイツ人執筆者の論文が並んでいるため,多くの読者にとっては,ドイツの事情に不案内なまま当事者の議論に接することになり,ややわかりづらい感がある。また日本の篠塚論文に匹敵するドイツについての概観論文がなく,扱う領域が論文ごとに異なるので,情報が断片的になるきらいもある。 しかし,読み進んでいくうちに,いろいろな問題領域を貫く,ドイツ社会の大きな方向性というものも徐々に見えてくる。
 各論文に共通して浮かび上がってくるドイツの特徴としては,日本と共有する問題として次の四つの点をあげることができるだろう。(1)女性の社会的進出が不十分であり,進出分野も偏っていること,(2)女性の企業内での地位がまだ低く,全体的に昇進可能性が男性に比べ狭められていること,(3)パートタイマーの形態が不安定な面を持つこと,(4)家事・育児はなお大部分が女性の負担となっており,専業主婦優遇税制もあること,などの点である。 これらの限界は,特にドイツ人の眼には大きく映っている。
 しかし,逆に日本と比較して,既にドイツは何歩も先に行った所の問題に取り組んでいるように見える点も多い。今の四点に対応させてみよう。(1)女性政策Frauenpolitikという社会政策分野が公的に確立しており,男女平等を実質化するために,クォータ制をはじめ女性の社会的地位向上のための様々な制度が作られていること,(2)職業継続教育によって公的資格を取ることさえできれば,性よりも資格を重視するドイツ社会では女性の昇進も可能となること,またそのための教育・研修制度が公的にも,企業内でも形成されつつあること,(3)日本のパートタイマーの正規従業員からの身分的な区別とは異なり,ドイツの短時間労働者は,労働時間の長さだけで区別されるもので,また,育児や家庭の事情にあわせてフルタイムとチェンジできる,柔軟な勤務形態として利用する動きが広まりつつあること,(4)日本と比べると,ドイッでは「男は仕事,女は家庭」意識が少なく,家事・育児を完全に平等に負担する家族も約2割あり,相対的に男女の負担が平等化される傾向にあること,などの点である。
 特にドイツの場合には,実際に社会民主党や緑の党などの政権党が,州単位で女性政策の制度化を既に進めてきていることの意味が大きい。これは,人々の生活のあり方を実質的に支える意味を持つだけでなく,同時に人々の意識改革を更に押し進める役割も持っている。こうした変化について「社会の価値観は労働中心から生活中心に移行しつつある。物質的豊かさの追求よりも時間,自然環境,家族,地域活動などを重視する脱物質主義の価値観カハ静かに,しかし確実に浸透している」と述べた姫岡論文は,ドイツ社会の実感をとらえていて特に印象的である。
 また,原論文の中でふれられていたように,日本では仕事に関する調査と家庭に関する調査が別々に実施されるのに対し,ドイツでは仕事と家庭とが統一的に把握されるような調査が行われていることも示唆的である。仕事と家庭を別の世界として分離するのではなく,自分の生活時間全体の中で配分するものとして意識する所は,日本と質の異なるドイツの発想を表していて新鮮である。そこから見ると,余暇に着目した柚木論文も,日本で思う以上の意味を持っていると言えよう(注)。
 確かにドイツ人から見るとまだまだ不満足な点が多いであろうが,日本人から見ると,ドイツには実質的な男女平等へ向かう人々の意識,生活パターンの変化とそれに見合う社会的制度の模索・形成という確かな流れを感じることができる。逆に言えぼ,ドイツを見てから第二部で日本を見ると,そこには大きなギャップが感じられることになる。日本に関する論文を見てみよう。
 第二部においては,篠塚英子「お茶くみとアタッシュケース?」が,日本の女性労働の歴史と現状,女性の意識の変化,昇進の実態と法規定などを,また同「日本の外国人労働と女性」が外国人労働者問題を概観する。海原純子「女性の社会進出とストレス」は,働く女性の「心身症」などストレスによる症状を具体例でとりあげている。
 様々な政府・自民党文書の検討を行った大沢真理「会社人間さようなら」は,渡辺治の企業社会論をひきながら,「家族だのみ」「男性本位」「大企業本位」を特徴とする「企業中心社会」が「低成長期に力づくで確立された」とする。「福祉見直し」の中で作られた企業中心社会とは,競争と効率に邁進する男性と,彼に「人生の支え」を提供すべき妻という両性カップルとしての会社人間を成立させる「家父長制」の再編強化にほがならなかったとし,社会政策のジェンダー・バイアスの一掃を一つのテコとして,企業中心社会の構造を変革する必要があると論じている。
 鹿嶋敬「実現が可能か,企業内の男女共同参画」は,不況下で男女平等論議の底の浅さが露呈したとし,家から職場まで「女は内回り」の構造が続くこと,それが,伝統的な性役割観を変えようとする均等法・育児休業法の施行や,セク・ハラ問題やエイズ問題により「『ちょっとくらい身体に触ったくらいで大騒ぎをするな』といった女性に対する侮り型の発想」,「東南アジアでの買春ツアーなど札束で女の性をいたぶっても呵責を覚えない旧来の女性観」が変容を迫られているとする。要は「性に対する根源的な意識にまで踏み込まなければ,職場の男女平等など達成は不可能である」とし,「企業の利益もさることながら,人権はさらに重いことを経営者が認識しないたぎり,その延長線上にある職場の男女平等問題も,いつまでたっても建前でしか語られない」と論じている。
 日本についての議論のドイツとのギャップは,先にドイツについて見た点のいずれのレベルについても感じられる。それは大沢の言う社会政策担当者のジェンダー・バイアスや,鹿嶋の指摘する,人々の心の中の性をめぐる根源的な意識,それの表れとしての男性や経営者の女性観(おそらくそれに対応する女性側の意識も)の差に由来するものであると言えよう。 ドイツでは,政府の社会政策担当者,経営者,一般の人々のいずれにおいても,男女平等的な根源的意識が,日本で考えるよりずっと,ごく自然な日常的な発想のレベルで根づいているからである。この意味で,鹿嶋が「職場風土のなかに男女平等が根づく土壌がまだ醸成されていない」と論じていることは,その議論が現実的なセンスに裏打ちされていて印象的なだけに,日本の現状を考えさせるものとなっている。
  ドイツにおいても,姫岡が指摘したように,「労働力の調整がむきだしの市場原理に委ねられると,育児という『お荷物』を担う女性に勝ち目はない」状況が生まれている。好況の時には様々な女性優遇政策がなされても,一旦不況になれば,企業も社会もその余裕をなくしていく。そこをどのように,鹿嶋の言う「人権」を尊重するような社会システムに変えていくか。これはドイツにとっての今日の切迫した問題であると共に,日本の明日を築くための必須の課題であるように思える。
 今後,「より本格的な日独比較のために」と大沢が指摘した,男女賃金格差,パートタイマー問題,家事労働の国際比較,児童養育負担と老齢年金制度との関係などの点を合わせて,研究が一層進展していくことを期待したい。

 (注)田中洋子「〈企業に合わせる家庭〉から〈家庭に合わせる企業〉へ−−労働時間制度をめぐる日常性の構造の日独比較」『日本型企業社会と社会政策』所収 啓文社,1994年,
同「〈資本主義的利潤追求を目的としない〉社会―ドイツにおける企業の〈社会的sozia1〉な位置」 西村豁通・中西洋・竹中恵美子編『個人と共同体の社会科学』所収 ミネルヴァ書房,1994年
も参照されたい。





新曜社,1993年,329+(6)頁,定価3,296円

たなか・ようこ 筑波大学社会科学系助教授

『大原社会問題研究所雑誌』第431号(1994年10月)



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