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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



小林謙一・川上忠雄 編
『韓国の経済開発と労使関係』



評者:滝沢 秀樹




 東アジアNIES地域の経済発展に関するこれまでの研究は,従来のマルクス経済学(とくにレーニンの帝国主義論)や(新)従属理論は勿論,ロストウ流の単線的近代化論でも説明できない新しい歴史的事実としてのそれを研究するために,1)アメリカや日本との関連において(〈周辺〉性からの脱却論),2)インドや中国との比較において(「内包的工業化」の挫折論),3)ラテン・アメリカNICSとの比較において(東南アジア地域の文化的伝統との接合論.端的な例が「儒教資本主義論」)など,様々な角度からのアプローチを生んできている。しかし,この分野での研究をリードしてきているたとえば渡辺利夫氏やとう照彦氏の研究をみるとき(両氏の視角が同じであると言うのではないことをことわっておく),それらは東アジア・東南アジア・西太平洋・環日本海圏等の経済の現状と将来についての視野が,この地域内の歴史的条件や経済発展の程度(段階?)の相違,およびそれらの相互関連,に即してしばしば鋭い問題提起となっているにもかかわらず,NIESを構成する各国(地域)の経済や社会の内部的な構造や編成のまさに内在的な分析と結び付いていないのではないかと思われることが,気になる。換言すれば,各国(地域)それ自体を対象とする個別研究の成果と’東アジアNIES論’が時には一種の乖離状況にあるようにみえるということである。
 これは当然‘NIES論者’のみの責に帰すべき事ではなく,各国(地域)を対象とする個別研究の担い手の責任であることは言うまでもない。 ‘NIES 論’が華やかな脚光を浴びている他方で,まさにそのNIESを構成する地域の経済・社会についての深みのある個別研究が体系的に提出され得ないでいる現状が問題であると言えるのではないだろうか。日本におけるアジア研究において伝統を持つ分野である朝鮮史研究と一定の連関性を持つために,他のNIES諸地域にくらべて研究者の層が比較的に厚いと考えられる現代韓国研究に関しても,このことについては基本的に同様であろう。
 渡辺利夫氏に代表されるような‘NIES論者’による「開発経済学」的視角に評者は評者なりの疑問を持っているが,そのことについては既に何度か述べる機会もあったので,いまは問わないことにしよう。ここではいささか「問題発言」になるのを覚悟のうえで,近年の日本における現代韓国研究の担い手のかなりの部分が「在日コリアンズ」の研究者であるところから来るある種のバイアスを敢えて指摘しておきたい。勿論,「在日」の特に若い研究者のかなり厚い層が過去10年間をとっても相当の急スピードで形成され,彼らの意欲に満ちた研究成果が現在の韓国研究に若々しい活力を与えているという事実を充分に評価いたうえでのことであるが,そしてまたここで指摘するようなことは全く縁遠い,ひろく世界史的視点に立脚する「在日」研究者の存在(姜尚中・文京洙・金哲雄の各氏など)を無視するのではないが,「在日」の研究者の眼が時として「韓国にはじまって韓国に終わる」ような傾向を帯びがちであることを指摘しても,大きな間違いはないであろう。その学問的成果の価値を貶めようとするのでは決してないが,「韓国しか知らない」韓国研究者は結局「韓国をも知らない」研究者になる危険があるということである(「在日コリアン」ではない評者も,自らその危険を感じていることを告白しておこう)。
前置きがいささか長くなってしまったが,ここで書評の対象とする「韓国の経済開発と労使関係――計画と政策」の成功の外在的要因として,執筆者が日本人10名・「在日コリアン」4名で構成されている事実があるように思われることを述べておきたかったのである。勿論,多人数の執筆者の共同著作である以上,章別に問題意識や方法に相違があるのは当然であり(言うまでもないことであるが,このこと自体は書物の価値を高める要因でもあり得る),率直に言って本書にもまた「在日研究者(だけではない!)などの韓国専門家による詳しすぎる分析」と,「日本人の非専門家による多少荒けずりの分析」との同居がみられることも事実である。しかし,とりあえずはこの点もまた共同研究・共同著作の宿命のようなものだと言えよう。それよりも,おそらくそのようになる可能性を予見しながらも敢えて本書のような構成で共同研究の成果が公表されたことの持つ,大げさに言えば画期的意義を,強調しておきたい。
 本書を構成する各章を敢えて強引に各執筆者による個別論文とみなすとすれば,上述の意味との関連で,ひろいパースペクテイブのもとに問題の焦点を絞りこんでいった論文として特に印象に残ったのが第1篇第1章(川上忠雄「世界史のなかの韓国工業化計画・輸出指向・重化学工業化」)・第2篇第3章(小林謙一「労働経済のダイナミックス」)・第3篇第3章(高橋哲郎「高度経済成長政策から経済安定化政策へ」)などであり,韓国専門家による緻密な分析として秀れた内容と思われたのが第1篇第4章(文京洙「韓国の政治文化と『維新体制』」)・第2篇第2章(水野順子「産業構造の高度化と中小企業の成長」)・第3篇第1章(金元重「第1次経済開発5ヵ年計画と経済開発体制の成立」)などであった。
 本書の内容の特徴は,書名にもあるように「労使関係」を柱においた経済開発の分析を,1960年代から90年代はじめまでに関して問題剔抉的に(「通史的」にではなく!)試みたところにあるが,そのような柱のたて方から必然的に政治体制や経済政策のあり方が重視され,開発を推進した「開発独裁」の中身が問われることになっている。 1970年代以来,当時の「維新体制」から80年代の「第5共和国」の時代を通して,強権的な軍事独裁政治とそれに対抗する民主・民衆運動の対峙という図式で韓国社会を視るのが,日本における韓国認識のなかのひとつの潮流であった(決して「主流」だったのではない!「主流」であったかのように言ってその「時代錯誤性」を云々するのは,常に日韓の支配層に迎合してきた論者たちのアン・フェアな論法である)。そして経済政策とその目標として提示されたのは,前者の場合には輸出指向型工業化による「祖国近代化」「先進祖国の創造」であり,後者の場合には国内の産業的連関を重視した内包的工業化による「民族経済の確立」であった。大づかみに言ってこの対峙の図式が誤っていたとは,評者は現在も考えていない。
社会科学が現実批判の意味を持ち続けようとするならば,たとえ「非現実的」と言われる側面があったとしても,その批判の視点に固執し続けることが,現実の歴史過程に生じる矛盾を緩和する要因として作用することぐらいは,客観的にも認めるべきであろう。早い話,70年代以来の民主化闘争の歴史的前提抜きに80年代後半の「権威主義体制からの(部分的)脱却」があったと考える方が余程非現実的であろう。
 とはいえ,他方では「開発独裁」の経済政策なしに韓国のNIES化が可能であったとは考えられないし,韓国の経済成長がもっぱら一部特権層の富裕化のみに帰結したのではなく,矛盾と葛藤をはらみつつもいわば民衆的レベルでの生活向上をもたらしたこともいまや否定し得ない事実であるとすれば,上述の図式のもとに「開発独裁」を批判的に視てきた者にとって,その評価をあらためて問い直すことが要求されて当然である(無論,これは評者自身にも要求されていることである)。本書のもうひとつの特徴は,おそらく本来「開発独裁」路線にきわめて批判的であったと思われる執筆者たちによって,その評価の軸の大胆な移動が試みられていることである(「現状追認」などでは決してないことに注意)。すなわち,執筆者相互間にトーンの相違があるとは言え,本書が全体として語っているのは,1)現実の歴史過程における「開発独裁」登場の客観的根拠,2)「開発独裁」の成長政策の有効性,3)にもかかわらず存在した矛盾と限界の顕在化による「民主化」への路の必然性,等々である。
 この点で評者が特に強い印象をもったのが文京洙氏と金元重氏の論稿であった。文京洙氏は,「市民社会」論を下敷きにしたうえで,朴政権による権威主義体制の再編と「民主主義」の関連のダイナミズムを(二者択一的にでなく)解いているし,金元重氏はその朴政権による第1次5ヵ年計画スタート時点の経済計画機構とその具体的に果たしていく機能について極めて緻密で具体的な検討を加えている。 80年代までの韓国研究には考えられなかった新しい視点と,朴政権の経済政策立案・実施過程についての詳細な実証的検討という点で,この主題が評者自身の問題関心と直接触れることにもよるだろうが,現代韓国研究において画期的意義を持つ業績のように考えられた。
 しかし評者が最後まで気になったのは,金元重氏の論稿が特にそうであるようにみえるが,この研究を深めていけばいくほどオールタナテイブの可能性が排除されていくことにならないだろうかということであった。金元重氏は決して「開発独裁」に正統性を与えようとしているのではないが,「韓国経済の内在的な発展論理」(金氏)から当時の経済開発計画をとらえようとした研究の結果がこうであれば,それこそが「選択可能であった唯一の道」であったということにならないであろうか。いや,おそらくそうではないであろう。金元重氏が意図しているのは,われわれの政治経済学を「批判の武器」として使用するにとどまらず,「武器の批判」にまで高めようということであろう。
 勿論評者を含めてであるが,輸出指向型工業化というNICS(→NIES)型発展のオールタナテイブを説得力のあるものとして提出するのに成功している研究者は未だ存在しないように思える。本書はそのオールタナテイブを提出するための苦闘の産物であり,この成果を基礎にこの次は更に大胆な問題提起が行われるための準備作業であると見るべきなのかもしれない。
現代韓国の経済・社会を研究するもののひとりとして,本書が提供されたことに大いに励まされたことを述べて,感謝の意を表するとともに,この共同研究が更に大きな発展をとげることを期待する。




法政大学出版局,1991年12月,xii+371頁,定価4,326円

たきざわ・ひでき 甲南大学経済学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第407号(1992年10月)




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