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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



金 三洙 著
『韓国資本主義国家の成立過程1945−53年
             ――政治体制・労働運動・労働政策




評者:高野 和基




 本書は,李承晩「独裁政権」の確立・韓国唯一の労働組合ナショナルセンターとしての大韓労総の確立・1953年集団的労使関係諸法の成立の諸過程を明確な方法論意識に基づいて分析し,1945年8月の解放から1953年にいたる韓国資本主義国家の成立過程を力づよいタッチで描き出した力作である。
 さて,本書は「序章 課題と方法」,3篇7章から成る本論部分および「終章 要約と結論」によって構成されている。本書全体には著者の方法論意識が貫かれているため,まず序章で展開されている内容を確認しておく。著者は1948年8月に成立した韓国という国家が今日までもきわめて過渡的な存在にすぎないという「漠然とした認識」に対して,1953年以降の韓国国家を「明確に資本主義国家であり,さらに,それが国民国家のレベルで資本主義的に韓国社会を総括する主体であった」と主張することで,国民国家としての韓国国家を正面から分析対象に浮上させる。その上で,著者は「団結=スト権法認」を労働者階級を〈公民〉として統合する〈国民的統合システム〉としての「国民国家」段階への転換の決定的メルクマールと位置付け,さらに,李承晩政治体制確立の政治過程を分析することで,「分断国家」・非民主主義体制としての韓国資本主義国家の特質を解明するとする。
 序章において措定された課題は,本論として,「第1篇 米軍政権下の労働政策と労働運動(1945.8〜48.8)」「第2篇 大韓民国の成立と労使関係政策の構想(1948.8〜50.6)」「第3篇 韓国資本主義国家と集団労使関係の成立(1950.6〜53.7)」において展開されている。
 第1篇では,まず解放の時点における民衆=労働者が旧日帝期に「疑似国民化」イデオロギーの洗礼を受ける一方,きわめて未熟な「近代市民=階級社会」しか経験していないとしたうえで,米軍政の労働政策を「事実上の団結禁止(第1期)」「労働組合容認・ストライキ抑圧(第2期)」「事実上の全評禁止と大韓労総育成のための排他的交渉代表選挙による団体協約・団体交渉(第3期)」にわけて考察している。そして,著者は米軍政は解放によって流動化した民衆を左右両翼の政治主体に動員させることになり,朝鮮社会の「政治的凝集力」を弱化させ,完全に朝鮮社会の「民族主義」を否定する形で展開されたと結論づける。
 第2篇では,まず法制度として憲法,なかんずく大韓労総の提案による労働者の利益均霑条項の成立,国防保安法・農地改革法・帰属財産処理法が分析され,とくに国防保安法については民族と切り離した形での国民形成にはたした意味が強調される。さらに,労働政策については,政府樹立直後には米軍政期にくらべて後退したが,いっぽう大韓労総では政党政派からの自立と民主主義的労働組合による「労働組合主義」路線を採る革新派がリーダー・シップをとり,朝鮮電業争議・鉄道争議をつうじて新たな質の支持勢力を獲得していったと述べている。こうした状況に対して李承晩は抑圧的に介入するものの,権力の基盤を「国民」に置かなければならなかったため妥協を強いられたとの分析がなされる。
 第3篇は,「国民」たることを強制する暴力装置のもとで韓国戦争が遂行された点を明らかにし,戦争の膠着状態とともに訪れた李承晩政権の危機に対して大韓労総などを動員して進められた自由党の結成過程が分析される。さらに朝鮮紡織争議の分析をつうじて「休戦体制」下の韓国資本主義国家が「権威主義的国家」体制と規定され,これは「労働統制的労働組合」としての大韓労総を構造化する特質をもつとされる。最後に1953年集団的労使関係諸法の立法過程および法体系の分析を行ったうえで,著者はその意義を大韓労総を「経済主義的労働組合」に変質させることで基層労働者を集団的に統合しようとした点にあるとする。かくして,この時点における韓国資本主義国家は疑似「国民国家」=権威主義的国家体制として最終的結論が導かれる。
 評者は占領期の日本政治史を勉強するものとして,本書を比較占領史的な興味から手に取った。本書は,きわめて迫力十分な書である。本書のもつ迫力の源泉は,何よりもその強靭な方法論意識とそれによって貫かれている叙述であると言えよう。著者はいつ,どのような特質をもつ資本主義国家が成立したのかという課題を設定してこれに立ち向かうが,その課題を帝国主義的独占資本の分析に解消せず,独自の課題として提起している。
 すなわち,韓国資本主義論争における「新植民地国家独占資本主義論」の画期的な意味を認めながらも,この立場が国民国家としての韓国国家の経済上の独自の地位と役割を本質的に認めない点を批判する。さらに,著者はこの視点から「団結=スト権法認」を軸にしてナショナルセンターとしての大韓労総の確立および1953年労使関係諸法の成立に至る歴史分析を進めている。この叙述は,方法の軸が明確であるため読者に説得的で,成功している。
 しかしながら,いっぽうでは著者の明確な方法論的立場が,かえって,資料の不足(この点,著者は何度も述べている)を少し強引に解釈することを可能にしているように見られる箇所が気にもなった(たとえば138頁)。また,団結=スト権法認を決定的な環として政治体制の成立を直截に解く著者の方法は,著者のいう権威主義的国家体制のありようをかえって単純なものにしてしまわないだろうか。評者にとっては,少なくとも米軍政期についではB.カミングスの重層的な叙述のほうが魅力的に思えた。
 本書の迫力の背景として評者はもうひとつの点を感じた。すなわち,解放後の歴史の中でそうあるべきだった民族=国民国家形成というコースが,民族的には「分断国家」へ,また南朝鮮における疑似「国民国家」=権威主義国家体制へと帰結したことへの著者の強烈な問題意識である。それは同時に,1987年以降の韓国国家の動向に対する著者の問題意識へと繋がるものでもあろう。この点に関して,本書は著者のいう権威主義国家体制の成立について労使関係論の視点から緻密な分析を行っているが,この歴史過程と「分断国家」形成の過程との絡み合いについては十分な展開がなされていないうらみがあるようにおもえた。この点についても歴史像を得たいと考えるのは,評者の望蜀であろうか。
 このことと関連して,著者は日帝支配と米軍政への分析をかなり限定するいっぽう,韓国内の諸主体に厳しい姿勢を保持している。この点について著者は米ソの絶対的外圧のもとで「『分断国家』を建設しようとした朝鮮人の政治主体が厳然として存在し,政治権力を掌握し」たとして,国内の政治過程分析に全力をかたむける姿勢を明確にし,さらに,それを現在の諸社会主体の「社会形成能力」への問いかけへと結びつけているように思われる。評者は,分断国家,権威主義的国家体制へと歪曲された韓国国家の成立を,米ソ対立という「客観情勢」の従属関数としてだけ捉えることを拒んだ著者の主体的姿勢に深い敬意をもつ。ただ,米軍政期の分析については,SWNCC1 76/8の形骸化に果たした旧朝鮮総督府・日本軍の一貫した役割,いわば日帝と米軍政との「連続性」の側面を指摘しておきたい。本書において著者は控え目に権威主義国家体制の成立に果たした日帝支配と米軍政の「負の遺産」を指摘しているが,私たちは「韓国資本主義国家」に対する「戦後責任」もまた,私たちの主体的な立場から解明しなければならない。





東大出版会,1993年2月,vi+346頁,定価7,004円)

たかの・かずもと 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第418号(1993年9月)



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