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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



鈴木 良始 著
『日本的生産システムと企業社会』



評者:高橋 祐吉




 わが国の労働問題に関心をもつ者のほとんどは,本書を手にして知的な興奮を覚えるのではあるまいか,そんな思いを抱かせるような刺激的な著作である。著者は,はしがきにおいて本書の目的を,「この20年間に爛熟を見せた日本的経営の構造を,生産,技術,労働,そして働きぶりに対する管理様式の側面から分析し,それによって,現象面に現れた競争力や働きぶりの諸特徴のよってきたるところを解明」しようとしたものであると述べているが,そうした作業をとおして,これまで繰り広げられてきた「論争」に決着をつけようとした,まさに文字どおりの野心的な作品といえよう。評者もまた著者のきわめて広角的な視野,おびただしい文献や資料の渉猟,そして首尾一貫した論理に対する執拗なまでのこだわりに,いささか圧倒される思いで本書を読んだ。こうした素晴らしい著作を発表された著者にまずは心から敬意を表したい。

           

 本誌とも関わりの深い法政大学の五十嵐仁氏からは,書評欄はポレミカルに書かなければ面白くないのでは,とのアドバイスを受けたが,現在の評者の乏しい力量では残念ながらそうした書評はとても書けそうにない。相変わらずの読書ノート風のものにならざるをえない事を先にお詫びしておきたい。評者は本書からじつに多くのものを学ぶことが出来たが,それらを念頭におきながら,まずは簡単に本書の構成と内容を紹介してみよう。本書は次のような構成となっている。
 序 章 日本の国際競争力の特質
 第1章 日本的生産システムの構造
 第2章 日本的生産システムと国際競争力
 第3章 勤労意識・勤労態度と「コーポラティズム」論
 第4章 「能力主義管理」と日本の労働者
 第5章 日本型企業社会の「強制」・「自発」の管理構造と労使関係
 終 章 日本的生産システムと労使関係
     −総括と展望−
 序章では,1980年前後に現れたわが国の加工組立型製造業の国際競争力が,一般的にはトレードオフの関係にあると考えられる高い労働生産性,高品質,製品多様性の三側面の同時達成という,世界的にも前例のないものであったこと,しかしながら,このような国際競争力を実現した生産レベルの内実についていえば,わが国の製造技術水準には格別の国際的な優位性は存在せず,先の高い国際競争力と技術水準の間には著しい「乖離」が存在すること,などが明らかにされている。この「乖離」を生産過程と労働の分析から説明しようとしたのが,本書の前半部分をなす第1章と第2章である。
 第1章での著書の主張のポイントは,日本的生産システムと呼ばれるべきものは,達成された高い国際競争力を十分に説明しうるものでなければならないこと,しかもそうした日本的生産システムを概念的に認識するためには,それを「日本的現実」からひとまずは区別しなければならないこと,にある。そして,アメリカ的大量生産方式とは対照的な無在庫生産のための諸手法と技術であるJIT生産システム(その内容は,1)後工程引き取り方式,2)問題の顕在化による品質と設備保全の保障,3)小ロット生産による生産の平準化,4)段取り替え時間の削減,5)運搬ロットの縮小,6)多工程持ちを可能にするU字型ラインからなる)と,職務の細分化や個人責任主義に彩られたアメリカ的労働編成とは対照的な日本的労働編成(その内容は,1)仕事内容の包括性,2)作業者の汎用性と柔軟性,3)作業集団による作業課題の遂行責任=連帯責任主義からなる)をとりあげてそれぞれを定式化し,この二つのサブシステムを総合したものが日本的生産システムであると述べる。
 そして第2章では,「過酷な労働実態が,どこまで,どのように,日本的生産システムと関係しているか」(はしがき)という枢要の論点に迫るために,先の二つのサブシステムと国際競争力の三側面との関連がじつに丹念に分析されている。著者は,「生産システムの違いが生産性格差や品質格差のすべてを説明するわけではもちろんなく,より広い管理的・社会的枠組みを組み込まなければその全貌を説明できないのであるが,しかし,逆に,格差のすべてがより広い枠組みを前提にしなければ生産システムとしても現実化しないと見るのでは,生産システム固有の可能性,日本型国際競争力を支えるシステムの固有性を見失うことになる」(116ページ)と述べて,日本的生産システムには,労働努力の特別の増大なしでも実現されうる優位性が存在していると主張する。

           

 このように,本書の前半部分は日本的生産システムの分析にあてられているが,後半では,わが国の加工組立型製造業が生み出した国際競争力の全体像は,現実の労働者の激しい働きぶりを抽出する管理構造の解明によって補完されなければならないとして,その分析にあてられている。第3章では,わが国労働者の働きぶりの「なぜ」を問うことが,それほど単純な問題ではないことが,日米比較を試みたリンカーン=コールバーグや日英比較を試みたドーアの議論の批判をとおして明らかにされている。著者は,細分的組織構造や参加型組織構造がコミットメント育成的であるとの指摘を評価しつつも,勤労意識の国際比較によれば,日本の労働者の勤労意欲と職務満足度はその激しい働きぶりを説明しうるほど高くはないという矛盾した現実を踏まえたうえで,働きぶりと内面意識=仕事と組織へのコミットメントを区別するとともに,両者のズレは,作業組織の編成や労務管理,雇用慣行,その他の諸条件に求めるべきであると述べている。
 如上の分析からも明らかなように,わが国の労働者の働きぶりに示される意志は,「必ずしも全面的に労働者の内面から発する自発的な意欲」であるとは限らない。ではそれはどんなものなのか。著者は,「その意志は,一方では何らかの緻密な管理的あるいは社会的な諸条件の下で労働者がその働きかたを『仕方がない,これでいく』と覚悟させられるものでありながら,しかし他方では単なる強制された覚悟に終わらず,そのような覚悟を労働者自身の内面からも自発的に肯定させられるような側面が用意されている,そのようなある独特の結合を作り出す管理的メカニズムのうえに形成されるもの」(以上180ページ)であると述べて,「労働に対する強制と自発の二面的な管理機能の独特の結合」(はしがき)という分析視角を提示している。
 その二面的な管理機能の結合のありようを能力主義管理(職能資格制度と人事考課)の分析をとおして明らかにしたのが第4章である。職務給のもつ競争主義的相対主義への労働者の反発,労働者の論理の企業の論理への反映である「絶対考課」と「絶対区分」の推進と抑制,「能力」概念の拡張と労働の無際限性,人事考課における情意考課の果たす役割,労働者の防衛的競争意識等々,本章の分析はじつに緻密で興味深い論点に満ちている。著者は,「自発」を「ほかに選択肢のない強制された態度選択の下での労働者の屈折した前向きの労働意志」(230ページ)としてとらえ,「『自発』要因は,管理的に利用されているからといって否定されるべきではなく,むしろその『限定』こそが批判され」るべきであり,「最大の問題は,明示的要請水準の無際限さ・価値一元的要請と,それをささえる曖昧な管理的裁量のもつ『強制』である」(236ページ)と指摘している。著者自身,第4章を「これまでの研究に新たな視点を加える独自の分析」であると述べているが,まさにその言に違わない内容である。
 続く第5章では,先の二面的な管理機能の結合という視点が,能力主義管理からわが国企業の管理・組織・雇用制度・労働市場にまで広げられ,全体が一つの構造として把握されることになる。本章もまた注目すべき内容に満ちている。著者は,日本的な集団的職場編成の下でのタテの管理圧力のヨコの管理圧力ヘの転化と労働者間の社会性をつうずる管理,権限が付与されない二次的な意思決定における「参加」,企業の内と外での「もう一つの働きかた」を高密度で遮断する管理政策のもとで生まれる労働者の組織依存,それらの一つひとつをつうじて「強制」と「自発」が多面的に結合していると主張している。
 そして終章では,日本的生産システムと労使関係との関わりが整理される。著者が強調するのは,「作業余裕をそぎ取ることでJITの様相を日本的な特別に厳しい現実にするのは,労使関係と管理の日本的特性の問題であり,JITシステムそのものではない」(289ページ)し,「多能工とチーム制を高密度労働に利用しようとする管理のイニシアティブを抑制しうる労使関係においては,その導入は労働者にとっても一定の肯定的内容をもっている」(291ページ)ことである。こうして,日本的生産システムは,働く者の視点から見ても「一定の進歩性と可能性」(293ページ)を含んでいると評価されることになる。さらに,「従業員」性を生み出す根の深さと対決型労使関係に随伴する負の側面を見つめる著者は,「『従業員』性に残る『自立』の側面を大切にし,『協調』のなかに『自立』を育てる道」(298ページ)として,「企業の内側に,そこで働く人々自身の日常感情が素直に表明されうる透明な法的権限関係と行政的支援を確立し,拡大する」(301ページ)ことを提起し,それが実現されうるわずかな可能性は,企業の外側から展望されなければならないと結論づけている。

           

 本書の内容をかいつまんで紹介しただけでも,これだけのものとなる。評者としては,その豊かな内容に驚嘆するばかりで,どこをどのように切りとってコメントすべきなのかいささか迷うところであるが,あえて感想らしきことをいくつか思いつくままに述べてみよう。著者は,わが国の加工組立型製造業の国際競争力が前例のないものであったと指摘するとともに,「日本型国際競争力の現実のパフォーマンスの程度の高さを説明するためには,生産システムに議論をとどめることはできない」と述べて,第2章の末尾では,1)改善活動による作業余裕の排除,2)JIT生産システムの管理的利用,3)多工程持ちの作業密度水準の高さ,4)現場作業者の改善活動への参加の徹底性などの問題点を列挙している。生産力を重視した著者の視角にしたがえば,1)〜4)のような「日本的現実」がはらむ問題点を除去した場合の国際競争力は,いったいどの程度の水準なのだろうか。「日本的現実」への執着を強めているわが国企業の現状を凝視するならば,その水準はそれほどのものではないのではないかという疑問を拭い去ることができない。
 こうした感想は,著者が日本的生産システムを「日本的現実」とは区別されたものとして概念的に認識しようとするような方法論とも関わってくることになる。 JIT生産システムにしても日本的労働編成にしても,それらは現実の労使関係の結晶物として歴史的に形成されたものであり,とりわけそうした色彩が濃い日本的労働編成から「日本的現実」を剥離することがどこまで可能なのであろうか。著者は,日本的労働編成と対比してアメリカ的労働編成についても検討を加えているが,そこでは企業の管理的意図と労働運動の反作用という形で労使関係要因を重要な説明要因として組み込んでいる(73ページ)。だとするならば,日本的労働編成についても同様の検討が求められることになるのではあるまいか。概念化された認識の必要性とその内容について著者から多々学びつつも,まずは概念化された「本質」を措定し,それを 「現実」へと修正・変容させるものとして労使関係を位置づけるような方法論に対して,まだかすかな違和感を払拭しきれないということなのかもしれない。「日本的現実」を捨象するならば,日本的生産システムは「進歩性」を有するとの評価も,その捨象自体がきわめて困難であるとの著書自身の指摘を踏まえるならば,やはりもう少し慎重であってもよいように思われる。
 評者が本書の前半部分に感じたかすかな違和感は,後半部分にも残されている。著者のように,達成された生産力をひとまずは肯定的に理解するという生産力を重視した立場にたてば,「『能力主義管理』が,日本の企業労働の厳しい現状を自らのそれとして実行することを『仕方がない』と労働者に意識させる最大の強制力」としての1)「『業績考課』に代表される,高い管理的要請内容の逃れ難い明瞭さ」と2)「企業論理そのものであるその要請に対して生活や権利など異質の論理を対置する態度を峻拒する,「『情意考課』に代表される管理的裁量」(以上231ページ)を,何を基準にしてどのように批判すべきなのかが曖昧にはならないであろうか。1),2)とも高い生産力の達成をめざす企業の論理からすれば当然の要請となるし,労働者サイドの「自発」を重視すればするほど,批判のスタンスは揺らぐ。対決型労使関係の負の側面を意識する著者の立場からすれば,そうした労使関係が生み出した成果を批判の基準とするわけにもいかないだろう。
 「強制」と「自発」の関係について,著者は「しかし働きぶりが,経営が作り出す管理的制度・施策によって一方的に強制され,働かされているものにすぎないのだとすれば,その過酷な働きぶりが長続きするはずはない。またその見方では,日本の労働者の働きぶりが示すある種の活力,エネルギーは説明できない」(180ページ)と述べているが,評者には,著者の論理展開自体が「強制」とその「受容」のもとでも長続きしうる可能性を示唆しているように思われてならない。また,「ある種の活力,エネルギー」なるものについていえば,それは一種の常識にとどまっていて,著者はその内容についてほとんどふれていない。第3章で紹介されているように,日本の労働者の仕事と組織に対するコミットメントがそれほど優位のものではないとするならば,あるいはまた,第4章で指摘されているように「日本の労働者はそれほど主体的に競争に埋没してはいない」(234ページ)というのであれば,「自発」もそしてまた「自発」に支えられた「ある種の活力,エネルギー」なるものも,予想外に小さいのではないかとの思いも禁じえない。評者には,逆にある種の疲弊がわが国の労働者を覆いつつあるようにも思われるのである。
 著者は,日本的生産システムを概念化して認識しようとするあまり,結果として,「日本的現実」が生み出さざるをえない対抗的な諸関係と,そうしたものに根拠を有する労働組合運動の発展の可能性に対する位置づけを,低めてしまっているのではないかとの感想もないわけではない。そのことが,企業外からの「透明な法的権限関係と行政的支援」を確立し拡大するという,正当ではあるが意外にもシンプルな結論を導くことにもなっているのではあるまいか。評者も,企業外からの規制の重要性をあらためて本書から学んだが,その規制を生み出すのは 「日本的現実」以外にはない。言い換えれば,企業外からの規制を欠落させることによって日本的生産システムも企業社会も成立したとするならば,そうした規制が可能となる根拠に関して,もう少し立ち入った議論がなされてもよかったのではあるまいか。
          

 本書を読んでの感想をこれまで勝手に書き連ねてきたが,それらがどれほど的を射たものなのかまるで自信がない。著者によって批判の対象とされた立場からの論点を,性懲りもなく繰り返しているのではないかとの不安もある。いずれにしても,本書はわが国の労働問題研究に新しい地平を開いたといっても過言ではないし,今後無視することのできない著作となったことも間違いない。本書が多くの人々に広く読まれ,そしてまた深く検討されることを期待するとともに,今後の著者の問題提起にも注目したい。





北海道大学図書刊行会,1994年3月,312頁,定価3,914円

たかはし・ゆうきち 専修大学経済学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第437号(1995年4月)



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