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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



マイク・パーカー & ジェイン・スローター編著
戸塚秀夫・監訳


『米国自動車工場の変貌──「ストレスによる管理」と労働者



評者:高橋 祐吉




 昨年の10月末に開かれたAFL・CIOの大会で,ジョン・スウィーニーSEIU(国際サービス労組)委員長が新会長に選ばれた。新会長は,「アメリカの労働者の新しい声を」をキャッチフレーズに,長らくアメリカ労働界に君臨したカークランド体制の一新を掲げ,組織化や黒人,移民,女性の待遇改善に積極的に取り組むという。「公民権運動が盛んだった時代から30年ぶりという先鋭な路線への転換」(『朝日』95年11月24日夕刊)の背景には,組織率の低下に対する危機感がある。
 アメリカの組合組織率は,79年の23%から95年には15%にまで低下し,AFL・CIOの組織人員も同期間に1,362万人から1,300万人に減少した。スウィーニー新体制が,アメリカ労働運動の反転攻勢に成功するかどうか注目されるところである。
 アメリカ労働運動の新たな動きについては,本書の訳者の一人でもある秋元樹氏の『アメリカ労働運動の新潮流』(日本経済評論社,92年)でも紹介されたところであるが,本書ではさらに工場の内部に立ち入って,現場の労働者の声と現在進行形の緊迫した状況が描き出されている。監訳者の戸塚氏(翻訳者は秋元氏の他に加地永都子,笹尾久,森谷文昭,山崎精一の各氏)は,解題において本書は「いわゆる日本的経営のアメリカ社会へのインパクトを,そこで働く人々の体験をもとに正面から論じた魅力的な作品」であると述べるとともに,続けて「日本の北米への直接投資が急増するにともなって,日本からも少なからぬ研究者が現地を訪ね,すでに若干の著書・論文も公刊されているが,そのほとんどは,工場管理者たちから提供された情報,資料をもとに書かれたもので,そこで管理され働いている人々,そこで運動している人々との接触はいたって貧弱,あるいは全く欠けている,といっても過言ではない。昨今のそうした研究動向に不満をもつ者にとっては,この書物のいたるところに登場するアメリカ労働者たちの声は貴重である」と指摘している。本書の魅力はまず第一にここにある。
 ではなぜ「そこで管理され働いている人々,そこで運動している人々との接触」が重視されなければならないのであろうか。それは,「労使協調のモデルと喧伝された日系移植工場でも,労使の対抗が厳存し,組合内リーダーシップの熾烈な争いが続いている」という現実を直視するためであり,J.ウォマック他著『世界を変えた機械』(沢田博訳『リーン生産方式が世界の自動車産業をこう変える』経済界,90年)によってもてはやされた「リーン生産方式」も,「それが安定した社会システムとして機能しているわけではなく,その『リーン』の度合も様式も,工場内外の社会的諸力に左右されて揺らぎうる」ことを知るためである。 日本の現実に圧倒されてきた評者のような読者は,アメリカの労働者のいかにも労働者らしい息吹に触れて,いささか新鮮なショックを受けるはずだ。
 

 最初に,本書の成り立ちや構成について簡単にふれておこう。本書は,レイバー・ノーツの事業として88年に刊行されたマイク・パーカーとジェイン・スローターの編著である『立場を選ぶ一組合とチーム方式』を,日本版として編集し直したものの翻訳である(パーカーやスローターが活動しているレイバー・ノーツは,実践にコミットした在野の研究者たちからなる労働者教育資料センターで,1万部の講読者をもつ月刊の情報誌「レイバー・ノーツ』を発行し,2年に一度全国大会を開催している)。本書の主要部分はすでに『賃金と社会保障』誌上で紹介されており,大きな反響を呼んだことを記憶されている読者もおられるに違いない。しかし,今回一冊の本にまとめるにあたっては,日本の読者向けにさまざまな工夫がこらされていることを強調しておくべきだろう。
 冒頭にはパーカーとスローターのかなり長い「日本版への序論」が収められ,ケーススタデイにも補足が付け加えられて,その後の事態の進展が明らかにされているだけではなく,監訳者の戸塚氏による興味深い解題「北米自動車工場の現状をいかに捉えるか」も収録されており,また本文中には丁寧な訳者注がふんだんに付されて,監訳者の本書にかけた思いが十分に伝わるだけの努力が払われているのである。評者のようにアメリカの労使関係に詳しくない読者も,大いに読書意欲をもそそられるものとなっている。
 本書は,次のような内容から構成されている。
日本版への序論
第一部 分析と対応
 I チーム方式とは何か
 U 背景
 V ストレスによる管理
   −経営者の理想とするチーム方式
 W 労働者にとって望ましい職場
 V 組合のなしうること
  [補論]組合の初期の時代−ショップ・スチュワードと先任権−
第二部 ケース・スタディ
 NUMMI−ストレスによる管理の一モデル
 GMシュリーブポート−伝統の払拭
 GMヴァンナイズーチーム方式の導入と反撃 マツダ−望ましい労働者の選択
 GMウエンツヴィル−珍奇な新規採用者研修
 GMポールタウン−ハイテクの頭痛
 GMオライオン−早い段階で訪れた幻滅
 GMポンティアック−チーム方式にストライキで闘う
 日産−未組織職場のチーム・モデル
解題 北米自動車工場の現状をいかに捉えるか

 今日アメリカの労働者が直面している最大の問題は,「リーン生産方式」の名で世界的に知られるようになった作業・生産・労務管理方式 (現場では「チーム方式」や「トータル・クオリティ・マネジメント」と呼ばれている)の導入をめぐる問題である。これらは,もともとはいわゆる「日本的生産システム」と同種のものであるが,来日した著者のマイク・パーカーによれば,レイバー・ノーツの出版物においては 「日本的」という言葉は使われていないという。その理由は,「ともすれば『敵が自分たちの会社の経営ではなく日本である』とアメリカの労働者階級がついつい考えようとする傾向」を克服し,国際連帯のための闘争を強めなければならないからだという(『場−トポス』第7号)。こうしたインターナショナルな視点は,国際化の進展にともなって今日ますます重要性を増してきているのではあるまいか。本書の魅力の一つはこうしたところにもある。

 序論では,学会の威光をも借りた「リーン生産方式」の現実が総括的に問題とされている。それが主張する特徴(リーン,JIT,チーム生産,ジョブ・ローテーション,多熟練化,参加,雇用保障,テイラリズムの否認,改善)は,現実の「リーン生産方式」が「ストレスによる管理」(Management−by‐stress=MBS)として具体化され,労働者への負荷を高めることによって,労使間に新たな緊張を生み出している現実を見れば,そのまま肯定されるべきではないとされる。著者たちは,「最高の生産性の増加を与えるリーン生産の諸要素は,作業組織の他の諸側面(=MBS,評者注)から切り離しうるものなのか」と問うべきだと述べて,その一体性を問題にしている。
 しかしより重要なことは,労使間に生じた新たな緊張を背景に,労働組合がMBSを修正させてきたことであろう。その内容はきわめて実践的で,日本の労働者と労働組合にとっても示唆に富む。例えば,チームの機能を「同僚に圧力を及ぼすグループから,お互いに防衛するために団結を保つチームヘ」と変え,組合選出の 「作業標準代表」を認めさせて会社の生産標準に異議申し立てをする仕組みを確立し,空席の公示や先任権などによって「経営者の独裁的な柔軟措置」に代わるルールをつくり,職務のローテーションを経営者の権利から労働者の権利に変え,欠席者を補充する労働者のたまりを要求したというのである。こうした組合の諸経験は,MBSが意外に集団的な行動に脆く,十分に可変的であることを示している。
 統く第一部の「分析と対応」では,「チーム方式」(著者たちは,「チーム方式」の世界的な導入の動きやこの方式の実際の作動の仕方に着目して,「チーム方式」をMBSと命名しているので,以下ではすべてMBSと呼ぶ)の全体像が理論的に分析されている。 MBSが自動車産業の労働協約に盛り込まれる場合は,新しい労使関係の宣言,多能工化奨励加給による互換性の拡大,職務分類の徹底した削減,先任権の弱化,各職務の作業ステップの明確化,労働者の作業負荷の増大への関与,労働者の責任の拡大,全体の中での個人の位置の自覚化,工場間の競争 (負けた場合のレイオフの恐怖)の組織化,労働組合の経営のパートナーヘの転換などを含んだ包括交渉になっているという。言い換えるならば,MBSの導入は,これまでのアメリカの伝統的な労使関係像の抜本的な改革の試みなのである。
 こうした内容のMBSを経営者が導入するにいたった背景は二つある。ひとつは,それが70年代末以降の「労働生活の質」(QWL)のプログラムと類似しその継続と考えられたからであり,またもう一つは,日本の自動車企業の成功,とりわけトヨタとGMの合弁企業であるNUMMIの成功(組合が存在する旧工場での高生産性・高品質の実現−ケース・スタディのNUMMIの事例参照)である。とくに後者のインパクトは大きく,こうしてNUMMIの成功以降MBSの導入が流行したという。

 著者たちが,第二部のケース・スタディから描き出した「チーム方式」の特徴(それは彼らが「チーム方式」をMBSと命名した理由でもある)とは次のようなものである。 MBSは,スピード・アップによってシステム自体を緊張状態におくだけではなく,JITによって労働者個人をも緊張状態において,「やる気」をおこさせる。こうした「ゆとり」なき職場では,欠勤に対する同僚からの圧力は高まる(NUMM1の事例)。労働者が仕事に習熟しても,たえざる「改善」が要求されるために快適な作業ペースがつくれるわけではない。「労働者がラインを止めることができる」ことにはなっているが,初期段階では問題解決に有効なライン・ストップの紐も,定常状態に入れぼ以前よりもはるかに各動作が規定され,簡単には引けなくなる。
 また労働者は管理者の希望に応じてどんな職務でもこなせるようになることを求められる。しかしそれは労働者の「多熟練」化を意味しない。そこで求められているのは「手の器用さ,肉体的な忍耐力,作業指示に正確に従う力」などであって,熟練と呼べるようなものではない。 MBSを導入した工場では,労働者の採用にあたって彼の保持する熟練にはほとんど関心を示さない(マツダ,GMウェンツヴィルの事例)。また,こうしたところでは組合が作業標準を監視していないために,「順法闘争」も不可能となり経営者のコントロールは強められる(GMポールタウン,GMオライオンの事例)。
 チームも初期段階では労働者を惹きつけるが,しかしそこにまともな権限や問題解決機能が付与されているわけではないので,まもなく空洞化する(GMシュリーブポートの事例)。結論的に言えば,MBSはたえず個人への要求を増大させながら,個人によるコントロールを減少させるので,ストレスは高められるのであり,経営にとっては効率的ではあるが「ゆとりのない,けちくさいシステム」なのである。
 そして見逃してはならないことは,このシステムの強さが「潜在的なアキレス腱」をつくりだしていることである。労働者が「集団」で行動すれば(職場レベルでの小規模な集団行動でも),システムの受ける被害は大きくなる(G−Mヴァンナイズ,GMポンティァックの事例)。それ故に,労働者のもつ「作業についての知識」をいかすために,MBSは若干の意思決定能力を現場の管理者ないし経営と一体化した労働者に移そうとはするものの,労働者の利害を代表し,そのためにメンバーを積極的に組織していくような組合を拒絶する(日産の事例)。
 こうしたものが「人間的な管理」であるはずはない。現実はテイラリズムを強めるものなのである。 MBSは,以上のようなシステムとしてきわめてリアルに描き出されている(MBSが排除しようとしている職務分類と先任権の歴史的な形成過程,その「長い穏やかではない歴史」を描いた補論では,「職務分類を統合し除去しようとする近年の会社側の努力は,UAWが1930年代末期に交渉権を勝ち取ったときに,放棄を余儀なくされた職場の権限の多くを,下級職制に取り戻そうとするもの」であり,それを許せば労働者は,「フォアマンが仕事の割り当て,昇進や配転などについて自由な権限を持っていた時代に引き戻される」ことになると述べられている)。


  本書がわれわれに示唆するものをあらためて問うてみると,戸塚氏が解題において提起している問題にぶつかることになる。つまり,同質の「日本的」な生産方式が移植された場合にも,日米間の作業・労務管理システムは明らかに異なっており,しかもそのずれは年を追うごとに拡大してきているが,それは何故なのかという問題である。「リーン生産方式」は本質的にMBSを顕在化させる傾向を有し,その意味では両者は一体化しているといえようが,しかしそれは「宿命」なのではない。戸塚氏が両者のずれを生み出す要因として指摘しているのは,査定がほとんどない単純な「連帯賃金」の構造であり,フォアマンを非組合員化した組合の組織構造や基本協約の締結権をもつ強力な産業別組合UAWの存在であり,人種差別や女性差別の撤廃をめざしてきた法制度や社会運動の圧力による労働力構成の多様化である。そのすべてが,日本が抱える問題点を逆照射している。
 著者たちは,「尊厳と熟練と労働者参加を備えた職場」を労働者にとって望ましい職場であるとして,MBSを導入した工場の現実を批判しながら,「人間的な職場」のイメージをも描き出している。評者としては,狭義の労働条件に限定されないその豊かな広がりに注目させられたが,それと同時に,ここに盛り込まれた内容は,おそらく日本の労働者にとっても共感しうるものばかりではないかという感じをあらためて抱いた。それは自明のことだといわれるかもしれないが,日米に限らず労働者が望むことにそれほどの違いはないのだろう。
 では両者の間にある違いは何か。それは,一方では「人間的な職場」は自立した労働組合の存在と労働組合による規制,そして労働者の連帯なしに実現されないと考える組合活動家がおり,また普通の労働者がそうした考えに共鳴し行動しうる余地を残しているのに対し(昨年のCNNとタイムの世論調査によれば,約7割が労働組合は必要であると回答している),他方では,自立した労働組合が職場からほぼ放逐され,組合による規制が職場に根付かず,労働者の連帯も狭くて弱いが故に,普通の労働者が 「人間的な職場」の実現を労働組合に求めることを断念しつつあるかのように「見える」ことであろう。
 しかし,研究者としての自戒を込めて言えば,見ようとするものしか「見えない」ということもある。 日本の労働者と労働組合にも,
 「人間的な職場」への思いは依然として失われてはいないはずだ。彼らは,何を手がかりにしどのような回路を経て,そうした違いを埋めていくのであろうか。評者としては,アメリカの労働者の息吹だけではなく,できうれば日本の労働者の息吹にもふれてみたい思いに駆られる。本書の刊行を契機として,MBSのもとで 「管理され働いている人々,そこで運動している人々」どうしの国際的な交流が広がったならばどんなにすばらしいことだろう。





マイク・パーカー,ジェイン・スローター編著,戸塚秀夫・監訳『米国自動車工場の変貌−「ストレスによる管理」と労働者』
緑風出版,1995年3月刊,427頁,定価3.914円

たかはし・ゆうきち 専修大学経済学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』 第449号 (1996年4月)



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