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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




石田光男・井上雅雄・上井喜彦・仁田道夫編
『労使関係の比較研究――欧米諸国と日本




評者:高橋 克嘉




 日本における労使関係の国際比較,とりわけ欧米との比較研究は,すべての社会科学のご多分にもれず,歴史的転換点にある。 60,70年代の高度経済成長,80年代の日本の一人成長がテーマを,欧米先進性論に基づく「(民主主義を推し進める)主体の探究」から,いわゆる「逆の収斂」論を経て,「日本的労使関係」の普遍性の可否へと揺さぶった。このテーマの動揺には,先進資本主義国におけるケインズ政策の行き詰まりから,東欧・ソ連における「社会主義」の崩壊に至る世界の激動を背景に,いまや,経済・社会の体制に改革を期待するのではなく,労働者・労働組合に変化を要請するに至った時代の思潮を,多くの研究者が受容する傾向が読み取られる。この傾向の中では,欧米に基準を求める「主体の探究」論に関しては,そこに「強靭な個人」を見出した藤田若雄,「労働社会」を見た熊沢誠,伝統的な「ムラ社会」を発見した内藤則邦らの成果は置き去りにされて,わずかにミューチャリティという関係概念によってこのテーマを救おうとした戸塚秀夫らの試みが見出されるのみである。
 本書は,表題の示すごとく,現代日本の実証的労使関係研究を第一線で支える気鋭の研究者たち(および二人のイギリス人研究者)による労使関係の国際比較研究を主題とする。現在の「重層的非決定」の時代において,しかもこれら研究者たちの多彩性を考えれば,国際比較の視点は様々に成立しえたはずである(たとえば,膨大な経常収支黒字を出し続ける日本のシステム構造を突き破る主体形成の成否,システムの下層に呻吟する縁辺労働者への照射など)。はたして彼らを一書に結集しえた共通のテーマ・方法はいまどのように成立しえたのか。
 仁田道夫による序章「課題と構成」は本書の共同のテーマを,世界市場競争を生き抜くためのフレキシビリティとコミットメントに絞っている。その含意は,世界市場競争の先端で,効率性(フレキシビリティとコミットメント)と整合的な「日本的労使関係」はどこまで普遍的でありうるか,そこには,本来欧米的な組合規制はどこまで成立しうるか,にある。この問題設定は,先にふれた戸塚秀夫が,日英自動車工場の実態調査の中で到達したフレームワークそのものであるが,その成り立ちには,本書が戸塚の退官記念の論文集として編まれたことへの配慮が働いたのかもしれない。だが,仁田がこのコンセプトに付与した位置は,もっと積極的に,団体交渉や合意やルールを核とする労使関係伝統との切断が強く意識されたものになっている。すなわち,仁田によれば,フレキシビリティという観念は,雇用関係を律するルールを労使当事者の合意によって作りだし,労働市場を制度によって制御された市場に転化することで労使関係の安定をはかった伝統的な様式と,正反対の方向性をもっており,他方コミットメントという観念は,労使の構造的な利害対立と紛争を,団体交渉をはじめとする紛争管理の仕組みを発展させることにより解決・処理し,労使の安定をはかってきた伝統的な考え方と,深く抵触するというのである。


 仁田が設定したこのフレームワークに最も正確におさまる論文は,仁田「日本と米国における能率管理の展開」と石田光男「チームコンセプトと自動車労働者」である。仁田論文は,1980年代にフレキシビリティとコミットメントをキイ・ワードとする作業組織改革が重要課題となり,能率管理のあり方が問い直されているが,すでにそれが達成されている日本に対して,アメリカではそうした試みが多数の事業所に広がったとはいえない事情,とりわけ能率管理と労使関係のかかわりの相違を,1950年代から60年代前半の両国での労使関係制度確立期にさかのぼって解明しようとしている。この時期,能率給と,解雇権を根拠とするドライヴ・システムを柱とする能率管理方式に代わって,新たに導入されたメジャード・デイワークの下で,標準能率の設定,具体的には,要員決定の問題が浮上してきたが,アメリカでは,多くの事業所・職場においてワーク・ルールが事業所協定や職場慣行として定着したのに対して,日本の労働組合は,「合理化に協力」するという対応をとったため,大枠では,生産性向上を阻害するような規制力を発揮することはなかった。かくして,積み重ねられたワーク・ルールの大幅改訂を必要とする現在の作業組織改革・職場管理の転換はアメリカでは容易なことではない,という歴史的背景が提示されている。
 石田論文は,日本的な柔軟な労働態様を「チームコンセプト」として,そのアメリカ自動車産業における受容状況と,そこでアメリカ労使関係が直面する問題点を実証的に明らかにしようとする。この論文では,実証された事実の提示よりも,今後に解明を待つ論点の提示に見るべきものが多いが,職務区分と先任権による組合規制の強固なアメリカにおいては,組合規制が風化した土壌の上に成立している「日本的雇用形態」はおろか,両者の中間に位置するチームコンセプトさえ,その導入に交渉と紛争が生じ,形骸化を生むという注目すべき状況が明らかにされている。仁田・石田による日米労使関係の直接比較では,以前に刊行されたそれぞれの主著に比べれば,日本においては組合規制はそれほどに発達しなかったという事実が認められているという印象が強いが,両者においてフレキシビリティとコミットメントを内容とする作業組織改革が時代の方向性として見定められていることは,否定すべくもない。
 この両者に比べると,上井喜彦「『合意』原則の日英比較」は,戸塚によって組織され,上井自身一部参加したイギリスおよび日本の自動車工場調査を通じて注目された,作業の組織・遂行の仕方について労使間の合意を追求するミューチャリテイ,すなわち「合意」原則の日英比較を総括することをテーマとしているだけに,問題関心はフレキシビリティそれ自体や,ましてやコミットメントにはなく,むしろフレキシビリティに対応できる職場規制スタイルのあり方の発見におかれている。従って,比較された,各々の「合意」原則を盛り込んだイギリスBLの協約も日本A社の慣行もそれぞれの経営危機の中で崩壊したという,注目される事実の意味については,ここでは特別の掘り下げはなされていない。
 労働争議において組合の闘争戦術として試みられた日本の自主管理と,アメリカで長期の経営実績をもつ労働者協同組合を比較した,井上雅雄「経営参加の社会的影響」は,労働者自主管理による工場経営は「雇用・労使関係の今日的状況を象徴するフレキシビリティとコミットメントのうち,後者をいわば制度として体現する雇用関係の典型」である,と規定することによって,仁田が提起する共通テーマヘの接近を図っている。だが,自主管理や協同組合への問題関心が本来もつ「主体の探究」に視点をおいて考えれば,共通テーマからの断絶は歴然としている。むしろ,この論文では,挫折した自主管理のみでなく,長期に存続してきた協同組合をも総合して,「市場メカニズムを与件とし,それに適応していくよりほかに管理経営体の存続の可能性がないのならば,いかに組織経営が民主主義的であろうともそれを担う人々の意識の変容は避けられない」という結論が注目される。井上の分析したものは,結局は,大企業に組合規制力がない日本における中小企業の組合規制の行方であって,競争優位のトヨタに組合規制力のない自動車産業における,競争劣位のイギリスおよび日産の組合規制の問題を扱った戸塚=上井の分析と重なり合って,現状における組合規制の悲劇的命運を暗示している。
 意識の上からも,仁田のフレームワークの対極に立つのは,野村正実「新技術と企業内組合」である。野村論文は,会社側の提案する工程設計・労働組織編制に対して,労働組合が積極的に交渉し,対案活動を行うドイツを念頭に,ME化の進む電機産業で当初意図した新技術協定の締結が腰砕けに終わった日本の電機労連参加のA労組の企業内組合としてのあり方を,批判的に検証している。もともと野村の姿勢は,「近年の労働研究において,あたかも国際競争力が労働研究の価値判断であるかのごとくみなす傾向がある。国際競争力が強ければ,それをささえる労働関係,労働市場,労働組合をすべて是認するこうした傾向は」「日本の社会科学全体にみられるエスノセントリズムの一環であり」「1970年代後半から顕著となった日本社会のナショナリズムの高揚の一部でもある」という主張によく表現されている。野村にこの日本の労使関係批判の姿勢を保持させる一つの根拠は,批判の基準を,日本との本格的な経済競争が開始されて間もないヨーロッパ,なかんずくドイツに求めうるところに,野村がいるからだと思われる。事実,野村よりも設定された共通テーマに合わせて,雇用,賃金管理の柔軟化の視点から,1980年代フランスの職務等級表の変化を詳細に跡付けた,松村文人「フランス職務等級表の考察」が,フランスでは職種統合と賃金個別化が急速に進んでいるにもかかわらず,国際的に見れば,なお日本のレベルからは遠く,等級表の見直し作業はまだ進行中と結論していることにも,この事情を窺うことができる。
 日本的な管理技術の導入に疑問を抱くという観点から,日本人には柔軟性を欠くとみえるに相違ないイギリスの生産システムが,いかに機能しているかを説いた,W. ブラウン,P.マージンソン「イギリスにおける賃金システムおよび労働生産性管理」と,危機管理が要請された時代の労働組合理念に現れたナショナルな体質を検証するため,1927年イギリスの労働争議・労働組合法と1931年日本の浜口内閣労働組合法案とを比較した,小笠原浩一「戦間期労働政策の日英比較」は,いずれもそれ自体興味あるテーマではあるが,設定された共通テーマからはもっと遠くにあるといえるだろう。

 これまで私は,ことさらに,仁田によって提起された共通テーマからの距離を測る形で個々の論文の紹介を行ってきた。この方法を私にとらせたのは,効率性をめぐる制度やシステム論にとどまるこの比較研究から生ずる全体としての印象は,日本におけるフレキシビリティとコミットメントの高さや,欧米における組合規制の強さなどに焦点を移しつつ(おそらく論者たちの意図を裏切って),従来の「前近代性」論や「逆の収斂」論が提出してきた印象と類似のものであり,しかもその方向は,論者たちにおいても,同一のものではあるまいと思われたからである。従ってさしあたりここで必要とされているのは,単に二国間の比較を並列するにとどまらず,諸労使関係を立体的に世界市場においた上で,それぞれの位相は何を意味するか,世界市場競争は今後とも組合規制の撤廃を強要するか,規制が反転,ブロック化を進めることになるのかなど世界史の行方にかかわる展望と,他方では,この労使関係の世界的変化を推進してきた「日本的労使関係」を創出した日本の土壌の実証的な掘り下げに関して,執筆者たちが論議を尽くすことであるように思われる。そうすることによって,このところ内部労働市場論や管理論に集中して,視野狭窄に陥っているように見える労働問題研究の視界を拡大する手掛かりがえられることも期待されるように思われる。
 以上のコメントの上で冒頭に立ち帰って,正直なところ私には,フレキシビリティもコミットメントも,それ自体は,日本企業の競争力に直面した欧米企業が日本的労使関係のうちに発見し,そのメリットを意識した際のキイワードにほかならず,日本の側から主体的に,内なる問題状況を国際比較を手掛かりに照射しようとする問題意識をそこに感ずることができない。





東京大学出版会,1993年2月,v+218頁,定価4,944円

たかはし・かつよし 国学院大学経済学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第420号(1993年11月)



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