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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



加藤智章著
 『医療保険と年金保険―フランス社会保障制度における自立と平等



評者:高藤 昭



はじめに

 わが国の社会保障法学界におけるフランス社会保障法研究は,その法制のみならず,その基礎をなす理論のわが国との大きな差異にもかかわらず,むしろそれゆえに,ウェイトを高めてきている感があるが,本書は,その法制の歴史的,理論的発展過程を,フランス本国においてさえもみられないほど精密,詳細にトレースした力作である。国家よりも社会が露出するフランス社会保障制度と理論は,社会保障における両者の関係を考察するのに好個の研究対象となるのであって,この観点から評者も以前からフランス制度に注目してきた一人である。著者もほぼ同様の観点から,長年にわたってこれの解明に取り組んだ成果が本書に結実したものと見受けられる。同一指向の研究をなしてきた者として喜びにたえない。そしてまた著者の今後のいっそうの研究の進展を期待したい。

1 本書の意図,構成,概略

 著者の問題関心は,国家とは一線を画したフランス制度―ラロック・プランが誘導した―をみて,社会保障における「社会」と「国家」のかかわりいかんにあったごとくである(はしがき冒頭,本論4頁以下)。これが起点となった研究の成果としての本書の構成は以下のようである。
  はじめに
 第一章 経済再建とラロックプランに基づく社会保障制度の創設
 第二章 経済復興と社会保障制度の定着−制度統一の理念と制度多元化の萌芽
 第三章 経済成長と社会保障制度の展開−給付多様化の現実
 第四章 高度経済成長と社会保障制度の見直し−制度構造の改編
 第五章 高度産業社会の展開と社会保障制度の対応−制度間格差の解消と財政調整の標榜
 おわりに
 これを詳細に紹介する紙幅がないのが残念であるが,最初にフランス制度の出発点となったラロックプラン−国民連帯理念のもと,1)一般化原則(国民すべてを対象とする原則),2)単一金庫原則(単一制度の原則),3)(主として国家からの)自律性原則,の3原則を掲げる−の説明に始まり,その具体化過程から,その後,ミッテラン時代の国民連帯の徴表たる一般化社会拠出金(CSG)の導入までの間の変化として,1)制度構築理念の,国民連帯→職域連帯→職域間連帯→職域間連帯と国民連帯の共存,への過程,2)制度多元化の過程,3)自律性原則の検証過程,が精密,克明に分析されている。そしてこれらは,最後の「まとめ」の部分で総括されているが,とくに1)の連帯形態の変遷過程,3)の限界の露呈過程,とりわけ人口高齢化などによる財政的限界からのCSG出現過程の説明と,1)と3)の絡みの分析,そのなかでの「社会」が社会保障の主体として機能してきたこと,さらにフランス社会保障における自助は,相互扶助として具体化されているとの指摘が印象的である。

2 論 評

 (一)本書の原点−社会保障における国家と社会−
 本書についての著者の基本的問題意識,すなわち,社会保障における「社会」,「国家」,両者の役割いかん自体が,わが国社会保障法学の目下の段階では斬新であることをまず指摘したい。というのは,国家も社会も同義的に理解したうえで,社会保障(法)を生存権−国家保障のコンテキストで理解するのが一般的な法学者の傾向である現在においては,社会と国家を概念上区別して両者の役割を考察する余地はないからである。
 しかし,考えてみれば,社会保障(=SocialSecurity)における「社会=(Socia1)」や「保障(=Security)」とはそれぞれなにか,さらにその二つを合成した「社会保障」とはなにかは,社会保障法研究の最初にして最後の問題であるはずである。その最初の問いが従来の社会保障法研究で欠落していたわけで,著者が,法学者としては当然のこの点に着目して研究を開始したことにまず敬意を表しておきたい。
 この社会保障の概念把握については,上述のように,わが国では,少なくとも法学者間では 「国家保障」と同義的に解しているのが一般であるが,しかし,まず,“社会=Society”と国家=State”とは言葉が違い,意味も違うはずである。そして世界で社会保障をリードしてきたlLOの定義でも,その主体は“Society”とされている(注1)−−ILOに長く勤務された故樋口富男教授は,ILO関係者間では社会保障は集団保障的意味合いで捉えられていて,わが国での一般的理解とは異なると指摘されていた―。社会を国家と解するのはむしろわが国独特のもののようにもみえる。
 しかし,両者の意味が異なることは確かとしても,どのように異なるか,またどのような関係として捉えるか,となるとこれは一口にはいえない深遠な問題で,社会学者や政治学者の間で論じられているところである。ここで,著者は,意外にも,国家は「社会の一形態」で,「社会の究極的構成単位」とされ(5頁),両者の同一体的把握がなされている。もっとも,別の箇所では国家は,制度の先導者でさえなく,「社会総体の意思を実現するもの」との性格規定もなされている(298頁)が,もし同一体的関係と捉えるならば,著者がせっかく「国家」とは区別された社会保障における「社会」の意味に注目した意図が無に帰することにならないかの疑問がおこる。この点は後に再論する。

 (二)フランス社会保障の「社会」性
 ところで,上述の著者の問題関心からみて,フランス社会保障を研究対象としたことはまことに適切であった。ここでは,著者も力説しているように,社会保障は,国家的制度でありながら,極力国家の干渉を排除した形,著者のいう「自律的性格」で貫かれてきている。評者によれば,これは国家の生活干渉を嫌悪するフランス国民の国民性―それゆえフランスは多元国家といわれる一に由来するものである。わが国におけるように,「生存権」を根拠に国家による社会保障の充実を求める傾向とは正反対である。そして,社会保障(法)理論も社会連帯原理によって組み立てられ,第四共和制憲法前文にはわが国の生存権条項類似の条項が存したにもかかわらず,これを援用する理論はみられなかった。
 そしてこの点は世界的にもフランス独特のものといえるのかもしれない。ベバリッジ構想による国家と国民の協力による社会保障の実現を目指したイギリスの方がわが国に近い。このようにして,各国において社会保障にかかわる国家と社会の関係は理論的にも構造上も一様ではない。このことは重要である。しかし,フランスのこのような独特な例のなかに,また独特であるゆえに,はしなくも,他では隠蔽されている「衣の下の鎧」の万国共通の社会保障の本体・本質ともいうべきものが見えるのである。それは社会連帯原理である。他の国,とくにわが国ではそれがカバーされている国家貴任原理によって隠蔽されているが,フランスの例は,逆に社会連帯原理のみによっても社会保障は成り立つこと,すくなくとも,社会保障において社会連帯原理がより基底的であることを実証しているのである。そのことを実証した点において,本書は高く評価される。

 (三)フランス社会保障における社会連帯原理の展開
 著者によるフランスにおける社会連帯形態の歴史的展開の叙述は,ラロックの国民連帯 (Solidarite nationale)→職域連帯(Solidariteprofessionnelle)→職域間連帯(Solidarite interprofessionnelle)→職域間連帯と国民連帯の共存,への展開として詳細をきわめ,評者としては,間然する所はない。ただ,91年のCSGについては,著者は,これを即フランス社会保障における職域・職域間連帯から国民連帯への移行と捉えることに警戒的である点で(393頁),評者とは若干の認識のズレを感ずる程度である。
 この作業の完成についての著者の労苦は察するにあまりある。が,以下のように,なお注文したいこともある。まず,国民連帯あるいは職域連帯とはどういうことか,のもう一段の掘り下げである。本書においては,これら概念の意味内容を説明,分析することなく,所与の既定概念として扱われているのであるが,これはしかし著者のせいではなく,フランスにおける社会保障法研究書,解説書が一般にそうなっていて,“Solidarite professionnelle” の意味についての掘り下げた説明はなされていないことによる。
 しかし,これを他国の書として公刊する場合は,その意味内容について掘り下げられる必要がある。とくに「国民連帯」は,生存権=国家責任原理を掲げる憲法下のわれわれにとって,その国家,国家責任,国家概念との関わりのわが国民向けの解説がほしいのである。職域あるいは職域間連帯にしても同様であるが,この場合は,著者が一般制度をガリバーとし,それ以外の制度を小人として捉えている(419〜420頁),そのフランス制度の全体像も視野に入れる必要がある。すなわち,小人に目を奪われることなく,本体であるガリバーを中心に据えて見なければならないと思われるが,そこでの職域連帯とはなになのか,である。評者によれば,使用者負担分か圧倒的に多いその保険料負担関係―これがフランス社会保障の大きな特徴である―からみて,それは使用者による労働者の生活援助関係なのであるが。
 ところでフランス社会保障のもう一つの特徴は,家族給付先導型(現在ではそのウェイトは低下しているとの指摘であるが)であることで,しかもその制度の創始者はグルノーブル在のカトリック教徒の金属工場経営者,エミール・ロマネという民間人であったことが想起される。それは著者のいう“下からの社会権”に照応するものであるが,これがフランス社会保障の本質を解く鍵のように考えている評者としては,それは使用者の労働者に対するパターナリズム,すなわち使用者による労働者の保護・援助関係,さらに評者流にいえば労使間連帯で,これがその後の制度発展とともにそのまま現在のガリバーを支えることになり,著者の指摘する財政調整は,とりあえずはガリバー=労使連帯による小人の援助と捉えたいのであるが。そして,高齢化,失業者多発などの最近の状況は,もはやそのガリバーにおける労使間連帯自体の維持を困難にしており,目的税ではあるが国家財源であるCSGの登場を促したのではないか。そうすると,日本人的感覚からは,CSGの「国民連帯」としての捉え方も微妙となり,もう一段の説明がほしいところとなる。

 (四)フランスにおける社会連帯原理と国家
 フランス社会保障は確かに著者のいうとおり国家と一線を画した社会連帯を根底においた,国家からの自律性を特質とするが,つぎに,それでは一体フランス制度を樹立した国家は,それとの関係でどういう位置づけになるのかの関心がおこる。この点,著者は,国家を後見監督機関と性格づけている。しかし,ではなにゆえにそれは一部市民の反対を排除してまで法制を強行したのか。本書では取り上げられていないが,このラロック・プランの法制化には,それこそ純粋に社会連帯の凝縮体たる共済組合の存立をかけての強い抵抗を排除しなければならなかった(注2)。自律というならば,国家は民間の組織の発達に委ねておけばよかったのではないか。国家的制度の制定は,まったくの“おせっかい”のようにみえる。
 この社会連帯と国家の関係についての当のフランス人の見解として,P,ローザンバロンは,(福祉)国家は社会連帯の中心的代行機関 (Agent central)で,個人と社会集団の双方に面した一大中間交渉機構(Un Grand lnterface)の機能を果たすものとする(注3)。平易にいえば,“まとめ役”的機関と解しているとみられる。これには,著者の上述の国家と社会の同一体的把握とは微妙なニュアンスが感じられる。ローザンバロンの場合は,国家は社会と一歩距離をおいた感じで,またこう解しなければ,ラロックプランの第三原則も成り立たない。
 評者もローザンバロンに近く,両者を別物と理解しているが,ここは,この問題を論ずる場所ではない(注4)。懸念されることは,もし,両者を同一体的関係のものと見るならば,社会保障における両者のそれぞれの役割を究明しようとする著者の意図,さらに社会保障の主体を国家でなく社会と指摘したことの意味が無に帰することにならないか,である。ここで少なくとも,両者の関係のより綿密な解説が必要と思われる。また,さきにもふれたが,「国民連帯」と国家の関係も,もう一段説明の欲しいところである(フランスには,“Solidarite nationale”とは別に,“Etat nationa1” の言葉がある)。本来国家からの自律を本質とし,またするべき組織が,なぜ,いわば敵方の国家の手によって,しかも,現実には真正の社会連帯組織=共済組合の強い抵抗を排してまでも実現されることになったのか,そのような自律は真の自律なのか。本書はこのような興味深い問題を提示してくれている。
 なお,フランス制度の連帯関係を見る場合,国民二人に一人が加入している純粋の社会連帯組織である共済組合との関係が無視できないこと,さらに,わが国との対比でフランス社会保障における国家と社会の関係を論ずる場合,わが国の生活保護法にあたるフランス制度(Aide sociale)も含めた,社会的保護(Protectionsociale)の枠で捉えるのが妥当と思われることを付言しておきたい。



(1)ILO,Introduction to Social Security, 3rd ed.,p.3.

(2) この点は,高藤「フランス共済組合について」  『海外社会保障情報』(社会保障研究所)90号,1990年,17頁以下,参照。

(3) Pierre Rozanvallone,La Crise de I Etat\-Providence, Seui1,nouvelle ed, 1992,p.41. “Agent” には代理人 と,実行者の二つの意味があり,邦訳の難しいところで,高藤「社会連帯原理の法理と福祉国家」  (『社会労働研究』法政大学社会学部学会,40巻 1・2号,1993年,59頁)では後者の意味に訳したが,前者の意味に改める。

(4) この点は,高藤,前注論文,56頁以下参照。





北海道大学図書刊行会,8,240円

たかふじ・あきら 法政大学社会学部教授

大原社会問題研究所雑誌』第461号(1997年4月)




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