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伊藤 セツ 著
『両性(ジェンダー)の新しい秩序の世紀へ──女性・家族・開発

高田 一夫




 1 本書の成り立ちと構成

 本書は,「はしがき」によると,1985年刊行の『現代婦人論入門』の続編である。著者は「前著も読んでいただくことを期待します」と書いている(4頁)。そのため,本書は体系的な論述を意図しておらず,論点は多岐にわたって書評子としては些かやりにくい。
 まず,本書の構成を紹介しておこう。大きく2部構成になっている。
第1部 開発と女性・ジェンダー
プロローグ──〈開発と女性〉視点へ
 1 〈開発と女性〉序説
 2 〈開発と女性〉に関する分析視角
 3 〈開発〉と女性の経済活動への参加
 4 〈開発と女性〉か〈開発とジェンダー〉か
第2部 家族・家事労働・女性論
 5 「家族」・家庭の擁護と国際家族年
 6 家事労働再考
 7 男女平等──家庭・地域・職場での実現のための政策
 8 女性労働・女性論に関する書評
 エピローグ──両性の新しい秩序の世紀へ
 内容も,第1部の開発と女性をめぐる議論と,第2部の家族と女性をめぐる議論とが2本柱になっている。以下,その2つの論点について論じていく。

2 開発と女性

 本書が書評として扱いにくいひとつの理由は,著者の主張が非常に控えめだからである。著者自らの理論を強力に展開するというより,暗示やほのめかし程度にとどめられている。たとえば,第1部「開発と女性・ジェンダー」では著者は研究課題を次のように定式化する。
 私は,「開発と女性」を全地球的な「生産力(と生産関係)と女性」の問題として捉えなおして,従来の発達した資本主義国(と生産関係としての社会主義国との対比)中心の女性問題をめぐる議論に接続させることが必要と考える(53頁)。
 そして,具体的な研究課題として「とりあえず,次のような項目を列挙することができる」として,「1,経済発展と家事労働(不払い労働=Unpaid Work)・収入労働(広義には Paid Work,狭義には賃労働)の関わり」,「2,労働力人口,就業者,GNPの定義,市場経済と非市場経済,フォーマル労働とセミフォーマル労働・インフォーマル部門労働の評価」など,10項目にわたる研究課題を挙げられている(55― 6頁)。大変壮大な研究プランだが,読者にはこれだけしか告げられず,10項目を挙げた根拠,研究にあたっての仮設,などは明示されていない。
 また,さまざまな著作が紹介されているが,それに対する著者のコメントは断片的か,あるいはないことも多く,紹介した結果何を明らかにしようとしたのか,今一つ評者には読みとりにくかった。そこで,あるいは誤解になるかもしれないが,大胆に私流の再構成をして論点をしぼってみる。曲解があればお許しいただきたい。
 「開発と女性」というテーマは,著者も指摘するように,南北問題と女性問題という2つの不平等問題を重ね合わせたものである。開発途上国の女性は,この2重の圧迫を受けているという。ところで,経済学的にいえば,南北問題は資本の北への遍在によって起きる。したがって,南に資本を移動させれば一応解決する。これは単純な開発理論であって,著者はこれに批判的なようにみえる。「1950年代,60年代の開発理論は,人間の状況の豊かな現実を分析するには貧しい道具でしかない。経済の一般的成長のあるところに,必ずしも公平な再分配が伴うとは限らず,経済開発によって,女性は利益を受け取るとは限らない」(78頁)。「豊かな現実」というのはいささかロマンティックな表現だが,経済学が単純だというのはその通りであろう。
 しかし,著者の主張する公平な再分配は逆に,「経済の一般的成長」なしには実現できないというのも事実である。貧しい社会には所得と富の不平等がつきものである。たしかに「経済の一般的成長」は自動的に,公平な分配を保証するものではない。しかし,経済成長なくして公平な分配をするのは難しい。経済成長は,公平な分配の前提条件となるものだ。
 そして,「経済の一般的成長」に伴い,女子の雇用も拡大する。著者の紹介している『世界経済における女性』(INSTRAW 編,東京書院)が述べるように,「女性の労働力参加は,(中略)経済的解放の第一歩」(55頁)なのだ。いかに労働条件が悪かろうとも,その仕事に就く女性が悩もうとも,これが「第一歩」であることにかわりはない。これが,マルクスのいう「資本の文明化作用」というやつだ。就業によって一旦力を得た女性は,一層の男女平等を求め,主張するようになる。アメリカにおいて然り日本において然り。これも世界的な経験法則である。
 著者が続いて紹介している「世界システム論」による論者たちは,開発途上国における資本蓄積を悲観的に取りすぎている。 NIEs諸国の現状をみれば,また中国の経済発展をみれば,開発途上国の経済が,永遠にテイクオフできない運命の存在でないことは明らかである。そもそも搾取とは『資本論』においては,資本が剰余価値を領有することを意味するだけで,労働力を不当に(価値以下で)搾取することではない。世間並みの賃金を支払っても得られる利潤が剰余価値なのである。不等価交換の理論が示唆するように資本蓄積が貧困をもたらすとは,理論的にも,実際上もいえないのだ。途上国の交易条件が悪化したとしても,貿易に伴う利益がなくなるわけではない。
 貧困が少しずつ解消してくると,労働力が不足してくる。これが女子労働者の地位向上に有利に働く。もちろん,国内・国際世論やジェンダー観などイデオロギー面でも女性の権利が強調されるようになる。育児休暇の導入も労働力不足が背景にあった。逆に,1994年の女子学生の就職難は,労働力不足の緩和が原因であった。
 要するに,女性は経済開発によって平等へのチャンスをつかんだのである。平等化のスピードは速くはないが,逆転してもいない。これは希望だと言えるのではないだろうか。


3 家族と女性

 第2部「家族・家事労働・女性論」は著者の主張がはっきりと表現されている。著者は,「共働き世帯」が増え続けていることを「先進国の経済法則に沿った動き」であり,推進すべき傾向と考えている。しかし,雇用主にとっては,家族をもったフルタイム勤務の女性は魅力的ではない。子育てに手を取られる労働者は「資本の効率の原理」からして好まれるわけがない。また,政府も女性に子育てや介護を担ってほしいので,雇用主と同じ立場である,とする(136−7頁)。
 しかし,「女性の側からいえば,出産と育児による労働の一時中断を理由に,全生涯にわたって差別的扱いを受けるのは不合理である」。また,「家事労働一般や,かなりの体力を要し,医学的知識や技術が必要な家族の介護を女性の仕事とする根拠は特にない」。したがって「女性の社会進出との関わりでみた家族政策は,効率原理との対抗関係の中で捉えられなければならない」(138−9頁)。
 こうした家族政策は,たいてい女性抜きで決められてしまう。そこで女性の側にも「家族解体論」という極論が出てくる(水田珠枝,安川悦子),と著者は言う(140−3頁)。しかし,家族は今や女性の抑圧の場としての存在を脱却しつつある。「家族の擁護はフェミニズム思想の強化に役立つ」というのが著者の立場である(144頁)。この考えに評者も賛成である。人類が子育てから逃れられない限り,家族は必要である。また,就業など社会進出にも妻の幸福を願う夫として反対はできない(クソ!ますます料理の腕が上がるぜ)。人類は家事に呪われているのだ。
 そうなると,しかし,「資本の効率の原理」にとって邪魔なフルタイムの妻・母親は労働力不足でない限り,資本から忌避されることになる。そこで,国家が社会政策として雇用における男女差別を禁止する必要が出てくる。わが国の男女雇用機会均等法はそのためのものである。日本においてもその効果が十分あがっているとは言い難い。
 しかし,国民経済の発展や国民所得の増加の観点から,企業が効率を追求すること自体は誤っていない。むしろ非効率な企業は貴重な資源を無駄遣いしているのであるから,非難さるべきものである。したがって企業のとるべき姿勢は,男女を差別なく一人前の労働者に訓練し,活用することである。その場合,子育て時代は労働時間や労働負荷を少なくして,賃金や昇進も不利になることがあっても仕方なかろう。むしろ,企業も個人もそうした弾力性を認めるべきだと思う。しかし,毎日10時過ぎまで働かなければならないような企業は,いささか異常と言わざるを得ない。これでは会社と結婚しているのであって,家族をもつ共働き夫婦は参入できない。よく働くことは決して悪いことではない,と評者は信じているし,自分でもよく働きたいと思っている(何ヵ月原稿が遅れたんだ,という声が耳元で聞こえる,ごめんなさい)。しかし,バランスが大切だ。

4.家庭と労働

 人間の持っている時間は限られている。時間を効率よく使って,さまざまな活動ができるようにしていくことが進歩である。その意味で,日本の企業の仕事の進め方を考え直すことが必要である。もちろん欧米でも「働きすぎサラリーマン」はいるし,夫がそれほど家事をしているわけでもない(著者の紹介によればフィンランドのフルタイム雇用妻でさえも家事の7割程度を負担しており,夫の分担が少ないことにかわりはない[171頁参照])。
 この状態を変えるには,企業の変化とともに,家庭からの要求が必要だ。「亭主元気で留守がよい」を変えねばならぬことになる。経済成長と家計,企業の人事管理と働き方,家庭からの圧力,それに社会政策も加えた諸条件の中で,個人と家庭のライフスタイルが自由に選択できるような社会が望ましいといえる。選択の結果,専業主婦の支援を受けてバリバリ働く人が高い賃金を得ても,それは構わない。家族を含めた選択の結果がそれであるのならば,である。また,子育て期には夫婦ともペースを落とし,昇進が遅れても,じっくり行こうとする共働き夫婦も許される社会であるのならば,である。
 そのためには,フレックスタイムや裁量労働のように労働時間が弾力化されなければならない。男女間の役割分業も弾力化しなければならない。では,具体的に何をなすべきなのか。本書がそのような議論を活発化する引き金になるよう願うものである。





白石書店,1993年9月刊,219+9頁,定価1,854円

たかだ・かずお 一橋大学社会学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第434号(1995年1月)




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