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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



五十嵐 仁
『政党政治と労働組合運動
          ――戦後日本の到達点と21世紀への課題



評者:田口 富久治


 著者の五十嵐氏はマルクス主義の立場に立つ,戦後日本政治と労働政治の専門家であり,すでに十数点にのぼる単著,共著,共編著の著者として知られていたが,本書は四半世紀に及ぶ著者の,戦後日本政治・労働政治の研究成果を総括し,あわせて21世紀への課題を展望する,総頁数450に及ぶ大著であり,法政大学大原社会問題研究所叢書の一冊として公刊されたものである。
 本書は,序章 本書の対象と課題へ書き下しに続いて,第1部 政党政治の変遷(第1章 戦後保守政治の流れ,第2章 「自民党システム」のゆらぎと政界再編,第3章 連立政権下における政党政治の変容),第2部 日本の革新政党(第1章 戦後日本の革新政党,第2章 日本社会党の変容とその要因,第3章 日本共産党の復調とその要因),第3部 労働組合運動と政治・政党(第1章 戦後日本の労働組合〔これは日韓共同研究シンポジウムでの報告ペーパーを元に書き下されたものである〕,第2章 政党政治と労働組合,第三章 政策過程と労働組合)という3部9章によって本文が構成され(それらは第3部第1章を除いて既発表論文をアレンジしたものである),終章は書き下ろしで,戦後政党政治の変容と労働組合の課題が論じられている。巻末には「あとがき」と,たいへん便利で有益な12頁に及ぶ索引が付されている。

 さて本書の問題意識は,序章において示されているが,それは一言でいえば,戦後政党政治の変遷と展開と労働組合の動向との相互のかかわりを究明することを視座としている。とくに,労働の側から日本の戦後政党政治の基本的動向を把握するという点に,本書の独自の切り口があり,労働の側あるいは野党の側から,いわば下から見上げるようなものとして戦後日本の政党政治を振り返ってみることを意図したものである。この問題視角が集約して貫かれているのは,終章であるが,それは全3部の分析においても底流として流れているといえる。
 各部各章のコメントに入る前に,本書の全体を通読しての,評者の読後感をまずいえば,本書は戦後半世紀余の政党政治,保守政治と革新政党,そして労働組合運動と両者のかかわりについての,体系的でかつ総体としての画像を明確に提示しており,その資料的な裏づけが,各章の詳細な注(とくに資料注)によって与えられており――この点には著者の勤務する大原社会問題研究所のライブラリーが十二分に活用されているといえよう――,また著者とはその方法的立場や見方を異にする近代政治学畑のあるいは「労使関係論」のサイドからの,最近の国内外の諸研究が対照され,批判的に検討されている力作といってよいであろう。また各部の構成を見ると,第1章でそれぞれの主題について,戦後50年を歴史貫通的に鳥瞰する総論が置かれており,第1部と第3部では,第2章,第3章で比較的最近の動向が論じられている(第2部の2章,3章はそれぞれ,社会党の変容と共産党の復調の要因分析にあてられている)。

 第1部から見ていこう。第1章における著者の戦後保守政治の段階区分と特徴づけは,おおむね,妥当なものと思われる。それを紹介すれば,以下のようである。
 戦後保守政治の出発(1945〜55年)
 「戦後型保守政治」の形成(55〜60年)
 「利益政治」前期(60〜74年)
 「利益政治」後期(74〜82年)
 「戦後型保守政治」の「総決算」(82〜93年)
 政界再編と保守政治のリストラ(93年以降)
 第2章では,「自民党システム」のゆらぎと政界再編が論じられているが,「自民党システム」が80年代末から外的枠組みの面でも,国内的ないし自民党内部の面でも「制度疲労」によってゆらいでいき(76〜84頁で6点にわたっておさえられている),いわゆる「政治改革」と政界再編にいたる筋道がたどられている。著者の4つの政治改革路線の整理(85〜86頁)とそれを引き継ぐ4つの「改革路線」の分類(90頁)は興味はあるが,「過剰資本主義」とか「現代帝国主義化」の概念については,文献引用に止まらず,著者自身の独自の展開が欲しかった。

 第1部第3章は,96年秋総選挙後の政党政治の変容を認じているが,著者の「自民党は一時の危機状況を脱した」という観測は,98年7月参院選における自民党の大敗(そしてその後の自民党支配自体の機能麻痺)によって裏切られている。この章だけのことではないが,著者の80年代後半以降の分析では経済分析(プラザ合意,バブル経済,バブルのはじけと金融・経済危機の分析)が稀薄なのが残念である。

 第2部に移ろう。第1章 戦後日本の革新政党では,第1節で日本社会党が,第2節では日本共産党が扱われているが,それぞれの党の時期区分は妥当であろう。すなわち,日本社会党については,
 a) 結成と分裂(45〜51年)
 b) 左右両社の分裂と統一(51〜60年)
 c) 長期にわたる停滞と後退(60〜80年)
 d) 「革新」からの離脱(80年以降)
 ただ著者の社会党の歴史的総括には,日本国憲法制定における社会党の役割や片山・芦田内閣,とくに前者の功罪にほとんど触れられていないことが物足らない。これについては高橋彦博『日本国憲法体制の形成』(青木書店,1997年)のUWXYなど,また若手の労作として,中北浩爾『経済復興と戦後政治――日本社会党1945―51年』(東京大学出版会,1998年)が参考になるであろう。

 日本共産党についての時期区分は次の如し。
 a) 再建と混迷(45〜54年)
 b) 綱領路線の確定と勢力の拡大(55〜79年)
 c) 「反共包囲網」の形成と長期の停滞(80〜93年)
 d) 「総与党化」のなかでの反転攻勢(1994年以降)

 第2部第2章の日本社会党の変容とその要因についての分析では,むすびの部分で著者は,歴史的転換失敗説(安東・石川説),社会的基盤不在説(渡辺・新川説),組織・活動説の3説を紹介し,著者は第3の立場に立つとしているが(そして評者も第3説論者の一人とされているが),いまになって考えてみると,高度成長期とそれ以降の,日本の社会構造,都市―農村構造,産業構造の変化――たとえば大量の向都離村人口を基盤とする大都市部における公明党・共産党の抬頭(社会党の農村政党化)というような客観的構造変化に社会党も総評系労組も主体的に,政策面でも組織面でも対応できなかったのが,退潮・変質の根因ではなかったのか。

 第2部第3章の日本共産党の復調とその要因の分析は興味深い。とくに第2節の共産党躍進の構造的要因としてのa客観的諸条件の変化による相対的浮上,s歴史的な「政治資産」の威力,d主体的な対応の変化の分析は肯定できるものであるし,また「むすび」の部分で提起されている共産党に対する4つの「注文」ないし主体的対応課題の提起も妥当なものと思われる。それに加えて私見を述べておけば,第1に共産党の綱領的路線は,東西冷戦下の国際条件下で,反帝反独占の民主主義「革命」路線として61年に提起されたものであり,その後部分的見直しがほどこされ,「敵の出方論」,暴力革命路線は放棄されてはいるが,その基本構造は変っていない。この綱領「革命」路線が,たとえば著者が終章(とくにその4 「革新政治」の課題)で提起しているような諸問題に対応していくのにはたして「適合的」なのであろうか。これが一つの問題である。これとも関連してもう一つの問題は,今日のグローバリゼーションの趨勢の中で,日本共産党の政策対応の視座はなお内向きであり,グローバルに開かれたものになってはいないのではないか?その「世界市場化への対抗構造」(『世界』98年9月号の坂本義和論文のタイトル)は存在するのであろうか。

 第3部に移ろう。第1章は,戦後日本の労働組合についてのコンパクトな整理・概説である。1 労働組合組織率の変化にはじまって,2 労働組合全国組織の変遷,3 産別組合レベルでの変化と政党状況,4 労働組合全国組織の現状,5 ユニオン・リーダーの類型と世代と論じられていく。そこでもいろいろ興味ある指摘があるが,5のユニオン・リーダーの類型の3つの指摘(連合型,全労連型,混合型)および,労働戦線の統一問題を決着させ,「連合」時代を作り出したユニオン・リーダーは,戦後第4世代に当たり,「激しい労使対立や労働争議の経験を持たず,比較的学歴の高い『エリート』が多い」という特徴をもつという指摘は興味深い。また,「むすび」の部分で,組合員である民間大企業正規男子労働者と,組合のない小零細企業労働者やパートタイム労働者の間には,「コア」と「周辺」の二重構造(デュアリズム)が存在していることを確認している(この点はまた後で触れる)。

 第3部第2章では,政党政治との関係についてのナショナルセンターの方針の変遷を論じる第1節において,両者の関係を,第1期=産別会議主導の時代(1945〜50年),第2期=再編の時代(50〜60年),第3期=ブロック化の時代(60〜80年),第4期=流動化の時代(80〜89年)に分けて方針の変遷が分析され,第2節では,ナショナルセンター再編後の政治方針,第3節では結成直後における連合内の政治的諸潮流と政治分析,第4節では「連立時代」における連合及び傘下単産の政治動向が分析されている。議論の要約と結論は,「むすび」の334〜335頁に示されている。

 第3部第3章では,連合における政策・制度要求運動の歴史,政策・制度要求の内容,政策・制度要求実現の活動,政策・制度要求運動の評価が分析され,論じられているが,第4節のsネオ・コーポラティズムと「労働政治」から第5節ネオ・コーポラティズム論の検証(374〜382頁)においては,本書における中心的理論問題として関心をもたれてきた論点について著者なりの見解が明示されている。ネオ・コーポラティズムかデュアリズムかという議論は,本書でも紹介されているように,オクスフォード大学の指導的社会学者J・H・ゴールドソープ編の『収斂の終焉――現代西欧社会のコーポラティズムとデュアリズム』(元本1984年刊。稲上毅他訳,有信堂,1987年)で提起されたが,著者は,稲上毅ほかの『ネオ・コーポラティズムの国際比較』を手がかりとして日本の現状をどう規定すべきかを探求している。結論をいえば,かりにコーポラティズム構造が日本の場合あるとしても「それが妥当するのは,戦略的に重要で影響力のある部分であるとはいえ,しかし,あくまで部分(14%=連合が勤労者全体において占める割合)であって全体ではない。そして,膨大な周辺部分は,構造においてコーポラティズムから排除されているだけではなく,その機能においても,大企業福利厚生の恩恵は受けられず,低賃金・低労働条件の下におかれている。この面でも,顕著なデュアリズムが存在している」と結論づけている。そしてむすびにおいては,政策・制度要求の課題として,「働き方から暮らし方にいたるまで,いままでの社会全体の変革」に向けて,労働組合が政策上のイニシアチブを発揮できるかどうかをあげている。

 終章は全体の結論である。1 政党政治をめぐる環境の変化,2 労使関係・労働組合運動をめぐる環境の変化(1)「日本的経営」の行き詰まり。2)70年代中葉以降徐々に形成されつつあったネオ・コーポラティズム的構造が,客観的には「新自由主義的攻勢」の強まりによって,主体的には「産業民主主義戦略」と「政治民主主義戦略」との間の連合の揺れによって,その形成を阻まれ,デュアリズム構造に席を譲りつつある。3)「日本的経営」を支えてきた過度の「協調主義」も転機を迫られている。4)労働者の意識の変化,5)組合およびそのリーダーの分化傾向,6)国際レベルでの先進国における労働運動の新高揚)の中で,3「新しい政治」の芽が,1)政治・経済・社会の各レベルでの「国際標準」への要請の強まり,2)「生活革新主義」を背景とした「自己決定」と「共和主義的精神」の強まりと広まり,3)国民による政党・政治家の選別の開始,4)労働組合の価値や役割が客観的に高まり,存在意識も一部では見直されつつあること,などの形で出はじめている。そしてその中で,「革新政治」の課題として提示されているのは,1)抵抗から建設へ「革新政治」のコンセプトの重点を移行し,そのイメージを変えること,2)日本の近代化,現代化における“負の遺産”の克服(とくに〈労働者―経営者―国家〉三者による「開発」エートス=単線型発展主義の克服),3)反核・平和・環境・ジェンダーなど「ニュー・ポリティクス」や「新しい社会運動」への対応能力を高めること,4)「新福祉国家戦略」への取り組み。そこでは,公正,共同,ジェンダーという視点が重要である。5)幅広い連携を可能にするための「革新政治」の組織戦略における革新,6)統一戦線政策の現代的発展,とりわけ政党レベルでの協力・共同の展開,の6点である。
 最後に労働組合運動の課題として提起されているのは,つぎの6点である。1)統一戦線政策の労働分野での具体化として,共通の要求課題に基づく協力・共同を可能な限り拡大すること,2)労働組合がやるべきことでやられてこなかった,経営のチェックや行政に対する監視,「もう一つの選択」の提起,3)組合内の民主主義の確立と団結の深化等々のため役員選挙制度を徹底的に民主化すること,4)全労連なども,現在連合系に独占されている政策過程への参加を強めること,5)政策参加と大衆的運動とを結合して,社会的公正さの追求,集団的契約ルールの確立のための取り組みを強化すること,6)労働組合運動の役割の意義と限界を明確にすること,以上である。

 本書は,この終章における,もっとも最近の政党政治および労使関係・組合運動をめぐる環境の変化を詳細に分析し,それを踏まえながら,「新しい政治」の芽を見出し,さらに「革新政治」と労働組合運動の諸課題をかなり具体的に政策論として提示することによって,本書全体の価値をいちじるしく高めたということができるであろう。(98・9・24)





御茶の水書房,1998年6月,457頁,6000円+税)

たぐち・ふくじ 立命館大学政策科学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第481号(1998年12月)



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