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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



中村 圭介 著
『日本の職場と生産システム』



評者:鈴木 良始


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 本書は,日本の製造職場に対する著者の事例調査の蓄積を一書に纏めたものである。書名に「生産システム」の一語が加えられているところに著者の意図が込められている。評者なりにそれを表現すれば,作業組織分析を生産システム論に広げることによって,いわば「知的熟練論」の深化が狙われているということになる。まずは序章「課題と方法」からその要点を確認してみよう。
 1980年前後から,日本の加工組立型製造業の好調を背景に,日本の生産システムに対して研究が蓄積されてきた。それを著者は四つに分類する。1)品質管理方式やJITなど生産管理への着目,2)製品開発の効率性を見るもの,3)下請企業間関係の経済合理性の分析,4)現場労働者の「変化と異常」への対応力に大企業職場の効率性を見たもの,である。そして著者は,本書の特徴は,作業組織に視点を置きながらも(上記4)),他の三視点をこれに「有機的に結びつけ……,日本の生産システムの全体像」を職場分析から再構成するところにあるとする。
 以上の研究方法上,本書は知的熟練論を職場分析の「枠組み」として重視しながらも,その「不十分」さをも指摘する。第1に,知的熟練論は「変化と異常への対応」に視野を限定しており,現場労働者が担う役割を生産管理や製品開発など「生産システム」の中に位置づける点が曖昧であったとする。第2に,知的熟練型労働力が「何故に」製造業大企業部門に見られるようになったのか。これもやはり生産管理全体の中に労働者の役割を位置づけることで分析しうるという。なぜなら,知的熟練とは労働者職務への管理業務の部分統合(あるいは「思考と遂行の分離」原則の「一部破棄」)と解釈され,それゆえ上の問いは,生産管理業務への労働者の関わりの発生史を分析することで答えうるからであるとする。
 本書は以上の知的熟練論との関連にとどまらず,日本的システムに批判的スタンスをとる欧米の「反『日本モデル』論」,および社会技術システム論にも目配りしている。後者の中でも,いわゆる「責任ある自律responsible autonomy」論に対しては,本論及び終章での叙述からみてかなり重きが置かれている。
 序章に続いて本論は4つの章に分かれ,それぞれ事例研究に基づいた丹念な叙述が与えられている。最初の3つの章は製造業の職場を対象とし,第4章ではこれとの対比でソフトウェア産業の作業組織が分析される。序章と終章を除く各章の表題を予め示しておく。
 第1章 製品開発への参加と職場の生産管理 ―VTR最終組立ライン
 第2章 作業組織の階層性とネットワーク  ―自動車生産のピラミッド
 第3章 QCサークルの誕生―鉄鋼業の自主検査体制
 第4章 責任ある自律―ソフトウェア産業

 2

  第1章は,大企業職場の作業組織を正面から扱う。代表的総合家電企業の「VTR最終組立ライン」職場が対象である。組立自動化の進行した職場であり,また高い品質管理が要求される高級品主体に多品種生産,かつ頻繁なモデルチェンジ(=製品開発)にも関与するラインである。分析を通じて,比較的簡単な職務から難しい職務に至る職務群の存在とそれらを経るキャリアルートによる熟練形成,そして上位職務の労働者ほど「生産技術者,品質管理技術者,現場管理者の職務の一部が移管され」(48,68頁),かくて「VTR最終組立ラインの作業組織が,判断業務を含む高度な職務,幅広く,かつ知的な熟練を保有する労働者」(26頁)からなることが強調される。
 総じて,自動化の進んだ電機組立職場の表象をきめ細かく描出してくれる。しかし,不満がないではない。製品開発過程で技術者業務に「製造部門労働者」が関与するところを描出した点は本章のメリットの1つであるが,労働者の役割は補助的でも「予想をはるかに越えて重要だ」(31頁)との著者の評価を評者も共有できるほどに,関与の内容描写に具体性があるわけでは必ずしもない。評者としては,「労働者」の関与がどれほど「高度」と言えるのか,納得できる具体性が得たかった。「労働者」と設計技術者*生産技術者の間の分業が具体的にどの程度の水準で成立しているのか,補助的関与に必要とされる熟練水準とはどの程度なのか,必ずしも鮮明とはいえない。同様の点から,二つの労働者グループ(品質,メンテナンス・グループ)が関わる品質管理と保全職務が,「品質管理課」や「生産技術部の技術者」(40頁)との間で一体どう分担されているのかについても是非言及がほしかった。
 つぎに,「製造部門労働者」というときの労働者とはどの工程のどの層なのか,労働者一般に解消せず関与の濃淡をより鮮明に示してほしかつた。むろん注意深く読めば,それが分かる箇所もある。例えば製品開発への関与とは主に「品質グループ」によるものらしい(34一35頁)。他工程も広く関与するともいうが(30頁),その具体的説明はない。「品質」と「メンテナンス」の2工程グループの職務が高度な部類であることは明瞭である。その叙述が,「製造部門労働者」一般の関与が高度だとの印象を読み手に与える。しかし2つの工程グループは全労働者中のごく一部で,品質グループは全員班長以上という特殊なものでもある。同様に,各工程の中で班長・指導員・一般労働者のどのレベルが管理業務に主に関与するのかも曖昧である。
 問題は「思考と遂行」の部分統合の範囲と程度であろう。部分統合が日本の大企業職場の男子労働者にみられること自体は,今日議論の分かれる箇所ではあるまい。必要なのは「高度」な熟練というときの具体性,技術者や専門工との分業の実態,部分統合を担う労働者の階層,量的比率,性別等についての正確な認識であろう。組立自動化ラインの直接作業を一手に担う女子パートや,簡単な入口職務に集中する女子正職員についての認識を含め,以上の諸点に物足りなさを感じた。また,正規労働者の個人別キャリアルートは興味深い資料であるが(41−44頁の4つの図表),経験職務の遡及が中途半端であり,また勤続年数・年齢・性別・学歴情報を欠き,「熟練」の実態を読み手が判断する上ではいかにも残念である。

 第2章は,自動車産業の下請系列を構成する部品メーカー(第1次から第3次までの計4社)を対象とし,最終組立メーカーの要請(納期短縮と多品種変量の柔軟な生産,高品質,低コスト,効率的な部品開発・工程設計)に各段階がどう対応しているかを取り上げ,職場分析視点から「企業間ネットワーク」に接近している。
 まず第1次部品メーカー。上記の諸要請に対して部品メーカーの生産システムづくりを担う主体はあくまで技術者である。しかし,製造現場労働者もこれに関与する。それを,ギア部品仕上研磨自動化ラインを事例に詳述し,日常業務(機械操作)は簡単だが,労働者は「品質管理業務」「進捗管理業務」など「高度な生産管理業務」を分担し,また製品開発においては「工程設計業務の重要な一部」を担う,と結論づける(91‐98頁)。しかし,この結論とこれを根拠づける具体的叙述との間に第1章と同じ懸隔を評者は感じた。段取り替えのタイミング判断を進捗管理というのは大袈裟ではなかろうか。研磨後部品測定と基準外部品の原因究明(砥石磨耗と送り調整,自動機不調等)と対策は品質管理業務である。しかし,原因究明・対策は労働者のみで行うのでなく生産技術者との協力で行うと「考えた方が正しい」と述べる以上,その分業状況の吟味なしに「高度な生産管理業務」といってよいのだろうか。それとも「高度」とはあくまでテイラーリズム的労働者職務を比較基準とした相対的「高度」性であって,技術者のそれと対照してそれに近いと言っているわけではない,ということなのであろうか。
 他方,生産試作での「組長を中心とした現場」の関与については,労働者の日常経験に基づく加工条件等に関する技術者への助言を,「細かな」ものではあるが高品質を作りこむ上で「極めて重要」(103頁)とする点に評者は同感し,
またその叙述の具体性に説得力を感じた。しかしそれが「高度な熟練」(98頁)か否かはどうだろう。労働者の日常経験に基礎をおく発言の重要性(その効果)と熟練の高度性とは物差しが違う。技術者に全て予測・標準化できない不確実性や個別性が現場に必ず存在する以上,その経験と観察を関与させるシステムは強い。専門技術的に高度でないものは効果も些細だと評者は見ないと同時にまた,効果の重要性は直ちにその関与が高度で知的だとはいえないと評者は考える。
 アセンブリー・メーカーの諸要請は,第2次,3次部品メーカーにも波及している。それを担うのは経営者自身や少人数の技術員であり,品質保証や製品開発過程への現場労働者の関与はこのレベルでは見られない,という。作業組織の分析を通じて,第2次と第3次1社の作業組織は大企業や1次メーカーのような「高い判断業務と高度な知的熟練労働者」からなるものとは異なる「伝統的な熟練労働者」からなる作業組織であり,もう1つの3次メーカーは単純不熟練労働からなる作業組織と整理される。企業間階層の中に質の異なる作業組織が存在し,上位ほど「知的熟練」型となり,これに対応して教育訓練の充実,賃金制度の能力主義的性格などが認められることが確認されている。

  第3章は,日本鋼管川崎製鉄所のQCサークル生成過程を跡づける。その狙いはむろん,QCサークルをテイラーリズムとは異質の「管理思想」原則に基づくものと位置づけ,「思考部分」の部分統合が「いかに形成」されてきたのかを探ることである(139一141頁)。この点で,本章の核心部分は,1963年の「自主検査体制」導入からQCサークルの誕生と定着に至る展開過程の諸事実の掘り起こしを行った第4〜6節である。製造部門に検査部門の業務(製品検査と格付)が移管される「自主検査体制」が起点となって,製造部門内における品質責任意識の昂揚,品質不良情報の迅速なフィードバックが可能となり,品質問題の自主的解決への意欲が職場に成長し,それが「実質的なQCサークル活動」(190頁)となったとの叙述は,リアルで引きつける。
 著者は,以上の展開の起点となった自主検査体制導入の「背景」を論ずる(172-173、195-196頁)。導入を支えた前提要因の1つは,製造標準・作業基準・製品検査規格など「高度の標準化」が1950年代末から進んでいたことだとの指摘は説得的である。ただ著者はそれを1950年代後半における「品質管理の発展」として括るが,評者はこれをむしろ高度の標準化ゆえに検査と格付の製造部門への移管も可能となったものと解釈したい。著者の指摘する第2の前提要因は,QC,IEなど管理技術教育が現場技術者,役付工,「一般労働者にまで」(195頁;これは173―175,179―186頁の叙述が与える印象とは整合せず,誇張ではなかろうか)広がっていたことである。こうして2つの要因いずれからみても,1950年代後半の「品質管理の発展」が自主検査体制の導入に導いた,とされる。
 品質管理の発展がおのずと自主検査体制を準備したとの趣旨は,しかし,過程描写ではあっても(how),序章で提起された問題である管理思想転換のwhyに答えてはいない(著者自身,終章においてこれを今後の課題としている)。しかし,果して著者が想定するように根本的管理思想転換が1950年代後半に生じ,これを「起源」(196頁)として大企業の部分統合型の作業組織が成立してくるという把握は正しいのだろうか。
 評者は,むしろ次のように考える。品質管理への製造労働者の部分進出は,作業長制度の導入や,現在も日本の製造現場で進行する保全業務の部分統合と同じく,それらの背後には常に要員合理化という管理的動機が存在した。技術者・専門工の担務の高度化シフト(要員有効利用)と労働者への業務の一部移管は裏腹の関係であり,それゆえ部分統合は同時に業務の高密度化でもあった(本書はこの側面を競争環境要因に外在化してしまう。終章242‐243頁)。したがってまた,タテの部分統合は,仕事のヨコヘの単純拡大である多能工化とも通底しているのであり,部分統合の背後の管理思想として,これを無視することはできない。ただし,要員合理化意図からにしろなぜ部分統合へ進むのか,という問いは成立しよう。この点については,日本の伝統的技術思想が元来,技術を学理の単純延長とみなす(それゆえ専門家の指図主義となる)西欧的発想とは異質で,現場の経験と技能を技術の不可欠の要素とみてきた点が,戦後日本の労使関係・雇用慣行の展開と併せて重要であったと考える。
 本章における著者の強調点の1つは,QCサークルに至る展開の自然発生性と自発性であり,管理的主導性の果たした役割への低い評価である。しかし,自主検査体制が創意を喚起したにしても,自主検査体制そのものは上からの職務統廃合であったし,「品質保証検討会」をボランタリーとするのは無理がある(190-192頁)。また,コミットメントの強い現場監督層主体で定着したQCサークルを,1970年代の一般労働者への全面的拡大現象と直結するのも無理である。自然発生性を大企業作業組織の特質とすることには大いに疑問がある。またこれに関連する論点であるが,終章において著者は,大企業の生産システムが順調に機能していることは労働者の「自発的,積極的参加」を示すものであるとし,労働者集団は不満を抱いてはいないだろうとみる(239-240頁)。これでは,日本的管理状況下の労働者意識の実相に対して,また自発と強制に関する今日の研究状況に対しても,無頓着にすぎないであろうか。

 第4章は,汎用コンピュータ用のアプリケーション・ソフトウェアを開発する作業組織が分析される。プロジェクト・チーム方式の特徴として,現場管理者たるチームリーダーの担う管理上の広範な役割,チーム編成の流動性などが抽出される。事例調査に基づく叙述の具体性に,対象の目新しさも加わり,興味深い内容となっている。そして作業組織の特質として,1) 製造業のような作業標準化が困難で,進捗度や品質の管理諸基準を確立できず,2) 作業効率はメンバー技術者の意欲に依存し,これを管理するのはリーダーの任務であるが,管理圧力は却って能率を落とす,3) 加えてリーダーも技術者であり,かくてチーム全体が「経営から自立し,自律的に運営される」「責任ある自律」の作業組織となっている「可能性」が指摘される。しかし,高い自律性はモラールの高さにより補完されなければ,効率性を確保できない。そこで人事考課に分析は転じ,結論的にいえば,抽出された人事考課システムは,職務遂行能力と業績考課を重視し査定が定昇・昇格・賞与に反映する,大企業にごく一般的なものである。
 人事考課に関するこの結果は「責任ある自律」とどう整合するのか。本書は,人事考課には「難点」があるとする。開発作業の集団性,チーム所属の流動性,リーダーの能力など,成果が個人にとっての外部要因に左右される点で,個人評価の客観性に難があるという点である。しかし,著者の論旨は分かりづらい。この難点ゆえに,査定圧力が緩く自律性は損なわれないという趣旨なのか。しかし,査定は現に広く実施されているのである。個人査定の客観性の難点は,指摘される作業標準化の難しさとともに,日本企業のホワイトカラー職務の集団性にかなり共通するものであり,特殊ではない。ホワイトカラーに共通する作業組織特性として「責任ある自律」を著者が主張するのでないとするなら,本章の対象についても慎重であるべきだろう。研究開発職にまで能力主義・業績主義の管理密度が高まりつつある今日,種々の難点や管理の難しさはあれ,まさに自己管理を管理的に強制する構造の中で,「自律性」などは管理ストレスのはざまに消失しているとの疑念を評者は払拭できない。




東京大学出版会,1996年12月刊,v+268頁,定価8755円

すずき・よしじ 北海道大学経済学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第465号



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