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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




法政大学日本統計研究所
伊藤陽一・岩井 浩・福島利夫編著


『労働統計の国際比較』




評者:鈴木 宏昌




 賃金,労働時間,労使関係などの国際比較を行う者にとって,信頼性があり,比較可能な労働統計の入手は必須であると同時に長年の大きな夢でもある。情報化の時代になり,各国の主要統計も,ILOやOECDといった国際機関の出版物や労働省の出している海外労働白書などにより割合と簡単に使えるようになっている。しかしこれらの主要な統計が,どの程度整合性があり,比較可能なのかは非常に把握が難しい。各国の統計の元になる調査表の構成,定義,調査範囲など丹念に吟味しなければ,比較の可能性が割出されてこない。しかし個人のレベルでは,資料の制約や時間の問題などから不可能に近い作業である。とはいえ,わが国の労働問題の関心の大きな部分が,日本の貿易パートナーである先進工業国との比較にあり,賃金水準の議論など盛んなことを考えると,労働統計の内容の技術的な吟味は大きな空白だったと言える。その点,伊藤氏など12名の執筆者による共同研究の成果である「労働統計の国際比較」は,このような空白に挑戦した貴重な試みである。本書の序章にあげられた目標――統計指標体系を論じ,従来の到達点にある国際比較表をふまえ,独自の調整を加えた国際比較表を提示するなど――に達したかどうかを判断する前に,このような労苦の多い作業に着手された研究者に敬意を表したい。また,全体的には,多くの分野の国際的な労働統計が集められ,非常に便利な参考書となっている。この本ほど包括的に,各種の労働統計を集めたものは皆無に近く,専門家,労使関係に関わる人や学生にとって必見の文献となっている。
 各章のレベルのばらつきや評者が感じたいくつかの疑問もあるが,この本が有益な,かつ貴重な試みであることは間違いない。
 本書の構成
 本書は14の独立した章から成っている。本書の狙いをつづった第1章より始まり,主要な労働経済の各分野を各章がカバーしている。就業構造の変化(第2章),失業・不安定就業(第3章),国際労働力移動(第4章),賃金・労働費用(第5章),労働時間(第6章),労働生産性(第7章),剰余価値率(第8章),労働災害・職業病・健康(第9章),女性労働(第10章),家計支出(第11章),消費者物価(第12章),住宅と居住環境(第13章),労働組合と労働争議(第14章)である。実に多様な分野をカバーしているのが印象的である。各章は,原則的に,入手可能な国際統計を示し,原資料の性格,国際比較の際の問題点を吟味している。原資料としては,ILOの国際労働統計,OECDの各種統計,ECの統計,国連の統計などが使われ,わが国の統計との比較などが行われている。さらに,いくつかの章では,調整された統計表から,わが国の賃金労働時間などのレベルを比較している。ただ,各章の構成は必ずしも統一されていない。例えば,国際労働移動といった論文形式のものから失業・不安定就業の章のように統計の技術的なものまで差異がある。さらに,賃金・労働費用の章のごとく,非常に細かな検討が行われている章から労働災害のように,少々簡潔すぎる章まである。そして女性労働の章のように,わが国と他の先進国との比較というよりも,国際連合の統計の紹介を中心としたものもある。多数の執筆者による場合,このような各章間の差は避け難いものかも知れない。
 各章には,注として参考文献や資料出所が数多く列記され,非常に便利なものとなっている。なお,内容的には,啓蒙的なものが多く,数式や統計の技術的なことは最小限となっている。
 読後の感想
 これだけ多様な分野をカバーしたこの本を各章ごとにコメントする能力は評者にはないので,全体的な読後感と,いくつかの章について,気が付いたことを書き留めてみたい。まず,全体的な感想としては,次のようなものがある。
 1) 本書は,非常に広い分野をカバーしているので,多少,本書の性格があいまいな形になっている。既存のシリーズとなっている「活用労働統計」(社会経済生産性本部)の発展という形を目指したものなのか,あるいは,純粋に各種の労働統計の国際比較の限界を示そうとした啓蒙的な研究書なのかが明確でない。つまり,賃金・労働費用のような細かな検討(多くの読者には読み難い部分があり,多分,結論の方に直行するものと思われる)と就業構造といった概説的なものとが混在している。また,国際労働移動といった興味深いが,変化の激しい分野では,統計が古くなると新鮮な魅力が薄れる懸念のあるものもある。もし,何年か後に改定が行われるとすれば,国際比較の表と資料の吟味の部分(技術的な部分)を分けたほうがベターな感じを持った。
 2) この本の特色の一つとして,広い分野を包括的に扱うことが挙げられている。しかし,そのために各章の内容が希薄になった面もみられる。やはり,問題の焦点を絞り,より深く個別テーマを議論した方が良かったのではないかと思った。就業構造の変化,労働生産性,女性労働,家計支出,住居と居住環境などの章は果して,本当に必要なのか,もし必要だとすると,より掘下げた取扱いが必要なのではと感じる。失業,賃金,労働時間,労働災害,労働組合と労働争議などに絞って,より精緻な議論の方が果実が大きいように思われた。
 3) 個別の分野の検討が多いために,統計の国際比較の一番困難な理由が明白にならなかったように思われる。結局,統計は各国の政策的目標により集められるもので,研究者の利用は付随的なものでしかない。各国の統計の定義,調査範囲のばらつきは,各国の制度,実態の違いと政策目標の違いからくる。例えば,賃金や消費者物価の統計は,各国の統計の目的により異なっているように思われる。イギリスやフランスのように,生産労働者を対象とするのは,歴史的にみて,生産労働者層という社会的階層の実態があったためと思われる。消費者物価についてみると,賃金とのインデクゼーションがある場合とない場合で都市部の労働者家庭か,全国平均の世帯をベースに取るかの違いが出てくることもある。統計の対象,範囲,定義は非常に政策的な要素が強く,各国独自の制度の中で発生してきた。国際機関やEC,あるいは国際労働統計家会議などの勧告により,各国の統計に歩み寄りが近年みられるものの,根本的には各国の統計の集合である。国際比較の便宜といったものは,やはり副次的なものでしかなく,各国の特殊事情(統計収集にはコストがかかる)が統計の性格を規定しているように思われる。結局,統計は,統計のためではなく,その利用を考慮して,統計が作成されている。雇用統計や賃金統計にしても,他国のレベルとの比較以前に,その国の政府,労使などに有益な数値を提出することが目的となる。この有益さの視点が,その国の歴史や制度により異なっていることが,統計の国際的な協調や調整を難しくしているように思われる。統計の国際比較の限界もこの点から来ていると考えられる。
 個別の点
 この本を通読して,気が付いた点のみここに記してみたい。
 第2章,就業構造。この章の中で,ILOの職業分類であるISCO(International Standard Classification of Occupations)に触れられていないのは何故なのか。確かに,職業分類は労働の内容の急激な変化の中で,多くの問題を抱えているが,国際的にみると,一つの重要な基準である。産業分類とともに職業分類にも言及すべきではなかろうか。なお,参考文献の中で,H. Cheneryなどの開発経済の研究が全く無視されている。世銀のエコノミストたちなどにより,発展段階と就業構造の変化について,数多くの業績がある。
 第5章の賃金・労働費用はかなり詳細な統計の検討が行われているが,そのため読み難い部分も多い。産業労働者(p.107,表5―3)といった表現ももう少し工夫が必要だろう。賃金の国際比較の際に注意する事項として,労働者の範囲の問題がある。どこまでが労働者の範囲で,管理的な地位は含まれているのか,また,パートタイム労働者以外の臨時工などは含まれているのか,あまり明確でない。
 労働費用については,多少マイナーな研究だが,Zoetoweij,“Indirect remuneration:an International overview”.ILO.1986 Labour-management Seriesは労働費用のコンセプトを検討しているので,参考になる。
 第14章の労働組合と労働争議は大変に興味深かった。ヴィッサーの綿密な研究を中心として,組織率の最新のデータを紹介している。この組織率のデータは,多くの場合,推計でしかなく,数字そのものが手に入り難い。この点,若いオランダの研究者のヴィッサーは,OECD,各国の組合などの様々な出所からの数字を使ったもので,現状では最も信頼に値するものと考えられている。
 このほか,いくつかの章で誤植(例えば,9ページのILO創設が1917年になっている)が目立つが,これは改定版を出されるときにチェックすべき点であろう。
 ともかく,労苦の多い労働統計の資料吟味という重要な作業を行ったこの研究グループに敬意を表するとともに,今後,主要な章を発展されることを望みたい。





梓出版社,1993年10月,x+388頁,定価3,914円

すずき・ひろまさ 早稲田大学商学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第429号(1994年8月)



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