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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



山本 佐門 著
『ドイツ社会民主党 日常活動史』



評者:住沢 博紀



  ドイツ社会民主党(SPD)は,ラッサールによる「全ドイツ労働者協会」(1863年)の設立以来130年有余に及ぶ党の歴史を誇っている。第1次世界大戦前に既に100万人の党員を有し,第1次世界大戦,ロシア革命/ドイツ革命,ワイマル共和国の崩壊とナチス支配,1945年の廃墟からの出発,東西冷戦の激化と分断国家を経て1989年のベルリンの壁崩壊まで,20世紀の世界史的な出来事には常に当事者として関与してきた。さらにそれぞれの時代を刻印する党綱領を採択し,戦後だけを考えても,ゴーデスベルク綱領(1959年)からベルリン綱領(1989年)まで,世界の社民政党に与えてきた影響は大きい。このような政党の歴史的な全体像を描くことはそもそも可能であろうか。
 著者は「社会的勢力としての社会民主党論」という視点を提出することによって,この困難な課題に挑戦する。「19世紀末いらい,ドイツ社会民主主義は政党としてのみ発展していたのではなく,広く労働者層を中心とした民衆の社会生活のさまざまな領域に根を張った社会的勢力として機能していた」(7頁)のであり,このことは,エリート・マス概念による上からの政党研究に対して,民衆の日常生活と結合した 「下からの」政党研究の重要性を示しているとされる。さらにこうした方法は,一方では,「労働組合,消費組合,文化・余暇組織の動きを含むドイツ社会民主主義勢力の日常活動史に関する地域研究の進展」に,他方では,SPDの地域組織自らの歩みである「自分史」刊行活動の活性化に負っており,総じて「歴史学研究の近年の特色の一つ,社会史研究の進展にも支えられていることも否定できない」(14頁以下)と著者はいう。
 それでは日常活動史,地域研究,自分史,社会史などの成果を駆使する事により,どのような新しいSPD像が浮かんで来るのであろうか。先ず,この視角に関連する章を中心に本書全体の論点を整理してみたい。
 第1章「第2帝政期ドイツ社会民主党」では,「社会的勢力としての社会民主党」の全容が数え挙げられる。大戦前の1914年,SPDは109万人の党員を有する5122ヵ所の居住支部があり,労働の場にあっては「自由労働組合」(1913年には約255万人),暮らしの場では消費協同組合,余暇組織としての多様な文化・スポーツ団体「労働者スポーツ連盟」「民衆舞踊」「自然愛好運動」「労働者合唱団」「労働者救急団」などが組織されていた。こうした人々の結合の網の目が「社会民主主義的社会環境網(ミリューウ)」であり,「ここで社会民主主義は,民衆の側から見れば……彼らの生活領域全体に関わってくる存在であり,この状況にあっては社会民主主義は単なる政党−政治勢力にとどまらず,社会生活の領域に深く根を張った勢力―社会的勢力として理解するのが適切である」 (20頁),とされる。
 こうしてミリューウという概念によって,社会勢力としての社会民主党の地域による発展度の連いが類型化される。帝国議会や邦国・自治体選挙などで成果を挙げても,それはまだ「議会政党」であり,強固なミリ。−ウを確立して初めて,「完全社会環境網政党」としてのSPDが完成するのであり,マンハイムやフランクフルトがこの例とされる。他方で,各種選挙での圧倒的な勝利やミリx−ウが確立していても,階級的な選挙制度などのためその地域や都市の議会で優越的な地位をもっていないものを「変形社会環境網政党」としてのSPDと呼び,ベルリンやハンブルクが例とされる。
 第2章「第1次大戦前ドイツ社会民主党の日常活動」では,情宜活動,主要党機関紙の発行部数,労働者図書館の利用状況などの分析により,日常活動とミリューウ形成の関連が論じられる。 SPDの公認イデオロギーである社会主義文献よりも「通俗小説・娯楽物」が愛読された事実は,すでにこの分野での古典といえるH.‐J.シュタインベルク『社会主義とドイツ社会民主党』で指摘されている。しかし著者は,こうした通俗小説もゾラやゴーリキーなどにみられる社会批判の情感を労働者層に植えつけたのであり,社会民主主義ミリューウの形成に寄与したと評価する。他方でSPDの教育・文化活動は労働者層の知的・文化的向上に貢献したが,支配的価値観・文化に対抗できる内容を提示できず,したがって「その社会を政治的のみならず文化的にも変革する勢力には成長しえなかった」(79頁)と結論付けている。
 このように社会民主主義ミリューウに対する著者の評価は両義的である。それは一方では自立した社会的勢力としての社会民主党の基底を造り,他方では国民国家の枠組に労働者層が統合されてゆく独特の形態でもある。次の第3章「ヴァイマル期ドイツ社会民主党の日常活動」,および第4章「ナチス体制への抵抗とドイツ社会民主主義」においても,この両義的な論点は継承される。
 ヴァイマル期は,ドイツ社会民主主義がその社会的組織網を一段と充実させ(保険会社「国民扶助」や「住宅供給会社」などの活動領域の拡大),国家機構や自治体との結びつきが緊密になり(1929年末には当時の党員の5.5%にあたる54,647人が自治体議員や市町村長職に),両者の関係が質的に変化した時期であり,社民勢力のドイツ社会内部への統合が決定的に進行した時期であると著者は位置づける。こうした党の日常活動の成功はしかしジレンマも生み出す。今や多くが公共機関の業務となり,社会民主主義の自主的組織の存在意義は減少し,社会的勢力としての結束力,活動力の衰退が急速に進行しはじめるというのである。だが著者はこの「ゲットーから共和国への歩み」を否定的に評価するのではない。ヴァイマル共和国ではその全領域に民主化・平準化の効果が及び,「帝政期とは相対的な異質性を有した社会とも評価される」のであり,確かに社会民主主義勢力はヴァイマル期においても「ヘゲモニー勢力」たりえなかったが,社会的改革勢力と位置づけることは十分に可能であり,連帯・公正という理念に裏打ちされていた,と積極面を強調するのである。またヴァイマル期は,あらゆる活動の分野でまたあらゆる年齢層をカバーする社会民主主義の社会環境網が完成した時期であり,労働者層の「陣営的心性」や「社会民主主義的性格」が形成されていった。
 反ナチス運動についてもミリューウ論の立場から,従来とは異なる「抵抗」概念が語られる。この視点から,社会民主主義の労働者層がナチ体制への逸脱的態度をとり,強制的同質化の進行に抗した事実に注目し,それを積極的に評価することも重要であると著者は指摘する。しかし著者は,一方では政治的抵抗,インフォーマルな社会的結合網での交流,経済的階級闘争という3領域で社会民主主義勢力の存続は確認できるとしつつも,他方では「ドイツ社会民主主義の反ナチス抵抗は著しく弱体であったとの評価は歴然として動かしがたい」と分析している。結局,抵抗概念の豊富化(ブロシャート)や逸脱的態度の確認(ポイカート)も,「組織的な政治的抵抗の早期の解体というナチ抵抗運動のドイツにおける基本的な問題を否定するまでには至っていないのである」(150頁),と結論づけている。
 第5章「地域における戦後社会民主主義」,第7章「地域からのドイツ社会民主党史」では,第2次世界大戦後の西ドイツにおけるSPDの展開が,地域・ミリ=−ウと結びついた社会民主主義的性格・自分史という観点からスケッチされている。まず1980年代始めにマンハイム市の―都市区で著者が行った調査をもとに,地域社会における社会民主党の組織と活動の実態が分析される。次に,SPD最大の党員を有する拠点ノルトライン・ヴェストファーレン州の居住支部の実態に関する党の調査報告書 (『内部からのSPD』)を使い,地域組織の実態がより詳じく描かれる。さらにラーベの『社会民主主義的性格』(労働者居住区におけるミリx−ウ論を使った活動的党員の3世代の類型化)という研究を素材として,「下から」のドイツ社会民主党史研究の特色と問題点を述べる。そして最後に「SPD基底組織からの『自分史』−その現状と課題」という表題で,著者自らが収集した約80点にのぼるSPD地域組織の「自分史」をそれぞれコメントしている。これらの「自分史」は,SPD地域組織の75周年記念などに際して編纂されたもので,玉石混淆とはいえ資料的価値としても貴重なものであり,著者持論の「地域からの多様なSPD史」を支える一端になるだろう。
 第6章「変化の中の社会民主主義」は異なる位置付けができる。第1節の「ゴーデスベルク綱領からベルリン綱領へ」というタイトルが示すように,ここではSPD新綱領の意義が分析されている。ところで著者は「あとがき」において,「民衆への日常的実践を通じ社会民主主義を把握しようとする一貫した視点」と,政治史的視点から社会民主主義の現実と未来を把握したいという政治学的視点への私の関心の移動,この2つの作用の結果できあがったのが本書である,と述べている。しかし分量的にも,また「社会民主主義的ミリューウ」という方法論に関しても,圧倒的に過去の政治史の部分に本書の真価が発揮されているように思われる。そこで書評もその部分に限定したい。
 この様に限定した上で,本書の意義は何といっても豊富な資料や最新の文献を駆使して,日常活動を通した「社会的勢力としての社会民主主義」という一貫した視点のもと,その成立・発展(第2帝政期),成熟・停滞(ヴァイマル期),社会的抵抗(ナチ体制下),戦後の新しい展開と変化(西ドイツ)という全時代を描こうとしていることにある。 ドイツでも,労働運動の社会史やSPDおよび自由労働組合の時代ごとの重要な課題を繋げて編集した社会民主主義運動史が出版されている。しかしそれらは通史であるか,時代区分ごとに異なる専門家に分担された論文集である。日本でもドイツでも,本書のように最近の研究成果や文献解説も含む優れた専門書でありながら,単著の形態でSPDの全歴史を描く書物は稀であるといってもよい。
 こうした事が可能であったのは,著者の問題意識や研究の時期が,ちょうどドイツにおいてもこの分野での新しい成果が続々と発表されつつあった時代と重なることにも因っている。70年代から80年代にかけて,アカデミズムの世界においても労働運動や労働者階級の社会史を研究対象とする事が一般化しつつあった。一方では,J.コッカ,H.A,ヴィンクラー,G.A.リッターなどが社会構造史,戦後の社会国家ヘの発展論,イギリス労働者階級の社会史との比較論などにおいて一つの枠組みを示し,他方ではSPDのエーベルト財団,ドイツ労働総同盟 (DGB)のベックラー財団などの財団が精力的にこうしたテーマでの研究シンポジウムを組織しその成果を出版したり,奨学金を与えた事に負っている。またボッフム大学のH,モムゼンに代表されるよ妁こ,大学の設立自体がルール工業地帯の労働者文化の伝統と密接に関係しており,したがって労働者子弟を意識的に研究者に育成するような風土が生まれたこともあった。さらに,高学歴化と70年代の社会改革の気運が高まる中で,労働者階級の課題別の社会史や地域史が大量に生産される博士論文・修士論文の恰好のテーマとなったことなども挙げられる。あるいは,テレビや歴史博物館が歴史をプレゼンテーションする時代には,日常生活の展示=現前こそが重要な仕事となることもうなずける事である。
 しかしこうした関連において,また本書の問題点も2・3指摘できる。
 第1に,本書は著者の過去12年間の論文を収録しているため,SPDの過去から現在までの日常活動史といわれつつも,戦後の再建期(経済復興期)や労働者階級の市民化といわれる時代 (60年代〜70年代)が扱われていない。ナチ支配下の抵抗運動から,突然1980年代初頭のマンハイムの地域研究になっている。確かにラーベの『社会民主主義的性格』は,ヴァイマルから戦後復興期を経て戦後世代までの社会民主主義ミリューウの3世代を論じているが,このラーベの著作の解説だけでは不十分であろう。
 第2に,著者が284頁以下で指摘しているラーベの方法論上の問題点が,以下の3点においてこの著作自体にもあてはまるものと思われる。
(1)社会民主主義ミリューウも,ライバル関係にある他のミリ=−ウ(例えば第2帝政期においてはカトリック労働運動,ヴァイマル期では共産党やナチス運動)と抗争*浸透する相互関係のもとに成立していたと想定できるが,こうした分析視点がほとんどないこと。
(2)社会民主主義ミリ=―ウは日常活動のみならず非日常的な出来事,例えばストライキという共同体験などによっても形成される。労働者階層の社会史や地域史研究においてはこうした視点からのミリューウ論が多くあるが,本書は社会民主党の日常活動に狭く限定されすぎる嫌いがある。あるいはG,A,リッターがやったような,徴兵制による軍隊経験や在郷軍人会などの国家の側からの組織化の動きも視野に入れる必要があろう。
(3)「社会的勢力としての社会民主党」論や「社会民主主義ミリューウ」を研究の基底に置くなら,ドイツ近代社会全体がもつ特有の組織形態,社会構造,文化などへの考察が必要となるだろう。つまり社会的勢力であるのは何も社会民主主義だけではなく,2つの教会勢力,手工業会議所や経営者団体などの多くの職業団体や経済団体,保守的な農業協同組合や協同組合銀行など,ドイツは有名な団体主義の国であり,「組織された資本主義」の社会経済樽造をもっているのである。日曜菜園からスポーツ組織まで,社会民主主義や労働運動だけではなく,他の社会階級や職業団体もこのようなミリューウをもっていた。こうした社会構造を分析しないと,ヴァイマル時代にF,ナフタリがあらゆる非資本主義的組織や要素を「経済民主主義」として数え挙げたことと同じ誤りを冒すことになるだろう。また80年代の始めには,「社会的勢力としての社会民主党」も「社会民主主義ミリューウ」も解体期に入っている事を認識する必要があるだろう。労働者生協は早期にスーパーマーケットになり,勤労者住宅会社ノイエ・ハイマートは80年代初頭には組合幹部の不正を契機に清算されてしまったのである。勤労者階層も多様な「社会的ミリューウ」に分解し,社会民主党や90年同盟/緑の党は,さまざまな「社会的ミリューウ」に分類されるグループの組合せの違いとして存在するのである。
 最後に社会民主党論としての本書の意義をもう一度確認しておきたい。従来,ドイツにおけるSPD論は,旧東側の「改良主義」批判論と,西ドイツ側の「改革主義」擁護論が真向から対立していた。後者はSPD公認の史家といえるS.ミラーやH,グレーピンクによって代表され,最近ではT.マイヤーが活躍している。 SPD史家の側では,1960/70年代の西ドイツ社会国家の到達点の高みから,SPDの過去を位置づける傾向があった。労働者階級が社会的勢力として自らを組織し,制度的にも社会国家にいたる改革を積み重ねていったというシェーマである。社会保険,共同決定,社会国家の発展を目指す勤労者大衆の社会史がSPDの歴史と重ね合わされる事となった。社会民主主義勢力が弱く,社会運動の中で編祉国家を追求してこなかった日本において,ドイツ社会民主党はこの様なものとして理解されてこなかった。この意味では著者の「社会的勢力としての社会民主党」論は斬新な提起となる筈である。しかし他方で,日本でもドイツでも政治史家の多くは,1914年,1918年,そして1932年におけるSPDの政治行動に批判的な分析を与えている。それぞれの章の冒頭で著者はこのような見方の一面性を指摘しているが,結論としてはSPDの受動性や抵抗運動の弱さを承認している。この限りで,著者は図式主義に陥らず政治史上の事実に留意している。だがそれは多くの場合,2つの論点の並立に終わっている。社会史と政治史の交錯する場面の論争がもっと進められなければならない所以である。





北海道大学図書刊行会,1995年,vi+318+x頁,定価6,592円

すみざわ・ひろき 日本女子大学家政学部助教授)

『大原社会問題研究所雑誌』第446号(1996年1月)



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