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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版





木本 喜美子著 

『家族・ジェンダー・企業社会──ジェンダー・アプローチの模索




評者:塩田 咲子



 日本の家族は今どうなっているのか,また今後どのような変化をしてゆくのか。家族の変動の行方によっては,戦後に築き上げられてきた社会政策もまた大きい変更を迫られて行く。
 1995年7月には法制審議会が,夫婦別姓の選択制や離婚における破綻主義の導入などを盛り込んだ民法改正案を提出。9月に社会保障制度審議会が33年ぶりに政府に勧告した内容には,できるものから社会保障の単位を世帯から個人にして行くことが明言された。育児のあり方についても,中央児童福祉審議会が,97年の通常国会での法改正に向けて戦後,の児童福祉制度の抜本的な見直しに着手する。
 いずれも,制度見直しの焦点となっているのは,性分業家族すなわち「夫が家計,妻は家事・育児」という家族をモデルに作り上げてきた結婚制度や税・社会保障のあり方,また保育支援制度が「制度疲労」を起こしているという認識であろう。この間,「家族の危機」「家族のゆらぎ」「家庭のない家族」「個人化する家族」などなど,家族の変化はいろいろと表現されてきたが,制度の見直しにまで至っているのが今日の重要な点である。
 ところで,ジェンダー分析は,性分業家族の中で埋没してきた女性を個人として取り出す。また,性分業家族と企業における男性優位の雇用制度や慣行とが対を成していたがゆえに,家族と企業社会を貫く女と男の位置関係を明白にすることができる。
 本書もまた,企業と家族の関連をジェンダー分析によって明らかにする試みである。評者は,性分業家族を優位におく現行の税や社会保障,企業の賃金や雇用の制度を,まずは,家族形態にニュートラルにして行くことを提唱しているが,それは,高齢社会を乗り切るには,家庭の中で被扶養者として位置付けられてきた女性が労働市場に出て,相対的に不足する労働力の担い手となると同時に社会保障費用の担い手となることが不可欠だと考えたからである。つまり,性別分業家族という「近代家族」をモデルとして政策を展開することが,近年生じている経済・社会環境の変化に対して歴史的な不適合を起こしているのである。
 しかし日本の家族には,目下のところ,非婚の母や事実婚,子供のいないカップル,離婚,同性愛者同志の同居といった欧米のような「近代家族の危機」いいかえれば家族の多様化は,マクロのデータからは見えてこない。むしろ,長時間労働で夫不在の家族や家庭内離婚,主婦症候群,家庭内暴力,子殺し,さらには過労死や母子家庭の母の餓死事件など,欧米にはみられない「家族の危機」がある。このような現代日本の家族をどうとらえたらいいのか。
 この様な疑問をもって,家族研究に関心をもっていた評者に,本書は,日本型企業社会と日本型近代家族とが相互に浸透しあうさまを「家族賃金」観念と労働者家族の調査をもって,リアルかつ緻密に描くことで,現代日本の家族についての貴重な発見を提供してくれた。

 そこで,評者の問題関心からこれらの発見について見て行くことにしたい。その際,著者の論稿「日本型企業社会と家族の現在」(基礎経済科学研究所編『日本型企業社会と女性』所収,1995年,青木書店)をも参考にして,本書の内容を補足しながら書評にかえたい。というのは,本書脱稿後の論稿には本書のエッセンスがより明瞭な形で,わかりやすく記述されているからである。
 さて,本書の構成は1部「家族の危機」と家族研究,II部現代家族論の諸相,III部家族と〈企業社会〉の三部構成となっている。まず,I部は,「家族の危機」に対する湯沢雍彦氏と布施晶子氏の二つの家族社会学の研究を紹介して,そのいずれもの欠点を明らかにする。まず,家庭内暴力や校内暴力,児童虐待などなど,いわゆる「家族の危機」は現象であって,離婚やシングルマザー,事実婚などといった欧米のような家族変動は起きていないから日本の家族は一応安定しているとの認識に立つ湯沢は,性分業家族を無批判に前提としている点でその真実が語られていない。一方,「家族の危機」として認識している布施にしても,その危機は社会システムに起因しているとして,やはり家族の中に潜む問題には踏み込めていない。
 著者は,性別分業家族である「近代家族」が女性の自由や独立に抑制的であったというジェンダー・アプローチの見地に立つことで,従来の家族研究でよめなかった事実を取り出そうとする。つまり,著者にとっての「家族の危機」とは,歴史的に限定された「近代家族」の危機であって,具体的には性分業家族が典型でなくなって家族が多様化している新しい現象と見るほうが真実に近い。家族の危機は日本のジェンダーによってもたらされたものだから,このジェンダー関係の中にこそ問題がある,というわけだ。この認識の下に,その現れ方が欧米と日本で異なっていることに関心を持つ。そして,その理由をつきつめて行くには,従来の家族社会学の方法では見えてこない。
 著者のマルクス主義家族社会学への批判は,著者がその中に身をおきつつも疑問を抱き続けてきたゆえにか,なかなか説得力にとむ。女性差別の根本的原因が社会・経済システムにあり,家族は愛の共同体であるという布施の「家族擁護論」は,性分業家族である近代家族の内部に立ち入った性差別の分析に無力であること。布施の家族論は,昨今流行したジェンダーに無頓着な企業社会批判にもつうずること。家族は「愛の共同体」であって,これに破壊作用を及ぼしているのが,外部の社会・経済システムなのだ,だから,この企業社会システムが変われば真の「愛の共同体を取り戻す」というように,あるいは,,布施のように,ブロレタリア家族の進歩性(たとえば家事を分担するとか真の平等が実現すべき)が妨げられている理由を問うのは無意味である。社会をリードする階級のいだく価値規範が支配的規範になるのは当然のことであって,むしろ,彼等が経済基盤を異にする中産階級の家族規範をどう内面化したかが問われるべきであると,著者は研究の視座を移す。
 たしかに,著者のいうように,家族生活に企業社会が深く関与しているにしても,「家族の崩壊」を進行させているとは思えない,むしろ外観は安定しているのが日本の現状であろう。だから,むしろ布施の家族論は,性分業家族の「愛」を基準にしている一種の保守主義であり回顧志向に陥っていると批判する。企業社会の論理が家族を支配し,労働者家族は犠牲になり崩壊しているという理解がいかに浅薄であるか。そうではなく,労働者家族自体が主体的に企業社会を支えていることこそが問題なのである。著者は,ジェンダー分析を入れることで,この問題を解こうとする。
 そのキー概念が,II部で展開される「家族賃金」である。夫一人で家族を養えるという「家族賃金」観念こそは,家族における夫優位を保証し,男性優位の性別分離の職場を作り出して行く。この家族賃金をめぐる著者の発見はイギリスのジェンダー研究に依拠している。それだけに著者による,これらフェミニストたちの研究整理は大変おもしろい。 19世紀末,家族賃金をイギリスの労働組合が賃上げ交渉の武器とした背景には,男性労働者にとっての理想家族があった。それは家庭に妻がいること,つまり,妻の賃金がなくなったり低くなろうとも,労働が過酷ゆえに強く欲する楽しみに満ちた「個人生活」へのあこがれが優先したことが大きい。しかも,それが,男女共通の要求でもあったところに,性分業家族が歴史的に形成されて行くことになる。この「主婦の誕生」の過程は,乳幼児死亡率減少や家事と労働の二重負担をも解消して男女それぞれに快適な暮らしを作り出す過程でもあった。かくて性別分離の職場,性別分業の家庭が実態化し,労働者家族がこれを受容し実現していった過程で,この「近代家族モデル」は歴史的に結実した,と著者はまとめている。
 そして,この「家族賃金」の発見が,III部で展開されるトヨタ自動車の労働者家族の実態調査研究を踏まえて,著者ならではの,現代日本の企業と家族を貫くジェンダーの構造を説き明かすことになる。日本では,夫一人が家族を養うという観念は,なんと皮肉なことに,男性をいっそう企業に従属させ,楽しみとなるはずであった家庭をも変貌させてしまう。まず,賃金上昇競争から女性を排除したところで,すべての男性が家族賃金を得られない。男性はいっそう競争に,そして女の賃金はいっそう低下する。しかも,男一人の家計は危機に弱いがゆえに,家族を単位とする競争に入って行かざるを得ないのである。
 著者は,日本でこそ,この家族賃金観念が,日本型企業経営が作り出してきた年功賃金と終身雇用に結実し実態化したと読み解く。欧米と違ってその実態が今日に続くゆえに,日本では今なお「近代家族」の安定性が持続しているのである。企業が与えてくれた「近代家族」は「幸福の約束」,つまりは家族の物質的生活基盤の充実であった。トヨタ自動車の調査から得た結論は,家族は企業社会の「侵食」をうけながらもそれなりに適応していることであった。楽しみであるはずの家庭や個人生活がもはや幻となっても,妻も夫もそれを愛の危機とか夫婦の危機とか家族の危機とは思わない。この謎を解くのは「物質優先主義」という日本の「健全な」家庭に根づいてしまった価値観なのである。
 では,このような家族と〈企業社会〉の「共犯関係」を打ち破り,均衡状態を揺るがすような条件は何か,この点についての明確な言及は,本書には見当たらない。前記の「日本型企業社会と家族」では,こう記述している。
 夫は長時間労慟とひきかえの多消費型ライフスタイルを享受し,妻や家族も,家庭の物質的生活基盤が充実するかぎり夫の家庭不在に不満をいうどころか感謝している。このような家族は,日本型企業にリードされてきた内実のない「近代家族」である。欧米のような愛情重視の「近代家族」ではない。とすれば,この均衡状況を揺るがす「コーナーストーン」は男女,親子をめぐる関係性に対する強力な問題意識の形成,家族の幸福像の転換にあるとして,日本型「近代家族」モデルを越える新たな生活共同体モデルの今後の動きと,その性別分業構造に異を抱かざるを得ない女性労慟者のゆくえに期待を寄せる。

 以上,著者の家族研究から教示を受け,興味深く学んだことを中心に記述してきた。その上で,いくつかの疑問も出しておきたい。
 まず,性分業家族をあるべき家族モデルとする家族社会学,あるいは家族外に問題解決の方途をみる傾向にあるマルクス主義家族社会学がいかに現実の家族と社会の関係や変動を説明するのに無力かは良く分かった。しかし,おそらく評者も含め読者が最も知りたいのは,著者が発見した「家族賃金」観念や多消費型ライフスタイルを背景に成り立つ「日本型近代家族」を否定的にとらえるなら,では,どのような家族を展望しているのか,また,そのためにはどのような処方懐があるのか,などであろう。
 そこで,評者なりに今後の著者の研究に三点ほどの課題を期待したい。まず第一に,性分業家族の普及過程にあって,労働者家族が上層階級の家族を欲したという解釈がおもしろく,では,性分業家族が崩れて行くのは,上層階級が共働き,ないしはシングルやシングルマザーなどなど多様な家族形態を作り出して行くことか,と考えた。これならば,現代フェミニズムの潮流が,たしかに作り出してきている現象ではある。欧米では上層や中産階級の女性たちが,性分業家族の中の主婦役割から脱却して共働きやシングル,シングルマザーを選択してきているからである。他方,日本では,まだ,そのような現象はマクロレベルでは見えてこない。なぜなのか,家族社会学からの解答を得たいと思う。評者は,労働政策と社会保障政策をつらぬく性分業家族優位の社会政策が高所得の夫のカップルを有利にしており,その結果,そうした夫を得やすい高学歴女性ほど労働市場から退場しやすい構造が日本では作り出されているのではないかと考えているが。
 第二に,愛情というよりも性役割分業の濃厚な「日本型近代家族」を否定しているが,これに変わる「新しい生活共同体のモデル」とは具体的にはどの様な共同体なのかを明らかにすることが必要だろう。というのは,日本の場合,おなじ性別分業家族といっても,中高年にみられる「役割結婚」ではなく「真の愛情」に基づく結婚というコンセプトが,もう一つの選択として常に若い男女に幻想される可能性があるからである。しかも,日本に際立つ「主婦の座の居心地よさ」は,若い女性に主婦願望を絶えず再生産している。多様な家族や自分らしいライフスタイルの選択には,責任やある種の犠牲と困難を伴う現状では,性分業家族の優位性は制度以上に,過半の女性たちに支持されているのかもしれない。
 第三に,「日本型近代家族」を支えている「家族賃金」,あるいは「多消費型ライフスタイル」の行方についてである。家族賃金を否定するなら,これをどの様な賃金にして行くのか。家族賃金は今日では企業レベルよりも,むしろ家族のほうからの要望が強い傾向にある。とすれば,どのような家族,どのような妻と夫に家族賃金否定の客観的な条件が生じているのか,など,検証して行くことは多々あるように思われる。そして,「多消費型ライフスタイル」是正の展望もまたおおいに知りたいところである。著者の今後の研究に期待したい。




ミネルヴァ書房,1995年11月,234+24頁,定価3,500円

しおた・さきこ 高崎経済大学経済学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第453号



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