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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




下山房雄著
『現代世界と労働運動――日本とフランス




評者:芹澤 壽良



 本書は,著者が九州大学経済学部の定年退職を前に,専修大学高橋祐吉教授の協力をえて,1983年以降,90年代半ばにかけて書いた数多くの論文や報告,講演等のなかから,主要なものを編集した論文集であり,6冊目の単著である。著者が社会政策,労働問題の研究者として,1959年に『文献解説・日本の賃金問題』を発表されてから今日までの間に,現代の広範かつ多様な労働問題の理論,政策,運動の面にわたる研究を進め,相当数の研究業績を単著だけではなく,共著,編著,論文,調査報告,学会報告,時評,書評,講演録等の形で発表されてきたことは知られているところである。
 著者は,“はしがき”で本書を「研究者の世界よりも実践家の世界に向けて語ることが多くなった」ところから,「学術研究書のスタイルをとっていない」としているが,本書に込めた気持ちを前著『現代日本労働問題分析』(1983年刊)と同様に「…労働問題さらには社会科学研究者にも,社会労働運動の活動家にも読んでいただきたいと思っている。研究者には,われわれが生きている歴史の現実を,とりわけ外的対象に目的意識的に働き掛けているという人間行為を,社会関係という対象に対しても行っている様々の場面を,事実として認識しかつ意味を考えてもらいたいと思う。実践家には,歴史的社会的現実を理論的法則的に把握することに習熟してほしいという気持ちである。」と述べている。

 本書の内容構成は次の通りである。

 以上の序章と前編各章,後編,結章,「あとがきに代えて」には,それぞれ1996年8月段階と思われる時期の解説的な前書きが書き下ろされており,初出文献の明示とあわせて,その後の状況の変化,展開のなかでの著者の認識,評価の重要な変更,削除箇所等の説明がなされている。  このような既発表の論稿を集めて再編し,部分的とはいえ加除修正して,補足的なコメントが付された論文集については,著者の基本的立場を読み取って,個々の論稿のポイント紹介し,そして全体的に感想を述べるという方法がよいように思われる。以下,「労働者教育」の立場からの「書評と紹介」としたい。

 著者の本書全体から把握できる理論的,実践的な基本的立場は,科学的社会主義の理論に基づく「左翼的立場」を自認し,社会変革の主体として労働者階級と労働運動を位置付け,とりわけ労働組合運動の「自然発生性」とその発展の合法則性を確信し,将来にわたって人間社会に主体的に働きかける積極的な存在意義を持つ運動であると主張する立場,現代日本社会の労働組合運動については,とくに基幹的重化学工業部門の労使関係と主流の会社一体の企業別組合運動に対抗するさまざまな形の労働運動を重視し,「原点」に依拠した階級的な労働組合運動の再生と多数派への発展を期待して,労働問題研究者としてそれに寄与していこうとする立場,このようにみることができるであろう。
 序章は,「社会主義体制」崩壊後の現代世界を労働者階級とその運動の視点から「資本主義体制の病弊への抵抗と改革の運動が,東西一体化した世界的規模で行われる時代がやってくる」との認識と展望をしめして,その根拠を労働組合運動の自然発生性に求め,旧社会主義諸国への資本主義市場経済の導入は,そこに大衆的労働組合運動の形成,復活をもたらさないわけにはいかないだろうとする。「資本主義勝利」論と「社会主義敗北」論が拡がる当時の時代風潮のなかで,この「東西一体化」という認識と視点は慧眼といってよく,混迷状況にあった日本の労働組合運動への提起は時宜にかなった積極的な意義をもつものであった。
 前編の一章,三章,五章は,労資(使)関係,労働組合運動に関する論稿であり,著者の最も関心の高い研究分野のテーマである。
 一章は,戦後日本の企業別組合の変化に関する学説を検討し,そこから産別の時代,総評の時代,同盟・JCの時代に分けて企業別組合の機能,組織の変化が組合主導路線の交代(イデオロギー)と不可欠に結合していたことを明らかにしている。
 著者が前編各章や「あとがきに代えて」の戦後日本の労働組合運動論に関わる部分において,繰り返し主張している論点(「65年画期説」)は,1960年代の半ばに基幹的な民間重化学工業部門の大企業において,労働組合の企業への抵抗組織から企業への協力組織への交代,転換(「日本的労使関係」の成立)が,強力な労務管理の誘導,左派活動家へのあらゆる差別,職場の自主的な諸活動の抑圧,組合執行部の会社派による制圧,インフォーマルグループの全国的結集など,こうしたなかで労働者多数の同意をとりつけながら行われ,その結果積極的な意義をもっていた春闘も「社会運動から管理された制度」へその性格が変化し,単産は企業別組合の連合体に変わり,雇用と生活を犠牲にしても企業を守るのが労働組合の課題とする路線が春闘をも貫いていったということである。
 鉄鋼業の労使関係と労働組合運動に関心をもつ評者も,基本的にこの評価に賛成であるが,「日本的労使関係」(筆者は,「企業社会」という概念は使用していないが,その内容についての認識は同じではないかと思われる)の全般的な成立段階を規定する場合は,若干段階規定の異なる幾つかの史論があるなかで,その後70年代にかけての労働運動の一定の高揚と後退,停滞という状況が見られたことを考慮すると,1960年代半ばを起点にもう少し長いタームを視野に入れ,官公労の運動や中小企業労働運動を含めて労資(使)関係と労働運動の全体的状況の推移,実態を検討してみることが必要であろう。なお,著者が触れている「組合執行部の会社派による制圧」について指摘しておきたいことは,その主要な手段として会社派による組合役員選挙制度の相次ぐ改悪と運用,それを利用した会社側の大がかりな干渉,介入がおこなわれたことであり,評者は,これを抜きにして,「日本的労使関係」の成立もその後の安定的な展開,維持もきわめて困難であったと思っている。この状況は,今日に至るまで続いており,労働組合の役員を民主的に構成するという組合民主主義の初歩的かつ根本的な改革はかなり長期にわたって実現されていないのである。今日の労働組合の組織と機能,運動の研究において,役員選挙制度の現状と改革の問題はもっと重視される必要があろう。
 著者は,以上のような労働組合が組合機能を果たさない状況のもとで,自然発生性によって生み出されるさまざまな組織・グループによる労働組合運動に注目すべきであるとする一方,1960年代以降の労働運動については,組織論として「争議団」,「守る会」運動のあり方,「左派」活動家集団の結集のあり方,「企業,産業,全国−1組合主義」の有効性について,運動路線としては技術導入に対する観点,職務給・職能給導入に対する対応原則などを検討課題とすべきであるとしている。
 そして「階級的団結の量が増大して,多くの人の眼に再び見えるようにするために,何が必要なのか。…国の内外での闘争経験を踏まえた新たな目的意識的に追究することも必要と考える」として,三つの「挑戦」−1)「複数組合主義(組合選択の自由)」、2)「議会選挙の争点としての制度要求(例:最低賃金制度の金額要求,時間額要求,児童手当の金額要求)、3)労働の社会的有用性を追究する形で組合主義を発展させること」をあげているのである。この内,1)は,著者も書いているが階級的な労働組合運動に影響力を持つ諸集団の考え方や現実の運動状況から論議の発展は期待しにくいが,しかし,これを含めて著者が提起しているこれらのテーマは,これからの日本の労働組合運動の改革と発展に関わる課題として,あらためて「歴史的転機」を迎えているといわれる今日,現代の労働組合,労働組合運動とは何か,その性格,組織形態,任務の原点から深めていくことは必要であろう。

 三章は,この3)に関連するが,国鉄労働組合を素材に,労働組合運動の現代的課題としての産業政策闘争の意義を論じ,産業政策闘争は,労働者の「合理化」への直接の抵抗闘争と並ぶ運動から生産者である国民・住民の共通的要求実現のための闘争として構想され,労働者みずからの日常的労働実践において,産業のあり方を国民・住民の利益擁護のために動かしていく路線(左派的産業政策論争)が登場したとする。こうした闘争の追究によって労働組合運動の強化につなげることが可能となるのではないかというのが著者の提起であるが,わが国におけるこの取り組みの数少ない方針と実戦の経験を紹介しながら,左派的産業政策闘争を「労働を通ずる自己実現及び他人との類的関係の確認を労働の場で意識的に追究することとして」展開することを「挑戦する価値のある路線」と強調しているのである。評者の認識では,労働組合運動における産業政策をめぐる問題ぐらい論議が中途半端で立ち消えになった論点はなかったと思っているが,本書でもこの三章は難解な部分が少なくなく,とくに組合活動家に対する説得力が弱いように思われる。今日の構造的な雇用・失業問題の深刻化は,あらためてこの問題についても,労働者協同組合運動をはじめこれまでの諸経験を踏まえた原理的な点からの論議を深めることをもとめているといえよう。
 五章は,階級的な労働組合運動の再生,あり方に関わるもので,これまでの日本の民間大企業労働運動の可能性をめぐる戸木田嘉久氏と元島邦夫氏の論争への著者のコメントと著者の『戸木田嘉久著作集・第一巻』への批判的書評が中心となっている。この論争には当時,多くの関心が寄せられ,発展が期待されたが,著者によると今日にいたるも戸木田嘉久氏の反論や新たな議論展開はなされていないという。なお,注目されるのは,この章の冒頭のコメントで,著者の連合評価について,従来連合は「もはや」あるいは「もともと」組合ではないと主張してきたことを自己批判し,「連合」組織がまるごとではなくて,その指導路線が組合ではないという言い方で一貫すべきであったと評価を修正していることである。これは運動組織にも求められることであるが,労働組合が労働者のみで組織されているかぎり,その指導路線の如何に拘わらず労働組合としての基本的性格は何らかわるものではない。今日の日本の労働組合運動にもとめられているものは,ここの労働組合組織の民主的な自己革新と異なる組織間の共通の要求,闘争課題に基づく共同行動,統一行動の追究と組織化ということであろう。
 第二章は,労働組合運動の闘争課題として,最初に今日の賃金・労働時間問題をとりあげ,著者は「賃金世界一はデマ」論を吟味すべきだと主張し,「実質賃金の低位と名目賃金の高位との矛盾が絶対的存在として今日の日本の労資関係を規定しているとみるべき」とする。雇用・失業問題では,1980年代に至る労働組合運動の特徴的な取り組みを総括し,要求実現の雇用闘争の基本として、1)職場闘争による労働協約の獲得,2)雇用に関わる政策・制度闘争の展開,3)独占資本の利潤・投資への民主的規制による日本経済の再建を実現させる革新的政府の樹立を提起している。この雇用・失業問題に関わる疑問点は,先進資本主義諸国の深刻化し,構造化している雇用・失業問題の動向とわが国における独占大企業のリストラ「合理化」を支える政府,財界の「産業空洞化」や「規制緩和」,「雇用破壊」などこの分野のいわゆる「21世紀戦略」については,ほとんど触れられていないことである。執筆時期との関係と思われるが,六章における批判だけではなく,この章の本文あるいはコメントにおいて何らかの補足的措置が必要であったのではないか。
 四章は,はじめに1985年に制定された男女雇用機会均等法とそれに伴う労働基準法の改定について,法規定の内容と問題点,成立の背景と論点などを解説し,女子保護規定についての著者の態度は,「妊産婦保護はもちろんそれ以外の女性保護も,労働保護の一般的基準徹底改善の実現するまで,擁護するものである。」と明確である。労働問題研究者の成立時の均等法コンメンタールとしては法律家のそれとは一味違ったその後の運動にとって有益なものであった。「女性労働と賃金体系・価値理論」は,現在,法律家も参加して行なわれている同一価値労働同一賃金論争,職務評価の技法導入をめぐる女性運動内部の意見対立に対して,誤解,混乱を整理する役割を果たしたと思われるもので,女性職種の年功賃金カーブを類似学歴・類似勤続の他職種の年功カーブと比較し是正することに「同一価値労働同一賃金」思想は十分に役立つが,その確認に職務評価は不要であるとする。そして女性が定型的支援職にとどめられ,その仕事に対する年功的賃金カーブがグッと寝た形になっていることは賃金問題というより仕事差別・雇用隔離の問題で,賃金問題としては低すぎる定型的支援職の年功的賃金率を労働組合運動で引き上げていくことであるというのが著者の見解である。

 六章は,日経連が1995年5月に発表した文章『新時代の〈日本的経営〉』を財界の新戦略として,その背景,雇用,賃金,労働時間,対労働組合戦略を批判している。雇用については「終身雇用終焉宣言」,賃金については「不定期昇級制(1920年代)への復帰」,労働時間については「裁量労働拡大でホワイト・カラーの『生産性』向上へ」,対労働組合については「リストラ協力コミュニケーション組織の維持」と特徴付け,労働組合への新戦略は,団体取引による賃金・労働条件の維持・向上といった基礎的機能を持った労働組合をますます駆逐しようとしているとしている。この対労働組合戦略については,労働組合をはじめその他の労使関係を民主化し,組織力,闘争力を強化し,労働組合を中心に配置した対抗戦略の構築が求められることになろう。
 後編の第七章と第八章,「フランス社会労働紀行」(1)(2)は,著者の現地からのフランスの歴史,社会,文化,労働への造詣の深さが窺えるユニークな留学レポートで,とくにフランス労働運動,女性運動等の当時の組織事情と実態の理解にも役立つものとなっている。このレポートから「国際女性デー」が1977年から国連デーとなった事実を把握したとする研究ノートも発表されている(伊藤セツ「国連デーとしての“国際女性デー”の20年(1977−1997)」『昭和女子大女性文化研究所紀要』第20号)。
 第九章は,1980年代のフランスにおいて,雇用,労働時間の柔軟化と並行して導入がすすめられた「同一職種・同一職務・同一等級あるいは同一賃金係数の労働者の賃上げを,個々人の業績査定によって差別化する」賃金個別化という賃金管理手法運動の調査研究であり,著者の結論的評価として,フランスの,特に企業レベルでの労働組合の弱体化を狙った特有の政策,運動であったとする。
 結章は,ペレストロイカ下のソ連「社会主義」における労働組合の新しい可能性を指摘し,また資本主義における社会主義を展望する労働組合の役割について,著者は労働組合の企業改革と経済政策改革が社会主義構築の基盤となるとの主張がソ連東欧体制の崩壊によってますます正しいと考えるようになっているとしている。
 「あとがきに代えて」は,時期的には著者の最も新しい論稿であり,そこでは,労働組合が見えにくく,一方元気な市民運動が存在するなかで,労働運動への消極的,否定的空気が広がっている今日的状況−「労働組合運動はオシマイ?」といった見方に対して,衰退したとはいえ現存している階級的な労働組合運動は,人間社会への主体的働きかけで発揮される運動総量は市民運動よりはるかに大きく,独占体対抗的「改革」の主力部隊となっていること,労働組合運動の課題は,賃金労働者の生活に根ざすという意味で普遍的であり,労働者のいる所どこでも運動が起きる必然性−いわゆる内発性と自然発生性があると批判している。そして,階級的な労働組合運動の前進のためには,活動家が周辺の労働者に対してうまずたゆまず辛抱強い働きかけを重ねる努力とともに,さきに紹介したように国の内外での闘争経験を踏まえた新たな三点での挑戦を目的意識的に追究することも必要であるとしているのである。評者も著者の「労働組合運動はオシマイ?」論否定には賛成であるが,いうまでもなくさまざまな強さと弱さをもった現存する各種の市民運動と共通する要求,課題でセクト主義を排して幅広い連帯と統一を追究することがますます重要性を増している時代であることも確認しておくことが必要といえよう。

 本書は,以上のように前著の『現代日本労働問題分析』と同様,著者の基本的立場,問題意識から戦後日本の労働組合運動史論と労働問題,労使関係,労働組合運動の現状分析の書であり,同時に理論上,政策上,及び組織・運動面において検討を必要とする問題点と運動を展開させていく見地からの提言が少なからず盛り込まれた書となっている。このなかで,いくつかの点で自己批判をおこない,著者が支援する階級的な運動主体や同じ「左翼的立場」の研究者への批判,苦言も率直に提起しており,このような姿勢は労働問題の研究と労働組合運動の発展にとって大切なことであろう。こうした点からも,著者と異なる立場に立つ労働問題研究者や労働組合運動関係者にとっても,本書は,今日の労働問題と労働組合運動研究にとって一定の意義をもった必要な参考文献であることは確かである。
 しかし,本書は,執筆時期を異にする論稿を再編集した論文集であり,それに補足的に書きおろしたコメントが一層濃縮化された,研究者向けのハイレベルの内容となっているために,とくに社会労働運動の活動家にとっては残念ながら読みにくい,理解しにくいものとなっており,著者の「歴史的社会的現実を理論的法則的に把握することに習熟を」という気持ちを活動家へ伝えるという点では十分成功していないと思われる。本書には,いたるところに著者の蘊蓄を傾けた規定的な簡潔な叙述があるが,たとえば,戦後日本の低賃金の変貌について記述した「それは…先進工業国相互の賃金水準の収斂過程であり,国際的な労働市場運動へ日本的低賃金が統合されていく過程といえる」といった箇所などもその一例で,説得力ある説明,記述が求められるところである。
 また,本書全体の内容にかかわる現代世界の労働運動の状況も,日本の労働問題と労働組合運動をめぐる動向もコメントが付された1996年8月段階以降,急速に新たな情勢が展開され,韓国の労働法制改悪反対ゼネスト,ヨーロッパ諸国におけるストライキ闘争の発展,ロシア全土での労働者の生活防衛の統一行動,アメリカ労働運動の高揚への変化とUPSストの歴史的勝利,わが国における雇用・失業問題の深刻化,男女雇用機会均等法改正・労基法女子保護規定撤廃反対論争,労働法制改悪反対闘争の近年にない発展などがそれである。「国際とはなによりも隣国との関係」という持論から韓国を重視する著者の視点は,国際連帯活動の弱点を突くものであるが,本書で韓国労働運動の状況が僅かしか報告されていないのは残念である。
 こうした点を考えると,評者は,21世紀の新しい時代を前に,著者がこれまでの蓄積された研究業績の上に,現代世界と日本の労働問題,労使関係,労働組合運動に関する基本的な課題を体系的に設定し,国際的な諸条約の動向も加え,著者の基本的立場に立った独特の方法論による新たな書き下ろしを期待したいと思う。その場合,著者が自らのライフヒストリーを語ったあるインタビューにおいて(『経済科学通信』No.73 1993)「…また本格的な調査をやらなくては…」という思いを述べているので,強い関心をもち続けてきた基幹的な重化学工業部門の最近の労使関係,労働組合運動の調査を実施され,その結果を新著に反映させてまとめられるならば,本書のはしがきに書いた著書の思いと気持ちは多くの社会政策・労働問題の研究者や社会労働運動の活動家に届くのではないか,そんな感想をもつのである。



御茶の水書房,1997年1月刊,414頁,本体4500円

せりざわ・ひさよし 高知短期大学名誉教授 法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員

『大原社会問題研究所雑誌』第481号(1998年12月)



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