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大沢 真知子 著
『経済変化と女子労働――日米の比較研究

大沢 真理




 本書は,いわゆる近代経済学の労働経済論の蓄積にもとづきながら,現代日本の女性労働を分析する本格的な研究の成果である。「はしがき」での著者自身の紹介によれば,経済発展と女性の社会進出との関連,有配偶女性の就業を説明する経済要因,女性の雇用就業の高まりにもかかわらず性別賃金格差が縮小しないわけ,経済変化が結婚や出産に与える影響,などがアメリカと比較研究されている。
 欧米諸社会,とくにアメリカとくらべて日本の特徴と指摘される点のいくつかは,以下のとおりである。
(1)日本では,6歳以下の子どもをもつ有配偶女性は,正規従業員・非正規従業員の働き方を問わず就業率が低いが,7歳以上の子は母親の非正規従業員としての就業率を高める。つまり出産・育児により就業中断,再就職はパートとなるわけで,アメリカのパートタイム労働が育児期に就業を中断しないために選ぶ形態であることと異なる(第2章)。
(2)結婚・育児で退職し,再就職した女性の中断期間は,イギリス,アメリカにたいして日本が明らかに長い。働く女性の育児の状況は,イギリスでは夫の育児分担が高く,アメリカでは,夫や他の身内,友人・隣人,ベビーシッターや私立保育所,と分散しているのにたいして,日本では圧倒的に祖父母と保育所で,夫の分担の低さが目立つ(第2章)。
(3)1992年のILOの報告書によれば日本の性別賃金格差は他国にくらべて大きく,1980年−88年の格差拡大の度合いも最大だった(この格差はパートタイマーを含む数値)。賃金に影響するはずの「人的資本」投資のなかでは,4年制大学への進学率に大きな性別格差があることが日本の特徴だ(第3章)。
(4)企業規模別に男女の従業員の平均年齢を日米で比較すると,日本の女性労働者についてのみ,規模が大きくなるにしたがって平均年齢が低くなるという現象が見られる。男性にくらべて女性の離職率が高いことは日本にかぎられないので,女性の離職率の高さでこの現象を説明することはできない(第4章)。
(5)1970年から80年代末までの日本では,女性の正規従業員は増加せず,非正規が激増した。同時期にアメリカではフルタイマーとパートタイマーはほぼ等しい率で増加した。またアメリカでは非正規を正規に登用している企業が8割をこえ,日本の2割程度と対比される。日本の女性一般労働者と女性パートタイマーの時間あたり賃金の格差は,他国にくらべて大きく,70年から拡大してきた(第6章)。

 このような特徴の要因について,先行研究を十分にふまえながら独自の分析がなされている。ここでは私自身にとってとくに興味深い性別賃金格差の分析を紹介しよう。
 著者が賃金センサスから作成した「時間給」(年間の特別賞与なども含めて実際に支給される給与を総労働時間数で除したもの)の推移によれば,フルタイム労働者の性別賃金格差は,1975年までの格差縮小,75−76年に格差が拡大したあと85年まであまり変化が見られない時期,85年以降の格差縮小,という3つの時期に分けられる。1980年代の末でも女性の賃金は男性の60パーセントを越えていない。フルタイム労働者にパートタイム労働者を含めた性別賃金格差の数値は,75−76年にフルタイマーより大きく拡大し,以後2つの数値は乖離している。
 ボーナスを含めた賃金を労働時間で調整した時間給の格差は,性別格差の指標として最小となるはずだが(女性のほうが労働時間が短いなどのため),フルタイマーについてもその格差が40パーセント以上というのは,先進国といわず工業諸国のなかで最大級といっていい。こうした格差について,労働白書などで表明される日本政府の公式見解は,女性労働者の年齢,学歴,勤め先事業所規模,勤続,職階などを「男子にそろえれば」,格差はかなり縮小する,というものだ。
 そのような見解の背景には,明らかに人的資本論が読みとれる。周知のようにこの理論は,労働力需要側=企業の差別的な処遇よりも,供給側=労働者が合理的選択によって蓄積した「人的資本」(教育,訓練,経験などをつうじて獲得する能力の総体)の差から,賃金の差を説明する。女の賃金が低いのは,本人が能力を獲得しなかったためなのだ。
 人的資本論にたいして著者は,個人の人的資本投資が制約のなかでおこなわれている点に注意をうながし,女性の教育投資と就業パターンの変化を追跡する(第3章)。4年制大学への進学率の大きな性別格差に着目しつつ,進学率を左右してきたのが,教育投資にたいする将来所得の予測(期待収益率)よりも,むしろ現在の家計所得や親の意識だったことを指摘する。就業行動については,1965年生まれまでのコホートについて,きわめて画一的な結婚・出産による就業中断というパターンが支配し,就業機会の拡大におうじた女性の勤続年数上昇は見られない。就業機会に対応して日本女性が結婚・出産の延期または回避という形で自分の人生を調整しはじめたのは,1980年代後半から,という。
 しかし,以上は性別賃金格差の要因の一半でしかない。著者がより力点をおいて分析するのは,企業の雇用慣行である(第4章)。ここで著者はまず「統計的差別」仮説に対面する。同仮説によれば,企業は労働者を採用する際に,一人一人の将来にわたる能力を判断するだけの情報はえられない(えられてもコストが高すぎる)。そこで性別,人種,年齢,卒業学校の社会的評価といった指標で,労働者の採用,教育訓練投資のあり方を判断する。女性は男性にくらべて統計的に離職率が高く,教育訓練投資を回収できないおそれが高いので,最初から低劣な教育訓練しか与えられない。その結果,生産性も低くなり低い賃金をうけとる。こうして,労働市場での制度的な差別や経営者の差別的な嗜好がなくても,賃金格差は生まれる。
 女性の離職率の高さや勤続年数の短さが企業にとっては所与であり,その条件のなかで企業は利潤最大化(費用最小化)という合理的な行動をとっているにすぎないというのだから,「統計的差別」と称しても,かぎりなく無差別の仮説といえるだろう。その政策的インプリケーション(含意)は,女性の離職率を低めるために,家庭と仕事の両立に配慮するような施策,となる。またこの仮説の系論として,離職率の男女差が大きい産業ほど性別の雇用管理をおこなう企業の割合も高い,という仮説が導かれる。
 しかし,実証研究によれば後者の仮説は検証されない。逆に,女性活用的な人事管理が女性の定着率を高めることはすでに明らかにされている。そこで著者は,むしろ企業の人事管理や賃金制度そのものが女性の早期退職をうながし,女性活用を妨げてきたという見解をとる。その際に援用されるのが,労働市場が内部と外部とに分断されているという二重労働市場論と「効率賃金」仮説である。
 効率賃金とは,大組織やチームワークのために労働者一人一人の生産性をつかむのがむずかしい場合に,市場賃金よりも高い賃金を支払い,労働者にとって解雇される費用を高めることで怠けを防止するよう,制度的に決められている賃金である。労働者に再就職の可能性が低いほど,また現在の賃金にくらべて将来の賃金が高いほど,労働生産性は高くなる。長期雇用を前提として,教育訓練や配置転換,昇進をつうじて人材を育成していく労働市場――内部労働市場が発達した大企業では,労働者個人のその時々の生産性にかかわりなく市場賃金よりも高い賃金が支払われ,しかも年齢や勤続にともなって賃金が上昇する度合いが大きい(急な年功賃金カーブ),というわけだ。
 女性はそこでどのように処遇されるのか。女性が単純で補助的な仕事に配属され,そのような仕事の担当者もある程度年功処遇されるという場合に,企業には女性に若年短期勤続での退職をうながす強い動機が生じる(上記の日本の特徴の(4)にかかわる)。長期勤続女性には,彼女たちの生産性からすれば法外に高い賃金を支払わなければならないからだ。上記のように1980年代のなかばころまでは,きわめて画一的な結婚・出産による就業中断というパターンが女性のライフサイクルを支配しており,大企業が女性を一律に短期雇用を前提とした補助的労働者として処遇する雇用慣行は,ほぼ問題なく動いていた。
 しかし,1980年代にはようやく,就業機会の拡大,高い学歴から期待される将来の高賃金にたいして,女性が結婚・出産を延期や回避してまで職場に定着する傾向を見せるようになる。女性を一律処遇するコストが高まるなかで,大企業ほどコース別人事と非正規従業員の活用におもむくことになった。しかも,「一般職」にも相応の効率賃金を支払う以上,その仕事をより専門的にしつつ,定型的な仕事はできるだけ非正規従業員に代替していくよう圧力がかかる。非正規から正規への登用などは論外である。(第6章)。

 ようするに,女性パートタイム労働者の急増やフルタイマーとのあいだの賃金格差の拡大についても,大きな性別賃金格差の存在についても,「硬直的な企業の賃金制度」が大きな原因となっているというのである。現代日本の性別賃金格差について,著者が採用するこのような見解は,私自身が,人的資本論や統計的差別仮説に違和感をおぼえつつ描いたイメージとも合致しており,心強く感じる。私の疑問ないし不満は,著者がその分析の政策的インプリケーションを十分明確に打ちだしているとは思われない点にかかわる。
 たとえば「今後の女性社員の能力活用は,女性への仕事の与えかたや,何よりも賃金体系の見直しを必要とする」という第4章の結語は,「21世紀に向けての政策提言」をおこなう最終の第9章では掘りさげられていない(ただ生活給から能力給への重心移動が展望される)。
 第9章のむすびでの提言では,第一に,企業外で専門技能を形成できる機会を確立し,外部労働市場を整備することであり,ついで,有配偶女性の就業意欲を阻害しないためにも,税・社会保障制度を世帯単位から個人単位とすること,第三に,女性が家庭と就業を両立させるためのインフラストラクチュアの整備という,むしろ統計的差別仮説になじむ政策が求められる。
 だが,上記の日本の特徴の(1)や(2)に留意した読者は,男性が育児や介護と就業を両立させるための政策こそ必要ではないかといぶかるだろう。家庭と両立しないような男性の働き方が広がったのが,労働市場の内部化が進んだ1970年代の後半からだとすれば(第6章のむすび),労働力の流動化をうながす政策提言の第一は,男性の就業と家庭の両立にとって一助となるとも思われるが,それが明確でない。
 労働力の流動化だけではもちろん不十分で,内部労働市場の核心にふれる政策こそが必要だ。そうした政策が提示されないのは,「硬直的な賃金制度」の由来についての著者の認識にも関連するだろう。年功賃金体系がたんに効率賃金であって,性別にたいしては中立的な制度だと考えるなら,政策的介入を求める根拠は弱いことになる。だが本当にそうだろうか。年功制は,「マリッジ・バー」,つまりとくに大企業に見られる結婚退職の慣行や有配偶女性の採用制限の理由とされるが,そこでの前提条件のなかにすでに,「女性が単純で補助的な仕事に配属されている場合」として,性差別が組みこまれていた。女性は技能形成されず単純補助作業にクギづけされるが,年功を重ねると高賃金になってコストがかさむから,早期退職させる,というロジックである。
 しかし,つぎのように考えたらどうか。年功制とは,元来「妻子を養う」男性の生活ニーズにおうじる雇用慣行であって,そこに女をあずからせること自体論外である。それは戦後の企業経営と労働組合運動のあいだの政治過程の産物にほかならず,経済合理性で説明しきれるものではない。この制度のもとで,男性については個人の生産性とはかかわりなく市場賃金以上の賃金を払うことを覚悟する企業は,彼らには教育訓練投資をして技能を高め,すこしでも年功賃金のモトをとろうとする。他方,低賃金である(べき)女は,単純補助作業にクギづけにして技能形成しなくてもコストパフォーマンスは良好と観念される。しかもそうした処遇で,勤続意欲をくじくこともできるという一石二鳥なのだ。
 とすると,女性についても男性なみの採用と教育訓練投資を保証させ,基幹的な仕事への機会を開かせ,賃金を同等にさせる政策は,年功制を根幹からマヒさせることになる。そして私たちは,いかに不十分とはいえ,そうした政策理念を掲げる実定法をすでに雇用機会均等法としてもっているのである。著者の政策提言が雇用平等法制に言及しないのは,現行均等法の無力さに愛想をつかしたためかもしれないが,本書の分析の潜在的な射程の深さからすれば,惜しまれる点である。





日本経済評論社,1993年5月,xii+301頁,定価4,532円

おおさわ・まり 東京大学社会科学研究所教授

『大原社会問題研究所雑誌』第425号(1994年4月)




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