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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



塩川伸明著
『社会主義とは何だったか』
『ソ連とは何だったか』



評者:岡田 裕之




紹介:社会主義は貴重な歴史的経験,二層認識から四層認識ヘ

  国際情勢の流れは早く一瞬もとどまるところを知らない。ある論者によると冷戦後もすでになく,今やポスト冷戦後の時代だそうだ。だがほんの五年前にはソ連邦は存在していたし,十年前にはその崩壊などSFに近い空想物語であった。いまではしかしこの体制の崩壊ははじめから分かっていた当然のこととして受け容れられ,社会主義体制を支持しそれに期待した人々が少なくなかったことなどまるで忘れられたようであり,かつてマルクス主義者や広義進歩派であった人々は「社会主義」の記憶を消し去りたいかのようである。しかし資本主義と社会主義の二つの体制はつい最近まで核兵器を手にし,人類を人質にとって,それぞれの優劣を競っていたのだ。冷戦後といっても崩壊しまた変貌を続ける旧現社会主義の諸国を国際社会の内に平和裡に迎え入れねばならないのが現在である。塩川氏の今回の二著は,この歴史の彼方に葬られようとしているが,なおその経験は分析されず,これからの世界政治経済再統合の経路が未知である現在において,過去の事態の認識の重要性にあらためて人びとの眼を向けさせ,文字どおり「社会主義とは何だったか」「ソ連とは何だったか」を問う。
 著者は当代を代表するソ連政治史の研究者であり,定評ある著書,論文を次々と発表している。とくにそのスターリン期労働者状態の研究水準の高さは他の追随を許さない。この専門家むけに論文を発表している研究者が一般向けに時事的な発言のスタイルをかりて著わしたのが本書である。体制崩壊論議はこれにて「一巻の終わり」という人々に,止まれ!と叫んで,この事実をいかに解するかを問うこの著書は全く時宜に適っている。
 著者の主張は明瞭であり,社会主義体制の全面的否定論(「ソ連はすべて暗黒の全体主義社会だった」等の)と,「負けたのは特定の型の社会主義にすぎない」「資本主義はそんなにすばらしくない」といった体制への未練を残す議論の双方を鋭く批判する(『社会主義とは何だったか』以下『社』と略記,V,W)。氏によれば二つの体制の間の勝敗は紛れがない。そしてマルクス主義の誤謬は当然として,体制の矛盾を承知しつつもそれを公然と語ることを「帝国主義を利する」として避けてきた広義進歩派にも反省を求める(『社』T)。そこには体制改革に期待した認識(著者を含む)への反省がこめられている。こうして,ペレストロイカから体制崩壊に至る過程(『ソ連とは何であったか』以下『ソ』と略記,W),市場導入による改革論議の挫折(『社』X)の分析から,日本左翼の思想と転向の評価(『社』Z,[),ソ連社会の全体主義論(『ソ』V)に及び,歴史をさかのぼってはスターリン主義の意味(『ソ』U,下っては現在の脱社会主義の諸困難をめぐる「保守派――改革派対立図式」の俗説批判(『ソ』X,Y)へと向かう。これらの主題について氏は現実の経過とともにその思想的,理論的な内容を決る議論を展開しているが,賛否は別としてこれが本書を意義あらしめている。資本主義であれ,社会主義であれ社会体制に思いを回らした覚えあるものは本書を繙いて熟考して欲しいものだ。
 このスタンスに立って氏は,今回の二著において社会主義社会=ソ連社会の全面肯定論(旧来の公式宣言,第一層の認識)とその反転である全面否定論(宣伝は嘘であった,第二層の認識)の安易な交替に,四層分析を対置する。すなわちソ連社会のそれなりに「ましな面」の実態を示し,その上でもう一度それを覆しその本質と問題点を示す,という説得方法をとる。たとえばソ連では簡単に労働者は解雇できた,というのは理想の労働者国家観(第一層)を反転した通俗の誤解(第二層)にすぎず,実際には簡単には解雇できず雇用の保障があった(第三層の認識)のだが,それは過剰人員の抱え込みであって国民経済的には非効率で結局は労働者利益に反した(第四層の認識),と説明する。同様なことが民族問題その他すべてに適用可能である(『ソ』T)。この方法は成功している。
 だがこうした読みやすい本書の啓蒙的側面の紹介はこれに止めて,同じ問題意識をもちながら経済理論から対象に接近した評者から,政治史から研究を重ねた著者への応答と疑問の形で本書の中の二つの重要なテーマにつきコメントを試みて読者の理解の資としたい。

 

対話:経済学者からの回答と政治史家への疑問

 対話の第1は,著者から経済学者への疑問として提起されているポレミークについての回答である(『社』X)。すなわち氏は,社会主義が矛盾した存在であったことは熟知していたから,より深刻な問題はその矛盾が市場導入によって改革されるであろうとした期待ないし展望が挫折して一挙に体制崩壊に至った事実である,という。果たして市場導入はなぜ体制の改革ではなしにその崩壊をもたらしたのか,日本の社会主義経済研究者はこれに答えていない。そしてまた市場はただちに資本主義と同一であるという命題もまた自明といえるか,と氏は問う。
 私見によれば,市場という概念において消費財の市場と資本,労働力,土地等の生産要素の市場は区別されるべきである。前者はその自由度を別にすると社会主義においても可能だし現に存在してもいた。しかし後者の要素市場は全面的な資本主義〈生産〉を前提とし結果とする。そして後者の市場が成立してこそ消費財の全面的市場化が可能となる。これは多少とも経済理論に通じたものであればとくに難しい認識ではない。ここで〈市場〉は流通表面における現象であり,それを支える〈生産関係〉を扱う概念ではないことを強調する必要がある。ソ連における60年代以降の成長率の顕著な低下,豊かな消費財提供の不可能,現代資本主義の繁栄からのおくれは社会主義的生産関係,ないし〈生産様式〉の根本的改革を要請するものであって,〈生産様式〉をその基底において決定している党(独裁労働者党)=国家的所有が廃止されなければ,所詮ミクロ・マクロの経済業績の改善は不可能であった。だから市場改革に期待を抱かない見解はわが国学会にも70年代以来存在していたのであり,氏はそれに注目しなかっただけである。ただ〈市場〉を強調する新古典派経済学が〈生産関係〉を捨象する議論〈生産関数論〉を展開するために,社会主義の体制内改革論に〈市場〉導入による改革に幻想を抱かせる事情が存在した。そして多くの日本の社会主義経済研究者もまた期待をこめてこれらの体制内改革論,主として東欧内での諸提案の紹介に努めた(『比較経済体制学会会報』第32号参照)。
 著者は体制の「矛盾を認識していた」と言うのであるが,矛盾を改革可能なるものとして認識していたか,崩壊を含むものとして認識していたか,が結局肝心である。著者もまた自らの幻想にあわせて根拠に乏しい市場導入改革論議に期待したのであるまいか。
 対話の第2は,体制崩壊に帰着した,その主導者ゴルバチョフ氏の評価を含むペレストロイカの政治史家による分析(『ソ』W)についての評者からの疑問の提起である。 1985年から91年に至るこの経過は綾なす必然と偶然の興奮すべき同時代史のトピックであり,1917年から22年に至るロシア革命史と組み合わさった世界史の劇的な経過であってシェイクスピアも食指を動かす程であろう。著者の力量を信ずる私はここに華麗な分析を期待したが,率直にいって「再生」→「安楽死」→「殺害」のいささか単純な筋書きに多くの疑問を抱いた。
 著者はこの三者の区別と関連を把握することが経過における必然と偶然の絡み合いを解きほぐす上で決定的であるとし,ペレストロイカの“継続”説と“挫折”説と批判する。ペレストロイカはもちろん体制の改革を目指したのであるが,その目標とする「再生」は旧来の社会主義の枠に収まらない,社会民主主義の方向をめざすものを持っていて,その経過のうちにある時期(89年末頃か?)以後,それはゴ氏の意図とともに体制の「安楽死」をめざすものに変わっていた。したがって「安楽死」が結末であればペレストロイカは“挫折”と評価すべきではない。ところがそれが「殺害」に終わったところに経過の特質がある,と著者は結論する。しかし,体制改革をめざしたペレストロイカはみずから意図せずして崩壊を招きよせたのであり,その目標からして挫折以外のなにものでもない。「安楽死」は確認しえず,敵対者による「殺害」は事態の本質を捉えない。何故なら:―
 1 経済改革は規律強化(85年),冗員整理,品質統制,加速化(86年)から始まってようやく87年に市場導入の国有企業法改正に辿り着いた。しかもこれとてハンガリー改革(68年)にも及ばないおずおずした改革で「安楽死」を展望したものとは到底言えない。現場のく生産様式〉をそのまま残した〈市場〉導入はかえって不足とインフレを同時に発生させ,民衆の不満をかきたて,旧体制の経済連携メカニズムを撹乱し(89年〜),揚句,急転して全面市場化による打開をめざす大混乱となる(90年〜)。そこには〈市場〉導入がもたらした〈生産様式〉の解体,ロシア的混乱は見いだされるが,意図的な「安楽死」の方向は見いだされない。全面市場化が結局社会主義経済の崩壊に至ったのはそれが〈市場〉導入が火をつけたメカニズムの混乱の決着点であったからである。
 2 グラスノスチの「新思考」はどうであったか。「新思考」の二元はレーニン主義への復帰と世界普遍的な言論,思想の自由から成るが,これもその意図は改革実施のために保守派を覆す民衆の力の動員のためであった。ただし,党内の複数意見の公然化はレーニン主義のものであったが「表面上の一枚岩」のブレジネフ的停滞を打破するために,これを超えた党外の複数主義を同時に「新思考」が求めたことは事実である。だがこれが共産党の支配をかくも簡単に覆すとはゴ氏はみていなかった。ゴ氏は民衆の政治動員が体制の改革・強化に向かうと期待し,崩壊に向かうとは判断していなかったのであろう。しかしひとたび堰を切れば運動はモメンタムがついて所期の目標には向かわずに予期せざる方向に雪崩をうつ。岩田昌征氏の言う「トップの民主化による独裁体制の崩壊」過程が始まる。「新思考」は体制崩壊をほとんど必然とするその唯一の道を開けた。これは「再生」から「安楽死」への移行ではなく,期待した「再生」の措置が当の体制の没落への門扉を開いたのである。これは「マルクス型」の“墓掘人”による権力の打倒――「殺害」でもなかった(岡田・藤田・岩田鼎談『情況』1994年12月号参照)。
 3 体制の最後の致命傷は共産主義の理念帝国の縮小から解体への転変にある。そこに私は歴史における必然と偶然の織り成す崩壊劇の結末を見る。ペレストロイカにおけるソ連邦の対外膨張の縮小,整理の開始は――必然かつ必要であったのだが――普遍性を請求して諸国民を統合してきたインターナショナルな理念を否定する。縮小はアフガンの撤退から始まり(87年),ベオグラード宣言(88年)を経て東欧支配の放棄に至る(89年)。ゴ氏にとってはこれは連邦を救う対外的な唯一の手段であった。ソ連にもはや他国を扶養する力はない。だが,東欧の体制崩壊の運動モメンタムは理念を失ったソ連邦本体に襲いかかる。ここでは映像を通じてのリアルタイムの情報伝達が観客であり演者である市民大衆の相互作用を増幅する。こうした劇場効果の「革命」は未経験のものであった。一体,国際主義の理念を捨てて“合理的に”生き延びようとするソ連邦国家の存在根拠はどこにあるのか? 国際共産主義の統合理念を失えば民衆は抑圧されてきた国民意識に最も手近な統合理念を求める。ペレストロイカは共和国憲法の連邦憲法に対する優先を浸透させつつあった(88年〜)が、いまや1917年から22年に至る“輝かしい”労農ソ連邦成立のフィルムが逆に回る。ウクライナとロシアの歴史的怨念,相互搾取感が噴出し衝突して連邦は解体する。著者はこの過程に触れていないが,大統領ゴルバチョフ氏は最後まで連邦国家に固執した。ここに「再生」に賭けて歴史から追われ去り行く主役の運命を見る。

付:全体主義とスターリニズムについて

 最後に全体主義につき著者から評者への批判が著書に含まれていたので(『ソ』V;UTとも不可分であるが),正規の反論は別に執筆するとして関心ある方々のために二三付け加えておく。i)全体主義論,スターリン主義論はいずれもソ連史の重要事項であるので,他人の主張を批判する場合には短い批判文からではなく私の著書から引用し批判して貰いたい。拙著を読めば,社会内の多元性,とくに経済における多元性,と政治における全体主義がこの時期(スターリン主義の時代)にいかに関連していたかに私の注意が集中していることが分かったであろう。塩川氏は,多元性と両立する全体主義論など「混ぜものの純金」で成立しない,と形式論を繰り返すだけである。A)前評(塩川著『ソヴェト社会政策史研究』の拙評『日本労働研究雑誌』1992年5月号)における全体主義論の趣旨は,塩川氏への批判であるよりは前任の東大教授渓内謙氏の研究を念頭においたものである。渓内氏の大作『スターリン体制の成立』は日本を代表するスターリン主義研究であると思うが,それはスターリニズムを「正統マルクス主義からの逸脱」(菊地説)と「旧露への退行」(林説)と規定していた。塩川氏は渓内説をどのように考えるのか。B)塩川氏はここでもスターリン主義の特徴をその歴史的限定なしに主張しているように思える。ソ連史はかなり明確に区分できる4つの時期に分けて考察できるが,私見によればソ連の全体主義はこの部分問題であり通史上の問題ではない。





塩川伸明著『社会主義とは何だったか』 勁草書房,1994年9月,IB+250頁,定価2,575円

塩川伸明著『ソ連とは何だったか』 勁草書房,1994年9月,F+250頁,2,575円

おかだ・ひろゆき 法政大学経営学部教授

『大原社会問題研究所雑誌』第436号(1995年3月)

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