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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




小沢弘明・佐伯哲朗・相馬保夫・土屋好古著
『労働者文化と労働運動――ヨーロッパの歴史的経験



評者:中野 隆生



 労働運動や社会主義の歴史に代わり社会史が中心的な地位を占めるようになってから,すでに久しい。その社会史的研究によって多様な人間活動が日常生活に即しつつ明るみに出されてきた。しかし,そうであればあるほど,歴史家の関心は,人びとの暮らしに影響を及ぼす大きな(国民的ときには世界的)社会システムとそれをめぐる動きへと向かわざるをえず,そこに 「労働者の階級としての一体性という神話をいったん突き崩した上で,改めて労働者と労働運動組織との関係を問い直し,労働者の次元から歴史過程に果たした労働運動の役割を相対化」(9頁)し,検討する必要性が生じてくる。
 「労働者文化」と「労働運動」を表題に掲げる本書は,こうした方向での模索の所産なのである。
 本書を構成するのは,対象地域が異なるとはいえ,労働者,労働運動についての関心を共有する4人の研究者の論文である。ほぼ時代順に次のように配列されている。
 土屋好古「帝政末期のロシア労働者と労働者文化」
 相馬保夫「ヴァイマル期ベルリンにおける都市計画・住宅建設と労働者文化」
 小沢弘明「ウィーン労働者の住体験と労働者文化−『最暗黒のウィーン』から『赤いウィーン』へ−」
 佐伯哲朗「第二次大戦後フランスにおける石炭産業の『国有化』と労働運動」
 巻頭には相馬による序論「ヨーロッパの労働者文化と労働運動−歴史研究への新たな挑戦−」が置かれて問題の所在が総括的に示され,佐伯の手になる「あとがき」によって本書成立の事情が明らかにされる。
 ひとまず各論考の内容を紹介する。その際,土屋論文と佐伯論文については,同時に若干の論評を加えるが,ともに住宅を扱う相馬,小沢の両論文はまとめて検討をおこなう。しかるのち,全体にかかわる論点に言及しよう。

 帝政末ロシアを扱う土屋論文の狙いは,「労働者文化」を論ずる手掛かりを労働者生活の具体相に即して探るところにある。そのために,近年の研究動向を踏まえつつ,帝政末期の労働者をめぐる事実から抽出しうる伝統的側面と新しい側面を確認し,その歴史的意味を問い直していく。
 男性労働者に根づいてきた慣習である飲酒や拳闘は秩序への脅威とみなされたため,文化的後進性を示すものとして否定的に評価されてきた。しかし,これらの慣習は労働者間の絆を強める役割を果たしており,その点も視野にいれるべきであると,土屋はいう。他方,非文化的で遅れている存在とされてきた女性については,彼女たちの行動に見てとれる近代的特徴を根拠にして歴史像の修正が迫られていると研究の現状が整理される。
 帝政末ロシアでは,都市型の生活に馴染みつつあった労働者たちのあいだに教養をつけて社会的上昇を目指す志向性が生まれたが,それは夜間学校,日曜学校,小学校など,教育機会の広がりに支えられていた。事実,労働者の識字率は高く,新聞などの活字文化も普及しつつあった。教会の影響力が後退する一方,労働者の自己啓蒙意欲に基づいて世俗的知への希求が強まり,そうした流れのうえに,例えば労働者クラブが都市民衆の社交場として定着した。このように論じながら土屋が幾度か強調するのは,労働者が教養を求めたとしても,それが直ちに一定の政治性に結びつくわけではないという点である。
 論文の狙いがきわめて限定されており,「労働者文化」への全体的展望という点で少なからぬ不満が残る。伝統的慣習にも自己啓蒙志向にも連帯強化と差異化という両面の働きがあったという指摘などについて,より踏み込んだ説明を聞きたかったと思う。
 相馬論文に移ろう。都市計画と住宅建設に即して,本書全体の狙いを実証的に展開しようとする意欲作である。
 まず,19世紀後半以降のベルリンにおける人口動向と住宅事情が紹介される。それによれば,半世紀間に人口の4倍増を見たベルリンでは,高層化や人口密集化が進行する一方で,労働者の居住地区,富裕市民の居住地区など地域ごとに異なる空間が形成された。低所得者向け住宅が不足し,労働者は悲惨な居住条件のもとに置かれたが,その一端は2万戸を数える地下住宅に6万人が住んでいたという事実や賃貸兵舎と呼ばれた労働者向け住宅の描写から窺うことができる。
 つづいてヴァイマル期ベルリンにおける都市計画が検討される。 1920年10月に成立したベルリン大都市圏は左右の政治的桔抗などのため自治体としての集権度は弱かったが,それでも社会民主党などの主導で社会政策の充実がはかられ,M.ヴァグナーやB.タウトを担い手として,都市計画,住宅建設が推進された。ヴァグナーによる大ベルリン構想では,交通問題の解決や商業中心地の活性化といった都心再開発,緑地,余暇施設,集合住宅団地を配する郊外整備,都心と郊外の有機的結合という3点を基軸に,「共和国の首都」のための青写真が描かれていた。構想全体は実現しなかったものの,郊外にいくつかの集合住宅団地が建設され,なかんずくブリッツ馬蹄形団地などには,田園都市論を批判的に踏まえて自然景観と調和した近代的住宅群を求めるヴァグナーらの理念が結晶化した。こう述べた相馬は,同時代に建設された住宅群(フランクフルト・アム・マイン,ウィーン,東京=同潤会)と比較しつつ,ベルリンの特徴として,公益会社による建設,平均的労働者には高めの家賃設定,中途半端な設備改善などを指摘する。
 ヴァグナーらの試みはヴァイマル期の社会主義「労働者文化」といかに関連し,ナチス期の政治対立といかに交錯したのか。この問いに相馬は次のように応じる。すなわち,ヴァグナーらの集合住宅には新しい可能性が存在したが,その恩恵にあずかった人びとはきわめて限られており,圧倒的多数は賃貸兵舎にとどまるしかなかった。ところが,住宅問題が政治の争点となるや,これら取り残された地区の住民たちこそが強固な団結を示し,さらにはナチスに抵抗する労働者ミリューを形成したのである,と。
 「赤いウィーン」をとりあげた小沢論文によれば,ウィーンもまた19世紀後半以降に急激な人口増をとげて住み分けが進んだ。労働者地区には劣悪な住環境が広がっていたが,このことは,中上層労働者の家計支出の25〜35%を占める家賃水準,住宅の一部やベッドを又貸しする慣行の広がりなどから推測されうる。
 当時の都市下層民はいまだ核家族を形成しておらず,又借り人をおくなど,外に向かって半ば開かれた家族関係のなかに生きた。ところで,それが労働者の連帯に寄与していたか否かについては見解の対立が存在する。こう指摘した小沢は,全体としては又借り人と受け入れ家族の摩擦を重視する方向で論点を整理し,第一次大戦以前のリベラル派の改革やキリスト教社会党市政下の施策では住宅の改善は現実化しなかったと主張する。
 以上を前提として,「赤いウィーン」の住宅政策が検討に付される。 1919年市議会選挙の圧勝で実現した社会民主党市政では住宅政策に力が注がれ,多数の集合住宅が建設された。カール・マルクス・ホーフに象徴される,これらの集合住宅では日照や通風を考慮した設計がなされ,洗濯場などの共同施設も充実していたが,同時にまた,家賃が一般の労働者に手の届く低いレヴェルに抑えられていたのである。
 この住宅改革は労働者の社会的結合にいかなる影響を及ぼしたのか。近年の論議が以下のようにまとめられる。すなわち,そこでは個々の住居の独立性を高める空間的配慮が払われており,住民たちは社会民主党の監視下に置かれていた。住民の自治は必ずしも保証されてはいなかったのである。このような点で社会民主党の立場はブルジョワ改革派の見地から掛け離れてはおらず,文化教育によって労働者の自律性を奪い社会主義運動へ導こうとしていた,と。
 しかしながら,小沢によれば,市営集合住宅の影響は「労働者文化」や政治のなかで再検討されなければならない。何よりも,市営住宅に住みえたのは人口の一部にすぎず大多数は劣悪な環境に甘んじていたし,社会民主党の労働者組織率は高く,文化組織のネットワークや教育活動が暮らし全般を覆ってもいたからである。そのようななかで,賃貸人の運動と社会民主党の幸運な関係にも恵まれ,集合住宅は「強固な労働者分化に立脚した社会民主党のミリュー」(187頁)を形成した。事実,1930年代にも圧倒的な社会民主党支持は崩れず,ファシズムにたいする堅固な抵抗基盤を提供したのであった。
 最後に置かれた佐伯論文は,第二次大戦後フランスの労働運動における国有化の一断面を石炭産業に即して照射する。検討の中心にすえられるのは,両大戦間期の労働運動に生まれた国有化構想が,解放直後から冷戦最初期までの石炭産業で,いかに政策化され,いかに変質したかという点であり,その際,経営の三者管理方式に焦点が合わされる。
 1920年代の労働運動で唱えられた三者管理方式が,経済復興の緊急性を背景に国有化が急がれるなかで,解放直後に経営者が追放された石炭業に導入された。 44年末の暫定国有化に際して,炭鉱労働者の組合の主導権を握る共産党系CGT旧統一派が生産拡大に協力する方針をとり,政府,消費者,従業員(生産者)の代表よりなる経営諮問委員会が形成されたのである。
 1946年5月,石炭公社と各地の炭田会社を基幹とする国有化体制が確立した。しかし,主導権争いは激化し三者管理方式も変質を余儀なくされていった。CGT旧統一派が支配力を誇った公社設立時の理事会は三者管理方式を建前としつつも,すでに実質的な二者管理(政府,従業員)の状態にあったが,政府方針の対米依存復興への転換,社共対立の激化,政権からの共産党排除とつづく情勢の変化とともに,労働組合の発言力は削がれ,国家の介入が強化された。 47年,公社や各地の炭田会社に国有化以前の経営者が復帰する事態になり,三者管理方式を根幹とするサンディカリズム的国有化は名実ともに実態を失った。このような動きにたいして,石炭価格の抑制策とその撤回,共産党のマーシャル・プラン反対路線の採用などが絡んで,大ストライキが惹起されたのである。
 以上のように,石炭産業の国有叱が戦後フランスの経済,社会において多様な要因の交錯するなかで展開したことが明らかにされている。しかしながら,語られるのは石炭産業をめぐる諸勢力の主導権争いと労働運動の敗退であり,ここから「労働者文化」へたどりつくまでには,まだ,少なからぬ距離が残されているであろう。

 相馬論文と小沢論文を対象として,住宅問題という角度から労働者や民衆の歴史に接近する際の問題点を考えてみることにしよう。
 住宅問題を歴史研究の対象とする場合の難しさのひとつは,居住環境の改善をめざした著名な住宅の事例について,建築物としての情報がたくさん見出しうるにたいし,そこに暮らす労働者や民衆に関するデータは残りにくいという点にある。逆に,世間の耳目を集めた政治的社会的出来事をめぐって,労働者や民衆に関連する史料が残される可能性は高いが,彼らの住まいについてはほとんど知りえないものである。労働運動史,民衆史などを起点とする住宅問題の研究は住む場所と住む人との関係を抜きにしてはありえないが,情報の偏在がしばしば統―的な検討を困難にする。
 両論文もまた,こうした困難から自由ではないように見える。相馬論文は,ヴァグナーらの主導した郊外集合住宅を俎上にのせながら,労働者の生活や運動を検討するときには住宅改善から取り残された地区に言及するしかなかった。小沢論文の扱うウィ−ンに関しては,改良された集合住宅を社会民主党市政が建設し,その住民たちが社会民主党を支えファシズムに抗する基盤の一角を形成したがゆえに,データ間のずれはベルリンほどには目立たない。ところが,住民の反応の分析においては対象が労働者地区全体にまで広げられており,社会民主党のもたらした集合住宅がどのような影響を及ぼしたかという切り込みはなされない。本来なら,地区ごとの市営集合住宅の分布と照らし合わせて住民の動向を検証するような作業が欲しいところなのである。
 住宅と関連させて住民構成や日常生活を把握するためには,例えば,オーラル・ヒストリーや人口調査(国勢調査)原簿を活用しながら,家族などの社会的諸関係や日常の生活習慣に迫る方法をあげることができる。そこから直ちに借家人運動や労働運動へ連結できるわけではないが,こうした分析を抜きに住宅問題を労働者の政治的社会的行動と結び付けて論じることは,いささか性急にすぎるように思う。
 労働者の日常生活が多様な社会関係のなかで展開されたことは改めて指摘するまでもない。ところで,多くの建築史的研究が明らかにしてきたように(小沢論文でも視野におさめられているように),改良された集合住宅の設計には19世紀以前の住宅との連続性を見出すことができる。そうであれば,社会民主党の主導下に建設された住宅を先行の諸事例と関連づけることは不可欠であり,そこに社会民主党,労働運動と労働者との関係を社会システム全体のなかに位置づける契機を探ることも不可能ではなかろう。この点をあまり重視せずに,住宅建設の推進主体の相違や建設者の主観的意図が強調される箇所(113,176頁)にはやや唐突な感じを覚える。
 まだ触れるべきことは多いが,本書における「労働者文化」の理解について検討し,締め括りとしよう。
 序論のなかで,相馬は「労働者と労働運動によって形成された文化が,それぞれの地域の政治文化とどのように関係し,国民的・社会的な政治を支えあるいは変えていったのか」が問われているとしつつ(9頁),民衆運動・民衆文化研究の視覚・方法を組み込んで労働史・労働運動史を再構成しようと主張する(11頁)。この方向性には評者も基本的に賛同したい。そのときに,労働者の生活様式,心性(メンタリティー)と労働運動の政治文化を繋ぐものとして重視されるのが「労働者文化」である。相馬は,これを労働者の生活文化,労働運動の文化・政治活動という二点を軸にして規定している(12頁)。
 問題となるのは,「労働者文化」を労働者の日常生活に密着させて考えるのか,労働者にたいする労働運動家や社会主義者などからの働き掛けを重視して捉えるのか,あるいはまた,両者の相互作用から生じる何らかの文化を念頭に置くのかという点である。この点をめ・ぐる視角は本書のなかで揺れ動いており,模索がつづいているという感を深くするが,それだけに「労働者文化」を具体相においてイメージするのは容易なことではない。評者としては,「労働者文化」を日常性に即して想定する土屋論文のごとく,労働運動や社会主義政党の社会的文化的政策とは距離を置きつつ日常生活に刻み込まれている文化を措定し,これに不断の視線を送って社会関係総体のなかに位置づける道を探るべきだと考える。住民における「協同体精神」の後退を嘆くタウト(102頁)や旧来の居住様式をまもる労働者家族(121頁)を知り,オーストリア・ファシズムにたいする労働者の指導なき武装闘争(190頁)に注意を喚起されるとき,労働者,住民と労働運動,社会主義政党などとのあいだに依然として横たわる空隙やずれを認めざるをえないからである。
 以上,評者なりに率直な感想を綴ってきた。筆者たちの試みが学問的刺激に満ちたものであることは疑いない。一段と豊かな結実を期待して筆を置く。





木鐸社,1995年12月,241頁,定価3,090円

なかの・たかお 東京都立大学人文学部助教授

『大原社会問題研究所雑誌』第454号



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