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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



Vicente Navarro ed.
Why the United States Does Not Have a National Health Program



 評者:南雲 和夫/中村 雄二




1 はじめに

  1980年代の合衆国における共和党レーガン・ブッシュ政権が目ざした「小さな政府」路線による財政赤字の削減政策は,低所得者層ヘの社会保障予算を削減したばかりか,「富める者」と「貧しい者」との格差を一層拡大する政策以外の何ものでもなかったことは,今日多くの論者から指摘されているところである。1992年の大統領選挙における現クリントン民主党政権の登場は,このような共和党流のネオ・リベラリズムによる社会福祉予算の削減と社会的弱者の切り捨て政策に対する,貧困階層の反発が原動力の一つとなったと言っても過言ではない。
 ところでクリントン政権は,こうした社会的弱者の救済政策の目玉として,まずすべての国民を対象にしたいわゆる「国民保健計画」(National Health Program)の導入を公約に掲げていたが,新聞報道によれば「百パーセントの国民保険は不可能」と事実上公約を撤回したという(注1)。周知のように,合衆国は先進資本主義諸国の中でも,低所得者や高齢者を除いて,政府による包括的な国民的規模の医療保険制度が存在しない唯一の国であり,総人口の10数%を占める約3,700万人もの人間が医療保険に加大していない。その理由や歴史的背景については,わが国でも一部の研究者による指摘や論稿があったが(注2),当の合衆国においてこうした問題の背景を分析し,国民的な医療保険計画の実施へ向けた提言を行っている著作は,残念ながらあまり紹介されていないように見うけられる。
 本書の編者ヴィセント・ナヴァロは,ジョンズ・ホプキンズ大学の保健・社会政策学の教授であり,民主党の大統領候補であったジェシー・ジャクソンのブレーンとして,1988年の大統領選挙の予備選挙で国民保健計画実現のための政策キャンペーンを行った人物である。以下,本書の内容について順に紹介し,若干のコメントを述べたい。


 2 アメリカ医療の現状と問題点―ナヴァロらの主張

本書は全体で6部から構成されている。ナヴァロ自らが執筆している第1部の各章(第1章「レーガン政権の保健政策を導いた選ばれた神話」,第2章「国民保健計画反対の議論」,第3章「世論と合衆国の保健政策についての討論」,第4章「説明というより正当化された医療の歴史」)では,主に合衆国政府・主流マスメディア・学界によって,国民保健計画の不在という現状の政策を正当化する,各勢力のイデオロギー的立場を分析している。
 第1章では,1980年代における連邦政府の医療政策の変化を――(a)医療費支出の削減(b)労働者・消費者・環境保護のための健康上および安全上の規制緩和(c)医療事業のより一層の民営叱・営利化の進行,などを指摘し,それが以下の4つの仮説によって正当化されたと指摘している。すなわち,(1)レーガン・ブッシュ政権は医療部門に果たす連邦政府の役割を小さくするという選挙民からの指示を受けた,(2)連邦政府の社会福祉(医療)費支出の規模と伸びは現在の景気後退の一因をなしている,(3)連邦政府によって課せられた企業に対する保健・安全上の規制のコストが,アメリカ経済を競争に対して脆弱にする一因となっている,(4)医療資源の費用と分配を調整する上で,市場が介在するほうが政府の介入よりも効果的である,というものである。
 これらの見解に対してナヴァロは自らの調査により,こうした考えが事実とはかけ離れていることを論証している。具体的には,(1)アメリカ人の大多数は連邦政府の医療支出の拡大,および保健関連の規制強化を望んでおり,(2)合衆国政府の医療支出・保健上の規制は,経済がより良好な諸国と比べてはるかに限定されたものであり,(3)いわゆる「自由市場」の力が資源の分配を左右する合衆国よりも,政府の介入の度合いが大きい国々のほうがより効果的な医療制度を有している,などである。
 第2章では,国民に一般的かつ包括的な医療給付を保障するための国民保健計画(NHP)設立の声に対して,いわゆる医療産業複合体(medical−industrial complex)と政府による反対の声が存在する事を指摘している。そして彼らの「アメリカ人は生命に関わる問題でこれ以上政府の役割が大きくなることを望まない」「国民保健計画は医療費支出の増加率を一層拡大する」「連邦政府財政は膨大で,国民保健計画の設立以前に赤字を削減する必要がある」「国民はより高い税金を納めることは望まない」等々の主張に対して,これらの主張が科学的な根拠をもつものでなく,むしろイデオロギー的なものであるということを論証している。
 第3章は,合衆国における医療産業の理論誌である『ヘルス・アフェァーズ』誌上におけるナヴァロとロバート・ジョンソン・ウッド財団の指導者であるR,ブレンドン,D.E.アルトマンとの論争を収録している。この中でナヴァロは,アメリカ人の大多数は連邦政府が医療への支出を拡大することを望んでいることを強調している。
 続く第4章は,合衆国における政治機構は国民の信託を受けている国民の代表であり,アメリカ医学の発展は政治機構を通じて表明された国民の願望の結果であって様々な圧力団体が医療の分野で競争し合うことで医療機関が発展を遂げてきたとする,アメリカ政治機構の理想化を批判している。ナヴァロは,大多数の国民の声よりもむしろ大きな力を持つ勢力(医療産業複合体)が保険政策に影響を及ぼしていることを指摘し,彼らが国民保健計画の施行を妨げている集団だと断じている。
 第2部の論稿は,これら医療産業複合体の分析に力点を置いている。第5章「民間保険産業は廃止されるべきか?」では,合衆国における保険産業への明確な批判者の一人であるトーマス・ボーデンハイマーが,保険産業による「保険原理」がいかに人権としての医療の原則と相反するかについて,また彼らによる医療費高騰の原因を暴き出している。そこでは合衆国は既に医療の絶対額と比率の双方において,他の国民よりも多額の費用を費やしているにもかかわらず,医療分野において他国に類をみないほどの様々な問題点に直面しており,その背景に医療の基金とその経営の大半が民間の保険産業の手に委ねられていること,彼らが非効率的かつ浪費的な運営を行っていることをロバート・ブランドンとミカエル・ポドフォルツアー,トーマス・ポラックの3人が第6章「利益なき保険料」で明らかにしている(例えばこれら保険産業が請求に基づいて支払う1ドルについて,経営・販売・他の総経費のために33,5セントを費やしており,これはカナダの国民健康保険制度で要する費用の11倍にも相当する,というように)。
 第7章「1990年代における民間保険の改革」でボーデンハイマーは,これら民間の保険に加入できない階層への各州政府レベルでの対策を取り上げ,その政策の限界点を指摘している。彼は同時に,州政府レベルでの対応を基礎とした医療保険改革の提案に対しても次の3点にわたって疑問を呈する。すなわち,(1)年齢が高く病気がちな人々は,若く健康な加入者よりも医療保険に多く支払わなければならないという,保険上の不公平を処理できない,(2)雇用と医療保険の不合理な結合を拡張する,(3)医療費の高騰率をゆるめないばかりか,医療部門内の節約を通じてより広範な医療の適用を賄うための制度を含んでいない,などである。そして結論的にその対策として,こうした保険改革に代わりうるのは,全国民を単一の被保険者に組み入れる社会国民保健計画を設立することであると提言する。
 次の第8章「合衆国の医療改革へ向けたアメリカ医師会の勧告の分析」では,ナヴァロは前出の保険産業のみならず単一の国民保健計画に反対するもう一つの勢力として,アメリカ医師会(AMA)が存在すること,そして国民保健計画の設立を阻止するためにあらゆる手段を使って妨害してきたこと,などを指摘し,AMAの合衆国における医療問題への現状認識とその勧告に対する批判を展開している。そして第2部の締めくくりとも言うべき第9章「政治活動委員会」でティム・ブライトビルは,これら保険産業とAMAが「政治活動委員会」(PAC=Politica| Action Committees)を通じて連邦政府議会の医療関係の議員に対する献金工作を行い,1990年の選挙に際しても医療関係のPACを通じて,選挙運動期間中の最初の18ヵ月の間に献金が77億ドルにものぼったことを資料より明らかにしている。
 合衆国においては,こうした巨大な財力を持つ医療産業複合体や医師会などの圧力集団に対して,それに対する側――労働組合や社会的弱者,貧困世帯に属する者など――は,残念ながら自らの主張を現実政治に反映させるための手段を決定的に欠いている。第3部の第10章「なぜ幾つかの国々に国民保健計画があり,その他の国々では国民保健事業があり,合衆国にはないのか」でナヴァロは,合衆国に国民保健計画が存在しない理由を西欧諸国のような福祉国家を目指す労働運動,およびそれを政治的に代弁する労働者政党が存在しないことから説明している。つまり,人口比率では圧倒的な少数派である法人資本家階級と上層階級が巨大な経済的・政治的・社会的な力を有する一方,人口の多数を占める下層中間階級と労働者階級にはそうした力が存在せず,選挙でも投票に行かないため彼らの主張や要求を議会に反映させることができない,というのが彼の主張である。
 とはいえ国民保健計画実現に向けたこれら下層中間階級・労働者の闘争が,合衆国に全く存在しないわけではない。第4部11章「民主党による国民保健計画の再発見」では,1988年の大統領選挙における民主党候補ジェシー・ジャクソンの訴えを記録している。ナヴァロはこの選挙戦で自ら医療問題に関する首席アドバイザーを務め,後にニューヨーク・タイムズ紙より政治的大変動と書かれる程の評価を得ている。続く第12章「ジャクソンの国民保健計画」では,ナヴァ口をはじめデヴベット・ヒンメルシュタイン,ステイ・ウールハンドラーら3人によって立案された,ジェシー・ジャクソンの国民保健計画を収録している。
 第5部は,国民健康保険制度に関する各国の経験についての分析,そしてそれらの国民保健計画との関連について述べた章から構成されている。第13章「英国国民保健事業の改革と合衆国の経験の関連]で合衆国の健康維持機関(H―MO)と英国のサッチャー政権によって提唱された国民保健事業(NHS)の諸改革との関連性を分析する。ナヴァロはここで英国のNHSの優位性を評価しつつも,合衆国においてNHSのような制度を導入できる可能性が低いこと――医療機関を公共的な基金で運営することヘのイデオロギー的な嫌悪感の存在――を指摘し,医療事業を民間部門が保持したまま基金を社会化するというカナダなどの事例を参考例として紹介している。その後の第14章「西ドイツの健康保険制度」では,保険産業が徹底的に排除されたカナダと異なり,保険産業が仲介者として重要な役割を果たしているドイツ型の制度の問題点を論じている。
 第6部は合衆国における医療問題の解決へ向けた提案で締めくくられている。第15章「無料のケア」でウールハンドラーとヒンメルシュタインは,合衆国で単一の支払い基金・管理制度に基づく国民保険計画が実現すれば,年間4万7千人から10万6千人の人命が救われ,102億ドルの費用が節約しうると述べている。また最終章で彼らは問題は全く経済的なものではなく政治的なものであり,医療関連産業の完全な国有化と医療制度の改革が実現されれば最低872億ドルが節約できるとの試算を示している。

 3 むすび

 本書の内容について,これ以上詳細に紹介することは書評の枠を些か越えると思われるので,若干の感想と疑問を提示して稿を締めくくりたい。
 まず合衆国における国民保健計画の実現については,ナヴァロが指摘する通り労働者・下層中間階級の動員が不可欠であることは評者も賛成であるが,果たして今の合衆国にそれを担いうる労働運動(そしてその支援を受ける労働者政党)が存在しうるのかどうかについては,評者ならずとも首を傾げざるを得ない点であろう。かつての民主党のジャクソン師によるキャンペーンやクリントン政権による導入計画については,むしろ反対する側の動きからくる困難さこそ目につくものの,これを積極的に支持する側の動向はなかなか見えにくいというのが現状である。ナヴァロをはじめとした執筆者は,そうした状況を打開する戦略をどのように構築するつもりなのであろうか。
 また序文中の「医療改革と民主化の2つの課題はあきらかに相互関連している」との一文から,編著が現在の合衆国における政治システム(二大政党に有利な選挙制度など)の問題点を深刻に捉えていることは理解しうる。しかし,それではそれに代わりうるいかなるシステムの構想を考えているのか,またいわゆる社会的弱者や貧困層の声をいかに政治の場に反映させるかの方法論について,医療問題のみならず他の課題とも絡んで叩き台を提示していくことを期待したいが,そこまで望むのは荷が重すぎるというのが合衆国の政治の現状なのかもしれない。

注(1) 『赤旗』1994年7月21日付。

注(2) たとえば日野秀逸『岐路に立つ日本とアメリカの医療―医療保障か医療費抑制か―』(新日本医学出版社,1994年)など。
なお本稿執筆にあたり,同氏より私信等で貴重な教示を頂いた。記して謝意に代えたい。



Baywood Publishing Company, Inc.,1992, IC+252頁

なぐも・かずお 東京経済大学大学院博士後期課程
なかむら・ゆうじ 翻訳家

『大原社会問題研究所雑誌』第436号(1995年3月)



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