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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版




上野 千鶴子 著
 『家父長制と資本制──マルクス主義フェミニズムの地平



評者:三宅 明正



 「フェミニズム」は,例えば手元にある一九九一年版の『知恵蔵』が,外来語の項では「男女同権主義,女権拡張運動」としている(1,422ページ)のに対して,社会・女性の項では「フェミニズムはかつて『女権拡張論』と訳すのが一般的であったが,現在は『女性解放論』と訳す方が適切である」と記している(284ページ)ことからも明らかなように,その定義をめぐってなお振幅の大きな概念である。だが同時に,「フェミニズムの挑戦」は,近年,人文・社会諸科学のほとんどの領域に及ぶに至り,これまでの認識の枠組みや用語に全面的といってよいほどの問い直し,洗い直しを迫っていることも確かである。
 本書は,「時代を挑発しつづける著者」が世に問うた「フェミニズム理論の総決算」(帯のコピー)で,構成は以下のとおりである。
 PART I 理論編 マルクス主義フェミニズムの問題構成/フェミニストのマルクス主義批判/家事労働論争/家父長制の物質的基礎/再生産様式の理論/再生産の政治/家父長制と資本制の二元論/(補論)批判に応えて
 PART II 分析編 家父長制と資本制 第一期/家父長制と資本制 第二期/家父長制と資本制 第三期/家族の再編I/家族の再編II/結び−フェミニスト・オルターナテイヴを求めて/(付論)脱工業化とジェンダーの再編成/参考文献/あとがき
 概要を紹介しよう。Iの理論編では,女性解放の理論には,1社会主義婦人解放論,2ラディカル・フェミニズム,3マルクス主義フェミニズムの,三つがあり,またこの三つしかなかったと著者はまず主張する。社会主義婦人解放論は差別と抑圧の構造解明に「階級支配」をおき,ラディカル・フェミニズムはフロイト理論に依拠して「家族」における抑圧の構造解明に迫り,マルクス主義フェミニズムはこれら両者を結合して資本制と家父長制の二重支配のメカニズムを解き明かそうとした,とされる。そして本書はこのマルクス主義フェミニズムの現在における地平を明らかにする,というのである。
 著者は,マルクス主義が近代産業社会の抑圧の構造の解明には優れた分析力を発揮したが,それは「市場」の及ぶ範囲に限られており,その外にある家族の問題を分析しなかったとする。だが市場原理の及ばない「家族」という領域は,「市場」へ労働力を供給していた。フロイト理論は,この「家族」という市場の外にあるもうひとつの「社会制度」を再生産するメカニズムについての「社会理論」だったのであり,近代社会の領域が「市場」と「家族」とに分割されていること,この分割とその間の相互関係のあり方が,近代産業社会に固有の女性差別の根源であることを,フェミニズムはフロイト理論の助けを借りてつきとめたのだとする。もっとも,家族における性支配は,心理的支配にとどまらず物質的基盤を有する支配でもあるとして(その物質的支配の基礎は,女性の無償の家事労働への支配と,生殖に対する支配),フロイト理論に拠るラディカル・フェミニズムを批判する。こうして著者は階級支配一元説も,性支配一元説もとらず,市場と家族という,ふたつの社会領域の併存を認め,家族における性支配=家父長制と,市場における資本制の二重の支配は「弁証法的」関係にあるとして,二元論の正当性を主張する。
 IIの分析論では,この家父長制と資本制の関係を,一八世紀以降現代に至る歴史的な見通しのなかで,第一次世界大戦前,1960年代まで,高度成長後の,三期にわけて説明する。著者は産業革命を経て男性=市場へ,女性=家庭へという分化が生まれ,性役割に基づく「近代家族」が成立するが,これは資本の論理のみでは説明できず資本制と家父長制の妥協の産物であったとする。第二期では,未婚女子労働市場の成立とフェミニズム運動の台頭が検討され,第三期では,労働力不足に伴う主婦のパート化の進展下,女性が職業と家事の二つの労働に従事することで,「資本制と家父長制の第二次妥協」が成立したと,論じている。この妥協によって,家族の再編が行われる。結びの章では,「労働」概念の再検討が求められているとして,「女の経験を男の言葉で語る」のではなく,「男のやっていることを女の言葉で相対化する」ことができるときにはじめて,「オルターナテイヴをみつけることができる」とされている。
 本書を通読して,評者はあらためてフェミニズムの射程が広領域にわたっていることを痛感させられた。また,とくに後半の分析編では,近年「家族の危機」といわれる問題をどのようにとらえるのかに関して,女性労働の歴史的な性格の変化など,考えるべき多くの論点が提出されているように感じられた。
 だが疑問に思われた点もある。ことに資本制と家父長制の二元論は,必ずしも「擁護」(125ページ)に成功しえているとは思われない。著者の言うように,「家事労働」(著者の定義は,その中心は「他者生命の生産・再生産のためにする労働」,150ページ)が,なぜ女に配当されたのか,それが資本制の論理のみから説明できないのは確かであろう。しかしそのことと,そこからただちに二元論を主張することとの間には明らかに距離がいるのではなかろうか。資本制と家父長制の二つの論理を認めつつも,前者による後者の包摂を主張する議論は,なお有効性を保持しているように思われるのである。著者は,そうした議論=「統一論」について,第7章「家父長制と資本制の二元論」および補論で批判を加えているが,その部分を読んでもなお疑問は消えなかった。




岩波書店,1990年10月,330ページ,定価2,500円

みやけ・あきまさ 千葉大学助教授

『大原社会問題研究所雑誌』第399号(1992年2月)



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