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『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版



孫 昌熹著
『韓国の労使関係─―労働運動と労働法の新展開



評者:三満 照敏



          

はじめに

  本書の著者・孫昌熹は,上智大学大学院への留学に始まり,東京都立労働研究所研究員,亜細亜大学講師等を経る間に,約15年間の在日研究生活を経験している。その著者が,われわれ日本人読者を対象に,『韓国の労使関係―労働運動と労働法の新展開』(傍点引用者)を公刊されたことは,まさに時と人を得た好企画,というのが,本書を手にした時の評者の第一印象であった。時を得た,というのは,日本においても近年,87年以降の韓国の労使関係に対する関心が一段と高まっていると見受けられるからである。また,人を得た,というのは,著者の在日経験の豊富さと併せて,漢陽大学教授と同時に,韓国労働研究院長,韓国労使関係学会長を歴任されたキャリアーを想起させたからである。日本の労使関係事情にも通じ,韓国のそれにも過不足なく目配りのできる人は,それほど多くはいないだろうと思われる。そして本書を読了した評者の総括的な感想は,前記した第一印象が必ずしも的はずれではなかった,という点につきる。ともあれ,以下で,本書の内容紹介とそれに対する評者なりのコメントを記すこととする。

 

本書の内容

 本書は,書名の副題にもあるように,韓国の労働運動と労働法が1987年の“6.29民主化宣言”以降,どのような展開過程をたどり,現在どのような課題に直面しているかについて,日本人読者に一定の鳥瞰図を提供することを意図していると思われる。そのことは本書の構成(目次)からも容易に見てとれる。つまり,第一部(韓国の労使関係の特徴とそれをとりまく環境の変化)は,本書のいわぼ“序論”に相当する部分であり,続いて第二部(労働運動の新しい展開)と第3部(労働法の改正)で“本論”が展開される。
 第一部では,労使関係の韓国的な特徴として,以下の6つが挙げられる。1)家父長的伝統社会の価値観が支配する垂直的な人間関係,2)トップ・ダウン型の意思決定,3)労働運動に対する異端視,4)非共同体的な結合,5)自主的な公正ルールの不在,6)労働統制的な立法と行政,がそれである。ところが87年を前後して,韓国の労使関係にもかなり変化する兆しが現れはじめた。その変化を促す要因として,政治的・経済的・社会的な環境の変化が挙げられる。そしてこれらの変化のキー・ワードは「民主化への要望」である。今一つの要因としては,雇用労働者の量的増加・質的変化と労働運動の高まりが挙げられている。ここでの“質的な変化”とは,「飢えからの脱出を渇望した1960年代以前の『生存への欲求』に『豊かさヘの欲求』がとってかわった」(14頁)ことをいう。そしてこうした変化の頂点をなす1987年夏の「教訓」として,「従来の権威主義的な経営方式の限界が明らかにされたこと,および法的統制と物理的な力の行使のみが労使紛争を抑え込む道であると信じていた政府と経営者側の前近代的な発想に対する反省が必要であるということ」(17頁)が指摘された後,「6.29宣言後になされた憲法の労働関係条項の改正と労働三法の大幅改正は,韓国労働法制の劇的な方向転換を表すもの」(18頁)と概括される。
 こうした位置づけの下で,第二部では労働運動の変化が,第三部では労働法制の変遷があとづけられる。そしてそれぞれの叙述は,87年夏に至るまでのいわば前史とそれ以降に生じた変化とに大別される。 こうした構成をとった以上,その叙述においては少なからぬ重複を避けがたいと思われるし,本書にもそれはある。 しかしそれは,運動に促された法の変遷と,法に媒介された運動の変化という両者の切り離しがたい関係の投影として理解されるだろう。
 第二部は,転換期労働運動の背景(第1章),労働運動の変化過程(第2章),「6.29民主化宣言」以後の労働運動(第3章)が主要な構成部分である。労働運動の変化の過程は,工業化初期(1960年代),重化学工業化(70年代),安定成長期(80年代)という三つの時期に区分され,特に“6.29宣言”以後の労働運動が章をあらためて論じられる,という構成になっている。 80年代前半期の労働運動の特徴として著者は次の4点を挙げる。つまり,1)企業別単位労組の機能が相対的な意味で強化された,2)現実主義的な労働運動=「名よりは実」の組合活動の傾向が現れ始めた,3)大企業より中小企業での労働運動が活発になり紛争も尖鋭化した,4)自然発生的な労働運動の組織叱・在野労働勢力の形成が労働者の連帯意識の強まりとともに表面化した,という点である。他方,87年以降90年代初頭までの労働運動の特徴としては,先ず以下の点が指摘される。即ち,1)賃金闘争の春季集中,2)争議多発と長期化・大型化,3)連帯性争議の増加,4)争議事項の多様化,5)争議主導勢力の変化(重化学工業部門の大企業労組及び全労協グループの台頭),5)「合法」と「不法」の交錯,6)労使対立の深まり(労使関係を力の論理で押し切ろうとする対決意識がぬぐい切れないままの状態),である。そしてこれらの特徴が主要にぱ6.29宣言”直後のものとすれば,それ以降は,1)労働組合の組織拡大と多様化,2)企業・産業・中央の各レベルでの労働運動の分化,3)労働者の権利意識の高まり,といった傾向が顕著になってきている,とされる。これらの中,前記4)の争議事項の多様化に関しては,ストライキ期間中の賃金(ノーワーク・ノーペイ)問題をはじめとして,団体交渉の対象と範囲,労働組合の代表性,教育及び現業公務員の労働基本権,労組の政治活動,第三者介入の禁止,といった現在にも引き継がれている諸問題が多岐にわたって列挙されている。ただ,これらの問題は,第三部の判例動向の部分でもふれられているので,具体的には後述することとする。
 さて,その第三部であるが,全体で6章から成っている。実はこの第三部が,量的には本書全体の3分の2近くを占めており,さらに第6章(労働法適用上の問題)だけで第三部の2分の1(本書の約3分の1)があてられている。しかし単に量的な面からだけでなく,その内容面においても,本書の真骨頂はこの第三部・第6章にあると思われる。 したがって以下での紹介は,この第6章を中心にしてすすめることとする。ちなみに,読者のご参考までに第1〜5章の標題を記せば次の通りである。法改正の背景と改正経緯(第1章),1987年法の意義,内容及び問題点(第2章),法改正の影響(第3章),評価と展望(第4章は87年法改正以後の改正動向(第5章)である。
 「韓国労働法制の変遷過程は,個別的労働関係法においては『保護の拡大』という世界的趨勢と軌を一にしていると評価される。ところで集団的労使関係法においては53年の労働組合法と労働争議調整法の制定以後,63年法から『統制の拡大』の道程をたどってきたが,1987年の法改正を通してようやく統制の『縮小指向』が見え始め,1953年の労使自治主義法体制への『回帰』の動きがみられ始めた」(178頁)。「韓国における労働法の改正は1980年の労働法改悪当時から大きく問題視されて以来,15年目を迎えた今も労組法,労調法,労協法,勤基法の改正をめぐる政策論議は尽きるところを知らない。その意味で『古い』問題である。しかし,諸般の事情・与件を考えてみると,将来遠くない時期にどういう形でどこまでかは別として,何らかの改正がなされるかも知れない。その意味で『新しい』問題である」(213頁)。第1章〜第5章は,ここに引用した著者の視角を基調としつつ,労働法改正の内容や問題点,今後の展望等について,多くの人が首肯し得るという意味で“教科書的”な叙述でつらぬかれている。
 本書の白眉をなす「労働法適用上の問題」 (第6章)は,ここまでに著者がくり返し指摘してきた労働法上の問題点あるいは争点に関わる判例動向の紹介である。労働組合法,労働争議調整法,労使協議会法,個別的労働関係法等のそれぞれの争点(約30)について,豊富な判例が,その労働法上の位置づけとともに紹介されている。評者の興味を引くいくつかの争点に関わる判例は以下のようである。
 ☆複数労働組合問題
 東洋製菓の生産職労働者とは別個に,販売職労働者が労組の設立申告を行った時に,これが,「既存の労働組合と組織対象を異にするか」または「既存の労働組合の正常な運営を妨げる」ものか,について,労働部は前者の立場を取って申告済み証を交付した。後者の立場に立つ経営側が提起した行政訴訟において,ソウル高等法院は「組織対象は重複していない」として,労働部の処置を追認した。これは「同一事業所においても職種を異にする労働者たちは組織対象が重複しない限り別の組合をつくることが法律上可能であることを示唆するものである」(232頁)。産業または業種レベルの連合団体の場合も,ソウル高等法院・大法院ともに「連盟の設立は許容される」と判示した例が紹介されている(病院労連・言論労連)(233〜234頁)。
 ☆労働協約締結と関連した組合民主主義
 会社側の提示した協約案を組合員の直接投票に付したり,組合代表が合意した協約案を組合員総会での投票で否決する事例は87年以後,大宇自動車・大宇造船等でしばしば見られた。連合鉄錮労組の規約では,協約等の締結には総会が表決権を持ち,団交の結果については,組合員の賛否投票を経て,最終的に協約を締結する,とされていた。行政当局がこの規約の変更を命じ,労組はこれに対して行政訴訟を提起した。釜山高等法院は,労組法の規定は「労働組合代表者に団体交渉権限を認めた規定であって,労働協約の締結権が労働組合の代表者にあることを認める規定と見るべきではない」と判示した(254頁)。他方大法院は,労組代表の有する「交渉する権限」には,事実行為としての交渉を行う権限だけでなく,交渉の結果にしたがって協約を締結する権限も含まれる,として前記組合規約を労組法違反とした(255頁)。ちなみに著者は,この大法院の解釈には無理がある,との見解を示している。
 ☆「無労働・無賃金」論争
 争議期間中の賃金支払い問題は,8ア年以降労使の最大の争点の一つとなっているが,90年代に入って,ノーワーク・ノーペイ原則そのものは労組側も容認の傾向にある。但し実態的には,生産奨励手当や妥結金の名目で相当部分の賃金が埋め合わされている,という。大宇や現代のような財閥グループの労組においても,この原則自体は認める方向にある。 この点に関わる大法院の判決は,「賃金の本質を交換的部分と本質的部分とに分け,スト期間中の支払い請求のできない賃金を交換的部分に限定する賃金二分説の立場をとっている」(293頁)。
 以上のように,司法の判断の中でも,わずかながら今後の方向がうかがえるもの,上級審と下級審とで判断のわかれているもの等がある。いずれにせよ,本章に引用されている豊富な事例から,われわれは,法律の文言から理解するよりもはるかにヴィヴィッドな労使関係の実態に接近できる。

 

本書へのコメント

 以上,著者の幅広い目配りに比べれば,かなり乱暴な内容紹介になったかもしれないが,以下では,読了後に評者の感じた点をいくつか記してみたい。
 既にふれたことではあるが,本書の中で最も印象的なのは,やはり第三部第6章である。労使関係の実態に接近するには,判例動向の精査が有力な一方法である,という一般論のレベルでだけそのように感じたわけではない。何よりも,日本において(=日本語で読めるものとして)は,これほど広範な論点にわたっての判例の分析・紹介は殆ど初めてではないかと思われるからである(評者が最近目にしたこの領域の作業として,朴相弼「韓国における整理解雇に関する判例動向について」『季刊労働法』No.174,があるが)。著者のキャリアーから容易に想像できたことではあるが,この部分の叙述は,やはり,著者の面目躍如たるものがあるし,われわれに最も多くの新たな知見を提供してくれるものと思われる。
 第2に,内容紹介の部分ではふれられなかったが,第二部の叙述において,われわれ日本人が容易に見ることのできない大会宣言や決議文,87年事態に対する政・労・使それぞれの分析評価,さらには,多くの基礎的な統計データが挿入されている点も,本書の特徴の一つになっているし,資料的な価値も併せ備えている。こうした点は,既に記したのとは別の意味での,文字通りの教科書的な配慮の結果かとも思われる。
 以上,本書がわれわれの前にさし出してくれたものが,決して少なくないことを述べてきた。次には,本書の叙述への若干の疑問や,望蜀の感を承知の上での“注文”のいくつかを記してみたい。
 第1は,韓国労使関係の特徴として,本稿の初めでも紹介した6つの点が挙げられていることに関してである。これら6つの特徴は,それら相互の関係が問われることなく,並列的}こ記すだけで,韓国の労使関係の(特に構造的な)理解を助けるには不充分なのではないだろうか。この点に関して言えぼ,トップダウン型の意思決定〔2)〕といい,労働運動に対する異端視〔3)〕といい,家父長的伝統社会の価値観が支配する垂直的な人間関係〔1)〕と密接不可分の関係があったのではないだろうか。だとすれば,もっと別の整理も可能だったのではないか。何よりも先ず,トップダウン型の意思決定とは,経営風土上の特徴ではあっても,労使の関係の特徴であったといえるだろうか。また,労働運動への異端視についても,それは経営者側にだけ固有なものだったのではなく,少なくともある時期までは,ごく普通の庶民レベルでも共有されていた意識だったのではないか。そしてそのような意識が,労使の関係にどのように投影されていたのか,といった問題を立てることはできないだろうか。
 国家安保と経済成長優先を貫徹させるためのイデオロギーとして,労使関係を家族関係になぞらえる論理が採用されたのだと考えてきた評者にとって,前記1)〜3)の関係はかなり重層的なものに思えるのだが……。
 第2は,第1の点とも関わるのだが,87年とそれに続く数年間の経験をくぐり抜けることによって,前記の特徴のどの部分がどのような変容をとげたのか,あるいはとげていないのか,について,今少し整理する必要はなかっただろうか。
 このように書くのも,87年の事態に対する評者なりのイメージのせいかもしれない。つまり,労使関係を家族関係になぞらえるイデオロギーは,少なくとも70年代後半から,その綻びを散発的にもせよ顕在化させていた。 87年の事態は,そうしたイデオロギーを,いったんは解体させる危機(あるいは契機というべきか)を内包させていた。少なくとも労働運動が,いわゆる“アカ攻撃”の対象になることなく,韓国社会’の中で一定の“市民権”を獲得することにつながるのではないか。このようにイメージしていた評者にとって,韓国労使関係の現在は,かなりアンビバレントなものとして映っている。しかし,現実の進行過程は,常にその中に矛盾を内包させており,特に流動期にはそれが一段と顕著である,という経験則からすれば,韓国労使関係の現在への評価を確定させようとすることに,今少しストイックであるべきかもしれないとは思う.その意味で,上記のことも,著者へのないものねだりの―つとなっているのかもしれない。
 第3は,著者への直接の要望ではなく,本書読了後のあらためての“感想”でしかない。韓国の労使関係が,政治の“従属変数”であり統けたし現在もそうである,という認識は,著者ばかりでなく,多くの人の共有できる点だと思われる。もしそうだとすれば,韓国の労使関係を考察の対象とする場合,それ自体を―つの自己完結的なものとして接近することに一定の留保が必要なのではないか,という点である。韓国の労使関係を構造的に把えようとする場合,そこに政治の現実が色濃く投影されているのだとすれば,南北分断という固有の要因を,どう分析の枠組みの中に取り込むのか,という課題である。とてつもなく巨大で複雑な課題に,余りにも気易く言及し過ぎているのではないか,という不安と恐れとをいだきつつ,本書読了後の感想は,と問われれば,やはりそのように言わざるを得ない。
 以上,評者自身にも整理できていない点も含めて,かなり“奔放”に書き連ねてきた。しかし,これも別に他意あってのことではなく,読者にいささかでもご参考になれば,との思いからであることを御了解頂ければ,と念じている。併せて,われわれの今後の研究にとって,好個の作品を提供して下さった著者の御労苦に対して,あらためて感謝と敬意の念を記しておきたい。




日本労働研究機構,1995年11月,XB+330頁,定価2,000円

みつま・てるとし 国立国会図書館専門調査員

『大原社会問題研究所雑誌』第450号



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